ラテ飼育格闘日記(801)
ラテがいない日常に慣れたいとは思わないが、自宅に閉じこもっているだけでは健康に悪い。足腰も大分弱っているからこそ歩かなければすぐに歩けなくなるかも知れないと一人散歩を始めた。胸にはラテの遺骨が入ったペンダントを下げているので気持ちはラテと一緒の散歩のつもりだ。

※いまでも部屋のあちらこちらでラテの気配を感じる…
いつまでもめそめそしたい訳ではないが本当に辛いし寂しい。そういえば現代の我々は病院で生まれて病院で死ぬのが当たり前になっている。オトーサンの子供時代の出産は通常産婆が駆けつけ自宅で生んだものだ。オトーサンが七歳のとき妹が生まれたが、ある日母親が布団に横になっていて知らない小母さんが看病していた。どういうシチュエーションだったかは覚えてはいないが父親も弟もいた…。
時間帯がいつ頃だったか、親父が「さあ、俺たちは表に出ていよう」の声に促され、六畳一間の部屋からアパートのエントランスで結構な時間遊んでいたことを記憶している。無論そのときには何故外に出ていなければならないのかは知りようもなかったが母が出産するために我々は出されたのだ。
そしてその父母も病院で息を引き取ったし急だったことでもありその場にいることは叶わなかった。だからオトーサンは身内の人間を間近で看取ったことはないのだ…。だから、人間ではないもののラテという愛犬を初めて…大げさな表現をするなら…この腕の中に抱きしめ、撫でながら看取ることになっただけにどうにもその暖かさと体が冷えて硬直していく様が愛しく忘れられないのである。

※亡くなる三日前(3月3日)にカートで馴染みの公園に連れて行ったのが散歩の最後となった
三月六日の未明、ラテが鳴くので以前にも書いたとおり10分ほどオトーサンは抱き上げて膝の上でその顔を見つめていた。嬉しかったのかとてもよい表情をしていたがその明け方の五時過ぎ、排泄したいというラテのサインを察知したオトーサンたちはラテを立たせようと抱えた。無論おむつ姿だからいつ排泄してもOKなのだが、ラテは💩の際には立って腰を落とさないと力が入らないのかヨタヨタで歩けないはずなのに玄関に向かい四つ脚で踏ん張った。思えばこれがラテ最後の四つ脚立ち姿となった。

※息を引き取る二時間ほど前、💩をするため立ち上がったラテ。おむつをしているので寝たままでも良いのだが、綺麗好きというか律儀というか…。これが最後の四つ脚立ちとなった
そしてそれから二時間ほどでこれまでご報告したように危篤状態となり酸素吸入器のマスクにマズルを入れたまま息を引き取った。
動物病院の院長やご近所の方々もオトーサンたちが手厚い介護をしてきたことを認めてくれたし労ってくださったが、
精一杯やれることはやったと思う反面、あのときこうすれば…ああすればよかった…と反省することもあって尚更心が痛む。

※亡くなる前日の夜はいつものご飯と牛乳を平らげたのだが…
すでに過ぎたことだからしてそんなことを考えても何の得にも益にもならないのは承知だが、看病だけでなく、もしもう一度2006年の12月10日からやり直せるなら、今少しラテとの接し方や暮らし方にも工夫ができ、よりよくラテのためにもできたのではないかとも思う。
育て方、飼い方にしてもあれで良かったのだろうかと思う点もなきにしもあらずだし、なによりもラテがより良い犬生だったと喜んでくれるかが心配だ。

※柴犬ハチちゃんのオカーサンからアレンジメントの花束をいただいた!
そんな中、ラテの墓前にとまたまた素敵なアレンジメントをいただいた。七年ほど前に亡くなった柴犬ハチちゃんの飼い主さんからだった。オトーサンは丁度留守だったのでお会いする事はできず失礼してしまったが、本当に…ラテは幾多の方々に可愛がっていただき、なんとも幸せなワンコに違いない…。

※いまでも部屋のあちらこちらでラテの気配を感じる…
いつまでもめそめそしたい訳ではないが本当に辛いし寂しい。そういえば現代の我々は病院で生まれて病院で死ぬのが当たり前になっている。オトーサンの子供時代の出産は通常産婆が駆けつけ自宅で生んだものだ。オトーサンが七歳のとき妹が生まれたが、ある日母親が布団に横になっていて知らない小母さんが看病していた。どういうシチュエーションだったかは覚えてはいないが父親も弟もいた…。
時間帯がいつ頃だったか、親父が「さあ、俺たちは表に出ていよう」の声に促され、六畳一間の部屋からアパートのエントランスで結構な時間遊んでいたことを記憶している。無論そのときには何故外に出ていなければならないのかは知りようもなかったが母が出産するために我々は出されたのだ。
そしてその父母も病院で息を引き取ったし急だったことでもありその場にいることは叶わなかった。だからオトーサンは身内の人間を間近で看取ったことはないのだ…。だから、人間ではないもののラテという愛犬を初めて…大げさな表現をするなら…この腕の中に抱きしめ、撫でながら看取ることになっただけにどうにもその暖かさと体が冷えて硬直していく様が愛しく忘れられないのである。

※亡くなる三日前(3月3日)にカートで馴染みの公園に連れて行ったのが散歩の最後となった
三月六日の未明、ラテが鳴くので以前にも書いたとおり10分ほどオトーサンは抱き上げて膝の上でその顔を見つめていた。嬉しかったのかとてもよい表情をしていたがその明け方の五時過ぎ、排泄したいというラテのサインを察知したオトーサンたちはラテを立たせようと抱えた。無論おむつ姿だからいつ排泄してもOKなのだが、ラテは💩の際には立って腰を落とさないと力が入らないのかヨタヨタで歩けないはずなのに玄関に向かい四つ脚で踏ん張った。思えばこれがラテ最後の四つ脚立ち姿となった。

※息を引き取る二時間ほど前、💩をするため立ち上がったラテ。おむつをしているので寝たままでも良いのだが、綺麗好きというか律儀というか…。これが最後の四つ脚立ちとなった
そしてそれから二時間ほどでこれまでご報告したように危篤状態となり酸素吸入器のマスクにマズルを入れたまま息を引き取った。
動物病院の院長やご近所の方々もオトーサンたちが手厚い介護をしてきたことを認めてくれたし労ってくださったが、
精一杯やれることはやったと思う反面、あのときこうすれば…ああすればよかった…と反省することもあって尚更心が痛む。

※亡くなる前日の夜はいつものご飯と牛乳を平らげたのだが…
すでに過ぎたことだからしてそんなことを考えても何の得にも益にもならないのは承知だが、看病だけでなく、もしもう一度2006年の12月10日からやり直せるなら、今少しラテとの接し方や暮らし方にも工夫ができ、よりよくラテのためにもできたのではないかとも思う。
育て方、飼い方にしてもあれで良かったのだろうかと思う点もなきにしもあらずだし、なによりもラテがより良い犬生だったと喜んでくれるかが心配だ。

※柴犬ハチちゃんのオカーサンからアレンジメントの花束をいただいた!
そんな中、ラテの墓前にとまたまた素敵なアレンジメントをいただいた。七年ほど前に亡くなった柴犬ハチちゃんの飼い主さんからだった。オトーサンは丁度留守だったのでお会いする事はできず失礼してしまったが、本当に…ラテは幾多の方々に可愛がっていただき、なんとも幸せなワンコに違いない…。
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