ラテ飼育格闘日記_847
ワンコを飼うことはどういうことか…。オトーサン自身振り返って見ても大層な事を考えてラテを迎えたわけではなかったが、命を預かる、その命と共に生きることがどれほど大切で愛しく楽しいものなのかに気づかせてくれた。
人間は一生の中で文字通り様々な出会いと別離を体験するし、その中で愛するとか慈しむとはどういうことかを痛いほど分かっているつもりだ。しかしそうした大切な思いも日々の雑多な生活の中で四散し薄められてしまうためか、しっかりと認識し十分に考える時間を得ないように思う。

しかし一匹のワンコを飼ってみよう…。そこにはまさしく出会いの奇跡と大切さを、家族とはどういうものなのかを、愛とは…慈しむと言うことは、そもそもそ命とは、老いて衰えるとはどういうことなのか、我々には時間が限られていることを、だからこそ今というこのひとときが大切なのだということ等々を知る。
また出会いの大切さを、そして命の短さと愛するものを失う悲しみがどれほど大きなものかを一匹のワンコがすべて教えてくれる…。

だから、物の本によれば諸外国では夫婦に子供ができると「犬を飼え」と勧める医者が多いという。ひとつには幼児の頃から動物に触れ、特にワンコと共に成長する過程で多くのことを肌で覚えるからだという。
一般的な話しとして人間の子供が誕生した際に例えば一歳のラブラドール・レトリーバーを迎入れたとすると、一年も経てば人間の子供など及ばない体格になる。
そして特別な病気でも持っていない限り、飼い方を間違えない限りワンコは子供好きであり、日々遊び相手となるだけでなく守り主にもなる。
またそうしたことを医者が薦めるのはもうひとつ大切なことがあるという。それは良い意味で「不潔さの環境を生み」その中で子供が育つことで免疫力が強くなるからだという。

現代はやれ、除菌だ滅菌だ殺菌だと気を回すことが多い。文房具や食器類などにも抗菌を謳う製品が多く、こうした環境に生まれた時から置かれた子供はやはり抵抗力の無い子に育ちやすい…。
無論だからといって不潔さといっても程度問題だ(笑)。そもそも人間と同じ環境で室内飼いするのであればワンコも泥だらけで室内に入れる訳にもいかないしワンコ自身の健康の為にもよき環境を作ってあげなければならない。
そんなわけで子供とワンコは共に成長するが、当初はワンコの方がお兄さんでありお姉さんとなるに違いない。なにしろ人間の成長は遅いがワンコは早いからだ。だから人間の子供もワンコから様々な事を学ぶに違いないし逆にワンコの立場になっても、きっと日々が充実したものになるだろう。
しかし冒頭に記したようにワンコの寿命は病気をしないまでも十五歳ほどだ。いやラブラドール・レトリーバーといった大型犬だと十歳くらいで寿命が尽きることもある。

そのワンコと一緒に成長した人間の子供は十歳となれば小学校3年生か…。そんな前後に姉弟同然に育ったワンコが虹の橋を渡ることになるわけだが、それは飼い主はもとより子供にとってどれほどの悲しみ、喪失感、失望を感じることだろうか。
確かにそれは悲劇ではあるが、このことが人の子の成長に大きく拍車をかけるのだという。
これまた冒頭に「愛とは…慈しむと言うことは、そもそもそ命とは、老いて衰えるとはどういうことなのか」と記したが、こうしたことは言葉や文章ではその真意は伝わらないものだ。
だが一緒に生きてきたワンコは生前は兄・姉となり、次第に親友となり、そして老いて死んでいく…。その過程を子供は理屈で無く体で肌で感じ、考え、行動し大きな成長の糧となる。

オトーサンとラテの関係はそれらと状況は大きく違うが,考えれば似たようなものだともいえる。ワンコを飼いたいと願ったが特に目的もなく己の為にといった感覚だった。
生後6ヶ月で我が家に向かい入れたラテはガキンチョでなかなかオトーサンたちの思うようには行かなかったが二歳を過ぎたことになるとこちらの言う言葉も覚え意思の疎通もなかなかにできるようになったし、何よりもこちらの思いを先回りして行動することも多くなった。
当初はオトーサンがやってはいけないことをはじめ、すべてをラテに教え込む…教えなければならないと考えていたが、ふと気づいてみればこれまでは気がついていなかった日常のあれこれにラテが気づかせてくれたことに気がついた。
オトーサンたちから見てラテは「愛しい娘」であったが、ラテはどう思っていたのだろうか。振り返って見るに我々人間も歳を取ると子供に戻る…といったようなことを聞かされるが、ラテも晩年になればなるほどその表情は温和になり我が家に連れて来られた時とは違うものの、子供に戻ったような気がして仕方がなかった。
人間は一生の中で文字通り様々な出会いと別離を体験するし、その中で愛するとか慈しむとはどういうことかを痛いほど分かっているつもりだ。しかしそうした大切な思いも日々の雑多な生活の中で四散し薄められてしまうためか、しっかりと認識し十分に考える時間を得ないように思う。

しかし一匹のワンコを飼ってみよう…。そこにはまさしく出会いの奇跡と大切さを、家族とはどういうものなのかを、愛とは…慈しむと言うことは、そもそもそ命とは、老いて衰えるとはどういうことなのか、我々には時間が限られていることを、だからこそ今というこのひとときが大切なのだということ等々を知る。
また出会いの大切さを、そして命の短さと愛するものを失う悲しみがどれほど大きなものかを一匹のワンコがすべて教えてくれる…。

だから、物の本によれば諸外国では夫婦に子供ができると「犬を飼え」と勧める医者が多いという。ひとつには幼児の頃から動物に触れ、特にワンコと共に成長する過程で多くのことを肌で覚えるからだという。
一般的な話しとして人間の子供が誕生した際に例えば一歳のラブラドール・レトリーバーを迎入れたとすると、一年も経てば人間の子供など及ばない体格になる。
そして特別な病気でも持っていない限り、飼い方を間違えない限りワンコは子供好きであり、日々遊び相手となるだけでなく守り主にもなる。
またそうしたことを医者が薦めるのはもうひとつ大切なことがあるという。それは良い意味で「不潔さの環境を生み」その中で子供が育つことで免疫力が強くなるからだという。

現代はやれ、除菌だ滅菌だ殺菌だと気を回すことが多い。文房具や食器類などにも抗菌を謳う製品が多く、こうした環境に生まれた時から置かれた子供はやはり抵抗力の無い子に育ちやすい…。
無論だからといって不潔さといっても程度問題だ(笑)。そもそも人間と同じ環境で室内飼いするのであればワンコも泥だらけで室内に入れる訳にもいかないしワンコ自身の健康の為にもよき環境を作ってあげなければならない。
そんなわけで子供とワンコは共に成長するが、当初はワンコの方がお兄さんでありお姉さんとなるに違いない。なにしろ人間の成長は遅いがワンコは早いからだ。だから人間の子供もワンコから様々な事を学ぶに違いないし逆にワンコの立場になっても、きっと日々が充実したものになるだろう。
しかし冒頭に記したようにワンコの寿命は病気をしないまでも十五歳ほどだ。いやラブラドール・レトリーバーといった大型犬だと十歳くらいで寿命が尽きることもある。

そのワンコと一緒に成長した人間の子供は十歳となれば小学校3年生か…。そんな前後に姉弟同然に育ったワンコが虹の橋を渡ることになるわけだが、それは飼い主はもとより子供にとってどれほどの悲しみ、喪失感、失望を感じることだろうか。
確かにそれは悲劇ではあるが、このことが人の子の成長に大きく拍車をかけるのだという。
これまた冒頭に「愛とは…慈しむと言うことは、そもそもそ命とは、老いて衰えるとはどういうことなのか」と記したが、こうしたことは言葉や文章ではその真意は伝わらないものだ。
だが一緒に生きてきたワンコは生前は兄・姉となり、次第に親友となり、そして老いて死んでいく…。その過程を子供は理屈で無く体で肌で感じ、考え、行動し大きな成長の糧となる。

オトーサンとラテの関係はそれらと状況は大きく違うが,考えれば似たようなものだともいえる。ワンコを飼いたいと願ったが特に目的もなく己の為にといった感覚だった。
生後6ヶ月で我が家に向かい入れたラテはガキンチョでなかなかオトーサンたちの思うようには行かなかったが二歳を過ぎたことになるとこちらの言う言葉も覚え意思の疎通もなかなかにできるようになったし、何よりもこちらの思いを先回りして行動することも多くなった。
当初はオトーサンがやってはいけないことをはじめ、すべてをラテに教え込む…教えなければならないと考えていたが、ふと気づいてみればこれまでは気がついていなかった日常のあれこれにラテが気づかせてくれたことに気がついた。
オトーサンたちから見てラテは「愛しい娘」であったが、ラテはどう思っていたのだろうか。振り返って見るに我々人間も歳を取ると子供に戻る…といったようなことを聞かされるが、ラテも晩年になればなるほどその表情は温和になり我が家に連れて来られた時とは違うものの、子供に戻ったような気がして仕方がなかった。