伝説のエバンジェリスト〜ガイ・カワサキの思い出
元Appleの伝説的エバンジェリストであり、一時期フェローでもあったガイ・カワサキはMacintoshの登場時にMacを普及させるために、そしてMacそのものにとっても最も重要なのはソフトウェアだと唱えた最初の一人だった。
ガイ・カワサキはソフトウェアの重要さをアピールし、そのソフトウェアを開発するデベロッパー各社を精力的に訪問してMacintosh用ソフトウェアの充実を図った功労者でもあった。彼の働きそのものからエバンジェリストという職業が確立したといえる。
しかし現在の視点から見るならエバンジェリストという仕事はどうということもない仕事に思えるかも知れないが、彼の能力が発揮されたのは20年以上も前の事であった。そして難しいことにその対象であるMacintoshは当時十分なメモリもなく、ハードディスクもなく、モノクロでたった9インチの小さなモニタでしかなく、拡張性もなく、大変高価で市場性を疑われたコンピュータだったのだ(笑)。
だからガイ・カワサキはよほど話が巧いか、押しの強い人間であろうというイメージを持っていた。そして彼は大絶賛される反面敵も多い人であると聞いたことがあったがそれは彼がデベロッパーに対して約束したことの多くが彼の責任でない事も含めて実現できなかったかららしい(^_^;)。
当時のエバンジェリストとはやはり大変な任務であったのだ。
彼は著書「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」の冒頭でいう。
「失敗と成功を何度も繰り返した私は、ビジネスにおける第一の法則は『約束は控えめに、そして実行は十分に』であるという結論に達した」という。さもありなんであろう...(笑)。また続けていうビジネスの第二法則が素敵だ。
「(自分を)好いてくれる人間ではなく、嫌う人間によって自分の価値を知れ」
けだし名言である。
こうした彼の著書などでイメージを膨らませていた私だったがついに直接彼に会う機会を得たのである。

※1994年5月12日初版「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」表紙。発行:(株)トッパン ISBN4-8101-8583-4
それは1996年7月のことだったがデベロッパリレーションズ副社長だったハイディ・ロイゼンと共ガイ・カワサキも来日した。それは9日と10日の両日、東京ベイ・ヒルトンにおいてJDC(ジャパン・デベロッパー・コンファレンス)が開催されたためである。
ガイ・カワサキは一時Appleを離れて会社経営やコラムニストとして活躍していたが、1995年7月にそのハイディ・ロイゼン氏に請われてアップル・フェローとして再びAppleに復帰したわけだ。しかし現在はまたその職を離れている。
さてそのパーティの席でアップルコンピュータ社の担当者にガイ・カワサキを紹介してもらった。アップルの担当者は「松田さんは日本の大いなるエバンジェリストです」と持ち上げてくれたが本家・元祖の前で私はミーハーぶりを発揮し、早速一緒に写真を撮る許可をもらった(笑)。

※ガイ・カワサキ氏とツーショット
実際に会ったガイ・カワサキの印象は、彼のこれまでの精力的な活躍を見聞きし、その著書「徹底的に敵をヘコます法」や前記した「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」などを読んだイメージとはかなり違い、意外なほどシャイだったのに驚いた。
またその風貌を見るとアメリカ人ということを忘れ、思わず日本語で話しかけたくなるほど日本的だったが、さすがにそのパワーとユーモアは伝説の人そのままだった。
しかし大勢がいるパーティーの席で、著名人を独占するのはマナー違反でもある。私はもっともっと質問したいこともあったが、残念なことにものの5,6分しか話ができなかった。ともあれ彼はジェントルマンでありユーモアに満ちあふれバランス感覚を持ったノーマルなビジネスマンであることを確信した。
伝説のエバンジェリストは努力の人だったのである。
ガイ・カワサキはソフトウェアの重要さをアピールし、そのソフトウェアを開発するデベロッパー各社を精力的に訪問してMacintosh用ソフトウェアの充実を図った功労者でもあった。彼の働きそのものからエバンジェリストという職業が確立したといえる。
しかし現在の視点から見るならエバンジェリストという仕事はどうということもない仕事に思えるかも知れないが、彼の能力が発揮されたのは20年以上も前の事であった。そして難しいことにその対象であるMacintoshは当時十分なメモリもなく、ハードディスクもなく、モノクロでたった9インチの小さなモニタでしかなく、拡張性もなく、大変高価で市場性を疑われたコンピュータだったのだ(笑)。
だからガイ・カワサキはよほど話が巧いか、押しの強い人間であろうというイメージを持っていた。そして彼は大絶賛される反面敵も多い人であると聞いたことがあったがそれは彼がデベロッパーに対して約束したことの多くが彼の責任でない事も含めて実現できなかったかららしい(^_^;)。
当時のエバンジェリストとはやはり大変な任務であったのだ。
彼は著書「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」の冒頭でいう。
「失敗と成功を何度も繰り返した私は、ビジネスにおける第一の法則は『約束は控えめに、そして実行は十分に』であるという結論に達した」という。さもありなんであろう...(笑)。また続けていうビジネスの第二法則が素敵だ。
「(自分を)好いてくれる人間ではなく、嫌う人間によって自分の価値を知れ」
けだし名言である。
こうした彼の著書などでイメージを膨らませていた私だったがついに直接彼に会う機会を得たのである。

※1994年5月12日初版「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」表紙。発行:(株)トッパン ISBN4-8101-8583-4
それは1996年7月のことだったがデベロッパリレーションズ副社長だったハイディ・ロイゼンと共ガイ・カワサキも来日した。それは9日と10日の両日、東京ベイ・ヒルトンにおいてJDC(ジャパン・デベロッパー・コンファレンス)が開催されたためである。
ガイ・カワサキは一時Appleを離れて会社経営やコラムニストとして活躍していたが、1995年7月にそのハイディ・ロイゼン氏に請われてアップル・フェローとして再びAppleに復帰したわけだ。しかし現在はまたその職を離れている。
さてそのパーティの席でアップルコンピュータ社の担当者にガイ・カワサキを紹介してもらった。アップルの担当者は「松田さんは日本の大いなるエバンジェリストです」と持ち上げてくれたが本家・元祖の前で私はミーハーぶりを発揮し、早速一緒に写真を撮る許可をもらった(笑)。

※ガイ・カワサキ氏とツーショット
実際に会ったガイ・カワサキの印象は、彼のこれまでの精力的な活躍を見聞きし、その著書「徹底的に敵をヘコます法」や前記した「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」などを読んだイメージとはかなり違い、意外なほどシャイだったのに驚いた。
またその風貌を見るとアメリカ人ということを忘れ、思わず日本語で話しかけたくなるほど日本的だったが、さすがにそのパワーとユーモアは伝説の人そのままだった。
しかし大勢がいるパーティーの席で、著名人を独占するのはマナー違反でもある。私はもっともっと質問したいこともあったが、残念なことにものの5,6分しか話ができなかった。ともあれ彼はジェントルマンでありユーモアに満ちあふれバランス感覚を持ったノーマルなビジネスマンであることを確信した。
伝説のエバンジェリストは努力の人だったのである。
- 関連記事
-
- あのPIXAR社から株主総会案内が届いた (2006/04/19)
- アップルビジネス昔話し〜ベストプロダクト賞副賞は中古マック (2006/04/04)
- Appleロゴデザインとその変遷 (2006/04/02)
- アップルビジネス昔話し〜危ないベンチャー企業の見分け方 (2006/03/28)
- 「ブートストラップ〜人間の知的進化を目差して」を読んで (2006/03/23)
- 伝説のエバンジェリスト〜ガイ・カワサキの思い出 (2006/03/12)
- 上手なプレゼンは「上質のジャズ演奏のように...」が理想 (2006/03/10)
- Apple最高技術責任者エレン・ハンコックの思い出 (2006/03/08)
- 前Apple社 CEO ギルバート・アメリオの思い出 (2006/03/05)
- Appleフェローだった、D.A.ノーマンの思い出 (2006/03/04)
- スティーブ・ジョブズのプレゼンテーション秘話 (2006/03/01)