ラテ飼育格闘日記(800)
ラテが死んでから早くも3週間になろうとしている。オトーサンはラテがいなくなった現実だけはなんとか認められる精神状態にはなったが、反面日々そこのドアの隙間から顔を覗かせるのではないか…といった感覚に落ちいっているのも事実…。

※いま無性にラテに会いたい…
毎日朝になるとオトーサンはラテの慰霊・遺骨に「おはよう!」と挨拶し、グラスに注いだ水を取り替え時には陰膳を置いたりする毎日だ。友人知人たちは「ラテは万一お前が地獄に落ちたら、天国から尻尾を垂らしてくれるよ」等と慰めて?くれた。

※オトーサンと共に走るのも好きだった
まあラテは間違いなく天国へ行っただろうが、オトーサンが何故地獄なのかが分からない(笑)。しかし、個人的な事だが若い時から仏教やキリスト教といった宗教の成り立ちや歴史を学び、人の心や神といった概念を勉強してきた結果としてオトーサンはこの歳になって…結局神や仏は存在せず、したがってあの世…天国や地獄なども存在しないう結論に達している…。まあまあこんなことを言い出すと異論やお叱りも多々飛んでくるかと思うが、個人的にそう考えるに至ったのだから仕方がない。だからこそ現世の縁とか付き合いは一期一会だからして貴重なのだと理解している。
そりゃあオトーサンも天国が存在し、近未来にオトーサンの命が尽きたとき、あの世と呼ばれる世界でラテに会えることがあり得るならそれは嬉しい。メチャ嬉しい。しかしそんなことはあり得ないと理性で考えているわけだが一方で、あの世でまたラテに会いたいと切に願っている自分もいて…心が痛い…。
そう言えば…医師であり根っからのカトリック信者である山浦玄嗣氏が古代ギリシャ語原本からケセン語(気仙沼地方の方言)に翻訳した聖書(四福音書)には「天国」「地獄」とか「愛」という言葉がない…というより意図的に追放したという。
そもそもこうした日本語に訳したことこそがキリスト教の真意をねじ曲げ、誤解を生む要因となったと断言している。ちなみに誤解があっては困るので付け加えるが、山浦玄嗣氏の著書はゲテモノではない。当該「ケセン語訳聖書」はローマ教皇庁に献上され、ヨハネ・パウロ2世から祝福を受けており、2019年には文化庁長官表彰も授与されている。

※山浦玄嗣氏訳、ケセン語新訳聖書四福音書「ガリラヤのイェシュー」
まあ…オトーサンはキリスト教の信者ではないものの時折聖書は読む…。要するに歴史、史実としてのイエスの生き様や教義には興味があるがいわゆる宗教としての現キリスト教には興味が無いということなのだ。
ともあれ「天国」や「地獄」という語も山浦先生によればいわゆる誤訳だというわけなのだが、ラテの死を目の前にしてそのオトーサンが「ラテ、天国で待っててくれよ…」だなんて慰霊に手を合わせる気持ちになるのだから人の心は弱いものだ。

※さあ、散歩に行くぞっ!と張り切る(2016年1月撮影)
しかしそんな偏屈なオトーサンでも前記したように身近にラテの気配を感じたりするし先日など就寝時にラテの吠え声で飛び起きた。無論それは現実ではなく夢の中のことなのだろうが長い間の習性が身についてしまった故のことに違いない。とはいえ就寝中に起こされるということは、リアルな時には正直寝不足の原因となって辛かったが、オトーサンはいま…慰霊に「ラテ、たまには出てきてくれ」と馬鹿なことを呟いている(笑)。

※ペットボトルの狭い飲み口に舌を入れ上手に水を飲んでた
こればかりは理性と感情が一致せずいまだに心理的にまいっているし、馬鹿な思いとは承知の上でいまとても…とても…ラテに会いたい!

※オトーサンはラテの遺骨を入れた小さなカプセルをいつも身に着けている
せめてもの慰め、そしてラテといつも一緒にいたいという願望からオトーサンの胸には小さなカプセルのペンダントが首から下がっているが、その中には微小なラテの遺骨が入っている…。

※いま無性にラテに会いたい…
毎日朝になるとオトーサンはラテの慰霊・遺骨に「おはよう!」と挨拶し、グラスに注いだ水を取り替え時には陰膳を置いたりする毎日だ。友人知人たちは「ラテは万一お前が地獄に落ちたら、天国から尻尾を垂らしてくれるよ」等と慰めて?くれた。

※オトーサンと共に走るのも好きだった
まあラテは間違いなく天国へ行っただろうが、オトーサンが何故地獄なのかが分からない(笑)。しかし、個人的な事だが若い時から仏教やキリスト教といった宗教の成り立ちや歴史を学び、人の心や神といった概念を勉強してきた結果としてオトーサンはこの歳になって…結局神や仏は存在せず、したがってあの世…天国や地獄なども存在しないう結論に達している…。まあまあこんなことを言い出すと異論やお叱りも多々飛んでくるかと思うが、個人的にそう考えるに至ったのだから仕方がない。だからこそ現世の縁とか付き合いは一期一会だからして貴重なのだと理解している。
そりゃあオトーサンも天国が存在し、近未来にオトーサンの命が尽きたとき、あの世と呼ばれる世界でラテに会えることがあり得るならそれは嬉しい。メチャ嬉しい。しかしそんなことはあり得ないと理性で考えているわけだが一方で、あの世でまたラテに会いたいと切に願っている自分もいて…心が痛い…。
そう言えば…医師であり根っからのカトリック信者である山浦玄嗣氏が古代ギリシャ語原本からケセン語(気仙沼地方の方言)に翻訳した聖書(四福音書)には「天国」「地獄」とか「愛」という言葉がない…というより意図的に追放したという。
そもそもこうした日本語に訳したことこそがキリスト教の真意をねじ曲げ、誤解を生む要因となったと断言している。ちなみに誤解があっては困るので付け加えるが、山浦玄嗣氏の著書はゲテモノではない。当該「ケセン語訳聖書」はローマ教皇庁に献上され、ヨハネ・パウロ2世から祝福を受けており、2019年には文化庁長官表彰も授与されている。

※山浦玄嗣氏訳、ケセン語新訳聖書四福音書「ガリラヤのイェシュー」
まあ…オトーサンはキリスト教の信者ではないものの時折聖書は読む…。要するに歴史、史実としてのイエスの生き様や教義には興味があるがいわゆる宗教としての現キリスト教には興味が無いということなのだ。
ともあれ「天国」や「地獄」という語も山浦先生によればいわゆる誤訳だというわけなのだが、ラテの死を目の前にしてそのオトーサンが「ラテ、天国で待っててくれよ…」だなんて慰霊に手を合わせる気持ちになるのだから人の心は弱いものだ。

※さあ、散歩に行くぞっ!と張り切る(2016年1月撮影)
しかしそんな偏屈なオトーサンでも前記したように身近にラテの気配を感じたりするし先日など就寝時にラテの吠え声で飛び起きた。無論それは現実ではなく夢の中のことなのだろうが長い間の習性が身についてしまった故のことに違いない。とはいえ就寝中に起こされるということは、リアルな時には正直寝不足の原因となって辛かったが、オトーサンはいま…慰霊に「ラテ、たまには出てきてくれ」と馬鹿なことを呟いている(笑)。

※ペットボトルの狭い飲み口に舌を入れ上手に水を飲んでた
こればかりは理性と感情が一致せずいまだに心理的にまいっているし、馬鹿な思いとは承知の上でいまとても…とても…ラテに会いたい!

※オトーサンはラテの遺骨を入れた小さなカプセルをいつも身に着けている
せめてもの慰め、そしてラテといつも一緒にいたいという願望からオトーサンの胸には小さなカプセルのペンダントが首から下がっているが、その中には微小なラテの遺骨が入っている…。
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