ラテ飼育格闘日記_851

私ら夫婦はいまも朝起きるとラテの慰霊に捧げている生花の水を変え、別途グラスの水を変えている。そして時には話しかけてもいる…。ラテの姿は見えないがオトーサンの足元にあのデカイ体がいるように感じている毎日だ。


繰り返すがラテがオトーサンに与えてくれたものはあまりにも大きいと感じているが、これまた常々考える事は、果たしてラテは幸せだったのだろうかということだ。
いまさら何をバカバカしい…とお笑いになる方もいるかも知れないが、本当なのだから仕方がない。
いま振り返って見るとラテの人生は大別して時期により5段階に分けられるように思う。無論我々夫婦の人生もラテのそれとシンクロしているわけだが…。
今回はそんなあれこれを思い出してみたい。

①子犬時代
ラテが我が家に来たのは2006年12月10日だったが、生後6ヶ月だというこの子犬は基本暴れたり夜泣きをしたりという事でオトーサンたちを困らせることはなく良い子だった。しかしこの日記の最初のころに度々オトーサンが嘆いていたように甘噛みが酷くて困ったし、散歩途中に何にでも興味を示し拾い食いにも最大の注意を払わなければならなかった。また広い公園でデビューを果たしたがどのワンコに対してもほふく前進の形を取り、へりくだって近寄るワンコだった。

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②飼い主との信頼を築く
捨てられたと思われるラテだったからか、一緒に暮らすようになってからも二年ほどはいま思うと互いに遠慮というか試行錯誤の時期が続いた。ラテはオトーサンたちを頼ってくれたもののどこか100%オトーサンたちを信頼というか信用しきれない時期があったように思える。
勿論目立って反抗したりはしなかったが、いま思えば日々が…一時一時が信頼を築く大切な時間だったに違いない。

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残っている数千枚の写真を見てもそのことは明らかだ。それはラテの表情に表れている…。我々の顔だって少年から青年、そして壮年と顔つきが随分と変わるものだが、ラテの三歳近くまでの表情はとてもきつい顔をしているのだ。

③健康で落ち着いた時代
2013年10月に現在の地に引っ越してきたが、我々ならずともラテの生き方も好むと好まざるとは別に大きく変わっていった。
以前の場所では歩いて15分ほどで広い公園があり、時に10匹以上ものワンコが集まっていた。そうした中でラテが好んだワンコはビーグル犬のハリーちゃん、雑種の大型犬マキちゃん、ボーダーコリーのボーちゃんだった。幼犬時代は前記したようにどんなワンコでもへりくだって近づいていたラテが一歳半くらいになると猛烈に好き嫌いが激しくなりオトーサンを困らせたものだ。

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それでもありがたいことに前記のワンコたちならびにその飼い主さんたちと出会うと喜びの表情に変わったものだ。
それが現在の場所からはラテを連れて歩くと片道30分はかかるのでおいそれと足を向けられなくなった。さらにその公園に行ったとしても環境や状況が変わりワンコたちが足を向ける場所ではなくなり、帰りのラテは面白くないと歩くのを拒否することもあった。
しかし思えば、前の環境下では確かにラテはワンコ同士の激しい遊びを楽しんでいたが、現在の地に来てからは体をぶつけ合って遊べるワンコには巡り会えないでいた。

その替わりと言っては叱られようが、未就学児童を含む多くの子供たちに可愛がってもらい、しいては現在も家族絡みでお付き合いいただいているご家庭ができた…。近隣の公園に出向けば「ラテっ!ラテちゃーん」といった黄色い声があちこちから飛んだ。
思えば2013年秋から2018年あたりまでが健康にも恵まれ、日々楽しく過ごせたという時期だった。

④老犬の域に入りより落ち着いた犬生を過ごす
はっきりとした境界線があるわけでもないが、2019年あたりになるとラテの後ろ右足に難が目立つようになった。足を痛そうに持ち上げることもあり、足を引きずりながら歩く場合も出て来た。
しかし食欲も旺盛で行動も落ち着いた感がめだってきたが、これは体そのものが無理出来なくなってきたことからくるのかも知れない。
この頃はオトーサンたちの言葉は勿論、その時その時オトーサンたちが考えることをラテは理解しているようにも思えたし、反対にラテの吠え方や行動からなにを欲しているのかが分かるようになった。そして真っ白になったマズルも印象的だが、その両眼は穏やかで表情豊かに見え一段と可愛さが増したと言える。

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⑤虹の橋を渡るまでの悪戦苦闘
2021年12月24日、散歩途中の様子が変なのでそのまま動物病院へ連れて行くとすぐに酸素吸入器にかけられ「このまま放置していたら死んでいた」と医者に言われた。要は心臓が弱っているということで老衰だから治ることは考えるなと印籠を渡された…。
自力でまともに歩けないからと、オトーサンが体を引き上げるようにして路面に出し、排泄はもとより形だけの短い散歩になったし大型犬用のカートや万一の場合にも酸素吸入器も手に入れたがラテの体力は風前の灯火のようだった。

おむつをし、痩せたラテはオトーサンたちにとって益々可愛い存在であり何とか一日でも長く一緒にいたいと願ったが、ついに食べ物も取れなくなり点滴が始まる。点滴は必須となったが日々ラテを病院へ連れて行くのも大変とオトーサンが点滴をすることになった。最初は怖いというより悲しくてオトーサンの手も震えた物だがラテは暴れることもなく一言も声を上げなかった。

長い間の習慣も含めておむつの中の💩の感覚が嫌だったのだろうが、本来立てないはずのラテがむくりと立ち上がり玄関へヨタヨタと向かうとオトーサンたちは急いでラテを外に連れ出すこともあった。無論おむつに排泄する場合も多くなったが綺麗に始末をするまでラテは悲しい声を上げた。
ともかく固形物を食べなくなり一週間が過ぎ10日が過ぎ、見るからに衰弱していく様が悲しかったが、オトーサンはもしかして…とドッグフードを牛乳に浸した小丼を寝ている脇に置くことにした。無駄を覚悟でそんなことを数日やってみたが、ある日いきなりそれを完食した!

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結局そのおかげでラテは2ヶ月ほどオトーサンたちにサブライズをしてくれ翌年3月6日に亡くなった。
やはり辛かったのだろうし、もしかしたら自分の寿命を感じ取っていたのかも知れないが夜泣きに2ヶ月悩まされたが、それもいまでは懐かしい思い出となってしまった。
3月6日の午前3時ころか、相変わらず夜泣きを始めた。様子を見に行くとどこかいつもと違うように感じたオトーサンは椅子に座り、その膝に軽くなったラテの骨張った体を乗せて抱き上げてあげると大人しくなった。そのまま15分ほど抱いてあげたが、その2時間ほどの後に危篤状態となり酸素吸入やらの甲斐も無く静かに息を引き取った。

というわけでラテがどう思っていたかは分からずじまいだが、オトーサンの見るところラテは数は少ないものの親友というべき3匹のワンコと知り合えたし、多くの子供たちを始めとして行き交う人たちに可愛がっていただいた。子供たちに跨がられても、尻尾や耳を引っ張られても声を上げたり怒ったりしないというフレンドリーさもあっただろうが、皆に愛され幸せだったと思いたい。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員