禅とMac日本語化に見るジョブズ日本文化への理解度を探る
昨今のスティーブ・ジョブズ賛美ムードに水をかけるような事を書くとまたまた嫌われそうだが(笑)、彼の素晴らしい部分は多くの方々が紹介しているから私は逆の視点からスティーブ・ジョブズという人間を考察したいと思う…。今回はジョブズと日本の関係を禅とMac日本語化になぞらえて追ってみたい。
スティーブ・ジョブズをスティーブ・ジョブズたらしめる動機付けのうち禅および日本の職人気質といったものが非常に重要なものとなっていることは事実であろう。なにしろジョブズは一時期日本で禅を本格的に学びたいと永平寺の僧門に入るべく本気で考えていたという。
そしてそもそもが菜食主義者であったことも関係してか和食、すなわちサシミ蕎麦とか寿司を大いに好んだことも知られている。また京都の禅寺や庭園を見るためにお忍びで来日したことも少なくなかったしソニーという企業のあり方を進んで真似ようとし、盛田昭夫を尊敬していた…。だからスティーブ・ジョブズは日本贔屓であり、日本の文化を理解し好んでいたという話しがまことしやかに語られているわけだ。
こうした一方、以前から我々デベロッパーの間では「スティーブ・ジョブズは日本嫌いだ」という噂があったことも事実なのである。これはNeXT時代ひとつとってもジョブズは多大な投資をしてくれたキヤノンに負い目があり心理的に負担を感じていたのではないか...などと我々は勝手な想像をしていたものだ。
勿論今となっては真偽のほどは分かりようもないが、現在では前記したあれこれの情報を通してスティーブ・ジョブズは日本文化に深い造詣と理解を示していたと信じられているフシがある。まあ我々日本人からすれば、その方がジョブズとどこかで繋がっている感じがして気持ちがよい(笑)。しかし私はそうした一面的な見方でジョブズを日本贔屓とする意見には与しない...。一人の人間を理解するのはそんな単純なものではないと思わなければならない。

※スティーブ・ジョブズは禅をどのように...どれほど理解していたのだろうか?
さて、ジョブズと禅との出会いは古く1975年にはアタリ社で働きながら近くのロスアルトス禅センターに顔を出すようになったという。
リードカレッジで精神世界に関わる多くの本を読み、自己実現に重きを置く禅に興味を持ったらしい。
このとき出会った曹洞宗の僧侶、千野弘文は後にジョブズがNeXT社を立ち上げたとき老師として迎えられたしジョブズの結婚式を執り行った人物でもありその親密さは生涯変わることがなかった。
ただし本来問われるべきことだが、ジョブズが禅をどの程度理解していたか…というか、どのように咀嚼していたかは残念ながらよく解らない。
ちなみに「禅」を広辞苑で確認すると「心を安定・統一させることによって宗教的叡智に達しようとする修行法。禅定。六波羅蜜の第5」とある。しかしここではひとつひとつ仔細は繰り返さないが、スティーブ・ジョブズの言動はどんなに贔屓目に見たとしても禅的な穏やかさとは無縁であろう...(笑)。
こうした点は今後もっと精査することが大切なように思う。繰り返すが禅を熱心に学び傾倒していたということと禅の本質を理解していたこととは別の次元であることは申し上げるまでもないからだ。
それに日本の禅宗は大別して臨済宗、曹洞宗そして黄檗宗に分かれているという。ジョブズの師は前記したように曹洞宗の僧侶だったが、米国の地でどのような教義あるいは布教を行ったのかについても我々は勉強不足だし情報が少なすぎる。
ともかく彼が禅と出会って傾倒していったのはApple Computer社設立以前なのだ。したがってスティーブ・ジョブズが禅を通じて日本文化に理解を示すようになったとするなら最初期からの可能性が高いが、どうもそうは思えない...。
なぜならジョブズが禅を学び始めてから9年後の1984年にMacintoshが誕生したものの、それを日本のマーケットで販売する際に日本語化が遅れたことは歴史が示す事実である。
業を煮やしたキヤノン販売はMacintoshにオリジナルの漢字ROMを装備し、エルゴソフト社の仮名漢字変換エンジン EgBridge で日本語環境を実現するDynaMacを作り出したほどである。
もし初期段階でスティーブ・ジョブズから日本語化にゴーサインが出れば歴史はかなり違った様相を見せたのだろうが実際はジョブズの承認が得られず、やっと模索を始めた頃になってジョブズはAppleを去ってしまう…。
アップルジャパン社長、福島正也から是非にと頼まれ日本での代理店契約を快諾したキヤノン販売滝川精一社長だったがMacintoshを日本市場で扱う条件として当然のことながら日本語化の問題をクリアする必要があった。このことは福島正也も十分認識し、日本市場拡大のためには是が非でもMacの日本語化を実現しなければならないと考え奔走していた。
そもそもこのキヤノン販売との契約締結に当時のマイク・マークラなどは当然のこと賛同を示したがスティーブ・ジョブズだけが反発していたという。
キヤノン販売の滝川社長が渡米し、Appleとの契約条件について話し合ったときも相変わらずジョブズの態度で一時は険悪な雰囲気になったという。ただし幸いなことに当時Appleの社長の座にはあのジョン・スカリーがいた。この交渉慣れした新社長のとりなしで何とか収まるところに収まった…。それにより日本でMacintoshはキヤノン販売が扱うようになったのだ。
当時のジョブズにとって日本はマーケットというより部品調達と新技術開拓の対象だったようで事実頻繁に視察に訪れ、例えば小型ハードディスクや液晶ディスプレイなどを研究していたようだ。
しかし日本市場に対してどういうわけか理解度が低かった。アップルジャパンの社長、福島正也がジョブズ来日に合わせてMacintosh日本語化の重要性を訴えるために準備したプレゼンテーションの場でもジョブズはまったく理解を示さず、「君はアップルの技術を日本人に売り渡す気か!」と机上に用意した日本語版Macのプロトタイプを床に落としたという。

※スティーブ・ジョブズも愛したという龍安寺石庭
その後、スティーブ・ジョブズがMacintosh漢字化模索のゴーサインを出したのはお気に入りのジェームス比嘉に対してだった。
比嘉は後にスティーブ・ジョブズがAppleを退社し新に設立したNeXT社にも誘われ、ネクストジャパン社長に就任した人物である。
ともあれ当時Apple本社で日本語が解るのは比嘉だけだっというから日本語化の旗を振るのは必然だったと本人も「マッキントッシュ伝説」で発言している。しかし比嘉がケン・クルーガーというプログラマと相談しメモリが1MB搭載される次期Macintosh Plusをターゲットにソフトウェアで日本語化を実現しようと企画していた矢先にスティーブ・ジョブズがいなくなり、またまた数ヶ月も日本語化プロジェクト発進は遅れてしまう。
その「マッキントッシュ伝説」でジェームス比嘉は日本語化のゴーサインはスティーブ・ジョブズの権限で行われたこと、そしてジョブズは先見の明がある人間で彼のゴーサインがなかったら漢字Talkはもっと遅れていた…というが私には先見の明があったとは到底思えない。
"先見の明" とは文字通り「事が起こる前にそれを見抜く見識」のことであり、Macの日本語化は決して早めにそしてスムーズに行われたわけではない。
気まぐれのジョブズは状況が逼迫してきたことをやっと認識し、ジェームス比嘉からの提案だったから耳を傾けたのだ。事実いまでは信じられないだろうが漢字Talkが実現してからもこの日本語化の遅れは後を引き、1990年初頭になってもMacintoshは日本語処理に弱いパーソナルコンピュータだと言われ続けていたのである。
禅の理解とMacの日本語化への理解を同列に語ることに異論もあるかも知れない。しかし日本語に限らずその国の言語は文化の象徴であり要でもある。それを認識せず「Macintoshは優れたパソコンなのだから米国以外でもそのまま売れるはずだ」という根拠のない幻想を抱いていたスティーブ・ジョブズに先見の明があったわけでもなく日本文化に理解があったはずもないのだ。事実ジョブズはそのMacintoshの販売が振るわない責任を取らされた形で自分が設立したAppleから退社を余儀なくされたのである。
だから私にはジェームス比嘉のジョブズ評はまったくの身贔屓としか思えない。
まあやっとMacintosh PlusにApple純正の日本語環境である漢字Talk 1.0が搭載されたもののフォントひとつをとってみても実用とならなかった。漢字Talkが何とかまともになったのは2.0からである。
さらにスティーブ・ジョブズは寿司や日本蕎麦を好むと同時に版画家の川瀬巴水や橋口五葉の作品を集めていたことも知られている。そしてそれらを日本文化への理解と解釈する向きもあるものの、その意図は日本文化を理解した上での行為というよりそれらの作家の作品そのものがジョブズの求めていた美にマッチングしたからに他ならないと考えた方が自然である。
難しく考えず我々自身のことを考えてみようではないか…。例えばだが、パスタやピザが大好きだといってもイタリアの文化に造詣が深いわけでもないし、ルイ・ヴィトンを愛しているからといってもフランス文化を深く理解しているわけでもあるまい。
そういえばハンガリーのブダペストにジョブズの銅像が建つという。またそのハンガリーでは記念切手も発売になるそうだ。その是非についてのコメントはともかく、もしジョブズが日本と本当の意味で強いつながりがあるのなら、どこかに銅像を建てようという話しのひとつくらいは出てきても良いのではないか…(笑)。
減らず口はこのくらいにしておくが、世間では禅を学んだことから彼のシンプル指向や、それまでの先入観あるいは常識といった価値にとらわれない考え方ができたのだという説もある。しかしそもそも禅は企業活動の中で素晴らしいプロダクトを生み出すためのメソッドではない。
曹洞宗ホームページを見てもわかるが、その宗旨は次のように説明されている。
「曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。」
繰り返すが禅は人の心を安定・統一させ宗教的叡智に達しようとする修行である。無論そうした教義からビジネス成功へのヒントを掴むこともできるかも知れないし事実そうした活動をしているサークルや団体もある。しかしスティーブ・ジョブズの生涯は禅のスタイルを愛したが、修行した効果がその人間性に反映したとは到底思えない...。それでも禅は懐の深さ故にジョブズのあるがままの人間性を許してくれるのだろうか...。
ともかくスティーブ・ジョブズという人は間違いなく今世紀の偉人であり後世に名を残す人物に違いない。だからこそその人となりや彼の考え方あるいは彼の作ったAppleという企業理念といったものの研究が今後も重要になってくると思われる。ただしそのためには表面づらの評価と賛美だけでなく、ジョブズという人間の表裏共にきちんとした精査が大切になってくるのではないだろうか...。
【主な参考文献】
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」東洋経済新報社刊
・「ジョブズ伝説」三五館刊
・「スティーブ・ジョブズ」講談社刊
スティーブ・ジョブズをスティーブ・ジョブズたらしめる動機付けのうち禅および日本の職人気質といったものが非常に重要なものとなっていることは事実であろう。なにしろジョブズは一時期日本で禅を本格的に学びたいと永平寺の僧門に入るべく本気で考えていたという。
そしてそもそもが菜食主義者であったことも関係してか和食、すなわちサシミ蕎麦とか寿司を大いに好んだことも知られている。また京都の禅寺や庭園を見るためにお忍びで来日したことも少なくなかったしソニーという企業のあり方を進んで真似ようとし、盛田昭夫を尊敬していた…。だからスティーブ・ジョブズは日本贔屓であり、日本の文化を理解し好んでいたという話しがまことしやかに語られているわけだ。
こうした一方、以前から我々デベロッパーの間では「スティーブ・ジョブズは日本嫌いだ」という噂があったことも事実なのである。これはNeXT時代ひとつとってもジョブズは多大な投資をしてくれたキヤノンに負い目があり心理的に負担を感じていたのではないか...などと我々は勝手な想像をしていたものだ。
勿論今となっては真偽のほどは分かりようもないが、現在では前記したあれこれの情報を通してスティーブ・ジョブズは日本文化に深い造詣と理解を示していたと信じられているフシがある。まあ我々日本人からすれば、その方がジョブズとどこかで繋がっている感じがして気持ちがよい(笑)。しかし私はそうした一面的な見方でジョブズを日本贔屓とする意見には与しない...。一人の人間を理解するのはそんな単純なものではないと思わなければならない。

※スティーブ・ジョブズは禅をどのように...どれほど理解していたのだろうか?
さて、ジョブズと禅との出会いは古く1975年にはアタリ社で働きながら近くのロスアルトス禅センターに顔を出すようになったという。
リードカレッジで精神世界に関わる多くの本を読み、自己実現に重きを置く禅に興味を持ったらしい。
このとき出会った曹洞宗の僧侶、千野弘文は後にジョブズがNeXT社を立ち上げたとき老師として迎えられたしジョブズの結婚式を執り行った人物でもありその親密さは生涯変わることがなかった。
ただし本来問われるべきことだが、ジョブズが禅をどの程度理解していたか…というか、どのように咀嚼していたかは残念ながらよく解らない。
ちなみに「禅」を広辞苑で確認すると「心を安定・統一させることによって宗教的叡智に達しようとする修行法。禅定。六波羅蜜の第5」とある。しかしここではひとつひとつ仔細は繰り返さないが、スティーブ・ジョブズの言動はどんなに贔屓目に見たとしても禅的な穏やかさとは無縁であろう...(笑)。
こうした点は今後もっと精査することが大切なように思う。繰り返すが禅を熱心に学び傾倒していたということと禅の本質を理解していたこととは別の次元であることは申し上げるまでもないからだ。
それに日本の禅宗は大別して臨済宗、曹洞宗そして黄檗宗に分かれているという。ジョブズの師は前記したように曹洞宗の僧侶だったが、米国の地でどのような教義あるいは布教を行ったのかについても我々は勉強不足だし情報が少なすぎる。
ともかく彼が禅と出会って傾倒していったのはApple Computer社設立以前なのだ。したがってスティーブ・ジョブズが禅を通じて日本文化に理解を示すようになったとするなら最初期からの可能性が高いが、どうもそうは思えない...。
なぜならジョブズが禅を学び始めてから9年後の1984年にMacintoshが誕生したものの、それを日本のマーケットで販売する際に日本語化が遅れたことは歴史が示す事実である。
業を煮やしたキヤノン販売はMacintoshにオリジナルの漢字ROMを装備し、エルゴソフト社の仮名漢字変換エンジン EgBridge で日本語環境を実現するDynaMacを作り出したほどである。
もし初期段階でスティーブ・ジョブズから日本語化にゴーサインが出れば歴史はかなり違った様相を見せたのだろうが実際はジョブズの承認が得られず、やっと模索を始めた頃になってジョブズはAppleを去ってしまう…。
アップルジャパン社長、福島正也から是非にと頼まれ日本での代理店契約を快諾したキヤノン販売滝川精一社長だったがMacintoshを日本市場で扱う条件として当然のことながら日本語化の問題をクリアする必要があった。このことは福島正也も十分認識し、日本市場拡大のためには是が非でもMacの日本語化を実現しなければならないと考え奔走していた。
そもそもこのキヤノン販売との契約締結に当時のマイク・マークラなどは当然のこと賛同を示したがスティーブ・ジョブズだけが反発していたという。
キヤノン販売の滝川社長が渡米し、Appleとの契約条件について話し合ったときも相変わらずジョブズの態度で一時は険悪な雰囲気になったという。ただし幸いなことに当時Appleの社長の座にはあのジョン・スカリーがいた。この交渉慣れした新社長のとりなしで何とか収まるところに収まった…。それにより日本でMacintoshはキヤノン販売が扱うようになったのだ。
当時のジョブズにとって日本はマーケットというより部品調達と新技術開拓の対象だったようで事実頻繁に視察に訪れ、例えば小型ハードディスクや液晶ディスプレイなどを研究していたようだ。
しかし日本市場に対してどういうわけか理解度が低かった。アップルジャパンの社長、福島正也がジョブズ来日に合わせてMacintosh日本語化の重要性を訴えるために準備したプレゼンテーションの場でもジョブズはまったく理解を示さず、「君はアップルの技術を日本人に売り渡す気か!」と机上に用意した日本語版Macのプロトタイプを床に落としたという。

※スティーブ・ジョブズも愛したという龍安寺石庭
その後、スティーブ・ジョブズがMacintosh漢字化模索のゴーサインを出したのはお気に入りのジェームス比嘉に対してだった。
比嘉は後にスティーブ・ジョブズがAppleを退社し新に設立したNeXT社にも誘われ、ネクストジャパン社長に就任した人物である。
ともあれ当時Apple本社で日本語が解るのは比嘉だけだっというから日本語化の旗を振るのは必然だったと本人も「マッキントッシュ伝説」で発言している。しかし比嘉がケン・クルーガーというプログラマと相談しメモリが1MB搭載される次期Macintosh Plusをターゲットにソフトウェアで日本語化を実現しようと企画していた矢先にスティーブ・ジョブズがいなくなり、またまた数ヶ月も日本語化プロジェクト発進は遅れてしまう。
その「マッキントッシュ伝説」でジェームス比嘉は日本語化のゴーサインはスティーブ・ジョブズの権限で行われたこと、そしてジョブズは先見の明がある人間で彼のゴーサインがなかったら漢字Talkはもっと遅れていた…というが私には先見の明があったとは到底思えない。
"先見の明" とは文字通り「事が起こる前にそれを見抜く見識」のことであり、Macの日本語化は決して早めにそしてスムーズに行われたわけではない。
気まぐれのジョブズは状況が逼迫してきたことをやっと認識し、ジェームス比嘉からの提案だったから耳を傾けたのだ。事実いまでは信じられないだろうが漢字Talkが実現してからもこの日本語化の遅れは後を引き、1990年初頭になってもMacintoshは日本語処理に弱いパーソナルコンピュータだと言われ続けていたのである。
禅の理解とMacの日本語化への理解を同列に語ることに異論もあるかも知れない。しかし日本語に限らずその国の言語は文化の象徴であり要でもある。それを認識せず「Macintoshは優れたパソコンなのだから米国以外でもそのまま売れるはずだ」という根拠のない幻想を抱いていたスティーブ・ジョブズに先見の明があったわけでもなく日本文化に理解があったはずもないのだ。事実ジョブズはそのMacintoshの販売が振るわない責任を取らされた形で自分が設立したAppleから退社を余儀なくされたのである。
だから私にはジェームス比嘉のジョブズ評はまったくの身贔屓としか思えない。
まあやっとMacintosh PlusにApple純正の日本語環境である漢字Talk 1.0が搭載されたもののフォントひとつをとってみても実用とならなかった。漢字Talkが何とかまともになったのは2.0からである。
さらにスティーブ・ジョブズは寿司や日本蕎麦を好むと同時に版画家の川瀬巴水や橋口五葉の作品を集めていたことも知られている。そしてそれらを日本文化への理解と解釈する向きもあるものの、その意図は日本文化を理解した上での行為というよりそれらの作家の作品そのものがジョブズの求めていた美にマッチングしたからに他ならないと考えた方が自然である。
難しく考えず我々自身のことを考えてみようではないか…。例えばだが、パスタやピザが大好きだといってもイタリアの文化に造詣が深いわけでもないし、ルイ・ヴィトンを愛しているからといってもフランス文化を深く理解しているわけでもあるまい。
そういえばハンガリーのブダペストにジョブズの銅像が建つという。またそのハンガリーでは記念切手も発売になるそうだ。その是非についてのコメントはともかく、もしジョブズが日本と本当の意味で強いつながりがあるのなら、どこかに銅像を建てようという話しのひとつくらいは出てきても良いのではないか…(笑)。
減らず口はこのくらいにしておくが、世間では禅を学んだことから彼のシンプル指向や、それまでの先入観あるいは常識といった価値にとらわれない考え方ができたのだという説もある。しかしそもそも禅は企業活動の中で素晴らしいプロダクトを生み出すためのメソッドではない。
曹洞宗ホームページを見てもわかるが、その宗旨は次のように説明されている。
「曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。」
繰り返すが禅は人の心を安定・統一させ宗教的叡智に達しようとする修行である。無論そうした教義からビジネス成功へのヒントを掴むこともできるかも知れないし事実そうした活動をしているサークルや団体もある。しかしスティーブ・ジョブズの生涯は禅のスタイルを愛したが、修行した効果がその人間性に反映したとは到底思えない...。それでも禅は懐の深さ故にジョブズのあるがままの人間性を許してくれるのだろうか...。
ともかくスティーブ・ジョブズという人は間違いなく今世紀の偉人であり後世に名を残す人物に違いない。だからこそその人となりや彼の考え方あるいは彼の作ったAppleという企業理念といったものの研究が今後も重要になってくると思われる。ただしそのためには表面づらの評価と賛美だけでなく、ジョブズという人間の表裏共にきちんとした精査が大切になってくるのではないだろうか...。
【主な参考文献】
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」東洋経済新報社刊
・「ジョブズ伝説」三五館刊
・「スティーブ・ジョブズ」講談社刊
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