虫垂炎手術のため再入院レポート
2022年6月6日、前回緊急搬送された府中恵仁会病院に再入院した。薬で散らした虫垂炎を根本的に治療する手術のためだ。ともあれ前回の入院と違うのは可能な限りの準備しての入院なこと…。アイマスクや耳栓といった身の回りのものだけでなく、情報を容易に受信・発信できたらとiPhoneはもとよりMacBook Proまで持参し、電源周りや充電対策といったことにも注視して準備した。
ただし病院自体は相変わらずWi-Fi環境は絶無なので、iPhoneをディザリングしネットに入るのはMacBook Pro...と考えた。したがってあらかじめ月当たりのデータ契約量も増やした。
さて手術は相応の覚悟をもってことに当たったわけだが、いざ入院となり麻酔医から、あるいは看護師からさまざまな手順や説明を聞くたびにどうにも逃げ出したくなる。そして良き印なのかあるいは悪い知らせなのか、病室は前回と同じ病室だった。ただし四人相部屋のベッドは違ったが...。
こうして再び入院生活が始まった。

■入院当日
今回の手術は腹腔鏡手術だとのことで術後の経過がよければ3,4日で退院できると聞かされていた。腹腔鏡手術は17年前に一度経験しており、要領は知っているつもりでいたが、いやはや今回は思ったより大ごとなので驚いた。
入院は午後一時だったので昼飯は済ませてきた。また夕飯は出たものの申し訳ないが完食できる内容・味付けではなく困惑。そして翌日が手術日な訳だが朝食は抜きで水分も摂ってはいけないとのこと。
覚悟の入院だったが、いざベッドに横になり天井を見つめていると不安が広がってくる。それにこの日は特にやらなければならないことはないので余計にあれこれと考えてしまう。
ともかくここまで来たからにはやるっきゃないし早めに寝ようと考えた。相部屋はすべて埋まっているが、無論前回見知った患者がいるわけでもなくまたまた未知の世界だ(笑)。
イビキが結構すごく日中起きているときはブツブツ独り言をいう患者がいたがその夜は幸いなことに眠ることができた。また前回のようにナースステーションで罵詈雑言を吐くお婆さんもいないので一安心だったし悪夢も見なかった。

■手術当日
とうとう...その日が来た。いろいろ気になることはあるがここまでくればまな板の鯉だ。病室で手の甲へ点滴をセットされ、そのまま手術室へと向かう。手術室はどんな場所なのかと考えていたがドラマなどで出でくる手術室とは違い周りに資材の段ボールがあったりと思ったより雑然とした空間だ。その中に幅の狭い手術用ベッドがあり、そこに寝かされ酸素吸入マスクをあてがわれる。
そうそう、手術室へ行く前に弾性ストッキングなるものを穿かされる。これは両足がしばし動かせないためエコノミー症候群の予防だという。さらにフットポンプといって脹脛を定期的に圧迫するものを装着される。これも血の固まりができないようにとの配慮らしい。
そしていくつかの計測機器が繋がれるが麻酔はまず点滴側から入れられ、あっという間に闇の中に...。したがって後のことは記憶にないが、この後口から管を入れられ全身麻酔の処置をおこなったというし麻酔が効いた後には尿道から膀胱へバルンカテーテルという管を挿入された。
この手術日は時間に合わせ女房が来院してくれたが、コロナの影響で病室はもちろん顔を会わせることもできない。ただ術後に主治医から経過などの説明があるからと足を運んでくれたわけだ。
結果約一時間半後、私は病室のベッドで目を覚ました。まだ薬が効いていることもあってか自然体なら術後の痛みはないが少しでも体を動かそうとすると腹部に激痛が走る。
また体には先のフットポンプをはじめ心電図のセンサーが胸に貼られ、定期的に計測するための血圧計が右腕に巻かれ、その人差し指には血中酸素濃度を測るパルスオキシメーターが挟んである。ただし口からのチューブはすでに抜き取られていた。

このがんじがらめの状態の上に当然ながら術後で下半身が重いし、動かそうとすれば激痛が走る。ただし医者曰く傷には影響ないのでなるべく早めに歩けるようにしてくださいというが、そんな状態ではない。
困るのは時折出る咳だ。咳は腹筋を動かすのでとても痛い...。ともかく術後なので寝ているしかないが、眠れない。夜も眠れない。
困ったといえば前記したように食事だ…。病人だから仕方がないが、あの味気のない料理は喉に通らない。無理やり食べようと努力したが気持ち悪くなってくる。

挙げ句の果てやはり夜になっても眠れない。そりゃあそうだ...。痛みはともかく一時間なのか30分なのか覚えていないが一定間隔で右腕の血圧計が作動し圧迫する。そしてなによりも弾性ストッキングが暑苦しく事実汗をかき、皮膚が痒くなって来たしこれまた一定感覚でフットポンプが働きふくらはぎを締め付ける。
これでは寝られない。また昨日は静かだった同室患者のイビキがうるさいだけでなく寝言なのか独り言を言い続ける。
「ああ、今回は耳栓を持って来たな...」と思ったものの、それは一メートルほど離れたベッド下に置いたカバンの中なので体を動かせない本人にとっては取りたくても取れない。まさか看護師さんにナースコールして取ってもらうのも申し訳ないし、カバンの中を覗かれるのもいやだ。
というわけでそのまま明け方までほぼ覚醒した状態で過ごすしかなかった。
ともあれ病院というか入院した病棟および病室は前回と同じなので勝手もわかり安心していられる。また相変わらず医師は勿論、看護師の方々は親切であり献身的で本当に頭がさがる。
■同部屋の人々
四人部屋の患者たちは皆私と同年配か少し年上のジイサンばかり。一人は何度も手術を重ねてきたようだが近々難しい手術を控えている方だった。イビキもないし基本は静かなのだが日中家族に携帯で頻繁に電話をかける。耄碌しているとは思えないが同室の人たちへの配慮がまったくない…。
自分もジイサンなので些か言いにくいが、どうもこの年代のオヤジたちは自分本位で他人を思いやる感覚に欠けている者が多い。耳が悪いからか必然的に声も大きくなり、一度は看護師に注意されたが「ああ、注意されちゃったよ」と呟きながらしばらくするとまた電話をかける。また話の内容もお金の問題や家族のプライバシー満載の話しなので聞くに耐えない。
いま一人は前記したように寝るとイビキをかくが、まあ耳栓でなんとかなるレベルでまだよいが、日中起きているときのほとんどは独り言を言い続けている。看護師との会話などでは「ありがとうね」と相手に気遣いを見せるがとにかくブツブツ言い続けているので気になる。
3人目は日中何の問題もないが夜になると眠れないのかノートパソコンを取りだして作業を始める。主治医に「仕事と命とどちらが大切かは言うまでもないでしょう」と釘を刺されていたからまだ現役の方のようだ。問題はどのようなノートパソコンなのかは不明だがキーボーを叩く「カシャカシャ」という音が深夜だけに気になる。まったくどいつもこいつも自分が同室の者たちに迷惑をかけているなどツユほども気づいていない…。
ではお前はどうなんだといわれそうだが、私も無論完全無音の患者というけにはいかない。ときに出る咳喘息が夜に出ればそれなりに迷惑をかけるかも知れない。しかし言い訳めくが頻発するわけでもなしこればかりは意図的に抑制できることでもない。
それから、これらのジイサンたちは病気はともかく当然日中も暇だし、人恋しくて仕方がないようで看護師が見廻りで声をかけると肝心の用件はともかく身の上話や先ほど他の看護師に聞いたはずの話しを続けて足止めさせる。看護師の方たちは総じてメチャ忙しいのだが邪慳にもできず健気に話しを聞きそつの無い回答をしているが、気持ちは分かる物のまったく困ったジイサンたちである(笑)。
■退院に向けて
当初、手術が7日だから何事もなければ9日か10日には退院できると踏んでいた。しかし結局8日、9日は経過観察となり退院は10日となった。しかし10日は術後三日目だ。腹腔鏡手術ならではの快挙で凄いとしか言いようがない。
そういえば、6月10日はラテの誕生日だ。馬鹿げていると思われるかもしれないがどこかでラテが見ていてくれているようにも感じた。
退院前日に腹に挿してあったチューブと手の甲に針が射してあった点滴の針を抜かれ、これですべてのチューブや管から解放されたことになる。
また主治医いわく、退院当日からシャワーは大丈夫だというが、繰り返すが凄いなあと感嘆…。

退院当日だが午前10時から手続きが始まるが込み合うため実際は一時間ほど遅れる。ただしこの日は病院からタクシーで帰るつもりだったが、お世話になっているKファミリーのオカーサンが車で迎えに来てくださったのでリラックスして戻ることができた。
本当にありがたいことだ。
こうして無事に手術も終え、退院できたわけだが、しばしスローライフで養生したいと思う。ただし主治医からはなるべく歩けと言われているので雨が降らなければ少しでも歩くよう心がけ一日も早く100%の社会復帰を果たしたい。
ただし病院自体は相変わらずWi-Fi環境は絶無なので、iPhoneをディザリングしネットに入るのはMacBook Pro...と考えた。したがってあらかじめ月当たりのデータ契約量も増やした。
さて手術は相応の覚悟をもってことに当たったわけだが、いざ入院となり麻酔医から、あるいは看護師からさまざまな手順や説明を聞くたびにどうにも逃げ出したくなる。そして良き印なのかあるいは悪い知らせなのか、病室は前回と同じ病室だった。ただし四人相部屋のベッドは違ったが...。
こうして再び入院生活が始まった。

■入院当日
今回の手術は腹腔鏡手術だとのことで術後の経過がよければ3,4日で退院できると聞かされていた。腹腔鏡手術は17年前に一度経験しており、要領は知っているつもりでいたが、いやはや今回は思ったより大ごとなので驚いた。
入院は午後一時だったので昼飯は済ませてきた。また夕飯は出たものの申し訳ないが完食できる内容・味付けではなく困惑。そして翌日が手術日な訳だが朝食は抜きで水分も摂ってはいけないとのこと。
覚悟の入院だったが、いざベッドに横になり天井を見つめていると不安が広がってくる。それにこの日は特にやらなければならないことはないので余計にあれこれと考えてしまう。
ともかくここまで来たからにはやるっきゃないし早めに寝ようと考えた。相部屋はすべて埋まっているが、無論前回見知った患者がいるわけでもなくまたまた未知の世界だ(笑)。
イビキが結構すごく日中起きているときはブツブツ独り言をいう患者がいたがその夜は幸いなことに眠ることができた。また前回のようにナースステーションで罵詈雑言を吐くお婆さんもいないので一安心だったし悪夢も見なかった。

■手術当日
とうとう...その日が来た。いろいろ気になることはあるがここまでくればまな板の鯉だ。病室で手の甲へ点滴をセットされ、そのまま手術室へと向かう。手術室はどんな場所なのかと考えていたがドラマなどで出でくる手術室とは違い周りに資材の段ボールがあったりと思ったより雑然とした空間だ。その中に幅の狭い手術用ベッドがあり、そこに寝かされ酸素吸入マスクをあてがわれる。
そうそう、手術室へ行く前に弾性ストッキングなるものを穿かされる。これは両足がしばし動かせないためエコノミー症候群の予防だという。さらにフットポンプといって脹脛を定期的に圧迫するものを装着される。これも血の固まりができないようにとの配慮らしい。
そしていくつかの計測機器が繋がれるが麻酔はまず点滴側から入れられ、あっという間に闇の中に...。したがって後のことは記憶にないが、この後口から管を入れられ全身麻酔の処置をおこなったというし麻酔が効いた後には尿道から膀胱へバルンカテーテルという管を挿入された。
この手術日は時間に合わせ女房が来院してくれたが、コロナの影響で病室はもちろん顔を会わせることもできない。ただ術後に主治医から経過などの説明があるからと足を運んでくれたわけだ。
結果約一時間半後、私は病室のベッドで目を覚ました。まだ薬が効いていることもあってか自然体なら術後の痛みはないが少しでも体を動かそうとすると腹部に激痛が走る。
また体には先のフットポンプをはじめ心電図のセンサーが胸に貼られ、定期的に計測するための血圧計が右腕に巻かれ、その人差し指には血中酸素濃度を測るパルスオキシメーターが挟んである。ただし口からのチューブはすでに抜き取られていた。

このがんじがらめの状態の上に当然ながら術後で下半身が重いし、動かそうとすれば激痛が走る。ただし医者曰く傷には影響ないのでなるべく早めに歩けるようにしてくださいというが、そんな状態ではない。
困るのは時折出る咳だ。咳は腹筋を動かすのでとても痛い...。ともかく術後なので寝ているしかないが、眠れない。夜も眠れない。
困ったといえば前記したように食事だ…。病人だから仕方がないが、あの味気のない料理は喉に通らない。無理やり食べようと努力したが気持ち悪くなってくる。

挙げ句の果てやはり夜になっても眠れない。そりゃあそうだ...。痛みはともかく一時間なのか30分なのか覚えていないが一定間隔で右腕の血圧計が作動し圧迫する。そしてなによりも弾性ストッキングが暑苦しく事実汗をかき、皮膚が痒くなって来たしこれまた一定感覚でフットポンプが働きふくらはぎを締め付ける。
これでは寝られない。また昨日は静かだった同室患者のイビキがうるさいだけでなく寝言なのか独り言を言い続ける。
「ああ、今回は耳栓を持って来たな...」と思ったものの、それは一メートルほど離れたベッド下に置いたカバンの中なので体を動かせない本人にとっては取りたくても取れない。まさか看護師さんにナースコールして取ってもらうのも申し訳ないし、カバンの中を覗かれるのもいやだ。
というわけでそのまま明け方までほぼ覚醒した状態で過ごすしかなかった。
ともあれ病院というか入院した病棟および病室は前回と同じなので勝手もわかり安心していられる。また相変わらず医師は勿論、看護師の方々は親切であり献身的で本当に頭がさがる。
■同部屋の人々
四人部屋の患者たちは皆私と同年配か少し年上のジイサンばかり。一人は何度も手術を重ねてきたようだが近々難しい手術を控えている方だった。イビキもないし基本は静かなのだが日中家族に携帯で頻繁に電話をかける。耄碌しているとは思えないが同室の人たちへの配慮がまったくない…。
自分もジイサンなので些か言いにくいが、どうもこの年代のオヤジたちは自分本位で他人を思いやる感覚に欠けている者が多い。耳が悪いからか必然的に声も大きくなり、一度は看護師に注意されたが「ああ、注意されちゃったよ」と呟きながらしばらくするとまた電話をかける。また話の内容もお金の問題や家族のプライバシー満載の話しなので聞くに耐えない。
いま一人は前記したように寝るとイビキをかくが、まあ耳栓でなんとかなるレベルでまだよいが、日中起きているときのほとんどは独り言を言い続けている。看護師との会話などでは「ありがとうね」と相手に気遣いを見せるがとにかくブツブツ言い続けているので気になる。
3人目は日中何の問題もないが夜になると眠れないのかノートパソコンを取りだして作業を始める。主治医に「仕事と命とどちらが大切かは言うまでもないでしょう」と釘を刺されていたからまだ現役の方のようだ。問題はどのようなノートパソコンなのかは不明だがキーボーを叩く「カシャカシャ」という音が深夜だけに気になる。まったくどいつもこいつも自分が同室の者たちに迷惑をかけているなどツユほども気づいていない…。
ではお前はどうなんだといわれそうだが、私も無論完全無音の患者というけにはいかない。ときに出る咳喘息が夜に出ればそれなりに迷惑をかけるかも知れない。しかし言い訳めくが頻発するわけでもなしこればかりは意図的に抑制できることでもない。
それから、これらのジイサンたちは病気はともかく当然日中も暇だし、人恋しくて仕方がないようで看護師が見廻りで声をかけると肝心の用件はともかく身の上話や先ほど他の看護師に聞いたはずの話しを続けて足止めさせる。看護師の方たちは総じてメチャ忙しいのだが邪慳にもできず健気に話しを聞きそつの無い回答をしているが、気持ちは分かる物のまったく困ったジイサンたちである(笑)。
■退院に向けて
当初、手術が7日だから何事もなければ9日か10日には退院できると踏んでいた。しかし結局8日、9日は経過観察となり退院は10日となった。しかし10日は術後三日目だ。腹腔鏡手術ならではの快挙で凄いとしか言いようがない。
そういえば、6月10日はラテの誕生日だ。馬鹿げていると思われるかもしれないがどこかでラテが見ていてくれているようにも感じた。
退院前日に腹に挿してあったチューブと手の甲に針が射してあった点滴の針を抜かれ、これですべてのチューブや管から解放されたことになる。
また主治医いわく、退院当日からシャワーは大丈夫だというが、繰り返すが凄いなあと感嘆…。

退院当日だが午前10時から手続きが始まるが込み合うため実際は一時間ほど遅れる。ただしこの日は病院からタクシーで帰るつもりだったが、お世話になっているKファミリーのオカーサンが車で迎えに来てくださったのでリラックスして戻ることができた。
本当にありがたいことだ。
こうして無事に手術も終え、退院できたわけだが、しばしスローライフで養生したいと思う。ただし主治医からはなるべく歩けと言われているので雨が降らなければ少しでも歩くよう心がけ一日も早く100%の社会復帰を果たしたい。
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