ラテ飼育格闘日記_836
本原稿をアップするのは3月4日だから、一年前のこととはいえこの二日後にラテが亡くなる…。勿論その時には思いもよらないことでラテの容体を心配しつつも介護を続けていたわけだ。
こうして虹の橋を渡ってから一年もラテの思い出を探りながら写真を探すことを続けてきたがオトーサンたちにとってラテは益々かけがえのない家族だったことに思いはつのる…。

よく「ラテはどんな性格のワンコなのか?」とは生前も聞かれることはあったが正直オトーサンにも明確な説明はできなかった。
ただし親バカを承知で申し上げるならかなり利口なワンコだったとは断言できる。まあ一概に他のワンコと比べることができる問題ではないから曖昧にならざるを得ないが、エピソード記憶の保持というべきか…以前の出来事はかなり長い間記憶に留めていることは明らかだった。
確かに初対面の大人には警戒心が強く吠えたし、ワンコ同士にしても好き嫌いが激しいように思えた。しかしそれは自己を守るという本能からくることで決して攻撃性を持っていたわけでも無く、どちらかといえば特に人間に対してはフレンドリーなワンコだったといえる。
動物病院の院長からも、一般的にワンコは子供には警戒を示すものだがラテちゃんは初対面の子供にもフレンドリーなのだから珍しい…と言われた。
またあくまで人間側の見方ではあるが、不思議なほどの優しさを見せるときがいくつかあった。

※寝姿はまた特別に愛しい
例えば当時広い公園で多くのワンコと飼い主さんたちが集まっていたが、ラテが遊ぶワンコは限られていたし、必然的にワンコ同士が遊べないとその飼い主さんとも親交を深める機会は無かった。
そうした中にコーギー犬のプリンちゃんというワンコがいた。甲高い声を上げながら鼻先でボールをリフティングしながら遊ぶワンコだったが年齢的にもかなり先輩だったからかラテはプリンちゃんが苦手だった。
一緒に遊ぶことも無かったし一時期、その公園に入る直前にプリンちゃんの声が聞こえると踵を返すラテだった(笑)。したがってその飼い主さんとも挨拶をする程度の付き合いしかなかった。
後年プリンちゃんは後ろ足が動かなくなり車椅子やカートに乗って公園に来ていたがあるとき飼い主さん一人の姿が目立った。
聞けば「プーは亡くなりました」と飼い主さんはつとめて明るく言われたが、そのとき不思議なことが起こった。
ラテがその飼い主さんの足元に近づいただけでなく顔を見上げた後にその足元に蹲ったのだった。無論初めての出来事だった。
プリンちゃんの飼い主さんは「ラテ、お前…慰めてくれるのか? お利口だねえ」と頭を撫でてくれた…。

※コーギー犬プリンちゃんとその飼い主さん
同じ事はその数年後にも起こった。
ダックスフントの飼い主さんが一人で公園のベンチに座っていた。これまでも同じシーンは数え切れないほどあったがいつもは飼い犬がその廻りを歩き回っていたこともあり、ラテが近づくことはなかった。
しかしオトーサンは数日前にそのダックスフントが亡くなったという話しをどこからか聞いていたこともあってラテのリードを捌きながら飼い主さんに近づき挨拶とお悔やみの言葉を申し上げた。
するとラテは突然、ベンチに座っている飼い主さんめがけて遊びのボーズを取りながらまるで慰めているように足元に近づき臭いを嗅ぎ、お尻を飼い主さんの両足の間に置くようにして座った。
そして初めてだったがラテの頭を撫でてくれた飼い主さんに対しても吠え声を上げなかった。

※亡くなったダックスの飼い主さんに近づき遊びのポーズを取るラテ
ワンコに限らず、動物には生死感はなく、ましてや死に対する配慮などあり得ないいうのが定説のようだが、オトーサンには形は…感じ方は我々人間とは違うだろうがこれまで存在していたワンコがいなくなったことの気付きと共に何らかの感情が表れているように思えてならない。
そのラテ当人が2022年3月6日朝に亡くなったわけだが、ラテ本人がどのような思いを持ってその場に臨んでいたかを想像するだけでオトーサンは涙を禁じ得ない。

※ラテが亡くなる三日前、カートで公園に連れて行ったがすでに立ち上がることもできなかった…
しかし月並みだと笑われようが、オトーサンたちにとってのラテはいまも「生きている」。姿はないが、そこにいつものように寝そべっているからとオトーサンはリビングに至る戸はいつも少し開けている。
その理由だが、ラテは必ず鼻面でその隙間を突いてドアを開け、オトーサンたちの様子を見に来るからだ。
こうして虹の橋を渡ってから一年もラテの思い出を探りながら写真を探すことを続けてきたがオトーサンたちにとってラテは益々かけがえのない家族だったことに思いはつのる…。

よく「ラテはどんな性格のワンコなのか?」とは生前も聞かれることはあったが正直オトーサンにも明確な説明はできなかった。
ただし親バカを承知で申し上げるならかなり利口なワンコだったとは断言できる。まあ一概に他のワンコと比べることができる問題ではないから曖昧にならざるを得ないが、エピソード記憶の保持というべきか…以前の出来事はかなり長い間記憶に留めていることは明らかだった。
確かに初対面の大人には警戒心が強く吠えたし、ワンコ同士にしても好き嫌いが激しいように思えた。しかしそれは自己を守るという本能からくることで決して攻撃性を持っていたわけでも無く、どちらかといえば特に人間に対してはフレンドリーなワンコだったといえる。
動物病院の院長からも、一般的にワンコは子供には警戒を示すものだがラテちゃんは初対面の子供にもフレンドリーなのだから珍しい…と言われた。
またあくまで人間側の見方ではあるが、不思議なほどの優しさを見せるときがいくつかあった。

※寝姿はまた特別に愛しい
例えば当時広い公園で多くのワンコと飼い主さんたちが集まっていたが、ラテが遊ぶワンコは限られていたし、必然的にワンコ同士が遊べないとその飼い主さんとも親交を深める機会は無かった。
そうした中にコーギー犬のプリンちゃんというワンコがいた。甲高い声を上げながら鼻先でボールをリフティングしながら遊ぶワンコだったが年齢的にもかなり先輩だったからかラテはプリンちゃんが苦手だった。
一緒に遊ぶことも無かったし一時期、その公園に入る直前にプリンちゃんの声が聞こえると踵を返すラテだった(笑)。したがってその飼い主さんとも挨拶をする程度の付き合いしかなかった。
後年プリンちゃんは後ろ足が動かなくなり車椅子やカートに乗って公園に来ていたがあるとき飼い主さん一人の姿が目立った。
聞けば「プーは亡くなりました」と飼い主さんはつとめて明るく言われたが、そのとき不思議なことが起こった。
ラテがその飼い主さんの足元に近づいただけでなく顔を見上げた後にその足元に蹲ったのだった。無論初めての出来事だった。
プリンちゃんの飼い主さんは「ラテ、お前…慰めてくれるのか? お利口だねえ」と頭を撫でてくれた…。

※コーギー犬プリンちゃんとその飼い主さん
同じ事はその数年後にも起こった。
ダックスフントの飼い主さんが一人で公園のベンチに座っていた。これまでも同じシーンは数え切れないほどあったがいつもは飼い犬がその廻りを歩き回っていたこともあり、ラテが近づくことはなかった。
しかしオトーサンは数日前にそのダックスフントが亡くなったという話しをどこからか聞いていたこともあってラテのリードを捌きながら飼い主さんに近づき挨拶とお悔やみの言葉を申し上げた。
するとラテは突然、ベンチに座っている飼い主さんめがけて遊びのボーズを取りながらまるで慰めているように足元に近づき臭いを嗅ぎ、お尻を飼い主さんの両足の間に置くようにして座った。
そして初めてだったがラテの頭を撫でてくれた飼い主さんに対しても吠え声を上げなかった。

※亡くなったダックスの飼い主さんに近づき遊びのポーズを取るラテ
ワンコに限らず、動物には生死感はなく、ましてや死に対する配慮などあり得ないいうのが定説のようだが、オトーサンには形は…感じ方は我々人間とは違うだろうがこれまで存在していたワンコがいなくなったことの気付きと共に何らかの感情が表れているように思えてならない。
そのラテ当人が2022年3月6日朝に亡くなったわけだが、ラテ本人がどのような思いを持ってその場に臨んでいたかを想像するだけでオトーサンは涙を禁じ得ない。

※ラテが亡くなる三日前、カートで公園に連れて行ったがすでに立ち上がることもできなかった…
しかし月並みだと笑われようが、オトーサンたちにとってのラテはいまも「生きている」。姿はないが、そこにいつものように寝そべっているからとオトーサンはリビングに至る戸はいつも少し開けている。
その理由だが、ラテは必ず鼻面でその隙間を突いてドアを開け、オトーサンたちの様子を見に来るからだ。