ラテ飼育格闘日記_844
買い物途中でも行き交うワンコを見るとラテを思い出してしまう。近所で小型犬を飼われている飼い主さんは冗談半分で「そんなに寂しい思いをするならこの子みたいな小型犬を飼ってみたら…」と勧めてくれるが、現実問題自身の体力や歳を考えるとそうもいかないのは明白だ。
そういえばラテと15年も一緒に生活していて驚いたことのひとつにラテの記憶力がとてもよいことだ。いつ、どこで、どのようなことがあったのか…といういわゆるエピソード記憶に優れていることに何度も驚かされ、これはうかつな対応は出来ないなとしばし反省したこともあった。

あのデカルトは犬には思考力も判断力もないと断言していたという。デカルトは犬を歯車や滑車を搭載した機械と同じとみなした。機械であるからして考える力はないが、ある種のことを実行するよう作り上げることはできる…。要は魂など持ってはいないと考えた。

しかし実際にワンコを飼い、寝起きを共にすればデカルトの浅知恵がわかるだろう。
私たちはワンコが、馬、イルカ、ゾウ…そしてそこいらの政治家たちより頭が良く善良だということを知っている。
飼い主の多くは飼い犬の気持ちをかなりわかっているつもりになってはいるが、まだまだ未知の部分も多い。一般的にワンコは人間の子供の二歳あるいは三歳ほどの知能を持っていることは事実のようで間違いなく感情を持ち、喜びや悲しみあるいは後悔といった感情まであるに違いない。

さらに人が話す言葉もかなりの数を理解しているとも考えられている。ちなみにこうして偉そうなことを書いてはいるがオトーサンさん自身ラテを飼うまでは「イヌは犬」だといった程度に考えていた節もある。しかし冒頭に書いた通り一緒に生活を続けるに従い、良いワンコ、良い性格に育てるにはそれなりの訓練が必要なのはもとよりだが、ワンコの感情を理解してことの判断をするのも大切なことだと思うようになった。
とにかく思っていた以上に記憶力が良いのにまずは驚いた。散歩の途中に猫と出会い睨み合いをしたとする。いや、ラテは猫好きなので多分に友達になりたいのだが猫側はそれを理解してくれないのだが…。
睨み合いの末「くうーん」と残念な声をあげてその場を離れたとして数日後に同じ場所を通るとその猫がいるかどうかを探し回り時には座り込んで出てくるのを待つのだ。

無論ワンコの優れた嗅覚により猫がいたという事実を知ることもあるのだろうが、その態度は時に痛々しいほど切実に思えるほど真剣だった。
またとても可愛がってくださる方が住むマンションのエントランス側を通ると必ずそこに座り込み動かなくなる。向こうからそのKさんが出てくるのを待とうという姿勢だ。
まあよくよく考えてみれば、それほど知能が高いからこそ我々人類最良の友ともなったわけだし共生が可能な動物なのだ。
したがってトレーニングもワンコのその知能の高さを利用…いや頼りに対峙の方法も考えるべきだということになる。
例えばラテがオトーサンさんの腕に歯を立てたとしよう。いや実際にラテはオトーサンさんに噛みついたことは一度もないが幼犬の時には甘噛みがひどくオトーサンさんの両手は傷だらけだったのだ。
ともあれラテが何かの拍子にオトーサンさんの手に葉を立てた時、引っ叩いて躾けるという古典的な方法もあるが、これはラテにオトーサンさんは暴力を振う人間であり、信頼するに足りる人間ではないと学習させてしまうことになりがちだ。

意外にラテの身に堪える方法はいえば、張り倒すのでなく無言でその場を離れることだ。そもそもワンコそれも幼犬が飼い主に歯を当てたとしても罪悪感を持つかどうかは分からない。ただし歯を立てると飼い主は即その場を離れてかまってくれないという事実は理解できるのだという。だから噛まなくなるという理屈だ。
ラテの場合、遊びに夢中になったのか女房の口元に歯を当て傷を負わせたことがあったが、人間の持つ罪悪感と同じであるかは不明ながら明らかに「しまった!」といった表情と戸惑った動きをした。そして無言で二階へと姿を消した女房を追って口元を舐めにいった。
それはどう見ても和解の行動であり謝りにいったとしか思えない。
その時のラテの慌てぶりは今でもオトーサンさんの脳裏に焼きついている。
そういえばラテと15年も一緒に生活していて驚いたことのひとつにラテの記憶力がとてもよいことだ。いつ、どこで、どのようなことがあったのか…といういわゆるエピソード記憶に優れていることに何度も驚かされ、これはうかつな対応は出来ないなとしばし反省したこともあった。

あのデカルトは犬には思考力も判断力もないと断言していたという。デカルトは犬を歯車や滑車を搭載した機械と同じとみなした。機械であるからして考える力はないが、ある種のことを実行するよう作り上げることはできる…。要は魂など持ってはいないと考えた。

しかし実際にワンコを飼い、寝起きを共にすればデカルトの浅知恵がわかるだろう。
私たちはワンコが、馬、イルカ、ゾウ…そしてそこいらの政治家たちより頭が良く善良だということを知っている。
飼い主の多くは飼い犬の気持ちをかなりわかっているつもりになってはいるが、まだまだ未知の部分も多い。一般的にワンコは人間の子供の二歳あるいは三歳ほどの知能を持っていることは事実のようで間違いなく感情を持ち、喜びや悲しみあるいは後悔といった感情まであるに違いない。

さらに人が話す言葉もかなりの数を理解しているとも考えられている。ちなみにこうして偉そうなことを書いてはいるがオトーサンさん自身ラテを飼うまでは「イヌは犬」だといった程度に考えていた節もある。しかし冒頭に書いた通り一緒に生活を続けるに従い、良いワンコ、良い性格に育てるにはそれなりの訓練が必要なのはもとよりだが、ワンコの感情を理解してことの判断をするのも大切なことだと思うようになった。
とにかく思っていた以上に記憶力が良いのにまずは驚いた。散歩の途中に猫と出会い睨み合いをしたとする。いや、ラテは猫好きなので多分に友達になりたいのだが猫側はそれを理解してくれないのだが…。
睨み合いの末「くうーん」と残念な声をあげてその場を離れたとして数日後に同じ場所を通るとその猫がいるかどうかを探し回り時には座り込んで出てくるのを待つのだ。

無論ワンコの優れた嗅覚により猫がいたという事実を知ることもあるのだろうが、その態度は時に痛々しいほど切実に思えるほど真剣だった。
またとても可愛がってくださる方が住むマンションのエントランス側を通ると必ずそこに座り込み動かなくなる。向こうからそのKさんが出てくるのを待とうという姿勢だ。
まあよくよく考えてみれば、それほど知能が高いからこそ我々人類最良の友ともなったわけだし共生が可能な動物なのだ。
したがってトレーニングもワンコのその知能の高さを利用…いや頼りに対峙の方法も考えるべきだということになる。
例えばラテがオトーサンさんの腕に歯を立てたとしよう。いや実際にラテはオトーサンさんに噛みついたことは一度もないが幼犬の時には甘噛みがひどくオトーサンさんの両手は傷だらけだったのだ。
ともあれラテが何かの拍子にオトーサンさんの手に葉を立てた時、引っ叩いて躾けるという古典的な方法もあるが、これはラテにオトーサンさんは暴力を振う人間であり、信頼するに足りる人間ではないと学習させてしまうことになりがちだ。

意外にラテの身に堪える方法はいえば、張り倒すのでなく無言でその場を離れることだ。そもそもワンコそれも幼犬が飼い主に歯を当てたとしても罪悪感を持つかどうかは分からない。ただし歯を立てると飼い主は即その場を離れてかまってくれないという事実は理解できるのだという。だから噛まなくなるという理屈だ。
ラテの場合、遊びに夢中になったのか女房の口元に歯を当て傷を負わせたことがあったが、人間の持つ罪悪感と同じであるかは不明ながら明らかに「しまった!」といった表情と戸惑った動きをした。そして無言で二階へと姿を消した女房を追って口元を舐めにいった。
それはどう見ても和解の行動であり謝りにいったとしか思えない。
その時のラテの慌てぶりは今でもオトーサンさんの脳裏に焼きついている。