E. G. バロン著「リュート ー 神々の楽器 ー」を読了
エルンスト・ゴットリープ・バロン (Ernst Gottlieb Baron = 1696~1760)というリュート奏者が1727年に出版した「Historisch = Theoretisch Practische Untersuchung des Instruments der Lauten」すなわち「楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究」の全訳と巻末にヴァイスの書簡の翻訳を載せた本書はリュート演奏やその歴史を志す人には垂涎の一冊なのだ...。
本書はリュートという実に優雅で完成された楽器が歴史上最後の光を放っていた1700年代も四半世紀ほど過ぎた1727年に出版された。
内容はそのタイトル「楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究」が示すようにリュートの歴史的考察から理論と実践までに至る大著である。
そこには古代から近代および現代(当時として)に至るリュートの発展に貢献した音楽家や著名なリュート製作家、リュート演奏家の名前がぞろぞろと登場する。そしてリュートという楽器が如何に優れた楽器であるかは勿論、この楽器に向けられた偏見への反論、リュートの記譜法から演奏法に至るまでが熱く語られている。
本書の翻訳者である菊池賞氏の「訳者まえがき」によれば、本著者バロンはリュート演奏家であり、もともとこれだけの文章をそつなく書き上げるには経験不足だからして「その心あまりて言葉足らず」の感があると評している。なにしろ本書は当時の音楽界で今までになかった形の文筆活動を華々しく展開し、1722年にはドイツで最初の音楽雑誌を創刊するという時代に敏感な音楽家であり外交官、そして希有のジャーナリストでもあった、ヨハン・マッテゾン(Johann Mattheson)への反論のために起こした文章なのだという。

※E. G. バロン著「リュート ー 神々の楽器 ー」(菊池賞訳)の表紙
時代の風に敏感なマッテゾンは新しきものには好奇と敬愛の念で取り上げるものの、古きものには冷酷なまでに攻撃の手を加えると言った人物だったらしい。無論その攻撃の餌食になったのはリュートでもあった。
マッテゾンは「猫なで声のリュート」「80歳のリュート奏者は60年を調弦に費やす」といった悪たれ口から出発し、リュートが存在意義のない古い楽器であるとこき下ろした訳だが、バロンにしてみれば自分の天職であるリュートを侮蔑されたことになるわけで怒り心頭…。
何しろマッテゾンはリュートの名手の演奏もまともに聴いた形跡がないことを知ったバロンは本書において猛烈な反論を展開したというわけだ。バロン31歳のときの出版である。

※原著の扉 (リュート ー 神々の楽器 ーより)
あくまでバロンの主張を正義と捉えれば、マッテゾンのような時代に敏感で世渡りの巧い人物はいつの世にも存在する(笑)。
彼らは常に新しきものを時代の風と捉えて賞賛を惜しまないが、それらの基礎…踏み台になってきたはずの歴史というものには無関心であり、逆に否定を試みる感もある。とはいえマッテゾンはドイツ人にもかかわらず英語に堪能、すでに実績もある世に知られた著名人であり、かつ優れた論客であったからバロンの反論がどれほど世間に注目されたかは非常に心許ない。
その上、マッテゾンは大の親友だったヘンデルと歌劇の上演中にいさかいを起こし、危うくヘンデルを刺し殺すところだったというエピソードもあるからして血の気も多かったのかも知れない…。
しかし菊池賞氏の「訳者まえがき」を読みつつ、すでに私はバロンに同情している自身を発見し、現在の IT業界もさほど変わらず、マッテゾンのような人たちも見受けられると考え、苦笑を禁じ得なかった(笑)。
ともあれ、こうして反論のために書き上げた本書は図らずも歴史に残された唯一のリュート解説書(菊池賞氏評)となり、二百数十年後に珍重される貴重な資料となったのだから面白い。
いわばマッテゾンという人物がいなければバロンは本書のような書物を残すことはなかったのかも知れないわけで世の中は実に不可解である…。
なにしろリュートという楽器は18世紀の中頃以降歴史から忘れられた楽器であり、今世紀に入って数人の名手たちや学者たちの努力によって再構築された楽器なのだ。古楽器と言われる所以でもある。それだけに現在の視点から眺めると1700年代およびそれ以前のリュートに関する情報満載の本書はリュートを学ぼうとする人々はもとより中世の音楽の歴史を探る人たちには垂涎の的なのだ。
というわけで具体的な内容については記さないが、前記したように本書には膨大な人名が登場する。バロンが自説の権威付けのためにギリシャの神々から哲学者の言葉などを多々引用しているからだが、ホラーティウス、ホイヘンス、デカルト、キルヒャー、プラトン、アリストテレス、ホメーロスなどはともかく、私などには見聞きしたことのない多くの人のあれこれが次から次へと紹介される。
その記述がどれほど当を得ているのか、私などには知る由もないものの、それらに目を通しているとどこかあのジョルジョ・ヴァザーリの「画家・彫刻家・建築家列伝」でも見ているような気がしてきた。
なお巻末には稀代のリュートの巨匠、S.L. ヴァイスがマッテゾンに宛てた書簡が収録されているのも興味深い。
ともあれ過日ご紹介した「フロニモ」同様、この種の資料が日本語で読めるというそのことが嬉しいではないか。
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「リュート - 神々の楽器 -
」改訂版
2001年7月10日 初版発行
2009年8月26日 改訂版発行
著者:E. G. バロン
訳者:菊池 賞
監修・水戸茂雄
発行所:東京コレギウム
コード:ISBN978-4-924541-90-0 C0073
価 格:3,000円(税別)
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本書はリュートという実に優雅で完成された楽器が歴史上最後の光を放っていた1700年代も四半世紀ほど過ぎた1727年に出版された。
内容はそのタイトル「楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究」が示すようにリュートの歴史的考察から理論と実践までに至る大著である。
そこには古代から近代および現代(当時として)に至るリュートの発展に貢献した音楽家や著名なリュート製作家、リュート演奏家の名前がぞろぞろと登場する。そしてリュートという楽器が如何に優れた楽器であるかは勿論、この楽器に向けられた偏見への反論、リュートの記譜法から演奏法に至るまでが熱く語られている。
本書の翻訳者である菊池賞氏の「訳者まえがき」によれば、本著者バロンはリュート演奏家であり、もともとこれだけの文章をそつなく書き上げるには経験不足だからして「その心あまりて言葉足らず」の感があると評している。なにしろ本書は当時の音楽界で今までになかった形の文筆活動を華々しく展開し、1722年にはドイツで最初の音楽雑誌を創刊するという時代に敏感な音楽家であり外交官、そして希有のジャーナリストでもあった、ヨハン・マッテゾン(Johann Mattheson)への反論のために起こした文章なのだという。

※E. G. バロン著「リュート ー 神々の楽器 ー」(菊池賞訳)の表紙
時代の風に敏感なマッテゾンは新しきものには好奇と敬愛の念で取り上げるものの、古きものには冷酷なまでに攻撃の手を加えると言った人物だったらしい。無論その攻撃の餌食になったのはリュートでもあった。
マッテゾンは「猫なで声のリュート」「80歳のリュート奏者は60年を調弦に費やす」といった悪たれ口から出発し、リュートが存在意義のない古い楽器であるとこき下ろした訳だが、バロンにしてみれば自分の天職であるリュートを侮蔑されたことになるわけで怒り心頭…。
何しろマッテゾンはリュートの名手の演奏もまともに聴いた形跡がないことを知ったバロンは本書において猛烈な反論を展開したというわけだ。バロン31歳のときの出版である。

※原著の扉 (リュート ー 神々の楽器 ーより)
あくまでバロンの主張を正義と捉えれば、マッテゾンのような時代に敏感で世渡りの巧い人物はいつの世にも存在する(笑)。
彼らは常に新しきものを時代の風と捉えて賞賛を惜しまないが、それらの基礎…踏み台になってきたはずの歴史というものには無関心であり、逆に否定を試みる感もある。とはいえマッテゾンはドイツ人にもかかわらず英語に堪能、すでに実績もある世に知られた著名人であり、かつ優れた論客であったからバロンの反論がどれほど世間に注目されたかは非常に心許ない。
その上、マッテゾンは大の親友だったヘンデルと歌劇の上演中にいさかいを起こし、危うくヘンデルを刺し殺すところだったというエピソードもあるからして血の気も多かったのかも知れない…。
しかし菊池賞氏の「訳者まえがき」を読みつつ、すでに私はバロンに同情している自身を発見し、現在の IT業界もさほど変わらず、マッテゾンのような人たちも見受けられると考え、苦笑を禁じ得なかった(笑)。
ともあれ、こうして反論のために書き上げた本書は図らずも歴史に残された唯一のリュート解説書(菊池賞氏評)となり、二百数十年後に珍重される貴重な資料となったのだから面白い。
いわばマッテゾンという人物がいなければバロンは本書のような書物を残すことはなかったのかも知れないわけで世の中は実に不可解である…。
なにしろリュートという楽器は18世紀の中頃以降歴史から忘れられた楽器であり、今世紀に入って数人の名手たちや学者たちの努力によって再構築された楽器なのだ。古楽器と言われる所以でもある。それだけに現在の視点から眺めると1700年代およびそれ以前のリュートに関する情報満載の本書はリュートを学ぼうとする人々はもとより中世の音楽の歴史を探る人たちには垂涎の的なのだ。
というわけで具体的な内容については記さないが、前記したように本書には膨大な人名が登場する。バロンが自説の権威付けのためにギリシャの神々から哲学者の言葉などを多々引用しているからだが、ホラーティウス、ホイヘンス、デカルト、キルヒャー、プラトン、アリストテレス、ホメーロスなどはともかく、私などには見聞きしたことのない多くの人のあれこれが次から次へと紹介される。
その記述がどれほど当を得ているのか、私などには知る由もないものの、それらに目を通しているとどこかあのジョルジョ・ヴァザーリの「画家・彫刻家・建築家列伝」でも見ているような気がしてきた。
なお巻末には稀代のリュートの巨匠、S.L. ヴァイスがマッテゾンに宛てた書簡が収録されているのも興味深い。
ともあれ過日ご紹介した「フロニモ」同様、この種の資料が日本語で読めるというそのことが嬉しいではないか。
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「リュート - 神々の楽器 -
2001年7月10日 初版発行
2009年8月26日 改訂版発行
著者:E. G. バロン
訳者:菊池 賞
監修・水戸茂雄
発行所:東京コレギウム
コード:ISBN978-4-924541-90-0 C0073
価 格:3,000円(税別)
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