iPad と Lisa に共通するアップルイズムとは?
何とも挑発的なタイトルである(笑)。現在世界中で大きな話題となっているAppleのiPadと27年も前に生まれた Lisaとどのような...それも親密な関係があるというのか...。無理矢理話題性を演出しているのでは...。そう思われるのも無理はないが私はいたってまじめである(笑)。
とはいえ、LisaとiPadは似ている...といった暴論を吐くわけではないが面白いことにその根底に流れているアップルイズムとでもいうべきコンセプトに文字通り共通項を感じるからである。
それを説明するためにまずは先日4月8日のスペシャルイベントで元気な姿を見せたスティーブ・ジョブズのスピーチを思い出していただきたい。その冒頭で大変印象深いシーンがあったのだ。
それは登壇した後、iPadやアプリケーションの出荷台数ならびに販売数などの報告をした後、「それ以上に大切なこと」とジョブズ自身が断った上でApple直営店で撮ったという写真を見せ、ジョブズはユーザーがこの製品を気に入ってもらえることが重要なのだと発言した。
記憶に残っている方も多くいらっしゃるのではないだろうか。
その写真には女の子がiPadの箱を開け、その箱を嬉しそうに頭上にあげ、本体を抱きしめて喜びを体全体で表している3つのシーンがあった。
おそらくAppleファンの親に連れられてApple Storeに来店した子供なのだろうがその嬉しさは演技ではなく本物だと言うことがひしひしと伝わってくる。
この種の写真をこうしたイベントで紹介した例はあまり記憶がないが、ジョブズ自身にとってもアピールするに足りる写真だったからに違いない。

※2010年4月8日に開催されたAppleスペシャルイベントの印象的なシーン
パーソナルコンピュータといった製品に限らず、自分が本当に欲しいものを手にしたとき我々は真から喜びを感じるものだし私自身これまでApple IIや幾多のMacの新製品を手にしたとき驚喜したものだが、この類の高揚は身近の友人知人たちを見回してもWindowsユーザーにはあまり見られない。
とはいえ1980年代前半にApple IIを、そして1984年にMacintoshを手にした当時のユーザーが感じたワクワク感と2010年4月にiPadを手にしたユーザーのワクワク感がまったく同じだとはいわないが、こうしたコンピュータ端末を手にして技術者ではない一般の人たちが無類の喜びを感じるそのことこそAppleブランド特有のものでありアップルイズムなのだ。
なぜなら、Appleが...というよりスティーブ・ウォズニアックが最初に製品化したApple Iはそもそもが売る目的というより、自分の楽しみのためでありコンピュータグループ仲間に自慢し喜んでもらうという一番の原動力があった。そしてApple IIで文字通り大成功を収めたAppleはスティーブ・ジョブズ主導でLisaというコードネームを持った新しいパーソナルコンピュータ開発を発案するがその進むべき方向をゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪問した際にAltoならびにSmalltalkで構成される暫定ダイナブックのデモ、特にそのGUIに見出すことになる。
PARC訪問から一ヶ月そこらでLisaの設計者たちが作った設計要綱はそれまでにないものであり、それこそアラン・ケイやラリー・テスラーらが持っていた精神的な部分の開花ともいえる内容を含んでいたという。
なぜならそれには「Lisaは使って楽しくなければならない」と書かれ「このシステムは仕事だからとか上司がやれというから」使うシステムにはしない。Lisaを使うことそのものが報酬となって、仕事が充実するよう、ユーザーとの相互作用における友好性と機微には特に注意を払わなければならない」とあったという。
無論コンピュータの歴史の中で本来無機質な機械の設計にそんなことを考えて開発しようとした製品などなかった...。
しかしその感覚こそまさしく私たちが黎明期よりずっとApple製品に抱いてきた思いそのものである。
例えば朝起きてMacintoshの姿を眺めて電源を入れる...。その「ポーン」という起動音を聞くと何か今日も楽しいことが起こるような気がして嬉しくなる。思わずその筐体を軽くたたいて「今日もよろしくな!」とつぶやく(笑)。
それは現在、私の机上にあるLisa 2/10 をしても同じであり、いまだに頬ずりしたくなるほど愛しい(笑)。

※筆者所有のLisa
こうした経験をしてきたMacintoshユーザーは多いに違いないがWindowsマシンに対して同様な思い入れはほとんど聞いたことがない。あくまで実用的なマシンといった位置づけなのだ。
この「Lisaは使って楽しくなければならない」というアップルイズムはその後のApple製品のいくつかにも強く感じられる。
Macintosh 128Kは勿論、PowerBook 100、Newton、初代iMacなどなどであり近年iPod、iPhoneはもとよりこの度のiPadでその血脈は開花したように私には感じられるのである。
無論一方(Lisa)は当時10,000ドルもしたビジネス指向のマシン、他方(iPad)は499ドルから購入できるコンシューマ向けの製品といった大きな違いがあるが、アラン・ケイらが思い描いたあのダイナブックは子供が楽しんで使えるマシンでもあった。そして冒頭に紹介した女の子の写真が物語るように、子供が胸に抱きしめるマシンが存在しているという事実はAppleの血脈、アップルイズムが健在である証拠だと確信し、古くからのAppleフリークとしては嬉しくて仕方がないのである。
【主な参考資料】
・Michael Hiltzik著「未来をつくった人々―ゼロックス・パロアルト研究所とコンピュータエイジの黎明
」毎日コミュニケーションズ刊
・斎藤由多加著「マッキントッシュ伝説
」アスキー出版局
とはいえ、LisaとiPadは似ている...といった暴論を吐くわけではないが面白いことにその根底に流れているアップルイズムとでもいうべきコンセプトに文字通り共通項を感じるからである。
それを説明するためにまずは先日4月8日のスペシャルイベントで元気な姿を見せたスティーブ・ジョブズのスピーチを思い出していただきたい。その冒頭で大変印象深いシーンがあったのだ。
それは登壇した後、iPadやアプリケーションの出荷台数ならびに販売数などの報告をした後、「それ以上に大切なこと」とジョブズ自身が断った上でApple直営店で撮ったという写真を見せ、ジョブズはユーザーがこの製品を気に入ってもらえることが重要なのだと発言した。
記憶に残っている方も多くいらっしゃるのではないだろうか。
その写真には女の子がiPadの箱を開け、その箱を嬉しそうに頭上にあげ、本体を抱きしめて喜びを体全体で表している3つのシーンがあった。
おそらくAppleファンの親に連れられてApple Storeに来店した子供なのだろうがその嬉しさは演技ではなく本物だと言うことがひしひしと伝わってくる。
この種の写真をこうしたイベントで紹介した例はあまり記憶がないが、ジョブズ自身にとってもアピールするに足りる写真だったからに違いない。

※2010年4月8日に開催されたAppleスペシャルイベントの印象的なシーン
パーソナルコンピュータといった製品に限らず、自分が本当に欲しいものを手にしたとき我々は真から喜びを感じるものだし私自身これまでApple IIや幾多のMacの新製品を手にしたとき驚喜したものだが、この類の高揚は身近の友人知人たちを見回してもWindowsユーザーにはあまり見られない。
とはいえ1980年代前半にApple IIを、そして1984年にMacintoshを手にした当時のユーザーが感じたワクワク感と2010年4月にiPadを手にしたユーザーのワクワク感がまったく同じだとはいわないが、こうしたコンピュータ端末を手にして技術者ではない一般の人たちが無類の喜びを感じるそのことこそAppleブランド特有のものでありアップルイズムなのだ。
なぜなら、Appleが...というよりスティーブ・ウォズニアックが最初に製品化したApple Iはそもそもが売る目的というより、自分の楽しみのためでありコンピュータグループ仲間に自慢し喜んでもらうという一番の原動力があった。そしてApple IIで文字通り大成功を収めたAppleはスティーブ・ジョブズ主導でLisaというコードネームを持った新しいパーソナルコンピュータ開発を発案するがその進むべき方向をゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪問した際にAltoならびにSmalltalkで構成される暫定ダイナブックのデモ、特にそのGUIに見出すことになる。
PARC訪問から一ヶ月そこらでLisaの設計者たちが作った設計要綱はそれまでにないものであり、それこそアラン・ケイやラリー・テスラーらが持っていた精神的な部分の開花ともいえる内容を含んでいたという。
なぜならそれには「Lisaは使って楽しくなければならない」と書かれ「このシステムは仕事だからとか上司がやれというから」使うシステムにはしない。Lisaを使うことそのものが報酬となって、仕事が充実するよう、ユーザーとの相互作用における友好性と機微には特に注意を払わなければならない」とあったという。
無論コンピュータの歴史の中で本来無機質な機械の設計にそんなことを考えて開発しようとした製品などなかった...。
しかしその感覚こそまさしく私たちが黎明期よりずっとApple製品に抱いてきた思いそのものである。
例えば朝起きてMacintoshの姿を眺めて電源を入れる...。その「ポーン」という起動音を聞くと何か今日も楽しいことが起こるような気がして嬉しくなる。思わずその筐体を軽くたたいて「今日もよろしくな!」とつぶやく(笑)。
それは現在、私の机上にあるLisa 2/10 をしても同じであり、いまだに頬ずりしたくなるほど愛しい(笑)。

※筆者所有のLisa
こうした経験をしてきたMacintoshユーザーは多いに違いないがWindowsマシンに対して同様な思い入れはほとんど聞いたことがない。あくまで実用的なマシンといった位置づけなのだ。
この「Lisaは使って楽しくなければならない」というアップルイズムはその後のApple製品のいくつかにも強く感じられる。
Macintosh 128Kは勿論、PowerBook 100、Newton、初代iMacなどなどであり近年iPod、iPhoneはもとよりこの度のiPadでその血脈は開花したように私には感じられるのである。
無論一方(Lisa)は当時10,000ドルもしたビジネス指向のマシン、他方(iPad)は499ドルから購入できるコンシューマ向けの製品といった大きな違いがあるが、アラン・ケイらが思い描いたあのダイナブックは子供が楽しんで使えるマシンでもあった。そして冒頭に紹介した女の子の写真が物語るように、子供が胸に抱きしめるマシンが存在しているという事実はAppleの血脈、アップルイズムが健在である証拠だと確信し、古くからのAppleフリークとしては嬉しくて仕方がないのである。
【主な参考資料】
・Michael Hiltzik著「未来をつくった人々―ゼロックス・パロアルト研究所とコンピュータエイジの黎明
・斎藤由多加著「マッキントッシュ伝説
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