ラテ飼育格闘日記_840
犬の寿命が我々人間の寿命より短いのは何故なんだと考えたことはありませんか。無論オトーサンだって長い短いはともかくもやがてラテも全ての生き物と同じように旅の終わりを迎えることは知っていた。しかし "たかだかワンコ" だというのにラテの死がこれほどオトーサンを深く打ちのめすとは思わなかった…。
このことはオトーサン自身が驚いている。まるでラテの死と一緒にオトーサンの長い人生の歳月まで失ってしまった感じなのだから。

ときにオトーサンの言うことを聞かず、我が儘なワンコだったラテ。しかし彼女が逝ってしまった後、オトーサンがどれほど深く悲しんでいるのか、辛い思いをしているのかをラテが知らずに済んだことは幸いだった…。
普段はオトーサンの存在などまるで空気のようにしか考えていないフシもあったが、いざ怖い目にあったり嫌な目にあうと抱っこを要求するラテだった。

あの3月11日の大地震の日も揺れと同時にオトーサンはラテにリードを着け玄関のドアを半開きにしたままその間にラテと立ちすくんでいた。いつものように暫くしたら揺れは収まるだろうと思っていたが揺れは一層激しくなってくる。
戸建ての家はどこからか「ピシッ」といった音がし始め、オトーサンは家が崩れてきたら外に飛び出そう、それ以外は電柱が倒れてくるかも知れないし不用意に外に飛び出さないようにと、どちらにも対応できるようにラテと怯えながらも身構えていた。
気がつくとラテは靴を履いたオトーサンの片足に自分の前足1本を乗せ、体をオトーサンの足に寄せているのがわかった。

尋常でない揺れと共にもしかしたらオトーサンの緊張が伝わったのかラテも怯えているのがわかった。「大丈夫だよラテ、一緒にいるからね」と激しい揺れにもかかわらずラテを愛しくその胴体に腕を回した思い出がある。
要は普段は無関心のようだが、いざとなれば飼い主のオトーサンを頼りにするしかないのがラテの宿命ではあるものの普段見せない態度にオトーサンはうるっと来たのだった。
それにこちらが思っている以上にラテはオトーサンや女房の言動に注視していることもわかる。女房が泣き真似をすればすぐに飛んできて口元を舐めに行く。
言葉は話せないし我々と同じ感情の表現はできないものの、ラテは我々の言うことをわかっているしその意図も理解しているように思えた。
そんなラテだが…そんなラテを残して万一オトーサンが先に死んだらラテはどうするだろうか。いなくなったことは理解できても、しばらくすれば姿を現すかも知れないと心を痛めながら待つのではないか。まさか、さすがに死というものを理解するのは無理だろうから。
有名な忠犬ハチ公の物語を持ち出すまでもなく、YouTubeなどにも最後に飼い主に会った場所に毎日出かけていきその姿を探すワンコといった話しは少なくない。

オトーサンはどうしたのか?どうして姿を見せないのか?いつ戻ってくるのか?などなどきっとラテなりの考え方で日々悲しむに違いない。もしかしたらオトーサンに嫌われ捨てられたのか…とも思うのかも。
そんなことを想像するに、オトーサンは相変わらず泣きながらではあるが「ラテ…お前が死んだのは悲しいがオトーサンより先に死んでくれてよかったんだ」と思うようにもなってきた。
ラテが居ないのは悲しいし寂しいが、オトーサンはなぜラテが居なくなったのかは理解できる。そしてラテの慰霊に毎日手を合わせ、声をかけることができるが、もしこれが反対だったならきっとラテはその命がつきるまで心のどこかでオトーサンの帰りを待ち続け、悲しむに違いない。

なにしろ15年と3ヶ月もの間、寝起きを共にし家族として慈しんできたラテだから、そのラテに必要以上の悲しみを感じ続けて欲しくないではないか。
飼い主のことは勿論、愛してくれた人間を忘れないだけでなく思いやり深いのがワンコの特徴でもある。だからきっと万物を作られた神は人の寿命よりワンコの寿命を4倍近くも短命に定めたのかも知れない。飼い主より長生きしないようにと…。
このことはオトーサン自身が驚いている。まるでラテの死と一緒にオトーサンの長い人生の歳月まで失ってしまった感じなのだから。

ときにオトーサンの言うことを聞かず、我が儘なワンコだったラテ。しかし彼女が逝ってしまった後、オトーサンがどれほど深く悲しんでいるのか、辛い思いをしているのかをラテが知らずに済んだことは幸いだった…。
普段はオトーサンの存在などまるで空気のようにしか考えていないフシもあったが、いざ怖い目にあったり嫌な目にあうと抱っこを要求するラテだった。

あの3月11日の大地震の日も揺れと同時にオトーサンはラテにリードを着け玄関のドアを半開きにしたままその間にラテと立ちすくんでいた。いつものように暫くしたら揺れは収まるだろうと思っていたが揺れは一層激しくなってくる。
戸建ての家はどこからか「ピシッ」といった音がし始め、オトーサンは家が崩れてきたら外に飛び出そう、それ以外は電柱が倒れてくるかも知れないし不用意に外に飛び出さないようにと、どちらにも対応できるようにラテと怯えながらも身構えていた。
気がつくとラテは靴を履いたオトーサンの片足に自分の前足1本を乗せ、体をオトーサンの足に寄せているのがわかった。

尋常でない揺れと共にもしかしたらオトーサンの緊張が伝わったのかラテも怯えているのがわかった。「大丈夫だよラテ、一緒にいるからね」と激しい揺れにもかかわらずラテを愛しくその胴体に腕を回した思い出がある。
要は普段は無関心のようだが、いざとなれば飼い主のオトーサンを頼りにするしかないのがラテの宿命ではあるものの普段見せない態度にオトーサンはうるっと来たのだった。
それにこちらが思っている以上にラテはオトーサンや女房の言動に注視していることもわかる。女房が泣き真似をすればすぐに飛んできて口元を舐めに行く。
言葉は話せないし我々と同じ感情の表現はできないものの、ラテは我々の言うことをわかっているしその意図も理解しているように思えた。
そんなラテだが…そんなラテを残して万一オトーサンが先に死んだらラテはどうするだろうか。いなくなったことは理解できても、しばらくすれば姿を現すかも知れないと心を痛めながら待つのではないか。まさか、さすがに死というものを理解するのは無理だろうから。
有名な忠犬ハチ公の物語を持ち出すまでもなく、YouTubeなどにも最後に飼い主に会った場所に毎日出かけていきその姿を探すワンコといった話しは少なくない。

オトーサンはどうしたのか?どうして姿を見せないのか?いつ戻ってくるのか?などなどきっとラテなりの考え方で日々悲しむに違いない。もしかしたらオトーサンに嫌われ捨てられたのか…とも思うのかも。
そんなことを想像するに、オトーサンは相変わらず泣きながらではあるが「ラテ…お前が死んだのは悲しいがオトーサンより先に死んでくれてよかったんだ」と思うようにもなってきた。
ラテが居ないのは悲しいし寂しいが、オトーサンはなぜラテが居なくなったのかは理解できる。そしてラテの慰霊に毎日手を合わせ、声をかけることができるが、もしこれが反対だったならきっとラテはその命がつきるまで心のどこかでオトーサンの帰りを待ち続け、悲しむに違いない。

なにしろ15年と3ヶ月もの間、寝起きを共にし家族として慈しんできたラテだから、そのラテに必要以上の悲しみを感じ続けて欲しくないではないか。
飼い主のことは勿論、愛してくれた人間を忘れないだけでなく思いやり深いのがワンコの特徴でもある。だからきっと万物を作られた神は人の寿命よりワンコの寿命を4倍近くも短命に定めたのかも知れない。飼い主より長生きしないようにと…。