「ジョブズ伝説」著者、高木利弘氏独占インタビュー(前編)
新刊「ジョブズ伝説」の筆者であるメディアプロデューサーでMACLIFE誌編集長だった高木利弘さんへの独占インタービューを2回にわけてお届けする。本インタビューはこの11月27日(日曜日)に FaceTime を使って行われたものだが、高木さんのお話しはスティーブ・ジョブズ論に留まらず、低迷・迷走する日本企業への熱い応援歌にもなっている...。
松田 今日はよろしくお願いします。10ほどご質問したい項目を用意させていただきましたので宜しくお願いします。
高木 こちらこそ。
松田 早速ですが、前書の「ムック「The History of Jobs & Apple」も好評だと伺っていますが、ムックを出されてあまり間隔がなく今度の新刊「ジョブズ伝説」を出されたのでさぞやスケジュール的にきついお仕事だったのではと拝察してましたが、本書執筆のきっかけ、動機はどのようなことだったのでしょうか?

※高木利弘著の新刊「ジョブズ伝説」(三五館刊)
高木 はい。ムック「The History of Jobs & Apple」はジョブズがCEOを辞任する直前、一週間前に出版することができました。実は、もっと早く出す予定だったのですが、3月11日に東日本大震災が起きたことで発刊が遅れ、8月に出すことになったのです。偶然に違いないのですが、何か運命的なものを感じます。
松田 あっ、そうなんですか。
高木 8月19日に発刊して、8月25日にその慰労会をやろうということになっていたのです。その慰労会当日に、ジョブズCEO辞任のニュースが飛び込んで来たのです。ショックですよね…。
松田 はい。
高木 間に合って良かったと思う反面、いよいよその時が来たと思いました。そして、自分なりのジョブズ論を書きたいという気持ちが沸いてきたのです。「The History of Jobs & Apple」は、できるだけ忠実にジョブズとアップルの歴史を記録するといった目的で作ったものです。文章も、私が書いたのは、冒頭の「世界を変えた波瀾万丈の物語」と、あといくつかのコラムだけで、あとは松田さんにも書いていただきましたし、大谷和利さん、松木英一さんなどに書いていただきました。どちらかというと、「MACLIFE」のときと同じように、私は編集者という立場で作ったのですね。でも、いよいよジョブズの死が時間の問題であると分かったら、ジョブズの歴史的貢献とは何であったのか、私なりの考えをきちんとまとめて、皆さんにお伝えしたい。そういう気持ちが強くなったのです。
アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』は、もともと2012年春に刊行予定だったのですね。それが2011年11月に早まりました。これは何かある、ジョブズの健康状態が相当悪化しているのだろうと思いました。
松田 2度ですか、前倒しになりましたね。
高木 はい。結果的にそうなりました。もともと11月21日に発刊予定だったのですが、ジョブズが10月5日に亡くなって、[1]が10月24日、[2]が11月1日に早まったのです。
松田 はい。
高木 実は『ジョブズ伝説』は、このアイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』刊行に合わせようと、11月21日に刊行したのです。
松田 なるほど。
高木 それが、先方が早まってしまって、同時刊行はならなかったのですが、結果的にそれがプラスとなりました。おかげで、『スティーブ・ジョブズ』を校了まぎわに読むことができたのです。
松田 読めたと…。
高木 読めたんです。これにも運命的なものを感じます。もし、同時刊行していたとしたら、『スティーブ・ジョブズ』でジョブズが語っていることを、『ジョブズ伝説』に盛り込むことはできませんでした。それを盛り込むことができたわけです。私は、『ジョブズ伝説』を書くために20冊くらいのジョブズ関連本を読み、何が真実か、事実経過はどうなっているかを考察しました。しかし、ジョブズ本人の語っていることは、『スティーブ・ジョブズ』が出るまで分かりませんから、結果的に、それも含めて全部に目を通し、批評することができたのです。とはいえ、大変でしたけれどもね。発刊された日に、付箋を付けながら一日で全部読みました。そして翌日、付箋を付けた中から特に重要と思われる箇所を『ジョブズ伝説』に引用し、本文を修正しました。[1]、[2]それぞれについてです。大変な作業でしたが、やれてよかったと本当に思います。

※「ジョブズ伝説」著者、高木利弘さん(書斎にて)
松田 当サイトにも「ジョブズ伝説の」簡単な書評を書かせていただきましたが、結果として「ジョブズ伝説」としてはタイミングとして良かったということですよね。アイザックソン著の「スティーブ・ジョブズ」を含めて必要な資料を全部総括して、高木さんなりの良いとこ取りができたわけで(笑)。で、本書を手にとっていただければ昨今の「ジョブズって誰、どんなことをした人なの?」という疑問に答えてくれるわけですよね。
ですから「ジョブズ伝説は」現時点でのジョブズ像の全体を描けているんではないかと…。
高木 ありがとうございます。私もそう受け取っていただけるとすごく嬉しくて…
松田 ジョブズの話題も…私のサイトも含め、インターネットではご承知のように膨大な情報が飛び交ってますけど、やっぱりどうしても一過性で後々まとめて読んだり残したりが難しいですから、書籍という形で残すというのは重要ですよね。
高木 まあ、何だかんだといいながら、紙だなと…(笑)
松田 本書執筆の動機と重なるのかも知れませんが、高木さんにとってのスティーブ・ジョブズという人物はどのような対象なんでしょうかねぇ。
高木 (苦笑)そうですね。私は1986年に、当時日本で最初にパソコン通信を始めた「PCワールド」編集長の魚岸さんという人にインタビューをしたのですね。普通に取材をしただけなのです。そうしたら、その魚岸さんから電話がかかってきて、「これからMacintoshというパーソナルコンピュータが正式に日本語化され、発売される。ついては、「Macワールド日本語版」の編集長を探していた。その編集長は君しかいない」というくどかれ方をしたのです。Macintoshのことは何かのコンピュータ・フェアで見て知っていましたが、じっくり触ってみたのはそのときが初めてでした。そして、運命的な出会いを感じたのですね。「自分が探していたのはこれだ」と。
松田 はい。
高木 私は、ジョブズより前にまずMacintoshに出会っていたわけです。クパチーノに行ったときも、出迎えてくれたのはジョン・スカリーですから、ジョブズは、ある意味で過去の人というか、今はNeXTをやっている人という位置づけだったですけど。ただ何故、自分がMacintoshに惹かれるのか、何故、Macintoshには愛着が沸くのか、そして、どうしてこんなに凄いことができるのか、といったことをずうっと考えていたわけですね。ところが、1994年ころには、アップルの経営状態が悪くなり、この先どうなるんだという感じになりました。そのころ、たまさか1987年に「MACLIFE」を創刊したとき、創刊号でインタビューをしたジェームズ比嘉がNeXTジャパンの社長になっていることを知りました。そこで、ダメもとでジェームズ比嘉に会いにゆき、ジョブズにインタビューをしたいと申し込みました。ジョブズは、マスコミ嫌いで有名でしたし、まして、自分を追い出したアップルに味方するMacintosh専門誌のインタビューなど応じるはずがないというように思われていた時期です。でも、 OKが出たのですね。そこで私は、当時レッドウッドシティにあったNeXT本社に行って、ジョブズにインタビューをしたのです。阿吽の呼吸というか、当時のジョブズにも、アップルに復帰したいという思いがあったのでしょうね。
松田 ふーむ。
高木 そういうことも含めて、ジョブズというのは私の人生を変えた人であり、私の人生そのものなわけです。まあ松田さんもそうかも知れませんが...。
松田 確かに(笑)。だけど、ジョブズへのインタビューの話しも以前ちらとお聞きしたはずですが、インタビュー自体ジョブズは相変わらずの不機嫌な対応の仕方だったと…ほのぼとしたインタビューではなかったと。

※Macテクノロジー研究所主宰 松田純一 (書斎にて)
高木 そうですねぇ。いきなりカメラのシャッター音が五月蠅いと始まりまして…。いゃあ、本物だ…と(笑)。ただここで怖じ気づいたら負けだと、インタビューはなし、ということになりかねませんから、堂々と、用意していた質問をぶつけました。おかげさまで、こいつはよくNeXTのことをよく分かっていると評価してくれたんでしょう。これがもし、ジョブズの嫌いな、どうでもいい質問だったら大変です。『スティーブ・ジョブズ』にも、そうしたエピソードが載っていますよね。
松田 はい。
高木 ま、ということですごく話しには乗ってくれました。ただ、今から思うと、残念なのは一緒に記念写真が撮れなかったことですね(笑)。もうカメラはダメという雰囲気でしたから。
松田 ツーショットを撮りたいですよね。
高木 そうそう(笑)。本当は撮りたかったんですが…。後に広報の人に「これでも、最近は家族ができて、昔と比べれば穏やかになった」と言われました。
松田 丸くなったんだと(笑)
高木 そう。では昔はどんなに凄かったんだろうと(笑)…思いましたけどね。ですから、もしジョブズが自分の上司だったりしたら、大変だったでしょうね。ただ、彼は大変な情熱を持って自分のビジョンを実現しようとしているのは伝わってきましたね。そして、その時点ではわからなかったですけどNeXT StepがAppleを救うわけですよね。
松田 はい。
高木 ジョブズは、コンピュータという20世紀最大の発明を、すべての人々にもたらしました。それがMacintoshであり、iPhone、iPadなわけです。iPadは、2歳の子供から100歳のお年寄りまで、本当の意味で「誰でも使えるコンピュータ」ですよね。それが、まず偉大だと思います。もしジョブズがいなかったらどんなに寂しい世界だったかと(笑)。
松田 確かに(笑)。
高木 IBM-PCとかWindowsマシンというのは、単なる「機械」なのですね。それが100%支配している世界というのは嫌ですよね(苦笑)。
松田 ジョブズはすでに伝説の人なわけですが、まさしく私も高木さんもそうですが、僭越ながらジョブズと同じ業界の中で時折接点を持ちながらも同じ時代を一緒に過ごせてきたという事実は凄いことですよね。
高木 まあ、ですからそれは凄くラッキーだと思いますよ。そのまさに革命ですよね、その目撃者になれたというか、少しなりともその革命に関われたということはなにものにも代え難いものですね。
松田 そういうジョブズに対する大きな思いが本書の動機付けにもなるのでしょうが、繰り返しますが高木さんが「ジョブズ伝説」という一冊に込めた思いとは何でしょうか。
高木 Macintoshをはじめ、アップル製品には非常に大きな魅力がありますよね。見た目にも美しいし、使い始めると、愛着が沸いてきて、手放せなくなる。
松田 はい。
高木 で、それは何故かということが分かったのです。要するにジョブズは、コンピュータという「機械」に「命を吹き込んだ」ということなのです。「魂の入った製品」、そこに魅力があるわけです。Windowsにはそれが無いわけですよ。単なる「機械」に過ぎない。
松田 はい。
高木 そして、このコンピュータは単なる「機械」に過ぎないという考え方が圧倒的多数なわけです。コンピュータは「道具」に過ぎない。だから、別にコンピュータと会話をしたいとは思わないし、ただ単に仕事の効率が上がればいい。そうした考え方が圧倒的多数なんですね。しかし、ジョブズは違った。コンピュータに命を吹き込もうとしたわけです。ただ、Macintoshがそうでしたが、常にマイナーであり、いつ消滅してもおかしくなかったですよね。
松田 我々がMacintoshに関わった頃は、なぜこんなに高価でオモチャみたいなものを好むのかと随分言われましたものね…
高木 ですから一部では宗教と言われたり、これは仕事には使えませんよと。ずっと言われてきましたよね。
松田 そうでした…。
高木 マイナーな存在であり、一部の熱狂的なファンがいるものの、主流はWindowsである。と、そうなっちゃいましたよね。とりわけ、Windows 95以降は。で、それで終わってもおかしくなかったわけですが、そうはならなかった。ジョブズの人生というのは、本当にドラマチックですよね。「小説よりも奇なり」という言葉がぴったりです。
松田 まさに(笑)。
高木 ジョブズは、Appleに戻って、製品に命を吹き込むことで、Apple を立て直していった。でも、こうした「魂の入った製品作り」というのは、我々日本人の伝統でもあるわけです。
松田 そのはずだと思うんですがね(笑)。
高木 そうです。それが過去形になってしまうところに問題があるわけですが、日本人というのは、「やおよろずの神」といって、あらゆるものに神が宿っているという感覚を持っていますよね。魂を感じるわけです。魂というのは、英語でいうと「アニマ」です。「アニメ」の語源ですね。何故、日本でマンガ、アニメの文化が花開いたかというと、その背景に「やおよろずの神」があるわけです。製品に魂を込めるといった「ものづくりの伝統」も、そこから生まれました。そして、もうひとつ、禅ですね。あらゆる前提をとっぱらって、ものごとを根本から考えるということ。ジョブズは、こうした日本の「ものづくりの伝統」や禅の精神を、心から尊敬していました。そして、それがジョブズの創造力の源だったのです。ジョブズが日本の美学や禅の精神に学び、我々日本人がそれを忘れてしまっている。何故、最近の日本製品に魅力がないかというと、魂が入っていないからなのです。非常にシンプルなことです。ジョブズは、「トイ・ストーリー」をはじめとするフルCGアニメ映画の傑作を世に送り出したわけですけれども、これもまた象徴的なことなのですね。というのも、ジョブズの人生そのものが、「トイ・ストーリー」だからなのです。
松田 トイ・ストーリー?
高木 そうです。ジョブズは、生まれてすぐ養子に出されます。本当の親に捨てられたわけです。まるでオモチャのように。
松田 うーん…。
高木 養子に出されるというのは、そういうことですよね。
松田 お前はいらない子供だよ…と。
高木 ジョブズは、「自分は捨てられ、拾われた。自分は無価値な存在だ」と、ずうっと思い悩むわけです。何故そこまで思い悩んだのか、その理由が『スティーブ・ジョブズ』を読んでよく分かりました。ジョブズを養子にした育ての親、ジョブズ夫妻はとてもいい人たちだったのですが、常に正直な人たちで、ジョブズが幼少のときから、本当のことを伝えていたのです。普通は隠しますよね。ものごころがつくまで。
松田 オープンだったようですね。
高木 そうなのです。でも不思議なのは、実の両親というのは、ふたりともアメリカ東部にあるウィスコンシン大学の大学院生だったわけです。ですから、子どもを養子に出さずに自分たちで育てていたら、ジョブズはジョブズにならなかった。
松田 うん。
高木 それが、実の父親がシリア人の留学生で、イスラム教徒。実の母親がアメリカ人で、厳格なカトリック教徒の家庭に育ったために、イスラム教徒との結婚を許されなかった。そこで、泣く泣く養子に出すことになったのですが、そうした斡旋をしてくれる医者が東部にはいなかったんでしょうね。そこで、母親はサンフランシスコの医者を訪ねて、西海岸に飛ぶわけです。
松田 …。
高木 なんとなくわかりますよね、西海岸の方が、古いしきたりから自由で、オープンだったということなんでしょうね。
松田 一方で堕胎は当時許されなかった…。
高木 そうです。
松田 ですから選択肢としては生んで養子に出すしかなかったということでしょうね。
高木 当時はまだ避妊薬を使うというのは一般的ではなかったのですが、もし、避妊薬があれば、彼は生まれてこなかった子供だと思うんですよ。
松田 はい。
高木 で、最初は両親ともきちんと大学を出た弁護士夫妻のもとにいくはずだった。ところが、ジョブズが生まれてみると、突然「欲しいのは女の子だ」と言って、断るんですね。そこで、生みの母は焦るわけです。次に電話したのがジョブズ夫妻で、ろくろく確認もせず、「もらっていただけますか」「お願いします」ということになった。ところが、ジョブズ夫妻は大学を出ておらず、母親は高卒、父親は中卒で、いわゆるブルーカラーの人たちだった。そこで、いったん生みの母は、書類にサインするのを拒絶するのですね。
松田 子供を大学に学ばさせるという確約を取って養子縁組を成立させたわけですね。
高木 そうです。ジョブズは捨てられたと思ったわけですが、実は、生みの母は決して捨てたかったわけではなかった…。
松田 はい。
高木 厳格なカトリック教徒であった自分の父親が死んだら、シリア人の夫と結婚しようとしていた。そして、実際にジョブズを養子に出した数週間後にその父親が亡くなるのです。
松田 その年の暮れに結婚して、ジョブズの妹、モナ・シンプソンが生まれ、自分たちで育てるわけです。
高木 数年後には離婚しゃちゃうんですけどね。この辺がアメリカっぽいんですけど。ともかくジョブズは、実の両親の愛情を得ていないわけです。ただ育った場所がシリコンバレーでしたから、コンピュータ少年として育つのにはうってつけだったわけです。そして、ウォズニアックと出会うわけです。
松田 そうですね。
高木 アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」には、どのようにしてジョブズとウォズニアックが出会ったかといったあたりが、かなり省略されています。
松田 はい。
高木 で、ウォズニアックの自伝などにはちゃんと詳しく書いてあるんです。「ジョブズ伝説」には、そういうところを重点的に補足しました。「クリームソーダー・コンピュータ」というのが2人が出会うきっかけなのです。そこのところが、「スティーブ・ジョブズ」には書かれていない。
松田 クリームソーダーを飲みながら友人のビル・フェルナンデスと一緒に作ったからという…。
高木 そのクリームソーダー・コンピュータはApple I の原型なんですよね。
松田 まあ、アイザックソンの著書が現実的にいま一番メジャーな本であり…といった形で捉えられてますしマーケットとしては確かにその通りなんでしょうが、私の印象ではアイザックソンはテクノロジーに強い人物ではなかったようですし当然のことながら限られた誌面の中でどこにフォーカスを合わせるかを考えなければならない。そして著者の得手不得手もあるんでしょうから完璧なものではないはずです。
高木 そうですね。
松田 で、いまジョブズの人生そのものが「トイ・ストーリー」だとお話しがありましたし…もうひとつ高木さんが主張なさっているジョブズは日本の禅から強い影響を受けているという話しですが、確かに「スティーブ・ジョブズ」にも記されてますがアイザックソン自身、禅とか日本のカルチャーをどれほど理解しているかについては疑問です。ですからその点は突っ込み足りない…。反面高木さんの「ジョブズ伝説」はそうした点も上手く補足されているように思うんですが…。
高木 アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」から禅や日本のカルチャーに関して深読みするのは難しいでしょうね。実はこの禅と、ジョブズが中退したリードカレッジのリベラル・アーツというのが繋がっているのです。何故、ジョブズが、スタンフォードと並んでアメリカで最も授業料の高い大学に入りたいと思ったのか、それはリベラル・アーツを学びたかったからなのです。このリベラル・アーツというのを普通日本語に訳すと「教養学部」ということになります。
松田 なるほど。
高木 で「教養学部」といった瞬間に、なんだか分からなくなってしまう(笑)。なんだ、教養じゃないかと。「教養学部」というのが間違いというわけではないが、文系理系関係なく、あらゆる学問を徹底的に究めるというのがリベラル・アーツなのですね。
松田 はい。
高木 リードカレッジは、博士号を取る学生の比率が高いことで有名な大学なのです。それは、優秀な学生が集まっているということでもあるのですが、リベラル・アーツということで、幅広くいろいろな学問を究めるという事が関係していると思うのです。そして、この「リベラル・アーツ」というのは、ジョブズを理解する上で非常に重要なキーワードなのです。ジョブズは、2010年に行なったiPadとiPhone 4の2つのプレゼンテーションで、「テクノロジーとリベラル・アーツの交差点」という表現を使っているのです。
松田 ふ〜む...。

※2010年WWDCのキーノートで「テクノロジーとリベラル・アーツ」に附言するスティーブ・ジョブズ
高木 テクノロジーは、コンピュータを核としたあらゆるテクノロジー。
松田 はい。
高木 そして、ジョブズの言う「リベラル・アーツ」は、「自由な諸芸術」と訳すと、そのニュアンスが伝わってくると思います。つまり、どんな学問であれ芸術的なレベルってあるじゃないですか。芸術の域に達しているという。それを究めるという意味だと思うんですね。いわゆる「教養を身につける」といったレベルのものではないわけです。
松田 はい、はい。
高木 もの凄く高い要求ですよね。テクノロジーも最高レベル、そして、リベラル・アーツも最高レベルを究めたその交差点にいるからこそ、Appleはこうした製品を生み出せるんだと言うわけですから。
それを知らないで、見かけだけ似たような製品を作っても、勝てないわけです。そして、ジョブズはこの「リベラル・アーツ」の極致を禅に見たと思うんですよ。あらゆる前提をとっぱらって徹底的に考えるということですね。瞑想するのです。
松田 先入観というものやこれまでの価値を捨てて…ということですね。
高木 それから、彼のいっているデザインというのは、普通人は表面的な物と思っているという話しがありますよね。しかしそうではない。もっと深いもの、「デザインは魂だ」と言っています。ジョブズの言うデザインとは、見かけだけでなく、中もそうですし、ユーザーインターフェイス・デザインも含めて、あらゆるものを徹底的にデザインするということなわけです。その深みを知らずに、見かけだけ似ている製品を作っていると、ベニヤ板で作ったような薄っぺらな製品になってしまうわけですね。
松田 そうですね。
高木 そんなことで、さっきのトイストーリーの話しを続けますとね、本当にトイストーリーだと思うのは、彼はまさにリサ(Lisa)ですよね…自分の子供が生まれたときに、まさに自分が捨てられた同じ歳にですね…生むんですね、これがまたね。それを名前だけ付けて、それで捨てるわけですね。
松田 うーん…。
高木 自分が捨てられたように捨てちゃうわけですね。
松田 はい。
高木 それはまあ、そんな奴か…みたいな話しなのが、何故自分の新しいプロジェクトの名前にLisaと付けたのかということなんですよ。
松田 そうですね。普通に考えたら訳がわかりませんよね。
高木 説明がつかないわけです、普通は。しかもジョブズの声明が発表されるまではLisaが娘の名前とは正式に知られていなかったし…当初は何かの略だといわれてましたね。
松田 そうですね。Local Integreated Software Architectureでしたか…。
高木 そう、それがアイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」では、「あれは娘の名だ」とちゃんと言っています。これは何なんだろうと。と、考えたときに、その彼自身がモノのようにというか、オモチャのように捨てられたという原体験がある。で、人間の子供に対しては、愛し方が分からなかった。自分が愛されたことがなかったために。
松田 愛し方が分からなかった…。
高木 たぶん父親はどうあるべきだとかいったイメージが、彼にはなかったんでしょうね。とにかく自分の娘、リサに対して、当時は一片の愛情も示さなかった。それどころか、アップルが上場して億万長者になる前に、早く慰謝料の話しを済ませてしまおうとした。とんでもない奴ですよね。だけど、その一方で新しく開発するコンピュータにLisaという名を付けている。つまり、コンピュータのLisaこそが、彼の子供だったと思うんですよ。
松田 うーん。
高木 生身の自分の娘には愛情を感じないのに、機械には愛情を感じるというのは、普通ではないですよね。ともかく、彼はこの機械に命を吹き込もうとしたんだと思うのですね。Macintoshもそうでした。1984年、Macintoshのデビューのときに、Mac自身に喋らせますよね。
松田 そうですね。
高木 その中で、「私の父というべき人をご紹介します。スティーブ・ジョブズです。」というフレーズを言わせているのです。
松田 はい。
高木 つまりMacintoshの父親なんですよ。ジョブズは。
松田 うんうん…。
高木 ジョブズにとってMacintoshやLisaは自分の子供だったわけですね。はっきりとね。で、これのもとになるエピソードいうのは…あれは高校生ぐらいのときだったでしょうか、子牛が生まれてすぐに自分で立ち上がるというエピソードがありますよね。で、コンピュータもこのようでなければならないというわけです。
松田 教えられてないのにもかかわらず自分でちゃんと立ち上がるではないか…ということですよね。
高木 そうです。だから、ハードウェアとソフトウェアは一体でなければならないと言っているのです。つまり、子牛のような、命あるコンピュータを作りたいわけですから、ハードウェアとソフトウェアを分離してはいけないわけです。
松田 そうですよね。
高木 彼の人生は「トイ・ストーリー」であるといったのは、まさに人間として扱われずに生まれてきたジョブズ少年が、機械に命を吹き込もうとした生涯であったという意味なのです。
松田 なるほど。
高木 それがLisaでありMacintosh、iPhone, iPadであったと。そう考えると、製品の中を開けさせたくなかったというのも理解できるのですね。Macintoshの時に筐体を締めるネジを特殊な物に変えてしまいますよね。そこまでして中を開けさせたくなかった。それから、冷却ファンはダメ、ハードディスクもダメ、メモリの拡張もダメだと。めちゃくちゃですよね(笑)。
松田 (笑)。
高木 Macintoshは「瞑想の空間」だからといった言い方をしている。徹底的にクローズドを志向した。でも、それでは実用にはなりませんよね。
松田 そうですよね(笑)。
高木 もうメチャクチャです。Apple IIはオープンにしたからこそ、成功した。
松田 Apple IIの時代には拡張スロットの存在は不可欠のものでしたからね。


※1982年当時の松田が使っていたApple IIと拡張スロットの様子。拡張スロットはさまざまな拡張カードですでに一杯だった
高木 オープンであったからこそ、沢山の人たちを巻き込むことができた。いろいろな人が拡張ボードを開発したり、アプリケーションを開発できた。でも、一方で、Apple IIはあの台所にも置けるような、ベージュの筐体に入っていたからこそ普及したという一面がある。ジョブズとウォズニアックのせめぎ合いの中で、Apple IIは成功するのですね。ジョブズのこだわりを示すエピソードはたくさんあるのですが、いわゆる「社員番号一番」問題というのがありましたよね。当時の社長、スコットが「一番はウォズニアック」、「二番がジョブズ」と決めたことに猛烈に抗議した。確かに、ジョブズの主張は正しいわけです。ジョブズが会社を作ろうと言い出したわけで、ウォズニアックはジョブズに誘われることがなければ、ヒューレット・パッカードの社員のままだった。
松田 うん、うん。
高木 しかし周りの出資者たちはジョブズはいなくてもいいけどウォズニアックがいなくなったらこの会社はダメだからと…。
松田 まあ、ジョブズの気持ちもわかるような気もしますし、ジョブズは早くApple IIを卒業して自分のマシン、高木さんの言われ方だと自分の子供を作りたかったんでしょうね。Apple IIはウォズニアックのマシンであって自分のマシンではありませんからね。
高木 そうですね。
松田 それが一貫して…iPhoneやiPadのように完全にクローズドなマシンとなっていくわけですね。それらを開けてどうのこうのする一般ユーザーはいませんからね(笑)。思えばその一貫した生き方というのは恐ろしいほどですね。
高木 ジョブズのこだわり、一貫性は尋常のものではなかった。ジョブズは癌で56歳で亡くなるわけですが、最初に癌が発見されたとき、手術で自分の体の中を開けるのを拒否するのですね。それが死期を早める結果となったわけです。彼がクローズドを主張したのは、単なる信条とか、ポリシーとか、そういったレベルのものではなかった。
松田 う〜ん…。
高木 もっと、遺伝子に書き込まれれているレベルのものだったのではないか。ジョブズの「こだわり」は、自分でもどうしようもないくらいのレベルのものだった。一般的には、病的と言われるくらいのものだった。
松田 あっなるほど、そこにきますか。なるほどなるほど。いまのお話しはちょっとショックですね私にも…。
高木 ええ。彼の「こだわり」の強さを示すエピソードは幼少期からありますよね。1度決めたら絶対に変えられない性格の子というのは、何パーセントかいるわけです。そうした人たちというのは、時に天才的なわけですが、日常生活を送るのには困難をともなう。「レインマン」という映画がありましたよね。ああした人々のひとりだったのではないかと思うのです。
松田 …。
高木 つまり超天才なんだけれども一般社会では何だろうこの人…という…。
松田 ドロップアウト、脱落者と見なされがちで…。
高木 ただしそうした人たちの凄さというのは、1度決めたら絶対に退かないところにあるわけです。例えば、広告代理店のレジス・マッケナ(Regis McKenna)を説得するときには、毎日、何回も電話をかけていますよね。そして、マッケンナが面会したら、今度は「引き受けてくれるまで絶対に帰らない」ですから。一歩間違えばストーカーですよ (笑)。
松田 ねぇ(笑)。それも臭いし酷い格好でね…。
高木 普通は、警察に電話をかけられて追い出されるようなタイプですよ。で、それをずっとやってますよね。てことは、彼は…自分でも言ってますけど小学校4年生かなにかのとき、あの先生に出会わなかったら自分は犯罪者になっていただろうと…。
松田 はいはい…。
後編へ続く
松田 今日はよろしくお願いします。10ほどご質問したい項目を用意させていただきましたので宜しくお願いします。
高木 こちらこそ。
松田 早速ですが、前書の「ムック「The History of Jobs & Apple」も好評だと伺っていますが、ムックを出されてあまり間隔がなく今度の新刊「ジョブズ伝説」を出されたのでさぞやスケジュール的にきついお仕事だったのではと拝察してましたが、本書執筆のきっかけ、動機はどのようなことだったのでしょうか?

※高木利弘著の新刊「ジョブズ伝説」(三五館刊)
高木 はい。ムック「The History of Jobs & Apple」はジョブズがCEOを辞任する直前、一週間前に出版することができました。実は、もっと早く出す予定だったのですが、3月11日に東日本大震災が起きたことで発刊が遅れ、8月に出すことになったのです。偶然に違いないのですが、何か運命的なものを感じます。
松田 あっ、そうなんですか。
高木 8月19日に発刊して、8月25日にその慰労会をやろうということになっていたのです。その慰労会当日に、ジョブズCEO辞任のニュースが飛び込んで来たのです。ショックですよね…。
松田 はい。
高木 間に合って良かったと思う反面、いよいよその時が来たと思いました。そして、自分なりのジョブズ論を書きたいという気持ちが沸いてきたのです。「The History of Jobs & Apple」は、できるだけ忠実にジョブズとアップルの歴史を記録するといった目的で作ったものです。文章も、私が書いたのは、冒頭の「世界を変えた波瀾万丈の物語」と、あといくつかのコラムだけで、あとは松田さんにも書いていただきましたし、大谷和利さん、松木英一さんなどに書いていただきました。どちらかというと、「MACLIFE」のときと同じように、私は編集者という立場で作ったのですね。でも、いよいよジョブズの死が時間の問題であると分かったら、ジョブズの歴史的貢献とは何であったのか、私なりの考えをきちんとまとめて、皆さんにお伝えしたい。そういう気持ちが強くなったのです。
アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』は、もともと2012年春に刊行予定だったのですね。それが2011年11月に早まりました。これは何かある、ジョブズの健康状態が相当悪化しているのだろうと思いました。
松田 2度ですか、前倒しになりましたね。
高木 はい。結果的にそうなりました。もともと11月21日に発刊予定だったのですが、ジョブズが10月5日に亡くなって、[1]が10月24日、[2]が11月1日に早まったのです。
松田 はい。
高木 実は『ジョブズ伝説』は、このアイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』刊行に合わせようと、11月21日に刊行したのです。
松田 なるほど。
高木 それが、先方が早まってしまって、同時刊行はならなかったのですが、結果的にそれがプラスとなりました。おかげで、『スティーブ・ジョブズ』を校了まぎわに読むことができたのです。
松田 読めたと…。
高木 読めたんです。これにも運命的なものを感じます。もし、同時刊行していたとしたら、『スティーブ・ジョブズ』でジョブズが語っていることを、『ジョブズ伝説』に盛り込むことはできませんでした。それを盛り込むことができたわけです。私は、『ジョブズ伝説』を書くために20冊くらいのジョブズ関連本を読み、何が真実か、事実経過はどうなっているかを考察しました。しかし、ジョブズ本人の語っていることは、『スティーブ・ジョブズ』が出るまで分かりませんから、結果的に、それも含めて全部に目を通し、批評することができたのです。とはいえ、大変でしたけれどもね。発刊された日に、付箋を付けながら一日で全部読みました。そして翌日、付箋を付けた中から特に重要と思われる箇所を『ジョブズ伝説』に引用し、本文を修正しました。[1]、[2]それぞれについてです。大変な作業でしたが、やれてよかったと本当に思います。

※「ジョブズ伝説」著者、高木利弘さん(書斎にて)
松田 当サイトにも「ジョブズ伝説の」簡単な書評を書かせていただきましたが、結果として「ジョブズ伝説」としてはタイミングとして良かったということですよね。アイザックソン著の「スティーブ・ジョブズ」を含めて必要な資料を全部総括して、高木さんなりの良いとこ取りができたわけで(笑)。で、本書を手にとっていただければ昨今の「ジョブズって誰、どんなことをした人なの?」という疑問に答えてくれるわけですよね。
ですから「ジョブズ伝説は」現時点でのジョブズ像の全体を描けているんではないかと…。
高木 ありがとうございます。私もそう受け取っていただけるとすごく嬉しくて…
松田 ジョブズの話題も…私のサイトも含め、インターネットではご承知のように膨大な情報が飛び交ってますけど、やっぱりどうしても一過性で後々まとめて読んだり残したりが難しいですから、書籍という形で残すというのは重要ですよね。
高木 まあ、何だかんだといいながら、紙だなと…(笑)
松田 本書執筆の動機と重なるのかも知れませんが、高木さんにとってのスティーブ・ジョブズという人物はどのような対象なんでしょうかねぇ。
高木 (苦笑)そうですね。私は1986年に、当時日本で最初にパソコン通信を始めた「PCワールド」編集長の魚岸さんという人にインタビューをしたのですね。普通に取材をしただけなのです。そうしたら、その魚岸さんから電話がかかってきて、「これからMacintoshというパーソナルコンピュータが正式に日本語化され、発売される。ついては、「Macワールド日本語版」の編集長を探していた。その編集長は君しかいない」というくどかれ方をしたのです。Macintoshのことは何かのコンピュータ・フェアで見て知っていましたが、じっくり触ってみたのはそのときが初めてでした。そして、運命的な出会いを感じたのですね。「自分が探していたのはこれだ」と。
松田 はい。
高木 私は、ジョブズより前にまずMacintoshに出会っていたわけです。クパチーノに行ったときも、出迎えてくれたのはジョン・スカリーですから、ジョブズは、ある意味で過去の人というか、今はNeXTをやっている人という位置づけだったですけど。ただ何故、自分がMacintoshに惹かれるのか、何故、Macintoshには愛着が沸くのか、そして、どうしてこんなに凄いことができるのか、といったことをずうっと考えていたわけですね。ところが、1994年ころには、アップルの経営状態が悪くなり、この先どうなるんだという感じになりました。そのころ、たまさか1987年に「MACLIFE」を創刊したとき、創刊号でインタビューをしたジェームズ比嘉がNeXTジャパンの社長になっていることを知りました。そこで、ダメもとでジェームズ比嘉に会いにゆき、ジョブズにインタビューをしたいと申し込みました。ジョブズは、マスコミ嫌いで有名でしたし、まして、自分を追い出したアップルに味方するMacintosh専門誌のインタビューなど応じるはずがないというように思われていた時期です。でも、 OKが出たのですね。そこで私は、当時レッドウッドシティにあったNeXT本社に行って、ジョブズにインタビューをしたのです。阿吽の呼吸というか、当時のジョブズにも、アップルに復帰したいという思いがあったのでしょうね。
松田 ふーむ。
高木 そういうことも含めて、ジョブズというのは私の人生を変えた人であり、私の人生そのものなわけです。まあ松田さんもそうかも知れませんが...。
松田 確かに(笑)。だけど、ジョブズへのインタビューの話しも以前ちらとお聞きしたはずですが、インタビュー自体ジョブズは相変わらずの不機嫌な対応の仕方だったと…ほのぼとしたインタビューではなかったと。

※Macテクノロジー研究所主宰 松田純一 (書斎にて)
高木 そうですねぇ。いきなりカメラのシャッター音が五月蠅いと始まりまして…。いゃあ、本物だ…と(笑)。ただここで怖じ気づいたら負けだと、インタビューはなし、ということになりかねませんから、堂々と、用意していた質問をぶつけました。おかげさまで、こいつはよくNeXTのことをよく分かっていると評価してくれたんでしょう。これがもし、ジョブズの嫌いな、どうでもいい質問だったら大変です。『スティーブ・ジョブズ』にも、そうしたエピソードが載っていますよね。
松田 はい。
高木 ま、ということですごく話しには乗ってくれました。ただ、今から思うと、残念なのは一緒に記念写真が撮れなかったことですね(笑)。もうカメラはダメという雰囲気でしたから。
松田 ツーショットを撮りたいですよね。
高木 そうそう(笑)。本当は撮りたかったんですが…。後に広報の人に「これでも、最近は家族ができて、昔と比べれば穏やかになった」と言われました。
松田 丸くなったんだと(笑)
高木 そう。では昔はどんなに凄かったんだろうと(笑)…思いましたけどね。ですから、もしジョブズが自分の上司だったりしたら、大変だったでしょうね。ただ、彼は大変な情熱を持って自分のビジョンを実現しようとしているのは伝わってきましたね。そして、その時点ではわからなかったですけどNeXT StepがAppleを救うわけですよね。
松田 はい。
高木 ジョブズは、コンピュータという20世紀最大の発明を、すべての人々にもたらしました。それがMacintoshであり、iPhone、iPadなわけです。iPadは、2歳の子供から100歳のお年寄りまで、本当の意味で「誰でも使えるコンピュータ」ですよね。それが、まず偉大だと思います。もしジョブズがいなかったらどんなに寂しい世界だったかと(笑)。
松田 確かに(笑)。
高木 IBM-PCとかWindowsマシンというのは、単なる「機械」なのですね。それが100%支配している世界というのは嫌ですよね(苦笑)。
松田 ジョブズはすでに伝説の人なわけですが、まさしく私も高木さんもそうですが、僭越ながらジョブズと同じ業界の中で時折接点を持ちながらも同じ時代を一緒に過ごせてきたという事実は凄いことですよね。
高木 まあ、ですからそれは凄くラッキーだと思いますよ。そのまさに革命ですよね、その目撃者になれたというか、少しなりともその革命に関われたということはなにものにも代え難いものですね。
松田 そういうジョブズに対する大きな思いが本書の動機付けにもなるのでしょうが、繰り返しますが高木さんが「ジョブズ伝説」という一冊に込めた思いとは何でしょうか。
高木 Macintoshをはじめ、アップル製品には非常に大きな魅力がありますよね。見た目にも美しいし、使い始めると、愛着が沸いてきて、手放せなくなる。
松田 はい。
高木 で、それは何故かということが分かったのです。要するにジョブズは、コンピュータという「機械」に「命を吹き込んだ」ということなのです。「魂の入った製品」、そこに魅力があるわけです。Windowsにはそれが無いわけですよ。単なる「機械」に過ぎない。
松田 はい。
高木 そして、このコンピュータは単なる「機械」に過ぎないという考え方が圧倒的多数なわけです。コンピュータは「道具」に過ぎない。だから、別にコンピュータと会話をしたいとは思わないし、ただ単に仕事の効率が上がればいい。そうした考え方が圧倒的多数なんですね。しかし、ジョブズは違った。コンピュータに命を吹き込もうとしたわけです。ただ、Macintoshがそうでしたが、常にマイナーであり、いつ消滅してもおかしくなかったですよね。
松田 我々がMacintoshに関わった頃は、なぜこんなに高価でオモチャみたいなものを好むのかと随分言われましたものね…
高木 ですから一部では宗教と言われたり、これは仕事には使えませんよと。ずっと言われてきましたよね。
松田 そうでした…。
高木 マイナーな存在であり、一部の熱狂的なファンがいるものの、主流はWindowsである。と、そうなっちゃいましたよね。とりわけ、Windows 95以降は。で、それで終わってもおかしくなかったわけですが、そうはならなかった。ジョブズの人生というのは、本当にドラマチックですよね。「小説よりも奇なり」という言葉がぴったりです。
松田 まさに(笑)。
高木 ジョブズは、Appleに戻って、製品に命を吹き込むことで、Apple を立て直していった。でも、こうした「魂の入った製品作り」というのは、我々日本人の伝統でもあるわけです。
松田 そのはずだと思うんですがね(笑)。
高木 そうです。それが過去形になってしまうところに問題があるわけですが、日本人というのは、「やおよろずの神」といって、あらゆるものに神が宿っているという感覚を持っていますよね。魂を感じるわけです。魂というのは、英語でいうと「アニマ」です。「アニメ」の語源ですね。何故、日本でマンガ、アニメの文化が花開いたかというと、その背景に「やおよろずの神」があるわけです。製品に魂を込めるといった「ものづくりの伝統」も、そこから生まれました。そして、もうひとつ、禅ですね。あらゆる前提をとっぱらって、ものごとを根本から考えるということ。ジョブズは、こうした日本の「ものづくりの伝統」や禅の精神を、心から尊敬していました。そして、それがジョブズの創造力の源だったのです。ジョブズが日本の美学や禅の精神に学び、我々日本人がそれを忘れてしまっている。何故、最近の日本製品に魅力がないかというと、魂が入っていないからなのです。非常にシンプルなことです。ジョブズは、「トイ・ストーリー」をはじめとするフルCGアニメ映画の傑作を世に送り出したわけですけれども、これもまた象徴的なことなのですね。というのも、ジョブズの人生そのものが、「トイ・ストーリー」だからなのです。
松田 トイ・ストーリー?
高木 そうです。ジョブズは、生まれてすぐ養子に出されます。本当の親に捨てられたわけです。まるでオモチャのように。
松田 うーん…。
高木 養子に出されるというのは、そういうことですよね。
松田 お前はいらない子供だよ…と。
高木 ジョブズは、「自分は捨てられ、拾われた。自分は無価値な存在だ」と、ずうっと思い悩むわけです。何故そこまで思い悩んだのか、その理由が『スティーブ・ジョブズ』を読んでよく分かりました。ジョブズを養子にした育ての親、ジョブズ夫妻はとてもいい人たちだったのですが、常に正直な人たちで、ジョブズが幼少のときから、本当のことを伝えていたのです。普通は隠しますよね。ものごころがつくまで。
松田 オープンだったようですね。
高木 そうなのです。でも不思議なのは、実の両親というのは、ふたりともアメリカ東部にあるウィスコンシン大学の大学院生だったわけです。ですから、子どもを養子に出さずに自分たちで育てていたら、ジョブズはジョブズにならなかった。
松田 うん。
高木 それが、実の父親がシリア人の留学生で、イスラム教徒。実の母親がアメリカ人で、厳格なカトリック教徒の家庭に育ったために、イスラム教徒との結婚を許されなかった。そこで、泣く泣く養子に出すことになったのですが、そうした斡旋をしてくれる医者が東部にはいなかったんでしょうね。そこで、母親はサンフランシスコの医者を訪ねて、西海岸に飛ぶわけです。
松田 …。
高木 なんとなくわかりますよね、西海岸の方が、古いしきたりから自由で、オープンだったということなんでしょうね。
松田 一方で堕胎は当時許されなかった…。
高木 そうです。
松田 ですから選択肢としては生んで養子に出すしかなかったということでしょうね。
高木 当時はまだ避妊薬を使うというのは一般的ではなかったのですが、もし、避妊薬があれば、彼は生まれてこなかった子供だと思うんですよ。
松田 はい。
高木 で、最初は両親ともきちんと大学を出た弁護士夫妻のもとにいくはずだった。ところが、ジョブズが生まれてみると、突然「欲しいのは女の子だ」と言って、断るんですね。そこで、生みの母は焦るわけです。次に電話したのがジョブズ夫妻で、ろくろく確認もせず、「もらっていただけますか」「お願いします」ということになった。ところが、ジョブズ夫妻は大学を出ておらず、母親は高卒、父親は中卒で、いわゆるブルーカラーの人たちだった。そこで、いったん生みの母は、書類にサインするのを拒絶するのですね。
松田 子供を大学に学ばさせるという確約を取って養子縁組を成立させたわけですね。
高木 そうです。ジョブズは捨てられたと思ったわけですが、実は、生みの母は決して捨てたかったわけではなかった…。
松田 はい。
高木 厳格なカトリック教徒であった自分の父親が死んだら、シリア人の夫と結婚しようとしていた。そして、実際にジョブズを養子に出した数週間後にその父親が亡くなるのです。
松田 その年の暮れに結婚して、ジョブズの妹、モナ・シンプソンが生まれ、自分たちで育てるわけです。
高木 数年後には離婚しゃちゃうんですけどね。この辺がアメリカっぽいんですけど。ともかくジョブズは、実の両親の愛情を得ていないわけです。ただ育った場所がシリコンバレーでしたから、コンピュータ少年として育つのにはうってつけだったわけです。そして、ウォズニアックと出会うわけです。
松田 そうですね。
高木 アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」には、どのようにしてジョブズとウォズニアックが出会ったかといったあたりが、かなり省略されています。
松田 はい。
高木 で、ウォズニアックの自伝などにはちゃんと詳しく書いてあるんです。「ジョブズ伝説」には、そういうところを重点的に補足しました。「クリームソーダー・コンピュータ」というのが2人が出会うきっかけなのです。そこのところが、「スティーブ・ジョブズ」には書かれていない。
松田 クリームソーダーを飲みながら友人のビル・フェルナンデスと一緒に作ったからという…。
高木 そのクリームソーダー・コンピュータはApple I の原型なんですよね。
松田 まあ、アイザックソンの著書が現実的にいま一番メジャーな本であり…といった形で捉えられてますしマーケットとしては確かにその通りなんでしょうが、私の印象ではアイザックソンはテクノロジーに強い人物ではなかったようですし当然のことながら限られた誌面の中でどこにフォーカスを合わせるかを考えなければならない。そして著者の得手不得手もあるんでしょうから完璧なものではないはずです。
高木 そうですね。
松田 で、いまジョブズの人生そのものが「トイ・ストーリー」だとお話しがありましたし…もうひとつ高木さんが主張なさっているジョブズは日本の禅から強い影響を受けているという話しですが、確かに「スティーブ・ジョブズ」にも記されてますがアイザックソン自身、禅とか日本のカルチャーをどれほど理解しているかについては疑問です。ですからその点は突っ込み足りない…。反面高木さんの「ジョブズ伝説」はそうした点も上手く補足されているように思うんですが…。
高木 アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」から禅や日本のカルチャーに関して深読みするのは難しいでしょうね。実はこの禅と、ジョブズが中退したリードカレッジのリベラル・アーツというのが繋がっているのです。何故、ジョブズが、スタンフォードと並んでアメリカで最も授業料の高い大学に入りたいと思ったのか、それはリベラル・アーツを学びたかったからなのです。このリベラル・アーツというのを普通日本語に訳すと「教養学部」ということになります。
松田 なるほど。
高木 で「教養学部」といった瞬間に、なんだか分からなくなってしまう(笑)。なんだ、教養じゃないかと。「教養学部」というのが間違いというわけではないが、文系理系関係なく、あらゆる学問を徹底的に究めるというのがリベラル・アーツなのですね。
松田 はい。
高木 リードカレッジは、博士号を取る学生の比率が高いことで有名な大学なのです。それは、優秀な学生が集まっているということでもあるのですが、リベラル・アーツということで、幅広くいろいろな学問を究めるという事が関係していると思うのです。そして、この「リベラル・アーツ」というのは、ジョブズを理解する上で非常に重要なキーワードなのです。ジョブズは、2010年に行なったiPadとiPhone 4の2つのプレゼンテーションで、「テクノロジーとリベラル・アーツの交差点」という表現を使っているのです。
松田 ふ〜む...。

※2010年WWDCのキーノートで「テクノロジーとリベラル・アーツ」に附言するスティーブ・ジョブズ
高木 テクノロジーは、コンピュータを核としたあらゆるテクノロジー。
松田 はい。
高木 そして、ジョブズの言う「リベラル・アーツ」は、「自由な諸芸術」と訳すと、そのニュアンスが伝わってくると思います。つまり、どんな学問であれ芸術的なレベルってあるじゃないですか。芸術の域に達しているという。それを究めるという意味だと思うんですね。いわゆる「教養を身につける」といったレベルのものではないわけです。
松田 はい、はい。
高木 もの凄く高い要求ですよね。テクノロジーも最高レベル、そして、リベラル・アーツも最高レベルを究めたその交差点にいるからこそ、Appleはこうした製品を生み出せるんだと言うわけですから。
それを知らないで、見かけだけ似たような製品を作っても、勝てないわけです。そして、ジョブズはこの「リベラル・アーツ」の極致を禅に見たと思うんですよ。あらゆる前提をとっぱらって徹底的に考えるということですね。瞑想するのです。
松田 先入観というものやこれまでの価値を捨てて…ということですね。
高木 それから、彼のいっているデザインというのは、普通人は表面的な物と思っているという話しがありますよね。しかしそうではない。もっと深いもの、「デザインは魂だ」と言っています。ジョブズの言うデザインとは、見かけだけでなく、中もそうですし、ユーザーインターフェイス・デザインも含めて、あらゆるものを徹底的にデザインするということなわけです。その深みを知らずに、見かけだけ似ている製品を作っていると、ベニヤ板で作ったような薄っぺらな製品になってしまうわけですね。
松田 そうですね。
高木 そんなことで、さっきのトイストーリーの話しを続けますとね、本当にトイストーリーだと思うのは、彼はまさにリサ(Lisa)ですよね…自分の子供が生まれたときに、まさに自分が捨てられた同じ歳にですね…生むんですね、これがまたね。それを名前だけ付けて、それで捨てるわけですね。
松田 うーん…。
高木 自分が捨てられたように捨てちゃうわけですね。
松田 はい。
高木 それはまあ、そんな奴か…みたいな話しなのが、何故自分の新しいプロジェクトの名前にLisaと付けたのかということなんですよ。
松田 そうですね。普通に考えたら訳がわかりませんよね。
高木 説明がつかないわけです、普通は。しかもジョブズの声明が発表されるまではLisaが娘の名前とは正式に知られていなかったし…当初は何かの略だといわれてましたね。
松田 そうですね。Local Integreated Software Architectureでしたか…。
高木 そう、それがアイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」では、「あれは娘の名だ」とちゃんと言っています。これは何なんだろうと。と、考えたときに、その彼自身がモノのようにというか、オモチャのように捨てられたという原体験がある。で、人間の子供に対しては、愛し方が分からなかった。自分が愛されたことがなかったために。
松田 愛し方が分からなかった…。
高木 たぶん父親はどうあるべきだとかいったイメージが、彼にはなかったんでしょうね。とにかく自分の娘、リサに対して、当時は一片の愛情も示さなかった。それどころか、アップルが上場して億万長者になる前に、早く慰謝料の話しを済ませてしまおうとした。とんでもない奴ですよね。だけど、その一方で新しく開発するコンピュータにLisaという名を付けている。つまり、コンピュータのLisaこそが、彼の子供だったと思うんですよ。
松田 うーん。
高木 生身の自分の娘には愛情を感じないのに、機械には愛情を感じるというのは、普通ではないですよね。ともかく、彼はこの機械に命を吹き込もうとしたんだと思うのですね。Macintoshもそうでした。1984年、Macintoshのデビューのときに、Mac自身に喋らせますよね。
松田 そうですね。
高木 その中で、「私の父というべき人をご紹介します。スティーブ・ジョブズです。」というフレーズを言わせているのです。
松田 はい。
高木 つまりMacintoshの父親なんですよ。ジョブズは。
松田 うんうん…。
高木 ジョブズにとってMacintoshやLisaは自分の子供だったわけですね。はっきりとね。で、これのもとになるエピソードいうのは…あれは高校生ぐらいのときだったでしょうか、子牛が生まれてすぐに自分で立ち上がるというエピソードがありますよね。で、コンピュータもこのようでなければならないというわけです。
松田 教えられてないのにもかかわらず自分でちゃんと立ち上がるではないか…ということですよね。
高木 そうです。だから、ハードウェアとソフトウェアは一体でなければならないと言っているのです。つまり、子牛のような、命あるコンピュータを作りたいわけですから、ハードウェアとソフトウェアを分離してはいけないわけです。
松田 そうですよね。
高木 彼の人生は「トイ・ストーリー」であるといったのは、まさに人間として扱われずに生まれてきたジョブズ少年が、機械に命を吹き込もうとした生涯であったという意味なのです。
松田 なるほど。
高木 それがLisaでありMacintosh、iPhone, iPadであったと。そう考えると、製品の中を開けさせたくなかったというのも理解できるのですね。Macintoshの時に筐体を締めるネジを特殊な物に変えてしまいますよね。そこまでして中を開けさせたくなかった。それから、冷却ファンはダメ、ハードディスクもダメ、メモリの拡張もダメだと。めちゃくちゃですよね(笑)。
松田 (笑)。
高木 Macintoshは「瞑想の空間」だからといった言い方をしている。徹底的にクローズドを志向した。でも、それでは実用にはなりませんよね。
松田 そうですよね(笑)。
高木 もうメチャクチャです。Apple IIはオープンにしたからこそ、成功した。
松田 Apple IIの時代には拡張スロットの存在は不可欠のものでしたからね。


※1982年当時の松田が使っていたApple IIと拡張スロットの様子。拡張スロットはさまざまな拡張カードですでに一杯だった
高木 オープンであったからこそ、沢山の人たちを巻き込むことができた。いろいろな人が拡張ボードを開発したり、アプリケーションを開発できた。でも、一方で、Apple IIはあの台所にも置けるような、ベージュの筐体に入っていたからこそ普及したという一面がある。ジョブズとウォズニアックのせめぎ合いの中で、Apple IIは成功するのですね。ジョブズのこだわりを示すエピソードはたくさんあるのですが、いわゆる「社員番号一番」問題というのがありましたよね。当時の社長、スコットが「一番はウォズニアック」、「二番がジョブズ」と決めたことに猛烈に抗議した。確かに、ジョブズの主張は正しいわけです。ジョブズが会社を作ろうと言い出したわけで、ウォズニアックはジョブズに誘われることがなければ、ヒューレット・パッカードの社員のままだった。
松田 うん、うん。
高木 しかし周りの出資者たちはジョブズはいなくてもいいけどウォズニアックがいなくなったらこの会社はダメだからと…。
松田 まあ、ジョブズの気持ちもわかるような気もしますし、ジョブズは早くApple IIを卒業して自分のマシン、高木さんの言われ方だと自分の子供を作りたかったんでしょうね。Apple IIはウォズニアックのマシンであって自分のマシンではありませんからね。
高木 そうですね。
松田 それが一貫して…iPhoneやiPadのように完全にクローズドなマシンとなっていくわけですね。それらを開けてどうのこうのする一般ユーザーはいませんからね(笑)。思えばその一貫した生き方というのは恐ろしいほどですね。
高木 ジョブズのこだわり、一貫性は尋常のものではなかった。ジョブズは癌で56歳で亡くなるわけですが、最初に癌が発見されたとき、手術で自分の体の中を開けるのを拒否するのですね。それが死期を早める結果となったわけです。彼がクローズドを主張したのは、単なる信条とか、ポリシーとか、そういったレベルのものではなかった。
松田 う〜ん…。
高木 もっと、遺伝子に書き込まれれているレベルのものだったのではないか。ジョブズの「こだわり」は、自分でもどうしようもないくらいのレベルのものだった。一般的には、病的と言われるくらいのものだった。
松田 あっなるほど、そこにきますか。なるほどなるほど。いまのお話しはちょっとショックですね私にも…。
高木 ええ。彼の「こだわり」の強さを示すエピソードは幼少期からありますよね。1度決めたら絶対に変えられない性格の子というのは、何パーセントかいるわけです。そうした人たちというのは、時に天才的なわけですが、日常生活を送るのには困難をともなう。「レインマン」という映画がありましたよね。ああした人々のひとりだったのではないかと思うのです。
松田 …。
高木 つまり超天才なんだけれども一般社会では何だろうこの人…という…。
松田 ドロップアウト、脱落者と見なされがちで…。
高木 ただしそうした人たちの凄さというのは、1度決めたら絶対に退かないところにあるわけです。例えば、広告代理店のレジス・マッケナ(Regis McKenna)を説得するときには、毎日、何回も電話をかけていますよね。そして、マッケンナが面会したら、今度は「引き受けてくれるまで絶対に帰らない」ですから。一歩間違えばストーカーですよ (笑)。
松田 ねぇ(笑)。それも臭いし酷い格好でね…。
高木 普通は、警察に電話をかけられて追い出されるようなタイプですよ。で、それをずっとやってますよね。てことは、彼は…自分でも言ってますけど小学校4年生かなにかのとき、あの先生に出会わなかったら自分は犯罪者になっていただろうと…。
松田 はいはい…。
後編へ続く
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