今年忘れられぬ歌となった〜すぎもとまさとの「吾亦紅」を聴いて...
今年の5月に「千の風になって」を聴いた衝撃を受けたが、この歌はすでに知らない人がいないくらい有名になった。私にとってその「千の風になって」と双璧ともいえるもうひとつの歌が "すぎもとまさと"「吾亦紅(われもこう)」である。
吾亦紅とは広辞苑 第五版によれば、バラ科の多年草で山野に自生し、高さ60〜90センチメートル。晩夏、暗紅紫色の小花を球形の花序に密生。果実も同色。若葉は食用、根は止血にも効くという植物だそうである。
正直、見たことはあるかも知れないが、この植物の名は始めて知った...。
無論私が感銘を受けたのは吾亦紅の花にではなく、「吾亦紅」という曲をラジオで聴いた事から始まる。
実は「吾亦紅」どころか、歌い手の"すぎもとまさと"すら知らなかった...。しかし偶然にこの曲がラジオから流れてきたとき「千の風になって」とは別の意味で涙が止まらなくなった。「千の風になって」の涙ははらはらと頬を伝ったが、「吾亦紅」は自室にいたこともあって号泣だった。

「吾亦紅」は「千の風になって」とは違い、どこか泥臭い。そして "すぎもとまさと" が歌う他の曲は知らないものの「吾亦紅」は歌心と共にその詩が心に大きく覆い被さり圧迫する。
亡き母に現在の自分の生き様と思いを切々と語るその詩は壮絶ともいえる。仕事が忙しいことを理由に故郷へ足を向けることもままならない男...。しばらく墓前に手を合わせることすらできなかった男の姿は自身のぐうたらさと重なり、自戒の念がふつふつと湧いてくる。
この歌は、"すぎもとまさと" 自身が母親を亡くしたとき、友人の作詞家ちあき哲也から「お母様へ」と渡された詩に曲を付け、自ら歌ったものだという。もともとはとても私的な作品なのだ。それだけに飾りがない心情が伝わってくるようだ。
さて、「吾亦紅」を聴いていると当然ながら我が母のことを思い出す。若いときは常陽銀行の行員で洋画(映画)にも詳しいモダンな母だった。
その母は2001年7月に長く辛い病棟生活のうちに亡くなった。入院が続いた母は家に帰りたいと訴え続けたもののそれが許される病状ではなかった。まさしくその儘を諭す弟に母は癇癪をおこしてベットから物を投げつけた。気性の激しい母でもあった。
しかしそれもいま思えば生きたい一心だったからに違いない。母はもっともっと生きたかったのだ...。
最初に入院した大学病院の医療ミス同然の杜撰さもあって、母には必要以上の辛い思いをさせた。だから亡くなったとき、すでに覚悟もできていたし、これで「楽になったね」と心の中で叫んだほどだから涙は出なかった。病院も転々と変わったが、最後を看取ってくれた看護婦さんが泣いてくれたと聞き嬉しかった...。
自分の髪に白いものが多くなり、あちらこちらにガタがきて初めて母親という存在を正面から考えられるようになった。男なんて皆そんなものかも知れないが、若いときには母の愛とか母の生き様だなんてことを口にするなど反吐が出るほど嫌だった。
いま顔を洗って鏡をのぞけば、自分の顔にあなたの姿がオーバーラップする。昔はそれも嫌だったけど、それもただただ懐かしい。遺言もなかったが、思えば「人様に迷惑をかけるな」ということだけしかいわない母だった。
女房を気に入り、とても可愛がってくれた。そして会う度に「お前には過ぎたる女房だから大切にしなさい」と小言のようにいっていた...。
あなたはいまこの世にいないけど、あなたの姿やその声はいつでも鮮明に蘇ってくる。「吾亦紅」を聴きながら亡き母を思い、素直に涙を流せる自分に少し驚いている。
吾亦紅とは広辞苑 第五版によれば、バラ科の多年草で山野に自生し、高さ60〜90センチメートル。晩夏、暗紅紫色の小花を球形の花序に密生。果実も同色。若葉は食用、根は止血にも効くという植物だそうである。
正直、見たことはあるかも知れないが、この植物の名は始めて知った...。
無論私が感銘を受けたのは吾亦紅の花にではなく、「吾亦紅」という曲をラジオで聴いた事から始まる。
実は「吾亦紅」どころか、歌い手の"すぎもとまさと"すら知らなかった...。しかし偶然にこの曲がラジオから流れてきたとき「千の風になって」とは別の意味で涙が止まらなくなった。「千の風になって」の涙ははらはらと頬を伝ったが、「吾亦紅」は自室にいたこともあって号泣だった。

「吾亦紅」は「千の風になって」とは違い、どこか泥臭い。そして "すぎもとまさと" が歌う他の曲は知らないものの「吾亦紅」は歌心と共にその詩が心に大きく覆い被さり圧迫する。
亡き母に現在の自分の生き様と思いを切々と語るその詩は壮絶ともいえる。仕事が忙しいことを理由に故郷へ足を向けることもままならない男...。しばらく墓前に手を合わせることすらできなかった男の姿は自身のぐうたらさと重なり、自戒の念がふつふつと湧いてくる。
この歌は、"すぎもとまさと" 自身が母親を亡くしたとき、友人の作詞家ちあき哲也から「お母様へ」と渡された詩に曲を付け、自ら歌ったものだという。もともとはとても私的な作品なのだ。それだけに飾りがない心情が伝わってくるようだ。
さて、「吾亦紅」を聴いていると当然ながら我が母のことを思い出す。若いときは常陽銀行の行員で洋画(映画)にも詳しいモダンな母だった。
その母は2001年7月に長く辛い病棟生活のうちに亡くなった。入院が続いた母は家に帰りたいと訴え続けたもののそれが許される病状ではなかった。まさしくその儘を諭す弟に母は癇癪をおこしてベットから物を投げつけた。気性の激しい母でもあった。
しかしそれもいま思えば生きたい一心だったからに違いない。母はもっともっと生きたかったのだ...。
最初に入院した大学病院の医療ミス同然の杜撰さもあって、母には必要以上の辛い思いをさせた。だから亡くなったとき、すでに覚悟もできていたし、これで「楽になったね」と心の中で叫んだほどだから涙は出なかった。病院も転々と変わったが、最後を看取ってくれた看護婦さんが泣いてくれたと聞き嬉しかった...。
自分の髪に白いものが多くなり、あちらこちらにガタがきて初めて母親という存在を正面から考えられるようになった。男なんて皆そんなものかも知れないが、若いときには母の愛とか母の生き様だなんてことを口にするなど反吐が出るほど嫌だった。
いま顔を洗って鏡をのぞけば、自分の顔にあなたの姿がオーバーラップする。昔はそれも嫌だったけど、それもただただ懐かしい。遺言もなかったが、思えば「人様に迷惑をかけるな」ということだけしかいわない母だった。
女房を気に入り、とても可愛がってくれた。そして会う度に「お前には過ぎたる女房だから大切にしなさい」と小言のようにいっていた...。
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