ラテ飼育格闘日記_817
オトーサンはいまも毎朝ラテの霊前に「ラテ、おはよう。今日も宜しくな…」と声をかけ、就寝前には「お休み。また明日な…」と語りかける…。ラテの姿は見えなくてもいまでも一緒だという感覚で毎日を送っている…。
それにしてもラテが倒れてから息を引き取る七十六日間がいかにオトーサンたちにとって過酷な毎日だったかを思い知らされる。勿論そのまっただ中に、リアルタイムに入ってしまえば何とか対処せざるを得ないわけだが、後から振り返るとよくもまあ頑張ったなあと思うと同時にラテ自身もよくまあ頑張ってくれたと頭が下がる。

昨年12月24日…そう、クリスマスイブにラテが倒れたときから食事も食べなくなったし正直これで駄目かとも思った。ともかく酸素吸入と点滴で年を越すことになったが、まあ七十六日間というのは結果論であり、オトーサンたちはラテが亡くなった3月6日早朝にラテが息を引き取るまでその日が一日でも延びて欲しいと思っていた。だからこそラテに酸素吸入器を使い、何とか食事をと気遣い、薬を飲ませ、点滴を行い、そして無論下の世話を続けていたわけだ。

※自力で立てないときはオトーサンが支えてリハビリもした…
特にオトーサンにとって体力的に辛かったのはおむつをしたラテを外に連れ出すことだった。外に出なければ用を足さないという習慣になってしまったから歩けない…立てないラテを支えつつ朝と昼、夕方と寝る前の一日4回、ラテに排泄させようと外に連れ出していた。
基本立てないのでラテの体重は腹に巻いた補助具を保持するオトーサンの片腕にかかるわけで、いま考えるとよくもまあ続いたものだと自分でも感心する。その場になってみれば…いわば火事場の馬鹿力ではないが、やらないわけにはいかないのだから仕方がない。

※おむつ交換直後に戯けるラテ
しかしオトーサンたちだけでなく毎日、死の直前までラテ自身も戦っていたことは明らかだった。勿論人間以外の動物には死という概念はないというのが定説で、それが本当であるならラテは死ぬまで自分が死ぬと言うことを知らなかったはずだ。ただただ生きよう、元気になりたいと考えていたに違いない。
ただし、体力的に辛いことは辛かったに違いない。歩けなくなり、おむつを着けるようになってからは夜も声を上げる頻度が高まった。
それを放置しておく訳にもいかず、オトーサンはその都度床から出てラテの体の向きを変えてやったり、しばし側にいてやったりしていたのでほとんど熟睡できる時間はなかった。

※ラテと添い寝するオトーサン
このまま衰弱してしまうのか…と悲痛な思いのオトーサンたちだったが、食べないと分かってはいても、もし気が変わり少しでも固形物を食べてくれれば嬉しいという思いで牛乳に浸したドッグフードを入れた容器をしばし口元に置くようにしていたが、奇跡が起こった。
1月8日の朝、同じように牛乳に浸したドッグフードを置いたらラテが食べ始めたのだ!
「あたし、元気になるの…」とでも言いたげにオトーサンに一瞬視線を送ると20gを完食した。それに味をしめたオトーサンは回を重ねる毎にドッグフードの量を増やしていくが、ラテは美味しそうに食べた。そしてその甲斐があって1月12日にはオトーサンの支えはあったものの20日ぶりに立ち上がった…。その後は驚異的な回復と思わせるほど自力で歩き、時にはボール遊びをせがんだりしたがこれまた後から考えるとラテ精一杯の…最後のサプライズだったのかも知れない…。
介護はメチャ大変ではあったし正直外に連れ出すのを休みたいと思ったこともある。しかし大変ながらもそれらの行為はまさしくオトーサンとラテとの絆の証しだったし、いまになって振り返ればラテとの思い出をより深いものにしてくれたと思っている。

※ラテの笑顔は最高だった!
オトーサンは痩せてあばら骨が浮き出るようになったラテの重みと暖かさの感触はいまもこの両手に残っているし、怖々ながらもラテの為だと自分を奮い立たせて打った点滴、おむつにカバーにされた💩の重み、そして立てないはずのラテが息を引き取る15分程前だったか、気丈にも排泄したいとよろよろと立ち上がり玄関まで歩いた姿を昨日のことのように覚えている。
なによりも、ラテ…お前の笑顔はまさしく可愛く天使の笑顔そのものだったよ…!
それにしてもラテが倒れてから息を引き取る七十六日間がいかにオトーサンたちにとって過酷な毎日だったかを思い知らされる。勿論そのまっただ中に、リアルタイムに入ってしまえば何とか対処せざるを得ないわけだが、後から振り返るとよくもまあ頑張ったなあと思うと同時にラテ自身もよくまあ頑張ってくれたと頭が下がる。

昨年12月24日…そう、クリスマスイブにラテが倒れたときから食事も食べなくなったし正直これで駄目かとも思った。ともかく酸素吸入と点滴で年を越すことになったが、まあ七十六日間というのは結果論であり、オトーサンたちはラテが亡くなった3月6日早朝にラテが息を引き取るまでその日が一日でも延びて欲しいと思っていた。だからこそラテに酸素吸入器を使い、何とか食事をと気遣い、薬を飲ませ、点滴を行い、そして無論下の世話を続けていたわけだ。

※自力で立てないときはオトーサンが支えてリハビリもした…
特にオトーサンにとって体力的に辛かったのはおむつをしたラテを外に連れ出すことだった。外に出なければ用を足さないという習慣になってしまったから歩けない…立てないラテを支えつつ朝と昼、夕方と寝る前の一日4回、ラテに排泄させようと外に連れ出していた。
基本立てないのでラテの体重は腹に巻いた補助具を保持するオトーサンの片腕にかかるわけで、いま考えるとよくもまあ続いたものだと自分でも感心する。その場になってみれば…いわば火事場の馬鹿力ではないが、やらないわけにはいかないのだから仕方がない。

※おむつ交換直後に戯けるラテ
しかしオトーサンたちだけでなく毎日、死の直前までラテ自身も戦っていたことは明らかだった。勿論人間以外の動物には死という概念はないというのが定説で、それが本当であるならラテは死ぬまで自分が死ぬと言うことを知らなかったはずだ。ただただ生きよう、元気になりたいと考えていたに違いない。
ただし、体力的に辛いことは辛かったに違いない。歩けなくなり、おむつを着けるようになってからは夜も声を上げる頻度が高まった。
それを放置しておく訳にもいかず、オトーサンはその都度床から出てラテの体の向きを変えてやったり、しばし側にいてやったりしていたのでほとんど熟睡できる時間はなかった。

※ラテと添い寝するオトーサン
このまま衰弱してしまうのか…と悲痛な思いのオトーサンたちだったが、食べないと分かってはいても、もし気が変わり少しでも固形物を食べてくれれば嬉しいという思いで牛乳に浸したドッグフードを入れた容器をしばし口元に置くようにしていたが、奇跡が起こった。
1月8日の朝、同じように牛乳に浸したドッグフードを置いたらラテが食べ始めたのだ!
「あたし、元気になるの…」とでも言いたげにオトーサンに一瞬視線を送ると20gを完食した。それに味をしめたオトーサンは回を重ねる毎にドッグフードの量を増やしていくが、ラテは美味しそうに食べた。そしてその甲斐があって1月12日にはオトーサンの支えはあったものの20日ぶりに立ち上がった…。その後は驚異的な回復と思わせるほど自力で歩き、時にはボール遊びをせがんだりしたがこれまた後から考えるとラテ精一杯の…最後のサプライズだったのかも知れない…。
介護はメチャ大変ではあったし正直外に連れ出すのを休みたいと思ったこともある。しかし大変ながらもそれらの行為はまさしくオトーサンとラテとの絆の証しだったし、いまになって振り返ればラテとの思い出をより深いものにしてくれたと思っている。

※ラテの笑顔は最高だった!
オトーサンは痩せてあばら骨が浮き出るようになったラテの重みと暖かさの感触はいまもこの両手に残っているし、怖々ながらもラテの為だと自分を奮い立たせて打った点滴、おむつにカバーにされた💩の重み、そして立てないはずのラテが息を引き取る15分程前だったか、気丈にも排泄したいとよろよろと立ち上がり玄関まで歩いた姿を昨日のことのように覚えている。
なによりも、ラテ…お前の笑顔はまさしく可愛く天使の笑顔そのものだったよ…!