1700年ぶりに復元された「ユダの福音書」を読んで
「ユダの福音書を追え」と「原典・ユダの福音書」2冊を読んだ。"世紀の大発見"、"歴史の闇に封印された禁断の書"、あるいは"キリスト教史を揺るがす衝撃の発見" などなど、過激なタイトルが飛び交うその「ユダの福音書」とは...。
キリスト教の福音書、すなわちイエス・キリストの死と復活(イエスの良き知らせ)を語る言行録として新約聖書に収められている「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」そして「ヨハネによる福音書」という4つの福音書が正典とされている。
それらの冠につけられた名はすべて人の名である。その聖書に登場する人物の中で、イエスを別とするなら "イスカリオテのユダ" は最も印象的な人物ではないだろうか。
彼は銀貨30枚で師イエスを裏切った悪役中の悪役であり、"ユダ" は裏切り者の代名詞であり、歴史上最たる嫌われ者として言い伝えられてきた人物である。しかし1970年代に発見され、2001年にそのボロボロのパピルス文書から解読された「ユダの福音書」は、その裏切り者のユダの視点から書かれた福音書だった。
「ユダの福音書」は紀元180年頃、司教エイレナイオスの書物の中で異端としてその名があるそうだが、これまで発見されたことはなかった。
問題は「ユダの福音書」の内容だ。そこにはユダは悪役どころか、師イエスを一番理解した弟子として描かれ、あの裏切りもイエスとユダの密約であり、ユダがイエスの願いを忠実に実行したに過ぎないとする衝撃的な内容が含まれていた。
「原典・ユダの福音書」はその「ユダの福音書」を解説した書であるが「ユダの福音書を追え」はその発見から解読に至るドキュメントを綴った一冊である。これらを読むことで「ユダの福音書」の内容はもとより、専門家がこれほどひどいパピルス文書は見たことがないといった...塵芥になる寸前だったものを復元し、解読していく姿を読者はサスペンスを見るがごとく追うことが出来る。しかしユダの福音書」は、その内容や価値も分からないままに多くの人の手に渡り、商売の対象として不当な扱いをされ、その流浪の旅を知るにつけ、現実社会における人間たちの醜い姿に怒りを覚える。

※日経ナショナル・ジオグラフィック社刊「ユダの福音書を追え」と「原典・ユダの福音書」の2冊の表紙
さてよく知られているように前記した4つの福音書はキリスト教の歴史の中で意図的に定められたものであり、実際にはその他にも多くの福音書が書かれた。それらは正典に対して外典と呼ばれ、正典とは異なった視点からイエスを捉えているものだ。
また「ユダの福音書」を代表する外典の多くはグノーシス派の内容であるというが、素人が知ったかぶりをできる内容ではないのでここでは深く追求しないことにしよう(笑)。
その素人の私でも「ユダの福音書」そのものについて、初期キリスト教あるいは教団が形成されていくありさまを研究する上で大変貴重なものであることは理解できる。だから確かに「世紀の大発見」であることは事実だし、あの死海文書などと共にそれらを研究する人たちにとっては宝物に違いない。
しかしキリスト教というより、イエス・キリストという歴史上に存在し、神の子と呼ばれた生身のイエスに興味を持って聖書などを楽しんでいるド素人から見れば、正直そんなに衝撃的には思えないのである。
何故か...。それはもともと聖書にはまだまだ多くのミステリーがあるからで、イエスの言動が記録されているという福音書に登場する物言いも、文化・歴史の違いや日本語訳の問題だけでなく、その意図や意味が分からないものも多い。だからこその魅力もあり、多くの物語がそこから生まれてきたということもある。
「ユダの福音書」がこれまで私たちが知っていた内容と違うのは、ユダは裏切り者でないばかりか、イエス一番の理解者であっただけなく、イエスを裏切ったとされる行動もイエスから託された使命を弟子として忠実に履行しただけという点にある。
たぶんキリスト教の信者であれば、こんなハチャメチャでこれまでの価値観を180度転換してしまう内容など、それこそ悪魔の書であると一刀両断に切り捨てるところだろうが、信者でもない私などから見ればそんなに不自然な内容ではないのだ...。
大変乱暴な物言いになるが、キリスト教の教義は神の子イエスが人類の罪をあがなうために十字架上で磔にされた後、復活するところがミソだ。だから、そもそもイエスが磔にされなかったとしたら復活もなく、現在のキリスト教の教義自体がなりたたないことになる。
そのイエスの磔はユダがイエスを裏切ることで成立するわけで、逆説的だがいかにユダが大切な役割を果たしているかがわかる...。もともとユダはイエス教団の金庫番であり、皆に信頼されていた人物なのだ。
そしてなりよりもイエス自身は、自分が捕らわれて殺されることをはっきりと自覚しているし、特にあの有名な「最後の晩餐」あたりからイエスの言動はどうも私などには不審な点も多い。
なぜなら「最後の晩餐」のシーンは「...あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」とイエスが発言して弟子達が騒ぎ出すあの名場面だが、イエスは自身の運命を知っていたわけだ。
「ヨハネの福音書」によれば、弟子達が「主よ、それはだれのことですか」と聞くと「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」といい、ユダに渡す...。ユダがパンを受け取ると、サタンが彼の中に入ったとあるが、そのときイエスはユダに対して「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」という...。
この物言いを素直に受け取るなら、明らかにイエスはユダに「するべき事を行え」と催促あるいは命令しているように思える。
歴史に「もしも」はタブーだが、福音書を読むだけでもイエスがもし反対派に捕らわれるのを嫌うのなら、いくらでも方法があったと思われる。また囚われの身となった後のイエスもピラトを初めとする尋問にろくに応えようとしないばかりか、釈明もしない。明らかに死刑の道を自身で選択しているようにも思える。
ピラト自身、イエスを死刑にするだけの罪を見いだせず苦悩している。そして最後は群衆に「バラバを取るかイエスか?」と投げかけ、群衆の「イエスを死刑にしろ」という声に押されてしまう。
この辺の流れが、これまでどうしても釈然とせず、小骨が喉にひっかかっているような感覚を消し去ることができなかった。しかしもし、イエスとユダの間に密約があり、イエスの覚悟を知ることが出来たただ一人の弟子、ユダが密約通りに"裏切り"を実行したとするなら、先の「最後の晩餐」シーンの意味もよくわかる。ユダは率先して尊敬し、愛する師のために文字通り人類史上最も嫌われ者となる重要な役割を実行したのだ。
ところで「ユダの福音書」の原典はギリシア語であったとされているが、発見されたパピルスはそれをコプト語で翻訳したものだといわれて、2世紀の作に間違いないようだ。ただし申し上げるまでもないが発見された「ユダの福音書」は2世紀に作られたものに間違いないとしても、その内容が史実であるかはまた別の話である(笑)。とはいえ、当時から様々な福音書が作られ、いろいろな教義が存在したことは事実であり、繰り返すがキリスト教の成立初期の状況を把握するためには大変重要な資料であることは間違いない。
そもそも歴史は勝者の記録であり、「ユダの福音書」のような当時から異端のレッテルを貼られた書は後世に残ること自体が難しいものだ。そして歴史というものは、書かれていない...語られないことも重要だということを知っておきたい。
「ユダの福音書」本の帯には「キリスト教史を揺るがす衝撃の発見」とあるが、教徒ではない私には「ユダの福音書」の内容はいささかもイエス・キリストのイメージを損なうものではなかった。この「ユダの福音書」に登場するイエスは、弟子達に向かってよく笑う大変魅力的な人として描かれている。
その昔、遠藤周作の小説「イエスの生涯」「キリストの誕生」に感銘を受け、奇跡を起こすことができない無力のイエスにも魅力を感じたが、「ユダの福音書」における笑いかけるイエスにも是非会ってみたい(笑)。
いま、勢いに乗ってもうひとつの異端書...外典である「マリアの福音書」を楽しみながら読んでいる。また別途感想をご報告できたらと思う。
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■ユダの福音書を追え
2006年5月8日 第1版 第1刷
著者:ハーバート・クロスニー
訳者:関利枝子、北村京子、村田綾子、花田知恵、杉浦茂樹、田辺久美江、藤井留美、
竹熊誠、佐藤利恵、金子周介
発行:日経ナショナル ジオグラフィック社
書籍コード:ISBN4-931450-60-1
定価:本体1,900円
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■原典・ユダの福音書
2006年6月5日 第1版 第1刷
編著者:ロドルフ・カッセル、マービン・マイヤー、グレゴール・ウルスト
バート・D・アーマン
訳者:藤井留美、田辺喜久子、村田綾子、花田知恵、金子周介、関利枝子
発行:日経ナショナル ジオグラフィック社
書籍コード:ISBN4-931450-60-X
定価:本体1,800円
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キリスト教の福音書、すなわちイエス・キリストの死と復活(イエスの良き知らせ)を語る言行録として新約聖書に収められている「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」そして「ヨハネによる福音書」という4つの福音書が正典とされている。
それらの冠につけられた名はすべて人の名である。その聖書に登場する人物の中で、イエスを別とするなら "イスカリオテのユダ" は最も印象的な人物ではないだろうか。
彼は銀貨30枚で師イエスを裏切った悪役中の悪役であり、"ユダ" は裏切り者の代名詞であり、歴史上最たる嫌われ者として言い伝えられてきた人物である。しかし1970年代に発見され、2001年にそのボロボロのパピルス文書から解読された「ユダの福音書」は、その裏切り者のユダの視点から書かれた福音書だった。
「ユダの福音書」は紀元180年頃、司教エイレナイオスの書物の中で異端としてその名があるそうだが、これまで発見されたことはなかった。
問題は「ユダの福音書」の内容だ。そこにはユダは悪役どころか、師イエスを一番理解した弟子として描かれ、あの裏切りもイエスとユダの密約であり、ユダがイエスの願いを忠実に実行したに過ぎないとする衝撃的な内容が含まれていた。
「原典・ユダの福音書」はその「ユダの福音書」を解説した書であるが「ユダの福音書を追え」はその発見から解読に至るドキュメントを綴った一冊である。これらを読むことで「ユダの福音書」の内容はもとより、専門家がこれほどひどいパピルス文書は見たことがないといった...塵芥になる寸前だったものを復元し、解読していく姿を読者はサスペンスを見るがごとく追うことが出来る。しかしユダの福音書」は、その内容や価値も分からないままに多くの人の手に渡り、商売の対象として不当な扱いをされ、その流浪の旅を知るにつけ、現実社会における人間たちの醜い姿に怒りを覚える。

※日経ナショナル・ジオグラフィック社刊「ユダの福音書を追え」と「原典・ユダの福音書」の2冊の表紙
さてよく知られているように前記した4つの福音書はキリスト教の歴史の中で意図的に定められたものであり、実際にはその他にも多くの福音書が書かれた。それらは正典に対して外典と呼ばれ、正典とは異なった視点からイエスを捉えているものだ。
また「ユダの福音書」を代表する外典の多くはグノーシス派の内容であるというが、素人が知ったかぶりをできる内容ではないのでここでは深く追求しないことにしよう(笑)。
その素人の私でも「ユダの福音書」そのものについて、初期キリスト教あるいは教団が形成されていくありさまを研究する上で大変貴重なものであることは理解できる。だから確かに「世紀の大発見」であることは事実だし、あの死海文書などと共にそれらを研究する人たちにとっては宝物に違いない。
しかしキリスト教というより、イエス・キリストという歴史上に存在し、神の子と呼ばれた生身のイエスに興味を持って聖書などを楽しんでいるド素人から見れば、正直そんなに衝撃的には思えないのである。
何故か...。それはもともと聖書にはまだまだ多くのミステリーがあるからで、イエスの言動が記録されているという福音書に登場する物言いも、文化・歴史の違いや日本語訳の問題だけでなく、その意図や意味が分からないものも多い。だからこその魅力もあり、多くの物語がそこから生まれてきたということもある。
「ユダの福音書」がこれまで私たちが知っていた内容と違うのは、ユダは裏切り者でないばかりか、イエス一番の理解者であっただけなく、イエスを裏切ったとされる行動もイエスから託された使命を弟子として忠実に履行しただけという点にある。
たぶんキリスト教の信者であれば、こんなハチャメチャでこれまでの価値観を180度転換してしまう内容など、それこそ悪魔の書であると一刀両断に切り捨てるところだろうが、信者でもない私などから見ればそんなに不自然な内容ではないのだ...。
大変乱暴な物言いになるが、キリスト教の教義は神の子イエスが人類の罪をあがなうために十字架上で磔にされた後、復活するところがミソだ。だから、そもそもイエスが磔にされなかったとしたら復活もなく、現在のキリスト教の教義自体がなりたたないことになる。
そのイエスの磔はユダがイエスを裏切ることで成立するわけで、逆説的だがいかにユダが大切な役割を果たしているかがわかる...。もともとユダはイエス教団の金庫番であり、皆に信頼されていた人物なのだ。
そしてなりよりもイエス自身は、自分が捕らわれて殺されることをはっきりと自覚しているし、特にあの有名な「最後の晩餐」あたりからイエスの言動はどうも私などには不審な点も多い。
なぜなら「最後の晩餐」のシーンは「...あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」とイエスが発言して弟子達が騒ぎ出すあの名場面だが、イエスは自身の運命を知っていたわけだ。
「ヨハネの福音書」によれば、弟子達が「主よ、それはだれのことですか」と聞くと「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」といい、ユダに渡す...。ユダがパンを受け取ると、サタンが彼の中に入ったとあるが、そのときイエスはユダに対して「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」という...。
この物言いを素直に受け取るなら、明らかにイエスはユダに「するべき事を行え」と催促あるいは命令しているように思える。
歴史に「もしも」はタブーだが、福音書を読むだけでもイエスがもし反対派に捕らわれるのを嫌うのなら、いくらでも方法があったと思われる。また囚われの身となった後のイエスもピラトを初めとする尋問にろくに応えようとしないばかりか、釈明もしない。明らかに死刑の道を自身で選択しているようにも思える。
ピラト自身、イエスを死刑にするだけの罪を見いだせず苦悩している。そして最後は群衆に「バラバを取るかイエスか?」と投げかけ、群衆の「イエスを死刑にしろ」という声に押されてしまう。
この辺の流れが、これまでどうしても釈然とせず、小骨が喉にひっかかっているような感覚を消し去ることができなかった。しかしもし、イエスとユダの間に密約があり、イエスの覚悟を知ることが出来たただ一人の弟子、ユダが密約通りに"裏切り"を実行したとするなら、先の「最後の晩餐」シーンの意味もよくわかる。ユダは率先して尊敬し、愛する師のために文字通り人類史上最も嫌われ者となる重要な役割を実行したのだ。
ところで「ユダの福音書」の原典はギリシア語であったとされているが、発見されたパピルスはそれをコプト語で翻訳したものだといわれて、2世紀の作に間違いないようだ。ただし申し上げるまでもないが発見された「ユダの福音書」は2世紀に作られたものに間違いないとしても、その内容が史実であるかはまた別の話である(笑)。とはいえ、当時から様々な福音書が作られ、いろいろな教義が存在したことは事実であり、繰り返すがキリスト教の成立初期の状況を把握するためには大変重要な資料であることは間違いない。
そもそも歴史は勝者の記録であり、「ユダの福音書」のような当時から異端のレッテルを貼られた書は後世に残ること自体が難しいものだ。そして歴史というものは、書かれていない...語られないことも重要だということを知っておきたい。
「ユダの福音書」本の帯には「キリスト教史を揺るがす衝撃の発見」とあるが、教徒ではない私には「ユダの福音書」の内容はいささかもイエス・キリストのイメージを損なうものではなかった。この「ユダの福音書」に登場するイエスは、弟子達に向かってよく笑う大変魅力的な人として描かれている。
その昔、遠藤周作の小説「イエスの生涯」「キリストの誕生」に感銘を受け、奇跡を起こすことができない無力のイエスにも魅力を感じたが、「ユダの福音書」における笑いかけるイエスにも是非会ってみたい(笑)。
いま、勢いに乗ってもうひとつの異端書...外典である「マリアの福音書」を楽しみながら読んでいる。また別途感想をご報告できたらと思う。
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■ユダの福音書を追え
2006年5月8日 第1版 第1刷
著者:ハーバート・クロスニー
訳者:関利枝子、北村京子、村田綾子、花田知恵、杉浦茂樹、田辺久美江、藤井留美、
竹熊誠、佐藤利恵、金子周介
発行:日経ナショナル ジオグラフィック社
書籍コード:ISBN4-931450-60-1
定価:本体1,900円
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■原典・ユダの福音書
2006年6月5日 第1版 第1刷
編著者:ロドルフ・カッセル、マービン・マイヤー、グレゴール・ウルスト
バート・D・アーマン
訳者:藤井留美、田辺喜久子、村田綾子、花田知恵、金子周介、関利枝子
発行:日経ナショナル ジオグラフィック社
書籍コード:ISBN4-931450-60-X
定価:本体1,800円
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