スティーブ・ジョブズにとってiPadとは?
Appleが生み出した製品はApple II以降その大半を手にしてきたがiPhoneを別にすればiPadほど期待が膨らむ製品はなかったように思う。何しろ当事者のスティーブ・ジョブズ自身 iPadに対して「これは、私がこれまでやったことの中で最も重要な仕事」といった意味のことを発言したというのだから...。しかし大方は「何を取って付けたようなもの言いだ」と思うかも知れない。
iPadが正式に発表される以前、さまざまな噂とリークらしき情報が飛び交ったがそのひとつに TechCrunch に載ったジョブズのコメントが注目を浴びた。
それは近く発表されるであろうApple製タブレットマシンについて「これは、私がこれまでやったことの中で最も重要な仕事である」と発言したという...。そしていかにジョブズがこの製品に入れ込み興奮しているかという話が伝わってきた...。
自社の新製品を評価するのは当然だとしてもマルチタッチインターフェースと10インチほどのサイズの液晶モニターを持つタブレットマシンにしては大げさではないかと思った反面、ジョブズがそう言うのならどれほど画期的な製品がリリースされるのか...という期待も大きくなった。
言葉通りに捉えればMacintoshはもとより、iPodやiPhoneも次のタブレット登場の前座だとなればそれは確かに凄い製品に違いないと...。
まあ、こうした情報はApple側の意図的リークも含め、話は半分に聞いておく必要があるが、多くの方々にとって意外かも知れないしそうしたニュースを短絡的に聞けば「なにをまた都合の良いもの言いだな」と思うかも知れない。何故ならそれまでAppleはこの種の製品開発を拒むポーズをとり続けてきたからでもある。
しかし...あまり知られていないようだが実のところポータプルなマシン開発の夢は1980年代すでにスティーブ・ジョブズが強く願っていたことなのだ。
確かにiPodならびにiPhoneといった製品を経てiPadというタブレットマシンが登場したわけだが、ジョブズは単純な思いつきでiPad開発を始めたのではなくパーソナコンピュータのひとつの完成形としてのマシンを模索していたと考えても無理はないのだ。
ところで単に “持ち運びが可能” というマシンならApple IIだって...そしてMacintosh 128Kだって持ち運びは可能だ(笑)。
事実専用のキャリーバックにMacintosh 128Kを入れ電車に乗り多くの場所に持参したこともあったが、いやはや実に重かった...。
ただしAppleが本格的に携帯可能なマシンを開発した最初の製品はApple IIc ということになろう。
1984年にMacintoshと同時に発表されたこのマシンは “Apple II” の冠がついてはいるがすでにスティーブ・ウォズニアックの意図から外れスティーブ・ジョブズならびに当時のCEO ジョン・スカリーの臭いがついたマシンだった。
なぜなら本体は小型化のために拡張性は失われただけでなく実は馬鹿でかいACアダプタとグリーンモニターを考えれば携帯性に優れたマシンとは到底言えなかった。無論液晶のモニターも用意されたものの表示が狭くTFT液晶ではなかったこともあり不評だったしその5インチ・フロッピーディスクはエラーが多くかつ従来のApple IIソフトの中には動作しないものも生じた。
私はリリースの時系列通りではないもののApple II、Apple II J-PlusそしてApple IIeを手に入れたがApple IIcは買わなかった。
その理由のひとつは当時持ち運びするといったコンセプトをそれほど必要としなかったこともあるが、Apple IIを使ってきたユーザーとしてApple IIcの評価を低く考えていたからに他ならない。
さてApple IIシリーズはともかくMacintoshの登場以来最初の携帯性を謳ったマシンはご承知の通りMacintosh Portableである。
もともとコンピュータを携帯するといったコンセプトは1972年代にアラン・ケイが提唱したあのDynabookに行き着くわけだが、コンピュータメーカーは多かれ少なかれその小型化を目指して研究開発を続けてきた。しかし時代の壁は厚く当時の一連の製品達は現在から観れば笑止とも思えるものも多かった。
1982年にジョブズはMacintoshデザインにスノー・ホワイトのデザイン構想を推し進めたが、当時ジョブズはMacintosh開発チームの人たちに「デスクトップMacは単に暫定的なものに過ぎない」と言っていたという。そして彼の目標は1986年までにブックタイプのMacを世に出すことだったのである。
事実フロッグデザイン社ではジョブズの意向にマッチングするポータブルコンセプトのデザインを延べ数百時間もかけて進めていたという。
何だか暫定DynabookがAlto + Smalltalkだったことを思い出すような台詞だが、理想家肌のスティーブ・ジョブズだからして1984年にAppleのフェローとして向かえたアラン・ケイの影響を色濃く受けていたと考えても良いのかも知れない。
1985年にジョブズがAppleを去った後、ジャン=ルイ・ガッセーがジョブズの夢を引き継ぎ、1986年秋までにMac SEを再構築して6ポンド程度の重さと8.5×11×1.5インチほどのサイズのマシンを仕上げるという企画を推進したものの当時のAppleには本格的なポータブル開発のノウハウが無く四苦八苦することになる。
先のガッセーはビジネス・エグゼクティブにターゲットを絞りポータブルとはいえ妥協のない完璧な製品を作るよう指示したがそのコンセプトが明確でなかったツケが表面化した結果馬鹿でかいMacintosh Portableとなった。
確かにMacintosh PortableはApple初のバッテリーで駆動するマシンであり取っ手もついていたがその重さは7.2kgとMacintosh 128Kの7.5kgとほとんど変わらなかった。
その後Appleが本当の意味でポータブルなマシンを開発したのは1991年12月に登場するPowerBook 100を待たなければならなかったわけだ。

※Apple初のノートパソコンとして誕生したPowerBook 100とハリボテiPad
スティーブ・ジョブズにしてみれば技術的あるいはコスト的に解決できる時期を探り機を熟すのを待っていたのだろう。
「これは、私がこれまでやったことの中で最も重要な仕事である」という発言も、iPhone OSも含みハードからソフトまでそのすべてに彼がたずさわってきた自負がそう言わしめるのかも知れないし、文字通り長い間の夢がかなった充実感があるのだろう。ましてや企画ならびに開発途中で彼は腎臓移植手術を受け命の危機も体験したからこそ余計にこのiPadに入れ込む気持ちが大きいのかも知れない。
【主な参考資料】
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」(上) アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊
iPadが正式に発表される以前、さまざまな噂とリークらしき情報が飛び交ったがそのひとつに TechCrunch に載ったジョブズのコメントが注目を浴びた。
それは近く発表されるであろうApple製タブレットマシンについて「これは、私がこれまでやったことの中で最も重要な仕事である」と発言したという...。そしていかにジョブズがこの製品に入れ込み興奮しているかという話が伝わってきた...。
自社の新製品を評価するのは当然だとしてもマルチタッチインターフェースと10インチほどのサイズの液晶モニターを持つタブレットマシンにしては大げさではないかと思った反面、ジョブズがそう言うのならどれほど画期的な製品がリリースされるのか...という期待も大きくなった。
言葉通りに捉えればMacintoshはもとより、iPodやiPhoneも次のタブレット登場の前座だとなればそれは確かに凄い製品に違いないと...。
まあ、こうした情報はApple側の意図的リークも含め、話は半分に聞いておく必要があるが、多くの方々にとって意外かも知れないしそうしたニュースを短絡的に聞けば「なにをまた都合の良いもの言いだな」と思うかも知れない。何故ならそれまでAppleはこの種の製品開発を拒むポーズをとり続けてきたからでもある。
しかし...あまり知られていないようだが実のところポータプルなマシン開発の夢は1980年代すでにスティーブ・ジョブズが強く願っていたことなのだ。
確かにiPodならびにiPhoneといった製品を経てiPadというタブレットマシンが登場したわけだが、ジョブズは単純な思いつきでiPad開発を始めたのではなくパーソナコンピュータのひとつの完成形としてのマシンを模索していたと考えても無理はないのだ。
ところで単に “持ち運びが可能” というマシンならApple IIだって...そしてMacintosh 128Kだって持ち運びは可能だ(笑)。
事実専用のキャリーバックにMacintosh 128Kを入れ電車に乗り多くの場所に持参したこともあったが、いやはや実に重かった...。
ただしAppleが本格的に携帯可能なマシンを開発した最初の製品はApple IIc ということになろう。
1984年にMacintoshと同時に発表されたこのマシンは “Apple II” の冠がついてはいるがすでにスティーブ・ウォズニアックの意図から外れスティーブ・ジョブズならびに当時のCEO ジョン・スカリーの臭いがついたマシンだった。
なぜなら本体は小型化のために拡張性は失われただけでなく実は馬鹿でかいACアダプタとグリーンモニターを考えれば携帯性に優れたマシンとは到底言えなかった。無論液晶のモニターも用意されたものの表示が狭くTFT液晶ではなかったこともあり不評だったしその5インチ・フロッピーディスクはエラーが多くかつ従来のApple IIソフトの中には動作しないものも生じた。
私はリリースの時系列通りではないもののApple II、Apple II J-PlusそしてApple IIeを手に入れたがApple IIcは買わなかった。
その理由のひとつは当時持ち運びするといったコンセプトをそれほど必要としなかったこともあるが、Apple IIを使ってきたユーザーとしてApple IIcの評価を低く考えていたからに他ならない。
さてApple IIシリーズはともかくMacintoshの登場以来最初の携帯性を謳ったマシンはご承知の通りMacintosh Portableである。
もともとコンピュータを携帯するといったコンセプトは1972年代にアラン・ケイが提唱したあのDynabookに行き着くわけだが、コンピュータメーカーは多かれ少なかれその小型化を目指して研究開発を続けてきた。しかし時代の壁は厚く当時の一連の製品達は現在から観れば笑止とも思えるものも多かった。
1982年にジョブズはMacintoshデザインにスノー・ホワイトのデザイン構想を推し進めたが、当時ジョブズはMacintosh開発チームの人たちに「デスクトップMacは単に暫定的なものに過ぎない」と言っていたという。そして彼の目標は1986年までにブックタイプのMacを世に出すことだったのである。
事実フロッグデザイン社ではジョブズの意向にマッチングするポータブルコンセプトのデザインを延べ数百時間もかけて進めていたという。
何だか暫定DynabookがAlto + Smalltalkだったことを思い出すような台詞だが、理想家肌のスティーブ・ジョブズだからして1984年にAppleのフェローとして向かえたアラン・ケイの影響を色濃く受けていたと考えても良いのかも知れない。
1985年にジョブズがAppleを去った後、ジャン=ルイ・ガッセーがジョブズの夢を引き継ぎ、1986年秋までにMac SEを再構築して6ポンド程度の重さと8.5×11×1.5インチほどのサイズのマシンを仕上げるという企画を推進したものの当時のAppleには本格的なポータブル開発のノウハウが無く四苦八苦することになる。
先のガッセーはビジネス・エグゼクティブにターゲットを絞りポータブルとはいえ妥協のない完璧な製品を作るよう指示したがそのコンセプトが明確でなかったツケが表面化した結果馬鹿でかいMacintosh Portableとなった。
確かにMacintosh PortableはApple初のバッテリーで駆動するマシンであり取っ手もついていたがその重さは7.2kgとMacintosh 128Kの7.5kgとほとんど変わらなかった。
その後Appleが本当の意味でポータブルなマシンを開発したのは1991年12月に登場するPowerBook 100を待たなければならなかったわけだ。

※Apple初のノートパソコンとして誕生したPowerBook 100とハリボテiPad
スティーブ・ジョブズにしてみれば技術的あるいはコスト的に解決できる時期を探り機を熟すのを待っていたのだろう。
「これは、私がこれまでやったことの中で最も重要な仕事である」という発言も、iPhone OSも含みハードからソフトまでそのすべてに彼がたずさわってきた自負がそう言わしめるのかも知れないし、文字通り長い間の夢がかなった充実感があるのだろう。ましてや企画ならびに開発途中で彼は腎臓移植手術を受け命の危機も体験したからこそ余計にこのiPadに入れ込む気持ちが大きいのかも知れない。
【主な参考資料】
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」(上) アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊
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