アップルから受けた接待物語(笑)
ビジネスという物は申し上げるまでもなく理窟や正義感だけで物事がうまく運ぶことはなかなかない。どちらかというとオドロオドロした人間関係をいかに上手に活用できるかといった視点がないと摩擦ばかりで成果はあがらない。そのビジネスの潤滑油と言われた「接待」も近年景気の悪さが目立ちままならないが、そういえばアップルジャパンから接待を受けたことが過去に2度あった...。
先日、知り合いの方と仕事の打ち合わせの後で昼飯を一緒に食べつつ雑談をしたが、そういえば昔は良くも悪くも接待が多かった...という話しになった...。
無論いまでもそうしたことはあるわけだが、一般企業のほとんどは交際費の予算など確保できない時代である。しかし私の若かりし頃は今日もグランドキャバレー、明日はナイトクラブといった時代だった(笑)。
知人が言う...。「松田さんは長い間この業界にいたのだから、アップルから接待を受けたことって多かったのでは?」と...。いささか単刀直入な問だが別に隠すようなことではない(笑)。
14年間もアップルのデベロッパーとして活動し、いくつかの賞もいただいたし、一般の方から見ると代表者だった私個人はアップルという会社や当時の社長たちと大変緊密な関係にあったのだろうと思われるらしい。しかし実際にはビジネスを円滑に進めるために緊密な関係を望むべく努力したことは当然としても、それは会社対会社の話であり、例え社長だったとしても私個人は決してアップルとべったりの関係ではなかったし、むしろアップルから見ると扱いにくい1人だったのではないだろうか。
現在は分からないがアップルジャパンの社長が原田さんの時代には当事者たちが好きだったからだろう...ゴルフの誘いが年1回はあった。
確かにゴルフという代物はプレーをするだけではなく和気藹々な談笑の機会が多いし、打ち上げの飲み会なども参加者同士が心を通わせるという社交にはうってつけのスポーツである。
それは私も認めるが、困ったことにゴルフ好きの方たちの中には私のようにゴルフが嫌いというか...出来ない人間の存在を認めようとしない人もいるから始末が悪い(笑)。
当時のアップルとしてはデベロッパーの社長たちと懇談し意思の疎通を図るにはゴルフが一番だと考えていたのだろう。そして社長の冠が付く人なら必ずゴルフくらいやるものだと考えていたように思えるほど様々なゴルフ招待の案内をいただいた。しかし出来ない人間が紛れ込むわけにはいかないのがゴルフのコンペである。したがって私は1度もアップルからのその種の誘いに応じたことはなかった...。
しかし逆に見るとゴルフコンペに喜んで参加しないようなデベロッパーの代表などまことに扱いづらい人間だと思われていたのではないか(笑)。
そんな私だったから原田さんとは個人的な付き合いはなかったものの、JDCや新製品説明会といった際に言葉を交わすことがあったし、私の会社がMACWORLD Expo/Tokyo出展時に幕張近隣のホテルを使いプライベートなパーティを開催した際にはPowerBookだったか...抽選会の景品を提供してくれたりもした。
ただし私が会社をやっていた14年間に1度だけ原田さんと一対一で飯を食ったことがある。
アップルとしては何を意図したのだろうか、それは今になっても不明だが、突然アップルのデベロッパー担当者から電話があり「原田(社長)が松田さんと昼食をご一緒したいと言っているんですがご都合は...」とお誘いをいただいたことがあった。
まあ格好をつけるわけではないが、原田さんと面と向かって話すこともないし(笑)、顔を見れば多分にアップルに対する不平不満が出てしまうことは目に見えていたもののお断りする理由もないし...とお会いすることにした。
いつ頃の話だったか思い出せないが、アップルの本社がまだ千駄ヶ谷にあった時代だったはずだ。
アップルに出向くと担当者に焼肉屋の個室に連れて行かれた。そしてしばらく待つと原田さんが来られて文字通り焼き肉をご馳走になりながら2人きりの会話となった。
無論話題の中心はアップルの話であり、そのコミュニティの話題だったり新製品への印象だったりデベロッパーに対する意見だったりしたのだろうが、嗚呼...ほとんど覚えていない(笑)。そして当初原田さんとの会食は1時間程度だと告げられていたがどうした風の吹き回しか、腰を上げたのは午後3時近くになってからだった。いやはや随分と長く喋っていたものだ…。
普通に考えるならこの種の招待には何らかの目的があるはずだ。無論お互いに単なる遊びの時間つぶしをするほど暇ではない。私もそれを十分意識して事に望んだが、アップル側から特に依頼とか注文といった話はなかったと記憶している。
ではアップル側は忙しいスケジュールを調整して私などを昼飯に誘ってくれた目的は一体なんだったのだろうか...。
ビジネスとしてはそれまでにもアップルとは良好な関係を築いてきたつもりだ。例えば志賀徹也社長のとき私はMOSA副会長の立場で新春特別対談をやらせていただき、技術評論社刊「Developers Journal」1997年1月号に載せていただいたりと接触が多かったから決して単に頑ななデベロッパーではなかったつもりである。ただ原田さんの時代は向こうから声をかけていただけなかっただけの話しだ(笑)。
まあ冗談はともかく、本当のところは不明だが「ゴルフに誘っても1度も参加しない御しにくい奴だが1度は面と向かって話をしてみようか」といった程度のことだったのかも知れない。


※技術評論社刊「Developers Journal」(1997年1/2月号)表紙(上)と当該対談中の筆者とアップルジャパンの志賀社長(下)
そう、アップルからの接待といえばもうひとつ大変印象的なことがあった。
これまた志賀社長の時代だっと思うが、当時のデベロッパーリレーションズの部長であった樋口泰行さん(現マイクロソフト株式会社の代表執行役社長)からディナーの招待をいただいた。
志賀さんはこれまでのアップルとデベロッパーのギクシャクした関係を修復しようと努力した方だったから、その部下であった樋口さんもその輝かしい経歴を見るまでもなく優れたマネジメント能力をお持ちで私は好感を持っていた。また私の会社主催のパーティー開催時にも来賓としてご出席いただき、ご挨拶をいただいたこともある。

※筆者会社のパーティー(1995年)で来賓として挨拶をいただいた時の樋口泰行さん(当時はアップルの部長職だった)
ともかくお誘いはありがたいことだと思いつつ私は軽い気持ちでアップル指定の高級ホテルに向かった。
会場に出向いて驚いたことは、例えばアップルがMACWORLD Expo/Tokyoの機会を得て開催するパーティーのように数社のデベロッパー代表等が集まっているのかと思っていたが、実はその日の招待者は私一人だったのである。
ホテルの雰囲気は最高だったし出された料理も美味しかった。そしてその時の会話も心に残る暖かいものだったしギクシャクしたやりとりは絶無だったと思う。そして意外なことは最後に起こった...。
お開きの時間になり私は丁重なお礼を申し上げてホテルのロビーを出ようとしたとき樋口さんから「松田さん、車をご用意しておりますので使って下さい」といわれた。
すでに暗くなっていた外に出ると私のために黒塗りのハイヤーが待っていた...。そして私が車に乗り込んで走り出すまで彼らは見送ってくれた。
長い間、アップルとお付き合いをさせていただいたが会合の後で車を用意していただいたことなどそれまでに1度もないし無論考えたこともなかった。
だからと言うわけではないが「アップルはよい方向に変わったのかな...」と期待する気持ちが膨らんだものの残念なことに樋口さんも志賀さんもアップル在籍は短かった...。
ともかく14年間という長い間ではあったが、パーティーなどへの参加は別としてアップルから個人的に接待を受けたのはこの2回限りであった。
そんな私の昔話を聞いた知り合いは意外といった顔をしていた。しかし考えてみればソフトハウスとしての私の会社とアップルは特別なケースを別にすれば取引先といった関係ではないのだからそもそも接待を受けるといった立場ではないのである。
そして別に接待を受けたから、接待をしたからビジネスが好転するといった単純なものではない。逆に私がイベントや講演で地方に出向いたとき、一緒に仕事をしたアップルの担当者らを食事に誘ったことも多かったが、アップルからあらためての接待など思いもしなかったことでもあり、ご紹介した2度の接待を受けたことは今でも強烈な想い出として記憶に残っている。
先日、知り合いの方と仕事の打ち合わせの後で昼飯を一緒に食べつつ雑談をしたが、そういえば昔は良くも悪くも接待が多かった...という話しになった...。
無論いまでもそうしたことはあるわけだが、一般企業のほとんどは交際費の予算など確保できない時代である。しかし私の若かりし頃は今日もグランドキャバレー、明日はナイトクラブといった時代だった(笑)。
知人が言う...。「松田さんは長い間この業界にいたのだから、アップルから接待を受けたことって多かったのでは?」と...。いささか単刀直入な問だが別に隠すようなことではない(笑)。
14年間もアップルのデベロッパーとして活動し、いくつかの賞もいただいたし、一般の方から見ると代表者だった私個人はアップルという会社や当時の社長たちと大変緊密な関係にあったのだろうと思われるらしい。しかし実際にはビジネスを円滑に進めるために緊密な関係を望むべく努力したことは当然としても、それは会社対会社の話であり、例え社長だったとしても私個人は決してアップルとべったりの関係ではなかったし、むしろアップルから見ると扱いにくい1人だったのではないだろうか。
現在は分からないがアップルジャパンの社長が原田さんの時代には当事者たちが好きだったからだろう...ゴルフの誘いが年1回はあった。
確かにゴルフという代物はプレーをするだけではなく和気藹々な談笑の機会が多いし、打ち上げの飲み会なども参加者同士が心を通わせるという社交にはうってつけのスポーツである。
それは私も認めるが、困ったことにゴルフ好きの方たちの中には私のようにゴルフが嫌いというか...出来ない人間の存在を認めようとしない人もいるから始末が悪い(笑)。
当時のアップルとしてはデベロッパーの社長たちと懇談し意思の疎通を図るにはゴルフが一番だと考えていたのだろう。そして社長の冠が付く人なら必ずゴルフくらいやるものだと考えていたように思えるほど様々なゴルフ招待の案内をいただいた。しかし出来ない人間が紛れ込むわけにはいかないのがゴルフのコンペである。したがって私は1度もアップルからのその種の誘いに応じたことはなかった...。
しかし逆に見るとゴルフコンペに喜んで参加しないようなデベロッパーの代表などまことに扱いづらい人間だと思われていたのではないか(笑)。
そんな私だったから原田さんとは個人的な付き合いはなかったものの、JDCや新製品説明会といった際に言葉を交わすことがあったし、私の会社がMACWORLD Expo/Tokyo出展時に幕張近隣のホテルを使いプライベートなパーティを開催した際にはPowerBookだったか...抽選会の景品を提供してくれたりもした。
ただし私が会社をやっていた14年間に1度だけ原田さんと一対一で飯を食ったことがある。
アップルとしては何を意図したのだろうか、それは今になっても不明だが、突然アップルのデベロッパー担当者から電話があり「原田(社長)が松田さんと昼食をご一緒したいと言っているんですがご都合は...」とお誘いをいただいたことがあった。
まあ格好をつけるわけではないが、原田さんと面と向かって話すこともないし(笑)、顔を見れば多分にアップルに対する不平不満が出てしまうことは目に見えていたもののお断りする理由もないし...とお会いすることにした。
いつ頃の話だったか思い出せないが、アップルの本社がまだ千駄ヶ谷にあった時代だったはずだ。
アップルに出向くと担当者に焼肉屋の個室に連れて行かれた。そしてしばらく待つと原田さんが来られて文字通り焼き肉をご馳走になりながら2人きりの会話となった。
無論話題の中心はアップルの話であり、そのコミュニティの話題だったり新製品への印象だったりデベロッパーに対する意見だったりしたのだろうが、嗚呼...ほとんど覚えていない(笑)。そして当初原田さんとの会食は1時間程度だと告げられていたがどうした風の吹き回しか、腰を上げたのは午後3時近くになってからだった。いやはや随分と長く喋っていたものだ…。
普通に考えるならこの種の招待には何らかの目的があるはずだ。無論お互いに単なる遊びの時間つぶしをするほど暇ではない。私もそれを十分意識して事に望んだが、アップル側から特に依頼とか注文といった話はなかったと記憶している。
ではアップル側は忙しいスケジュールを調整して私などを昼飯に誘ってくれた目的は一体なんだったのだろうか...。
ビジネスとしてはそれまでにもアップルとは良好な関係を築いてきたつもりだ。例えば志賀徹也社長のとき私はMOSA副会長の立場で新春特別対談をやらせていただき、技術評論社刊「Developers Journal」1997年1月号に載せていただいたりと接触が多かったから決して単に頑ななデベロッパーではなかったつもりである。ただ原田さんの時代は向こうから声をかけていただけなかっただけの話しだ(笑)。
まあ冗談はともかく、本当のところは不明だが「ゴルフに誘っても1度も参加しない御しにくい奴だが1度は面と向かって話をしてみようか」といった程度のことだったのかも知れない。


※技術評論社刊「Developers Journal」(1997年1/2月号)表紙(上)と当該対談中の筆者とアップルジャパンの志賀社長(下)
そう、アップルからの接待といえばもうひとつ大変印象的なことがあった。
これまた志賀社長の時代だっと思うが、当時のデベロッパーリレーションズの部長であった樋口泰行さん(現マイクロソフト株式会社の代表執行役社長)からディナーの招待をいただいた。
志賀さんはこれまでのアップルとデベロッパーのギクシャクした関係を修復しようと努力した方だったから、その部下であった樋口さんもその輝かしい経歴を見るまでもなく優れたマネジメント能力をお持ちで私は好感を持っていた。また私の会社主催のパーティー開催時にも来賓としてご出席いただき、ご挨拶をいただいたこともある。

※筆者会社のパーティー(1995年)で来賓として挨拶をいただいた時の樋口泰行さん(当時はアップルの部長職だった)
ともかくお誘いはありがたいことだと思いつつ私は軽い気持ちでアップル指定の高級ホテルに向かった。
会場に出向いて驚いたことは、例えばアップルがMACWORLD Expo/Tokyoの機会を得て開催するパーティーのように数社のデベロッパー代表等が集まっているのかと思っていたが、実はその日の招待者は私一人だったのである。
ホテルの雰囲気は最高だったし出された料理も美味しかった。そしてその時の会話も心に残る暖かいものだったしギクシャクしたやりとりは絶無だったと思う。そして意外なことは最後に起こった...。
お開きの時間になり私は丁重なお礼を申し上げてホテルのロビーを出ようとしたとき樋口さんから「松田さん、車をご用意しておりますので使って下さい」といわれた。
すでに暗くなっていた外に出ると私のために黒塗りのハイヤーが待っていた...。そして私が車に乗り込んで走り出すまで彼らは見送ってくれた。
長い間、アップルとお付き合いをさせていただいたが会合の後で車を用意していただいたことなどそれまでに1度もないし無論考えたこともなかった。
だからと言うわけではないが「アップルはよい方向に変わったのかな...」と期待する気持ちが膨らんだものの残念なことに樋口さんも志賀さんもアップル在籍は短かった...。
ともかく14年間という長い間ではあったが、パーティーなどへの参加は別としてアップルから個人的に接待を受けたのはこの2回限りであった。
そんな私の昔話を聞いた知り合いは意外といった顔をしていた。しかし考えてみればソフトハウスとしての私の会社とアップルは特別なケースを別にすれば取引先といった関係ではないのだからそもそも接待を受けるといった立場ではないのである。
そして別に接待を受けたから、接待をしたからビジネスが好転するといった単純なものではない。逆に私がイベントや講演で地方に出向いたとき、一緒に仕事をしたアップルの担当者らを食事に誘ったことも多かったが、アップルからあらためての接待など思いもしなかったことでもあり、ご紹介した2度の接待を受けたことは今でも強烈な想い出として記憶に残っている。
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