コンラート・ローレンツ著「人 イヌにあう」の勧め
何事にも別格というものがある。これは書籍でも同じ事が言えると思う。犬や動物に関する著作はメチャ多いがコンラート・ローレンツ著「人 イヌにあう」はそうした中で格調の高さといい、まさしく別格であろう。そして本書は単なる動物行動学の著書ではなく文学作品のようでもあり間違いなく名著だ。
コンラート・ローレンツ(1903年~1989年)はオーストリアの動物行動学者でハイイロガンのヒナに自身が母親に間違われたことからインプリンティング(刷り込み)現象を発見し、1973年にはノーベル賞医学生理学賞を受賞している。
ローレンツは別著「ソロモンの指輪」で「この本はなによりも生きた動物たちにたいする私の愛から生まれたことにまちがいはないが、と同時に、動物のことをあつかったもろもろの本にたいする私の怒りから生まれたものでもあったので...」と記している。
何に対する怒りか? それは「今日あらゆる出版社から刊行されているおよそ悪質な虚偽にみちた動物の話に対する怒り、動物のことを語ると称しながら動物について何一つ知らぬ著者たちに対する怒りだ」と...。そして「無責任に書かれた動物の話が読者、とくに強い関心をもつ少年たちの間にどれほど多くの誤りをもたらすかを見逃すわけにはいかない」と書かれている。
本書「人 イヌにあう」は動物、主に犬を扱った本としては古典の類に入り名著と称されている一冊である。そしてローレンツとその飼い犬や飼い猫たちとのエピソードは良質の文学を読んでいるようで格調の高さを感じると共に心地よく自然に犬という生き物の真の姿を知ることが出来る。
これまで愛犬と飼い主の物語はそれこそ無数にある。それらの中にはフィクションも多いが、本書の「イヌの個性」の項に登場するローレンツと愛犬スタシの実話は涙なくしては読めないし、こうした絆こそ私たちが愛犬との間に求めているものではないだろうか。そして犬がどれほど知能が高い生き物なのか、なぜ「人類最古の友」と言われるのかを伺い知る逸話ばかりである。

私は当サイトの別項で自身の愛犬との生活を「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」と題して綴っているが、犬を飼おうとしたとき経験のない不安から、いや...何でもスタイルから入るクセのある私としては予備知識を得たいと多くのワンコ育児書なるものを買い込んだ。その一部はその「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」にも記してあるが、犬を飼う当事者の私がそれらの本に大いなる違和感を感じたのである。
無論役に立った知識もあったことは認めるが、読めば読むほど「私たちは何のために犬を飼うのか」という本来の目的が歪められていくような感覚を持たざるを得なかったのである。
なぜか...。それは犬という生き物は前記したように人類最古の友などと言われているわりには御しがたく、何とか飼い主の思うように立ち振る舞させるようにといわゆる”調教”しなけばならないといったイメージばかりが先行しているからだ。「こうも教えなければならない」、「こんなことを許してはいけない」といったようなことが育児書には山積みだ。そんなに大変なら犬なんて飼わなければいいかな...と思うほど、いかにしたら飼い犬を飼い主の思い通りにさせるかに力を注いでいるように思える。
申し上げるまでもなく飼い犬も間違えれば危険な存在になることもあり得るが、愛犬はもとより周りの沢山の犬を見ていても昨今の人間よりずっと危険はないように思える(笑)。だからあまり「調教、調教」と神経質になる必要はないのかも知れない。
犬は表現手段として我々のように両手を自由に使えるわけではなく、文字通りの会話で意思疎通することができない。したがって噛んだり吠えたりするのは程度問題としても当然のことなのだ。そして犬の問題は総じて人間側、飼い主側の問題であることをきちんと認識すべきだと思う。我々はあまりにも愛犬のことを知らなすぎるのだ。
だから「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」で度々申し上げているとおり、調教といった立場からしか犬を見ていない関係書籍には違和感を覚えるわけである。
言い方を変えるなら、私はブリーダーになるために犬を飼おうとしたわけでもなく、ドッグショーで愛犬を優勝させたいわけでもない。そして犬のサーカスをやろうとするのでもなく、命のあるオモチャとして犬を求めたわけでもない。ましてや自身の憤怒の矛先を向ける相手を犬に求めるわけでもない。
人生の伴侶、友人として連れ合いたいと願っただけだ...。
ただそこは人と犬は相容れない部分もあることも事実である。ローレンツも犬や猫を人一倍愛しながらも行きすぎた擬人的動物観を避け、動物と人間との区別を明確に指導している点も興味深い。かといって機械的な動物観になっていないところがローレンツのローレンツたる所以であろう。そして動物を知ることがどれほど人間を知ることに通じるかという示唆にも大いに思い当たる。
とはいえ犬に対して不必要な過大評価は避けているもののローレンツ独特の見解は説得力がある。例えば犬は家畜化されたために人間に対する理解において類人猿より優れているという意見や、一般的に犬には人間の言語理解能力は無いあるいは希薄と言われるが、ローレンツは犬は人間の発音を聞き分ける能力を持っていると指摘する。
すでに犬を飼っている方々の中には本著を読んでいる人は多いと思うが、もしまだなら是非是非ゴールデンウィークの一日を潰してでもお読みになることをお勧めしたい。勿論まだ飼ってはいないが犬に興味がある人にもお勧めである。きっと犬の本当の素晴らしさを再認識され飼いたくなるに違いない。
最後にひと言付け加えるが、コンラート・ローレンツは本書において犬の祖先に関しジャッカル説を取っている。しかし後にローレンツはこの自説を取り下げ小型オオカミ説を取った。
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「人 イヌにあう」
1966年7月15日 第1刷発行/2003年3月20日 第21刷発行
著者:コンラート・ローレンツ
訳者:小原秀雄
発行所:株式会社至誠堂
コード:ISBN4-7953-0208-1
価格:1,400円(税別)
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コンラート・ローレンツ(1903年~1989年)はオーストリアの動物行動学者でハイイロガンのヒナに自身が母親に間違われたことからインプリンティング(刷り込み)現象を発見し、1973年にはノーベル賞医学生理学賞を受賞している。
ローレンツは別著「ソロモンの指輪」で「この本はなによりも生きた動物たちにたいする私の愛から生まれたことにまちがいはないが、と同時に、動物のことをあつかったもろもろの本にたいする私の怒りから生まれたものでもあったので...」と記している。
何に対する怒りか? それは「今日あらゆる出版社から刊行されているおよそ悪質な虚偽にみちた動物の話に対する怒り、動物のことを語ると称しながら動物について何一つ知らぬ著者たちに対する怒りだ」と...。そして「無責任に書かれた動物の話が読者、とくに強い関心をもつ少年たちの間にどれほど多くの誤りをもたらすかを見逃すわけにはいかない」と書かれている。
本書「人 イヌにあう」は動物、主に犬を扱った本としては古典の類に入り名著と称されている一冊である。そしてローレンツとその飼い犬や飼い猫たちとのエピソードは良質の文学を読んでいるようで格調の高さを感じると共に心地よく自然に犬という生き物の真の姿を知ることが出来る。
これまで愛犬と飼い主の物語はそれこそ無数にある。それらの中にはフィクションも多いが、本書の「イヌの個性」の項に登場するローレンツと愛犬スタシの実話は涙なくしては読めないし、こうした絆こそ私たちが愛犬との間に求めているものではないだろうか。そして犬がどれほど知能が高い生き物なのか、なぜ「人類最古の友」と言われるのかを伺い知る逸話ばかりである。

私は当サイトの別項で自身の愛犬との生活を「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」と題して綴っているが、犬を飼おうとしたとき経験のない不安から、いや...何でもスタイルから入るクセのある私としては予備知識を得たいと多くのワンコ育児書なるものを買い込んだ。その一部はその「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」にも記してあるが、犬を飼う当事者の私がそれらの本に大いなる違和感を感じたのである。
無論役に立った知識もあったことは認めるが、読めば読むほど「私たちは何のために犬を飼うのか」という本来の目的が歪められていくような感覚を持たざるを得なかったのである。
なぜか...。それは犬という生き物は前記したように人類最古の友などと言われているわりには御しがたく、何とか飼い主の思うように立ち振る舞させるようにといわゆる”調教”しなけばならないといったイメージばかりが先行しているからだ。「こうも教えなければならない」、「こんなことを許してはいけない」といったようなことが育児書には山積みだ。そんなに大変なら犬なんて飼わなければいいかな...と思うほど、いかにしたら飼い犬を飼い主の思い通りにさせるかに力を注いでいるように思える。
申し上げるまでもなく飼い犬も間違えれば危険な存在になることもあり得るが、愛犬はもとより周りの沢山の犬を見ていても昨今の人間よりずっと危険はないように思える(笑)。だからあまり「調教、調教」と神経質になる必要はないのかも知れない。
犬は表現手段として我々のように両手を自由に使えるわけではなく、文字通りの会話で意思疎通することができない。したがって噛んだり吠えたりするのは程度問題としても当然のことなのだ。そして犬の問題は総じて人間側、飼い主側の問題であることをきちんと認識すべきだと思う。我々はあまりにも愛犬のことを知らなすぎるのだ。
だから「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」で度々申し上げているとおり、調教といった立場からしか犬を見ていない関係書籍には違和感を覚えるわけである。
言い方を変えるなら、私はブリーダーになるために犬を飼おうとしたわけでもなく、ドッグショーで愛犬を優勝させたいわけでもない。そして犬のサーカスをやろうとするのでもなく、命のあるオモチャとして犬を求めたわけでもない。ましてや自身の憤怒の矛先を向ける相手を犬に求めるわけでもない。
人生の伴侶、友人として連れ合いたいと願っただけだ...。
ただそこは人と犬は相容れない部分もあることも事実である。ローレンツも犬や猫を人一倍愛しながらも行きすぎた擬人的動物観を避け、動物と人間との区別を明確に指導している点も興味深い。かといって機械的な動物観になっていないところがローレンツのローレンツたる所以であろう。そして動物を知ることがどれほど人間を知ることに通じるかという示唆にも大いに思い当たる。
とはいえ犬に対して不必要な過大評価は避けているもののローレンツ独特の見解は説得力がある。例えば犬は家畜化されたために人間に対する理解において類人猿より優れているという意見や、一般的に犬には人間の言語理解能力は無いあるいは希薄と言われるが、ローレンツは犬は人間の発音を聞き分ける能力を持っていると指摘する。
すでに犬を飼っている方々の中には本著を読んでいる人は多いと思うが、もしまだなら是非是非ゴールデンウィークの一日を潰してでもお読みになることをお勧めしたい。勿論まだ飼ってはいないが犬に興味がある人にもお勧めである。きっと犬の本当の素晴らしさを再認識され飼いたくなるに違いない。
最後にひと言付け加えるが、コンラート・ローレンツは本書において犬の祖先に関しジャッカル説を取っている。しかし後にローレンツはこの自説を取り下げ小型オオカミ説を取った。
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「人 イヌにあう」
1966年7月15日 第1刷発行/2003年3月20日 第21刷発行
著者:コンラート・ローレンツ
訳者:小原秀雄
発行所:株式会社至誠堂
コード:ISBN4-7953-0208-1
価格:1,400円(税別)
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