新刊/夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」読書感想
徳間書店が創業50周年記念作品として放った夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」全4巻が出版された。空海フェチの私としては無視できない作品なのだが、理屈はともかくエンターテインメントとしてはサービス精神に溢れた面白い作品だ。
「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」は全4巻各巻が470ページほどもある大作である。本書の帯によれば執筆期間は足かけ17年にも及ぶという…。
さて、弘法大師空海をテーマにした書籍は数多いが、小説は意外と少ない。司馬遼太郎「空海の風景」、陳舜臣「空海求法伝〜曼荼羅の人」、桐山靖雄「密教誕生」あたりが知られているところだろうか。
まあ歴史的な実在の人物であり、その足跡も一部の時代を除いて様々な記録として残されている天才だからというだけでなく、宗教家としての空海はすでに伝説化された特異な人物でもあり小説にするのはなかなか難しいのではないかと想像する。
私は前記した作品はすべて愛読書だが、「空海の風景」が生い立ちから入定までを執拗に…それも空海の日本人離れした「胡散臭さ」を追いかけているような描き方なのに対し、「空海求法伝〜曼荼羅の人」は空海が入唐した2年あまりに焦点を当て、当時世界的な大都市だった唐の国情を背景にひとりの沙門が弘法大師になっていく様を暖かい視点で描いているという違いがある。また「密教誕生」は空海が主人公の作品ではないところがユニークだ。空海密教が誕生する以前の宗教界が生き生きと描かれ、その旧態依然とした世界に新星のごとく現れる天才空海が大変眩しい。

※夢枕獏著「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間書店刊)第一巻表紙
さて夢枕獏著の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」はそれらの作品と比較すると陳舜臣著「空海求法伝〜曼荼羅の人」に近い。それは描かれた時代がやはり入唐していた約700日ほどに起こった彼の活躍ぶりを描いているからだ。しかしその活躍ぶりは小説とはいえこれまでの作品とはまったく違い、傍若無人...やりたい放題といった筆遣いにも思える(笑)。
なぜなら空海と合い対するのは妖術・幻術の類であり、魑魅魍魎の輩たちだからでもあり、現代の私たちからすると「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の空海は坊主なのか陰陽師なのかが分からなくなってくる(笑)。しかしそうはいってもそこかしこに「密教とは」あるいは「仏教とは」といった問いに対する答えのようなものが描かれているのは流石である。
まあ小説のストーリーを紹介するほど野暮ではないつもりだが(^_^)、正直面白く一気に全4巻を読破し最終巻では思わず泣けた。そしてさらに最初から再読を始めているほど面白い。
理屈はともかくエンターテインメント作品としては最高であり、近々映像化されるのではないかと期待もしている。というより、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」が他の空海の小説と際だって違う点は、夢枕獏は始めから映像…ビジュアル化を考えた上での筆遣いなのではないかと思うほど絵が見えてくるのだ。そして空海と橘逸勢のコンビネーションはあのシャーロックホームズとワトスンのような暖かいものが伝わってきて好ましい。
しかし気になる点もないことはない。描写のいくつかで陳舜臣著の「空海求法伝〜曼荼羅の人」を思い起こす箇所があったりもするが、一番私が気になったのは次々と人の心の奥底を覗き、暴くような呪いとか妖術、そして魑魅魍魎の世界が登場する訳だが、それに震えがくるような怖さを感じられないことだ。もっともっと人の怨念が具象化された魑魅魍魎には視覚的な怖さだけでなく、いわゆる身が凍るような恐怖感を感じさせなければならないと思う。だからいまひとつ空海の天才ぶり…活躍が浮き上がってこないような気がするのだ。
ここにある妖怪や魑魅魍魎の輩はまさしくテーマパークのそれであるように思え、もし筆者が意図的にそうした描き方をしているとすればそれはそれで成功しているのかも知れない。
空海好きの一人としては長年気になっていたことがある。それは彼が天才だったからとはいえ700日程度の滞在で紛うことなく、大阿闍梨となって帰国したことだけでも驚異なのだが、不思議なのはそればかりでない。
空海入唐より40数年後に円珍なる僧が長安に入った際に青龍寺で「五筆和尚(空海のこと)は健在か」と問われ「先年亡くなられた」と答えた際にその青龍寺の僧は「異芸、未だかってたぐいあらず」と嘆いたという。
沙門の身で入唐し、本来は20年唐に滞在しなければならないはずの留学僧が短い間にも関わらず、何故にもこれだけ人の心に…記憶に残っているのかが不思議でならないのだ。それが天才のなせる技といってしまえばそれで終わりなのだが、小説とはいえ「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」はそのひとつの答えにはなっている。なぜならこのくらいの大活躍を、それも唐王朝に深く関わり、皇帝に拝謁(歴史的事実だが)するに至る活躍をしなければ前記した疑問の答えにはならないと思うからだ(笑)。
科学的な思考に慣らされた現代の我々には宗教の力はとてつもなく小さい。しかし実在し、小説まがいの活躍と実績を残したスーパー日本人としての空海という人物なら、もしかしたら…一生に一度くらいは大日如来に変化(へんげ)できたかも知れないし(笑)奇跡を起こせたかも知れない…といった期待や夢を凡夫は持ってしまう。だからこその空海人気なのではあるまいか…。
それにしても、空海の活躍を知れば知るほどその後の日本人が小さく見えてしまうことは残念である。
「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」は全4巻各巻が470ページほどもある大作である。本書の帯によれば執筆期間は足かけ17年にも及ぶという…。
さて、弘法大師空海をテーマにした書籍は数多いが、小説は意外と少ない。司馬遼太郎「空海の風景」、陳舜臣「空海求法伝〜曼荼羅の人」、桐山靖雄「密教誕生」あたりが知られているところだろうか。
まあ歴史的な実在の人物であり、その足跡も一部の時代を除いて様々な記録として残されている天才だからというだけでなく、宗教家としての空海はすでに伝説化された特異な人物でもあり小説にするのはなかなか難しいのではないかと想像する。
私は前記した作品はすべて愛読書だが、「空海の風景」が生い立ちから入定までを執拗に…それも空海の日本人離れした「胡散臭さ」を追いかけているような描き方なのに対し、「空海求法伝〜曼荼羅の人」は空海が入唐した2年あまりに焦点を当て、当時世界的な大都市だった唐の国情を背景にひとりの沙門が弘法大師になっていく様を暖かい視点で描いているという違いがある。また「密教誕生」は空海が主人公の作品ではないところがユニークだ。空海密教が誕生する以前の宗教界が生き生きと描かれ、その旧態依然とした世界に新星のごとく現れる天才空海が大変眩しい。

※夢枕獏著「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間書店刊)第一巻表紙
さて夢枕獏著の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」はそれらの作品と比較すると陳舜臣著「空海求法伝〜曼荼羅の人」に近い。それは描かれた時代がやはり入唐していた約700日ほどに起こった彼の活躍ぶりを描いているからだ。しかしその活躍ぶりは小説とはいえこれまでの作品とはまったく違い、傍若無人...やりたい放題といった筆遣いにも思える(笑)。
なぜなら空海と合い対するのは妖術・幻術の類であり、魑魅魍魎の輩たちだからでもあり、現代の私たちからすると「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の空海は坊主なのか陰陽師なのかが分からなくなってくる(笑)。しかしそうはいってもそこかしこに「密教とは」あるいは「仏教とは」といった問いに対する答えのようなものが描かれているのは流石である。
まあ小説のストーリーを紹介するほど野暮ではないつもりだが(^_^)、正直面白く一気に全4巻を読破し最終巻では思わず泣けた。そしてさらに最初から再読を始めているほど面白い。
理屈はともかくエンターテインメント作品としては最高であり、近々映像化されるのではないかと期待もしている。というより、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」が他の空海の小説と際だって違う点は、夢枕獏は始めから映像…ビジュアル化を考えた上での筆遣いなのではないかと思うほど絵が見えてくるのだ。そして空海と橘逸勢のコンビネーションはあのシャーロックホームズとワトスンのような暖かいものが伝わってきて好ましい。
しかし気になる点もないことはない。描写のいくつかで陳舜臣著の「空海求法伝〜曼荼羅の人」を思い起こす箇所があったりもするが、一番私が気になったのは次々と人の心の奥底を覗き、暴くような呪いとか妖術、そして魑魅魍魎の世界が登場する訳だが、それに震えがくるような怖さを感じられないことだ。もっともっと人の怨念が具象化された魑魅魍魎には視覚的な怖さだけでなく、いわゆる身が凍るような恐怖感を感じさせなければならないと思う。だからいまひとつ空海の天才ぶり…活躍が浮き上がってこないような気がするのだ。
ここにある妖怪や魑魅魍魎の輩はまさしくテーマパークのそれであるように思え、もし筆者が意図的にそうした描き方をしているとすればそれはそれで成功しているのかも知れない。
空海好きの一人としては長年気になっていたことがある。それは彼が天才だったからとはいえ700日程度の滞在で紛うことなく、大阿闍梨となって帰国したことだけでも驚異なのだが、不思議なのはそればかりでない。
空海入唐より40数年後に円珍なる僧が長安に入った際に青龍寺で「五筆和尚(空海のこと)は健在か」と問われ「先年亡くなられた」と答えた際にその青龍寺の僧は「異芸、未だかってたぐいあらず」と嘆いたという。
沙門の身で入唐し、本来は20年唐に滞在しなければならないはずの留学僧が短い間にも関わらず、何故にもこれだけ人の心に…記憶に残っているのかが不思議でならないのだ。それが天才のなせる技といってしまえばそれで終わりなのだが、小説とはいえ「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」はそのひとつの答えにはなっている。なぜならこのくらいの大活躍を、それも唐王朝に深く関わり、皇帝に拝謁(歴史的事実だが)するに至る活躍をしなければ前記した疑問の答えにはならないと思うからだ(笑)。
科学的な思考に慣らされた現代の我々には宗教の力はとてつもなく小さい。しかし実在し、小説まがいの活躍と実績を残したスーパー日本人としての空海という人物なら、もしかしたら…一生に一度くらいは大日如来に変化(へんげ)できたかも知れないし(笑)奇跡を起こせたかも知れない…といった期待や夢を凡夫は持ってしまう。だからこその空海人気なのではあるまいか…。
それにしても、空海の活躍を知れば知るほどその後の日本人が小さく見えてしまうことは残念である。
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