ラテ飼育格闘日記(798)
長い間可愛がっていただいた愛犬ラテが3月6日午前7時半に亡くなりました。最後は用意していた酸素吸入器で呼吸しつつ穏やかに息をひきとりました。15年8ヶ月の犬生でしたが多くの方々に名を覚えていただき可愛がっていただいたことに改めて御礼申し上げます。とても幸せなワンコだったと思います…。
この三日ほど、自力では歩けなくなり馴染みの公園へ連れて行っても立ち上がれず横になったままでした。ただし食事は用意した量の90%以上を食べ大好きな牛乳を飲み干していたので突然のことでした。
一昨日夜半から…特に夜になると声を上げることが頻繁になってきました。夜中に吠えれば放っておくわけにもいかず「どうした、ラテ」と様子を見て、体の向きを変えたり水を飲ませたりするわけですが、その間隔が15分とか30分と短くなってきたのでオトーサンはこの三日ほどほとんどまともな睡眠は取れませんでした。

※ラテは2022年3月6日午前7時半に永眠しました
集合住宅でもあり、昼はともかく夜は気遣いをしなければなりませんがこればかりは「静かに!」といって効果があるわけでもなく、隣接のご家庭には事情を説明してあらかじめご承知置きいただいてました。
とにかくラテを中心に我が家は回っていましたが、昨年末に倒れてからは一層介護に手がかかるようになりました。床ずれに優しいというベッドを、また万一の場合にと酸素発生器、そして歩けないラテを馴染みの公園に連れて行こうと大きなカートを買うなどは勿論、正直なところ薬代も大変でした。

※その後は酸素吸入器で呼吸しつつこの15分後に息をひきとりました
それでもラテの表情を見るとオトーサンたちが元気になるわけで、足腰への負担はもとより睡眠不足にもなんとか対処してやってきましたが、いまはただただ呆然としています。
息をひきとる未明、声を上げる頻度が多くなったこともありオトーサンはパジャマから普段着に着替えていつでもラテの様子を見守れるようにと準備をしましたが、いま思えばラテ最後の呼びかけだったのかも知れません。
あまりに五月蠅いのでこれまでやったことはなかったのですが、オトーサンは椅子に座り、ラテを膝に抱き上げて10分ほどあやしていたことが顔と顔を見合わせた最後の一時となりました。しかし軽くなり骨張ってしまった体を抱きつつオトーサンは涙ぐんでいましたがラテは確かに…しばしとても嬉しそうな表情をしていました…。

※息をひきとった直後、ラテを可愛がってくださったファミリーのオカーサンと中学女子が来て下さりラテの手を握ってくださいました
その後我々夫婦も起床しなければならない時間になったのですが、ラテは排泄要求らしき動きを始めたので女房が対処しオトーサンはラテの分も含む朝食の支度を始めましたが、おむつ取り替えにしてもまったく立ち上がれないまま対処せざるを得ずベッドへ寝かせましたがそのときには口を開け息が荒くなってきました。オトーサンはこうした日のためにと買って置いた酸素発生器とラテの為に自作した吸入マスクをセットしラテのマズルを包むように置きました。
ラテの開いた口を眺めていたとき、舌の色に血の気がなく妙に白っぽいことに気づきました。これは来るときが来たのかと両眼を確認するとすでに白眼を剝いた感じに…。繰り返しますが昨夕ご飯をまずまず食べてくれたラテの急変ぶりに驚くと同時にオトーサンたちはパニック状態!
酸素マスクをあてがってから20分ほど経った頃、ラテは声も上げずそのまま静かに息をひきとりました。こうした日が近々来るであろうことは理屈では覚悟していましたが、いざ現実となるとただただ呆然とし涙が流れ出るだけです…。

※早速動物病院から紹介された葬儀社が来てくれ、納棺・出棺となりました
この「ラテ飼育格闘日」も毎週土曜日にアップすると己に課せてから一度も休まず798回目となりました。多くの方々に目を通していただきただただ感謝しかありませんが、この辺で連載を止めようかとも思いつつ、オトーサンの頭の中はラテのことで一杯です。

※翌日にラテは小さくなって戻ってきました(泣)
したがって近接で書き漏らしたことは勿論、我が娘ラテの思い出をしばらくは綴ってみたいと考えています。
感謝…そして合掌!
この三日ほど、自力では歩けなくなり馴染みの公園へ連れて行っても立ち上がれず横になったままでした。ただし食事は用意した量の90%以上を食べ大好きな牛乳を飲み干していたので突然のことでした。
一昨日夜半から…特に夜になると声を上げることが頻繁になってきました。夜中に吠えれば放っておくわけにもいかず「どうした、ラテ」と様子を見て、体の向きを変えたり水を飲ませたりするわけですが、その間隔が15分とか30分と短くなってきたのでオトーサンはこの三日ほどほとんどまともな睡眠は取れませんでした。

※ラテは2022年3月6日午前7時半に永眠しました
集合住宅でもあり、昼はともかく夜は気遣いをしなければなりませんがこればかりは「静かに!」といって効果があるわけでもなく、隣接のご家庭には事情を説明してあらかじめご承知置きいただいてました。
とにかくラテを中心に我が家は回っていましたが、昨年末に倒れてからは一層介護に手がかかるようになりました。床ずれに優しいというベッドを、また万一の場合にと酸素発生器、そして歩けないラテを馴染みの公園に連れて行こうと大きなカートを買うなどは勿論、正直なところ薬代も大変でした。

※その後は酸素吸入器で呼吸しつつこの15分後に息をひきとりました
それでもラテの表情を見るとオトーサンたちが元気になるわけで、足腰への負担はもとより睡眠不足にもなんとか対処してやってきましたが、いまはただただ呆然としています。
息をひきとる未明、声を上げる頻度が多くなったこともありオトーサンはパジャマから普段着に着替えていつでもラテの様子を見守れるようにと準備をしましたが、いま思えばラテ最後の呼びかけだったのかも知れません。
あまりに五月蠅いのでこれまでやったことはなかったのですが、オトーサンは椅子に座り、ラテを膝に抱き上げて10分ほどあやしていたことが顔と顔を見合わせた最後の一時となりました。しかし軽くなり骨張ってしまった体を抱きつつオトーサンは涙ぐんでいましたがラテは確かに…しばしとても嬉しそうな表情をしていました…。

※息をひきとった直後、ラテを可愛がってくださったファミリーのオカーサンと中学女子が来て下さりラテの手を握ってくださいました
その後我々夫婦も起床しなければならない時間になったのですが、ラテは排泄要求らしき動きを始めたので女房が対処しオトーサンはラテの分も含む朝食の支度を始めましたが、おむつ取り替えにしてもまったく立ち上がれないまま対処せざるを得ずベッドへ寝かせましたがそのときには口を開け息が荒くなってきました。オトーサンはこうした日のためにと買って置いた酸素発生器とラテの為に自作した吸入マスクをセットしラテのマズルを包むように置きました。
ラテの開いた口を眺めていたとき、舌の色に血の気がなく妙に白っぽいことに気づきました。これは来るときが来たのかと両眼を確認するとすでに白眼を剝いた感じに…。繰り返しますが昨夕ご飯をまずまず食べてくれたラテの急変ぶりに驚くと同時にオトーサンたちはパニック状態!
酸素マスクをあてがってから20分ほど経った頃、ラテは声も上げずそのまま静かに息をひきとりました。こうした日が近々来るであろうことは理屈では覚悟していましたが、いざ現実となるとただただ呆然とし涙が流れ出るだけです…。

※早速動物病院から紹介された葬儀社が来てくれ、納棺・出棺となりました
この「ラテ飼育格闘日」も毎週土曜日にアップすると己に課せてから一度も休まず798回目となりました。多くの方々に目を通していただきただただ感謝しかありませんが、この辺で連載を止めようかとも思いつつ、オトーサンの頭の中はラテのことで一杯です。

※翌日にラテは小さくなって戻ってきました(泣)
したがって近接で書き漏らしたことは勿論、我が娘ラテの思い出をしばらくは綴ってみたいと考えています。
感謝…そして合掌!
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