ラテ飼育格闘日記(799)
ラテが死んだ。そのご報告をきちんとすると丁度次回の連載800回目にもなるだろう…。で、ちょうど切りも良いしそれこそ足掛け16年続けてきたこの「ラテ飼育格闘日記」も潮時だからして終えようかと思った。しかしオトーサンの頭の中はまだラテのことで一杯だし、書かなかったこともあるからと暫くはラテの思い出話しをさせていただこうと考えている。
さて、ワンコの飼い主なら同意していただけると思うがオトーサンにとってラテは単なるワンコ、犬ではなかった。種は違うがまるで自分の子供の…あるいは孫のような感覚で接し15年の間24時間一緒に生きてきた。いま、その我が子が亡くなったという事実をなかなか受け入れることができないでいる。

※オトーサン夫婦にとってラテはまさしく我が娘だった。賢く可愛くそして我が儘な我が子だった…
ラテの重み、体の温かさ、鼻先の冷たさ、そして甘え声などはもとより、その豊かな表情はすっかりオトーサンの五感に焼き付き染みついている。そうした感覚が突然リアルなものではなくなったとしてもすぐに忘れられるわけはないし事実いまでも何かの拍子にラテの息づかいを感じたり、甘え声が聞こえたように思えたりもする。

※息をひきとった直後のラテ。女房が脱糞したラテのお尻を綺麗にしてくれた
思えばラテは可笑しな…いや、可笑しいが語弊があるなら個性的なワンコだったと思う。一言で言うなら「臆病」「ヤキモチ焼き」そして「子供好き」のワンコだった。特にラテの子供好きは有り難い性格だったといえる。一般的にワンコは挙動が安定せず高い声を出す子供を嫌うことが多いというが、ラテは不思議に初対面でも子供たちにはフレンドリーだったから結果としてオトーサンの交友関係の輪を大きく広げてくれることになった。さらに親バカを承知でいうならとても「賢い」ワンコでもあった。

※公園で会った二人の未就学女子にいきなり頭と腰に抱きつかれてもラテは怒らなかった(2016年10月撮影)
そういえば、2006年11月のこと…横浜の動物病院で開かれた里親会を紹介されたオトーサンたちはそこで初めて生後5ヶ月だという雑種のワンコと出会った。
出会ったといってもオトーサンたちの興味は当初他のワンコたちにあったが、ボランティアの方に「すみませんがこの子のリードを持っていてくれませんか」と託されたのがラテ(その時の仮の名はカンナ)だった。新しい飼い主に見初められるためにと綺麗にカットされたその子犬はどこかアンバランスで他に十数匹いたワンコたちとは違っていた。

※2007年8月、暑いだろうと体毛を刈り込んだときのラテ。皆に笑われた…
他のワンコたちは狭い場所を駆け回り、吠え、中には粗相をしてしまったワンコさえいたが、オトーサンが手にしたリードのワンコはお座りをしたまま静かに我々夫婦の顔を眺めつつ、手を舐め、オトーサンのキャップを噛んで唾液だらけにしつつも叱られないと感じたのか、次にオトーサンの顔をベロベロと舐め始めた。
後にオトーサンの常套句になったが「オトーサンにはこの初対面のときが一番フレンドリーだった」と言わせるほど濃密な時間を過ごさせてもらった。
過酷な現実としてキャバリエ、ダックスといった姿形をしているワンコは早々に里親が決まっていった。そしてそうした場に慣れていないオトーサンたちとラテは取り残されていく…。要はラテは売れ残りとなっていった。
しかしオトーサンたちはワンコを飼いたいと埼玉からわざわざ多摩に引っ越しを決めたのだが肝心のワンコが決まっていなかった。

※2016年4月、桜が咲き始めた頃のオトーサンとツーショット
女房は「ワンコらしいし、この子でいいんじゃあない」と呟いた。その言葉でこのどこか滑稽に見えたワンコをオトーサンたちの家族に迎入れることになったが、後から思うに熱心で熱いオトーサンたちへのアプローチは「この場は己の将来を決める…命をつなぐ重要な場」であることを本能で知っていたからに違いない。
そのときまるで「犬のクセに猫を被っていた」としか思われない良い子を演じていたのかも知れない。そして一ヶ月後の12月10日、すでに避妊手術を無事終えたラテは茨城から車で我が家に連れて来られたのだ。しかしオトーサンたちといえばボランティアの方に言われた最低限必要なアイテムは揃えたもののワンコを飼った経験も知識も皆無だったこともありここに「飼育格闘日記」が始まった…。
さて、ワンコの飼い主なら同意していただけると思うがオトーサンにとってラテは単なるワンコ、犬ではなかった。種は違うがまるで自分の子供の…あるいは孫のような感覚で接し15年の間24時間一緒に生きてきた。いま、その我が子が亡くなったという事実をなかなか受け入れることができないでいる。

※オトーサン夫婦にとってラテはまさしく我が娘だった。賢く可愛くそして我が儘な我が子だった…
ラテの重み、体の温かさ、鼻先の冷たさ、そして甘え声などはもとより、その豊かな表情はすっかりオトーサンの五感に焼き付き染みついている。そうした感覚が突然リアルなものではなくなったとしてもすぐに忘れられるわけはないし事実いまでも何かの拍子にラテの息づかいを感じたり、甘え声が聞こえたように思えたりもする。

※息をひきとった直後のラテ。女房が脱糞したラテのお尻を綺麗にしてくれた
思えばラテは可笑しな…いや、可笑しいが語弊があるなら個性的なワンコだったと思う。一言で言うなら「臆病」「ヤキモチ焼き」そして「子供好き」のワンコだった。特にラテの子供好きは有り難い性格だったといえる。一般的にワンコは挙動が安定せず高い声を出す子供を嫌うことが多いというが、ラテは不思議に初対面でも子供たちにはフレンドリーだったから結果としてオトーサンの交友関係の輪を大きく広げてくれることになった。さらに親バカを承知でいうならとても「賢い」ワンコでもあった。

※公園で会った二人の未就学女子にいきなり頭と腰に抱きつかれてもラテは怒らなかった(2016年10月撮影)
そういえば、2006年11月のこと…横浜の動物病院で開かれた里親会を紹介されたオトーサンたちはそこで初めて生後5ヶ月だという雑種のワンコと出会った。
出会ったといってもオトーサンたちの興味は当初他のワンコたちにあったが、ボランティアの方に「すみませんがこの子のリードを持っていてくれませんか」と託されたのがラテ(その時の仮の名はカンナ)だった。新しい飼い主に見初められるためにと綺麗にカットされたその子犬はどこかアンバランスで他に十数匹いたワンコたちとは違っていた。

※2007年8月、暑いだろうと体毛を刈り込んだときのラテ。皆に笑われた…
他のワンコたちは狭い場所を駆け回り、吠え、中には粗相をしてしまったワンコさえいたが、オトーサンが手にしたリードのワンコはお座りをしたまま静かに我々夫婦の顔を眺めつつ、手を舐め、オトーサンのキャップを噛んで唾液だらけにしつつも叱られないと感じたのか、次にオトーサンの顔をベロベロと舐め始めた。
後にオトーサンの常套句になったが「オトーサンにはこの初対面のときが一番フレンドリーだった」と言わせるほど濃密な時間を過ごさせてもらった。
過酷な現実としてキャバリエ、ダックスといった姿形をしているワンコは早々に里親が決まっていった。そしてそうした場に慣れていないオトーサンたちとラテは取り残されていく…。要はラテは売れ残りとなっていった。
しかしオトーサンたちはワンコを飼いたいと埼玉からわざわざ多摩に引っ越しを決めたのだが肝心のワンコが決まっていなかった。

※2016年4月、桜が咲き始めた頃のオトーサンとツーショット
女房は「ワンコらしいし、この子でいいんじゃあない」と呟いた。その言葉でこのどこか滑稽に見えたワンコをオトーサンたちの家族に迎入れることになったが、後から思うに熱心で熱いオトーサンたちへのアプローチは「この場は己の将来を決める…命をつなぐ重要な場」であることを本能で知っていたからに違いない。
そのときまるで「犬のクセに猫を被っていた」としか思われない良い子を演じていたのかも知れない。そして一ヶ月後の12月10日、すでに避妊手術を無事終えたラテは茨城から車で我が家に連れて来られたのだ。しかしオトーサンたちといえばボランティアの方に言われた最低限必要なアイテムは揃えたもののワンコを飼った経験も知識も皆無だったこともありここに「飼育格闘日記」が始まった…。
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