スーザン・ケアのサイン入り、Macオリジナル・アイコン版画入手
筋金入りのMacユーザー、Appleフリークならスーザン・ケア (Susan Kare) 女史の名前を知らないはずはない。彼女が1983年にデザインしたオリジナル・アイコンはいまでも我々の目に触れているものがある...。そのスーザン・ケア直筆サイン入りのMacアイコンプリント作品が販売されているのを知り早速オーダーした次第。
スーザン・ケアはニューヨークで生まれたグラフィック・デザイナーであり1983年1月にスティーブ・ジョブズ率いるMacチームで仕事を始めた。そしてMacintoshで使われている多くのアイコンやフォントはもとよりオリジナルなマーケティング資料などをデザインしたことで知られている。


※購入したスーザン・ケア直筆サイン入りのアイコンプリント(上)とスーザン・ケア女史(下)
例を挙げれば、Macintosh起動時に表示したハッピーマック、調子が悪い時のサッドマック、システムエラー発生時の爆弾マーク、ゴミ箱、時計アイコンなどはもとよりMacintosh 128KのコントロールパネルやMacPaintのサンプル画の多くも彼女の作品である。さらにCairo Fontをはじめ当時のGenevaやCicagoといったビットマップフォントのデザインを手がけたのもスーザン・ケアだった。

※この初代コントロールパネルもスーザン・ケアがデザインしたもの
したがって彼女はユーザーが最初に「これがMacだ」と感じるシステム全体のイメージや個性を生み出したデザイナーだといえよう。
スーザンの影響はMac OS Xの時代になった現在でも決して無縁ではない。その代表的なものは「コマンドアイコン」だ。
Apple純正キーボードの”command”キーにも刻印されている花びらのようなアイコンがそれだが、これもまたスーザン・ケアがジョブズらMacチームの要請に従い国際シンボル辞典にあったスウェーデンの地図に採用されている記号をビットマップ化した結果なのである。


※MacPaintマニュアルにもある東洋の女性像や本マニュアル内の多くのイラストレーションもスーザン・ケアが手がけた
そもそもコンピュータに疎かった彼女だがスティーブ・ジョブズに気に入れられてMacチームで働くことになった。どうやら彼女をスティーブ・ジョブズに紹介したのはアンディ・ハーツフェルドだったようである。
アンディ・ハーツフェルドの著書「REVOLUTION in The VALLEY」によればスーザンはアンディの高校時代の友人と書かれている。そして前記したように後に多くの魅力的なアイコンを生み出すスーザン・ケアのためにアイコンエディタを開発したのがアンディ・ハーツフェルドだった...。
スーザンはジョブズに請われてファインダー関連のアイコンを作り始めたが、ある日スティーブ・ジョブズの肖像を作った。
当時のアイコンは32×32ドットの白黒だったから全部で1024ドットという大きな制約があった。しかし誰が見てもジョブズだと分かるそのアイコンを見てジョブズ本人も気に入ったという。
その後、ビル・アトキンソンをはじめスーザンに自分の肖像をアイコン化してもらうのがMacチームスタッフ達のステータスとなったが、ビル・アトキンソンのアイコンは実際にMacPaintのアバウトに使われた。
スーザン・ケアは1985年秋にAppleを退社し、スティーブ・ジョブズが設立したNeXT社最初の従業員の一人となったが1988年以降は独立した活動を続け、その後もマイクロソフト社やIBM社のためにアイコンやエレメントデザインを手がけている。なお現在は知らないが、かつては彼女の作品をモチーフにしたミュージアムグッズがニューヨーク近代美術館などで売られていた...。

※スーザン・ケアのアイコンは1997年頃までApple本社脇にオブジェとして飾られていた(筆者撮影)
というわけで古参のMacユーザーにとってスーザン・ケアは決して無視できない人物であると同時に私にとっては尊敬に値するアーチストなのだ。
ある意味、彼女が生み出したハッピーマックや時計アイコン、あるいは手のひらアイコンは6色リンゴに匹敵するインパクトを持って当時からユーザーの心を捉え続けたのである。
何故ならMacintosh 128Kを前にした当時のユーザーにとってMacintoshのシンボルは...といえばアップルロゴではなくハッピーマックだったといえるほど起動時に表示するハッピーマックはMacintoshそのものだった。
したがってそのスーザン・ケア直筆のサインがある限定アイコンプリントの販売は私にとって是非にも手に入れたいアイテムでもあった。
このアイコンプリントは販売サイト ( www.kareprints.com )にてその全容を確認できるが、爆弾マークやゴミ箱そしてサッドマックなどなどMac OS時代にはお馴染みのものが背景色のバリエーションを含み14種類とそれぞれサイズが4種用意されている。
この度の注文時にはどれにしようかと迷ったが、初代Macはモノクロだったこと、そして異論があるかも知れないが前記のとおり私にとってはやはりハッピーマックがMacintoshのシンボルとであることから「SMILING COMPUTER ON GLAY」を選び、サイズは一番小さなものにした。そしてこれは限定200枚の販売だそうである...。

※スーザン・ケアの作品を販売するサイト
スーザン・ケアはMacintosh誕生にとって関して忘れてはならない人物であることは間違いない。
現在のAppleで “デザイナー” というとどうしてもジョナサン・アイブといった人物が注目されインダストリアルデザインあるいはプロダクトデザインが重視されるが、スーザン・ケアの仕事こそMacをMacたらしめ、マシンに命を吹き込み、単なる四角いコンピュータをあたかも意志を持っているかのように思わせるに至らせた重要なものだったのだ。
ともかく早急にイメージにピッタリのマット付きの額を探して飾ってみたいと考えている。
【追伸】その後、ちょうど良い額を見つけたので早速額装して研究室の壁に飾っている。


※これまでApple社の株券を飾っていた額がイメージにピッタリだったので使うことにした!
スーザン・ケアはニューヨークで生まれたグラフィック・デザイナーであり1983年1月にスティーブ・ジョブズ率いるMacチームで仕事を始めた。そしてMacintoshで使われている多くのアイコンやフォントはもとよりオリジナルなマーケティング資料などをデザインしたことで知られている。


※購入したスーザン・ケア直筆サイン入りのアイコンプリント(上)とスーザン・ケア女史(下)
例を挙げれば、Macintosh起動時に表示したハッピーマック、調子が悪い時のサッドマック、システムエラー発生時の爆弾マーク、ゴミ箱、時計アイコンなどはもとよりMacintosh 128KのコントロールパネルやMacPaintのサンプル画の多くも彼女の作品である。さらにCairo Fontをはじめ当時のGenevaやCicagoといったビットマップフォントのデザインを手がけたのもスーザン・ケアだった。

※この初代コントロールパネルもスーザン・ケアがデザインしたもの
したがって彼女はユーザーが最初に「これがMacだ」と感じるシステム全体のイメージや個性を生み出したデザイナーだといえよう。
スーザンの影響はMac OS Xの時代になった現在でも決して無縁ではない。その代表的なものは「コマンドアイコン」だ。
Apple純正キーボードの”command”キーにも刻印されている花びらのようなアイコンがそれだが、これもまたスーザン・ケアがジョブズらMacチームの要請に従い国際シンボル辞典にあったスウェーデンの地図に採用されている記号をビットマップ化した結果なのである。


※MacPaintマニュアルにもある東洋の女性像や本マニュアル内の多くのイラストレーションもスーザン・ケアが手がけた
そもそもコンピュータに疎かった彼女だがスティーブ・ジョブズに気に入れられてMacチームで働くことになった。どうやら彼女をスティーブ・ジョブズに紹介したのはアンディ・ハーツフェルドだったようである。
アンディ・ハーツフェルドの著書「REVOLUTION in The VALLEY」によればスーザンはアンディの高校時代の友人と書かれている。そして前記したように後に多くの魅力的なアイコンを生み出すスーザン・ケアのためにアイコンエディタを開発したのがアンディ・ハーツフェルドだった...。
スーザンはジョブズに請われてファインダー関連のアイコンを作り始めたが、ある日スティーブ・ジョブズの肖像を作った。
当時のアイコンは32×32ドットの白黒だったから全部で1024ドットという大きな制約があった。しかし誰が見てもジョブズだと分かるそのアイコンを見てジョブズ本人も気に入ったという。
その後、ビル・アトキンソンをはじめスーザンに自分の肖像をアイコン化してもらうのがMacチームスタッフ達のステータスとなったが、ビル・アトキンソンのアイコンは実際にMacPaintのアバウトに使われた。
スーザン・ケアは1985年秋にAppleを退社し、スティーブ・ジョブズが設立したNeXT社最初の従業員の一人となったが1988年以降は独立した活動を続け、その後もマイクロソフト社やIBM社のためにアイコンやエレメントデザインを手がけている。なお現在は知らないが、かつては彼女の作品をモチーフにしたミュージアムグッズがニューヨーク近代美術館などで売られていた...。

※スーザン・ケアのアイコンは1997年頃までApple本社脇にオブジェとして飾られていた(筆者撮影)
というわけで古参のMacユーザーにとってスーザン・ケアは決して無視できない人物であると同時に私にとっては尊敬に値するアーチストなのだ。
ある意味、彼女が生み出したハッピーマックや時計アイコン、あるいは手のひらアイコンは6色リンゴに匹敵するインパクトを持って当時からユーザーの心を捉え続けたのである。
何故ならMacintosh 128Kを前にした当時のユーザーにとってMacintoshのシンボルは...といえばアップルロゴではなくハッピーマックだったといえるほど起動時に表示するハッピーマックはMacintoshそのものだった。
したがってそのスーザン・ケア直筆のサインがある限定アイコンプリントの販売は私にとって是非にも手に入れたいアイテムでもあった。
このアイコンプリントは販売サイト ( www.kareprints.com )にてその全容を確認できるが、爆弾マークやゴミ箱そしてサッドマックなどなどMac OS時代にはお馴染みのものが背景色のバリエーションを含み14種類とそれぞれサイズが4種用意されている。
この度の注文時にはどれにしようかと迷ったが、初代Macはモノクロだったこと、そして異論があるかも知れないが前記のとおり私にとってはやはりハッピーマックがMacintoshのシンボルとであることから「SMILING COMPUTER ON GLAY」を選び、サイズは一番小さなものにした。そしてこれは限定200枚の販売だそうである...。

※スーザン・ケアの作品を販売するサイト
スーザン・ケアはMacintosh誕生にとって関して忘れてはならない人物であることは間違いない。
現在のAppleで “デザイナー” というとどうしてもジョナサン・アイブといった人物が注目されインダストリアルデザインあるいはプロダクトデザインが重視されるが、スーザン・ケアの仕事こそMacをMacたらしめ、マシンに命を吹き込み、単なる四角いコンピュータをあたかも意志を持っているかのように思わせるに至らせた重要なものだったのだ。
ともかく早急にイメージにピッタリのマット付きの額を探して飾ってみたいと考えている。
【追伸】その後、ちょうど良い額を見つけたので早速額装して研究室の壁に飾っている。


※これまでApple社の株券を飾っていた額がイメージにピッタリだったので使うことにした!
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