ビジネス回顧録〜他社が開発を失敗したネットツール開発顛末記
足かけ14年アップルのデベロッパーをやっていた間、それはそれは今でも公言をはばかれる出来事も多かった(笑)。問題の発生には常に相手が存在し、それは現存する会社だったりそして我々のスタッフだったりするわけで話しは当然デリケートなことを含むから詳しくは語れない...。ともかく今回は忘れようにも忘れられない超大手企業とのバトルについて回想してみたい。
私の会社は1989年にMacintosh専門のアプリケーション開発を生業とする目的で生まれた。仕事は大別してオリジナルアプリケーションの開発と他社からの依頼による特注開発の2つで成り立っていた。
今回の話しは私の会社の歴史にとって後半最後の光を放つ出来事であったと同時に超大企業との実務的な駆け引きで苦悩した忘れようにも忘れ得ないビジネスとなったのである。
2001年春のある日、アップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当から電話をいただいた。
聞けば超大手通信関連企業からの依頼だということで、Mac版アプリケーション開発の相談に乗ってもらいたいとのことだった。無論我々はそれが仕事だし相手の会社は本来なら私たちのような超マイクロ企業と直接取引などするはずもない誰もが知っている大企業だったし相手に不足はなかった。そして近年不景気も関係してか特注開発の話しが少なくなっていた時期なのでそうした話しは願ってもない事だった。
ただし直接担当の方にお会いして話しを聞いてみると事は簡単ではなかった。なぜ私の会社に話しが回ってきたのか、それは些か特殊で複雑な事情があった。
その超大手企業(以後A社)の話しによればその小1年前にインターネット接続に関係するMac版アプリケーション開発をとある国内の企業に依頼したものの結果として開発に失敗したとのこと...。そのツールのWindows版は広く配布されていたからその名をいえばインターネットを使っていたほとんどのパソコンユーザーは膝を叩くに違いない...。

※超大手通信関連企業へ納品した成果物としてのCD-R (実物のバックアップ)
技術的な詳しいことはあえて伏せるが、A社が求めていた核となる機能はAppleの技術解説書にはっきりと「サポートしていない」と明記されていたのだ。しかし詳しい事情は不明だがそうしたことを知らずに、あるいは何とかなると思って開発を進めたのかはともかくその開発会社は目的を達成できずにバンザイしてしまったとのこと。
苦慮したA社はアップルジャパンに泣きつき、アップルジャパンは数社に打診したものの断られ、私の会社ならもしかしたら何とかできるのではないかと紹介の労を取ったという。
要はアップルの技術解説書にサポートしていないと明記されていることを実現しなければならないのだ(笑)。なぜそうしたアプリを作らなければならないのか...それは公に配布するインターネット関連アプリケーションは大企業の使命としてWindows版と共に同様な機能・仕様を持つMacintosh版も用意しなければならなかったからだ。しかし良く比較される両者は当然のことながらまったく違うOSであり、対応するブラウザも機能面や性能面で良い悪いはともかく相容れない部分を持っている。
これが失礼ながらどこかのベンチャー企業からの依頼だったら私は即断っていただろう。苦労することは目に見えていたこともあるが、相手がA社だったからこそ「なにかトリッキーな方法で解決できないものか」という熱意が生まれた。しかし闇雲に開発を開始したところで無理なことは無理に違いない。
話しを詰めていくうち、私はひとつの提案をしてみることに…。
そのひとつは失敗したというアプリケーションのソースリスト開示の依頼、2つ目は問題のルーチンの解決策があるやなしやを模索する件を有料で請け負うということだった。
ソースリストの開示はともかく、開発の可・不可を検証することを有料で請け負うという発想はあまり受けの良い提案ではない(笑)。ただし、本来この種の業務はどのようなものであっても人的リソースとまとまった時間を必要とするわけで簡単にいえばコストがかかるわけだ。しかし今でもそうかも知れないが期間限定の検証を有料で請け負うなどという提案を簡単にOKする業界ではない(笑)。ましてやあくまで検証だからして、問題の解決に至らない可能性も高いわけで、例えば二週間経って「やはり出来ませんでした」しかし「請求書は送ります」というのではこちらは当然の要求でもクライアント側は社内稟議を通すのが難しいに違いない。
それは分かっているが我々も不可能なのか、あるいは何かトリッキーな工夫で問題を解決できる可能性があるかは正直ある程度の時間をかけてやってみなければ分からないのだ。そしてそれを無償で請け合う義理もないし余裕もない...。だからこその提案であった。
結局A社は私の要求を受け入れた。それは想像するに予算の問題以前にかなりの期間が経っても解決しない問題に早くケリをつけたかったに違いないし、出来る限り開発の可能性を探ってみたいという切羽詰まった判断だったと思う。
私自身は検証だけで話しが終わっても仕方がないと考えていた。ともかく開発担当のプログラマに先方から開示されたソースリストを渡し、不可能だろうと言われている問題のルーチンを理解した上で何らかの方法・手法がないかを探るよう指示した。
しかしビジネスとは面白いもので、運命は我々を検証だけに終わらせなかった。なぜなら担当プログラマが少々トリッキーな方法ではあったが問題箇所を何とかする糸口を見出したのである。
もともと当該業務を担当させたプログラマは百戦錬磨の経験を持つ人物だったが、ともかくアップルのドキュメントに出来ないとされていることを実現するすべを見出したのだから見事だったが私より喜んだのはA社の担当者たちだった。
まあ、検証だけで逃げていたら後の苦労はしなくて済んだのかも知れないが(笑)、この件で我々はA社の信頼を勝ち取り本来なら孫請けとかひ孫請けになっても当然な大口開発契約がそれもダイレクトに実現したのである。
それにしても当初の予定ではMac OS 8.6/9.1をターゲットにした開発とMac OS X版との両方の開発を請け負うことになっており、我々の算出した概算見積額は数千万を超えるものとなったほどのビジネスだった。
その後の経緯をダラダラとご紹介するのも気がひけるので止めるが、事は簡単に運ばなかった。
最大の危機は肝心のプログラマが途中で「独立したいので○月に退職する」と言い出し相談の余地もなく同年秋口に辞めたことだ。
いや...退職する自由は当然だとしても、会社が直面している業務を担当しながら事前の相談なくいきなり「辞めたい」と言いだしたスタッフには絶望したが、例え引き留めたところでこの種の話しは1度表に出れば本人はもとより私の気持ちも元の鞘に収まることはない事を経験上知っていたから当てにしないことに決めた。留保したところでいつまた同じ事になるやも知れず信用できない...。このことはピンチには違いなかったが、幸いそれまで縁あって信頼がおける外部プログラマとつなぎを作っておいたこともあり彼ら2人と契約して難局を乗り越えることになった。
またA社の窓口および担当者たちは当該業務そのものがそもそも難しい仕事だと理解し我々に真摯に対応してくれたがその上司はβ版納入時のミーティングにぼさぼさの頭、ネクタイゆるゆるで登場しアクビをしながら「この仕様では物品受領書にサインはできない」と言いはじめた...。
ただし無理なことは事前に無理だと告知し、担当者たちが納得した仕様の開発をやってきたわけでこちらに契約上の落ち度はないのである。しかしその上司は大企業の看板を傘に横柄な態度に出る典型的な奴でこちらが紳士然としているほど無礼な物言いをする。椅子から滑り落ちるのではないかと思うほどふんぞり返って人の話を聞くタイプなのだ。
ともかくその納品は最終納品ではなく中間点だったが無論納品が出来なければ支払いも受けられないわけでそれは大いに困る...。そして契約プログラマの方たちにも約束通りの支払いができなくなるではないか。これまたピンチであった...。
まあ、私は自分で言うのも僭越だが仕事上...特に外部に対して大声など出したことはなくいつもは穏和な対応を心がけてきた。しかしそんな理不尽な奴にびびるほど柔な人生を送ってきたわけではない(笑)。ここでどう振る舞ったら相手に勝てるかを一瞬で計算した...。
ちなみにその打ち合わせをしていた場所は個室ではなく広大なオフィスの脇にあるミーティングテーブルだったから、それを意識した私はわざと強くテーブルを「バシッ!」と叩き、オフィスの周りにいる人たちの視線が「何事か?」とこちらに集まるのを確認しつつ「話しが違いますね。大企業だからそんな対応しても許されると思っているんですか? 何なら全部白紙に戻しましょうか?」と大声で啖呵を切った。
こうした奴らは弱い者には強く出るが周りの目を気にするものと相場は決まっている。案の定彼はそれまで反っくり返っていた姿勢を正し、無言で納品の書類にサインした。
例えしぶしぶであろうと正式なサインをもらえばこっちのものだが(笑)、帰り際エレベータを待っているとき同席してくれた外部プログラマが「さすがですね...」と言ってくれた。
結局A社との契約はその後も一段落するまで続いた。この開発はA社にとって前記したように失敗という不名誉なスタートを経験しただけにどこの開発会社でもできることではないことはA社自身が身にしみていたからだろう。それは当然のことながら会社の売り上げに貢献したものの、大いに時間を取られる気むずかしい仕事であった。
例えばA社の札幌営業所にまで出向いて問題点の洗い出しと処理方法の打ち合わせを続けたことを昨日のことのように思い出す。
ホテルに戻ってからも細かく記された改良点に関してどのように対応すべきかを夜遅くまで考えた。

無論仕事に絡み様々な思い出もできた...。待合室というよりホールといってよいほど広大なスペースは我々の会社の数倍の広さがあり、あらためてA社の巨大さを痛感したし、複数箇所との電話会議のために専用機器をセットアップしたものの通信会社にもかかわらず上手く動作しなかったこと(笑)、マニュアルをPowerPointで作れという指示に従ったがMacintosh版とWindows版の違いに苦労したことなどなどだ。
良し悪しはともかく強烈な体験をしたからだろう、当該ビジネスが無事完了後もA社の担当者たちと打ち合わせをしている夢をよく見たものだ。
というわけで確かに気苦労は大きかったが救われたのは心を許せる友人をはじめ外部にお願いした契約プログラマの方々が誠実に努力してくれたこと、そして当初からA社の窓口となってくれたM氏が紳士でその難しい仕事を理解し随分と仲立ちとなって助けてくれたために無事役割を果たすことが出来た。
友人知人たちの動向を見ているとこの業界はいまでもまともな契約書や覚書の取り交わしなしで仕事の依頼や請負をしているケースが多いらしい。あるいは大企業から提示された契約書にそのままサインしているというケースも多い。しかし14年間の業務の中で私たちが大きなトラブルに巻き込まれなかったのは超マイクロ企業とはいえ、可能な限り対等の立場を主張してきちんと契約書を取り交わしていたことが根底にあったと考えている。
そして何よりも目先の受注に意識が先行し、為に言いたいこともいえずに結局不本意な結果にならぬよう、どのような相手に対しても正攻法で対峙したいものである。
私の会社は1989年にMacintosh専門のアプリケーション開発を生業とする目的で生まれた。仕事は大別してオリジナルアプリケーションの開発と他社からの依頼による特注開発の2つで成り立っていた。
今回の話しは私の会社の歴史にとって後半最後の光を放つ出来事であったと同時に超大企業との実務的な駆け引きで苦悩した忘れようにも忘れ得ないビジネスとなったのである。
2001年春のある日、アップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当から電話をいただいた。
聞けば超大手通信関連企業からの依頼だということで、Mac版アプリケーション開発の相談に乗ってもらいたいとのことだった。無論我々はそれが仕事だし相手の会社は本来なら私たちのような超マイクロ企業と直接取引などするはずもない誰もが知っている大企業だったし相手に不足はなかった。そして近年不景気も関係してか特注開発の話しが少なくなっていた時期なのでそうした話しは願ってもない事だった。
ただし直接担当の方にお会いして話しを聞いてみると事は簡単ではなかった。なぜ私の会社に話しが回ってきたのか、それは些か特殊で複雑な事情があった。
その超大手企業(以後A社)の話しによればその小1年前にインターネット接続に関係するMac版アプリケーション開発をとある国内の企業に依頼したものの結果として開発に失敗したとのこと...。そのツールのWindows版は広く配布されていたからその名をいえばインターネットを使っていたほとんどのパソコンユーザーは膝を叩くに違いない...。

※超大手通信関連企業へ納品した成果物としてのCD-R (実物のバックアップ)
技術的な詳しいことはあえて伏せるが、A社が求めていた核となる機能はAppleの技術解説書にはっきりと「サポートしていない」と明記されていたのだ。しかし詳しい事情は不明だがそうしたことを知らずに、あるいは何とかなると思って開発を進めたのかはともかくその開発会社は目的を達成できずにバンザイしてしまったとのこと。
苦慮したA社はアップルジャパンに泣きつき、アップルジャパンは数社に打診したものの断られ、私の会社ならもしかしたら何とかできるのではないかと紹介の労を取ったという。
要はアップルの技術解説書にサポートしていないと明記されていることを実現しなければならないのだ(笑)。なぜそうしたアプリを作らなければならないのか...それは公に配布するインターネット関連アプリケーションは大企業の使命としてWindows版と共に同様な機能・仕様を持つMacintosh版も用意しなければならなかったからだ。しかし良く比較される両者は当然のことながらまったく違うOSであり、対応するブラウザも機能面や性能面で良い悪いはともかく相容れない部分を持っている。
これが失礼ながらどこかのベンチャー企業からの依頼だったら私は即断っていただろう。苦労することは目に見えていたこともあるが、相手がA社だったからこそ「なにかトリッキーな方法で解決できないものか」という熱意が生まれた。しかし闇雲に開発を開始したところで無理なことは無理に違いない。
話しを詰めていくうち、私はひとつの提案をしてみることに…。
そのひとつは失敗したというアプリケーションのソースリスト開示の依頼、2つ目は問題のルーチンの解決策があるやなしやを模索する件を有料で請け負うということだった。
ソースリストの開示はともかく、開発の可・不可を検証することを有料で請け負うという発想はあまり受けの良い提案ではない(笑)。ただし、本来この種の業務はどのようなものであっても人的リソースとまとまった時間を必要とするわけで簡単にいえばコストがかかるわけだ。しかし今でもそうかも知れないが期間限定の検証を有料で請け負うなどという提案を簡単にOKする業界ではない(笑)。ましてやあくまで検証だからして、問題の解決に至らない可能性も高いわけで、例えば二週間経って「やはり出来ませんでした」しかし「請求書は送ります」というのではこちらは当然の要求でもクライアント側は社内稟議を通すのが難しいに違いない。
それは分かっているが我々も不可能なのか、あるいは何かトリッキーな工夫で問題を解決できる可能性があるかは正直ある程度の時間をかけてやってみなければ分からないのだ。そしてそれを無償で請け合う義理もないし余裕もない...。だからこその提案であった。
結局A社は私の要求を受け入れた。それは想像するに予算の問題以前にかなりの期間が経っても解決しない問題に早くケリをつけたかったに違いないし、出来る限り開発の可能性を探ってみたいという切羽詰まった判断だったと思う。
私自身は検証だけで話しが終わっても仕方がないと考えていた。ともかく開発担当のプログラマに先方から開示されたソースリストを渡し、不可能だろうと言われている問題のルーチンを理解した上で何らかの方法・手法がないかを探るよう指示した。
しかしビジネスとは面白いもので、運命は我々を検証だけに終わらせなかった。なぜなら担当プログラマが少々トリッキーな方法ではあったが問題箇所を何とかする糸口を見出したのである。
もともと当該業務を担当させたプログラマは百戦錬磨の経験を持つ人物だったが、ともかくアップルのドキュメントに出来ないとされていることを実現するすべを見出したのだから見事だったが私より喜んだのはA社の担当者たちだった。
まあ、検証だけで逃げていたら後の苦労はしなくて済んだのかも知れないが(笑)、この件で我々はA社の信頼を勝ち取り本来なら孫請けとかひ孫請けになっても当然な大口開発契約がそれもダイレクトに実現したのである。
それにしても当初の予定ではMac OS 8.6/9.1をターゲットにした開発とMac OS X版との両方の開発を請け負うことになっており、我々の算出した概算見積額は数千万を超えるものとなったほどのビジネスだった。
その後の経緯をダラダラとご紹介するのも気がひけるので止めるが、事は簡単に運ばなかった。
最大の危機は肝心のプログラマが途中で「独立したいので○月に退職する」と言い出し相談の余地もなく同年秋口に辞めたことだ。
いや...退職する自由は当然だとしても、会社が直面している業務を担当しながら事前の相談なくいきなり「辞めたい」と言いだしたスタッフには絶望したが、例え引き留めたところでこの種の話しは1度表に出れば本人はもとより私の気持ちも元の鞘に収まることはない事を経験上知っていたから当てにしないことに決めた。留保したところでいつまた同じ事になるやも知れず信用できない...。このことはピンチには違いなかったが、幸いそれまで縁あって信頼がおける外部プログラマとつなぎを作っておいたこともあり彼ら2人と契約して難局を乗り越えることになった。
またA社の窓口および担当者たちは当該業務そのものがそもそも難しい仕事だと理解し我々に真摯に対応してくれたがその上司はβ版納入時のミーティングにぼさぼさの頭、ネクタイゆるゆるで登場しアクビをしながら「この仕様では物品受領書にサインはできない」と言いはじめた...。
ただし無理なことは事前に無理だと告知し、担当者たちが納得した仕様の開発をやってきたわけでこちらに契約上の落ち度はないのである。しかしその上司は大企業の看板を傘に横柄な態度に出る典型的な奴でこちらが紳士然としているほど無礼な物言いをする。椅子から滑り落ちるのではないかと思うほどふんぞり返って人の話を聞くタイプなのだ。
ともかくその納品は最終納品ではなく中間点だったが無論納品が出来なければ支払いも受けられないわけでそれは大いに困る...。そして契約プログラマの方たちにも約束通りの支払いができなくなるではないか。これまたピンチであった...。
まあ、私は自分で言うのも僭越だが仕事上...特に外部に対して大声など出したことはなくいつもは穏和な対応を心がけてきた。しかしそんな理不尽な奴にびびるほど柔な人生を送ってきたわけではない(笑)。ここでどう振る舞ったら相手に勝てるかを一瞬で計算した...。
ちなみにその打ち合わせをしていた場所は個室ではなく広大なオフィスの脇にあるミーティングテーブルだったから、それを意識した私はわざと強くテーブルを「バシッ!」と叩き、オフィスの周りにいる人たちの視線が「何事か?」とこちらに集まるのを確認しつつ「話しが違いますね。大企業だからそんな対応しても許されると思っているんですか? 何なら全部白紙に戻しましょうか?」と大声で啖呵を切った。
こうした奴らは弱い者には強く出るが周りの目を気にするものと相場は決まっている。案の定彼はそれまで反っくり返っていた姿勢を正し、無言で納品の書類にサインした。
例えしぶしぶであろうと正式なサインをもらえばこっちのものだが(笑)、帰り際エレベータを待っているとき同席してくれた外部プログラマが「さすがですね...」と言ってくれた。
結局A社との契約はその後も一段落するまで続いた。この開発はA社にとって前記したように失敗という不名誉なスタートを経験しただけにどこの開発会社でもできることではないことはA社自身が身にしみていたからだろう。それは当然のことながら会社の売り上げに貢献したものの、大いに時間を取られる気むずかしい仕事であった。
例えばA社の札幌営業所にまで出向いて問題点の洗い出しと処理方法の打ち合わせを続けたことを昨日のことのように思い出す。
ホテルに戻ってからも細かく記された改良点に関してどのように対応すべきかを夜遅くまで考えた。

無論仕事に絡み様々な思い出もできた...。待合室というよりホールといってよいほど広大なスペースは我々の会社の数倍の広さがあり、あらためてA社の巨大さを痛感したし、複数箇所との電話会議のために専用機器をセットアップしたものの通信会社にもかかわらず上手く動作しなかったこと(笑)、マニュアルをPowerPointで作れという指示に従ったがMacintosh版とWindows版の違いに苦労したことなどなどだ。
良し悪しはともかく強烈な体験をしたからだろう、当該ビジネスが無事完了後もA社の担当者たちと打ち合わせをしている夢をよく見たものだ。
というわけで確かに気苦労は大きかったが救われたのは心を許せる友人をはじめ外部にお願いした契約プログラマの方々が誠実に努力してくれたこと、そして当初からA社の窓口となってくれたM氏が紳士でその難しい仕事を理解し随分と仲立ちとなって助けてくれたために無事役割を果たすことが出来た。
友人知人たちの動向を見ているとこの業界はいまでもまともな契約書や覚書の取り交わしなしで仕事の依頼や請負をしているケースが多いらしい。あるいは大企業から提示された契約書にそのままサインしているというケースも多い。しかし14年間の業務の中で私たちが大きなトラブルに巻き込まれなかったのは超マイクロ企業とはいえ、可能な限り対等の立場を主張してきちんと契約書を取り交わしていたことが根底にあったと考えている。
そして何よりも目先の受注に意識が先行し、為に言いたいこともいえずに結局不本意な結果にならぬよう、どのような相手に対しても正攻法で対峙したいものである。
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