市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」雑記
戦国武将の前田慶次について細かな紹介は不用かも知れないが、私の場合この奇異な武将に興味を持ったのは隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」でもなければ人気コミックだという「花の慶次」からでもない。ともかく慶次は荒唐無稽なイメージが一人歩きしているようだがその実像を知りたいと思いつつ「前田慶次道中日記」にたどり着いた。
私は「鬼平犯科帳」とか「剣客商売」など、池波正太郎の作品や藤沢周平の「清左衛門残日録」などを別にすると時代劇が特に好きだということはない。ただし10年ほど前から居合いの真似事をはじめたこともあって“日本刀”そのものが好きなのである。とはいっても本物を手にする勇気もないのでいわゆる模造刀を数振り持っているだけだが、刃は付いていないもののそれでも扱いを間違えると怪我をする...。
この日本刀に関しては別途書いてみたいことが多々あるが、そのさまざまな刀剣の “拵 (こしらえ)〜刀の外装” はまさしく日本人の感性ならびに美意識の優れた証明になるのではないかと思う。
例えば「江戸の刀剣拵-コレクション」(井出正信著/里文出版)といった本は私の隠れた愛読書でもある。とにかく刀は美しいのである。
そんなわけで随分と前のことだが久しぶりに大刀ではなく脇差しを求めたくなり探したところとても気に入った一振りがあった。それがたまたま昨今の人気からか前田慶次モデルと銘打った拵だった。

※前田慶次モデルの脇差し(模造刀)。お気に入りの一振りである
無論多少は戦国時代や江戸時代の歴史を知っているから前田慶次という傾奇(かぶき)者...伊達者の勇者の名は承知していたが俄然強い興味を持ち、まずは遅ればせながら定石ともいうべきか...隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」などを読んでみた。ちなみに傾奇者とは姿形を好み、異様な振る舞いで人を驚かす者を意味するが織田信長や伊達政宗なども傾奇者といえようか...。ともかくもこの破天荒な人物の実像を知りたいと思い立ち調べた結果、市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」にたどり着いたのだった。


※峰慶一郎著「一夢庵風流記」と今福匡著「前田慶次~武家文人の謎と生涯」表紙
この人物は海音寺潮五郎なども取り上げているが、前記したように近年はもっぱら隆慶一郎の小説やそれを原作とした原哲夫の劇画「花の慶次」で広く知られるようになった。ただし実在の人物ではあるものの織田信長とか豊臣秀吉といった天下を狙った人物ではないこともあってかその人物像を知り得る正確な史料が非常に少ないのが残念なところである。
第一出目、すなわちどこで生まれてどのような少年時代や青年時代を過ごしたか、そして死に場所にいたるまで確たる史料は絶無といってよいらしい。ただし定着しつつある説のひとつとしては天文二年(1533)年の生まれで慶長十年(1605)に73歳で没したということになる。したがって彼が様々な逸話を残した年代は劇画「花の慶次」で描かれているような青年の姿ではなく、すでにかなりのオヤジであったはずだ。そしてその残された甲冑などから判断する限り、6尺豊かな巨漢でもないようである。
さらに当時の武士が頻繁にその名を変えるのが普通だったとはいえ、彼の名は慶次の他、慶次郎、慶二、利太、利益、利貞、利卓、宗兵衛などが知られているとおり非常にややこしい...。
さて、彼は滝川一益の甥である儀太夫益氏の子として生まれ、尾張荒子城城主前田利久の養子となったために前田姓であり、加賀藩の基礎を気づいた前田利家は年下の叔父ということになっている。
本来なら慶次が前田家の家督を相続するはずだったが、織田信長のつるの一声で前田利家が継ぐことになり慶次の存在は浮いてしまう。これで利家との主従の立場が逆転することになり、こうしたあれこれがさまざまな屈折した感情を生んだと思われる。しかし慶次は茶道にも通じいくつかの連歌会の常連だったり源氏物語や伊勢物語の奥義を授けられたともいわれ、自ら註釈をほどこしたほど史記についてはエキスパートだったらしくまさしく文武両道に優れた人物だった。そしてひとたび戦時になれば、武芸十八般に通じ愛馬(松風)にまたがり赤柄の槍を抱えて比類のない戦いぶりを見せたのは史実であるようだし後年上杉のために和平交渉に赴くシーンなどはまさしく絵になる人物である。
ただし今日まで伝わっている彼の伝説は荒唐無稽なものが多い。だから興味を持っただけにできるならその実像を知りたいと思うのは当然であろう...。
そんな伝説の中で私が好きなのをひとつだけご紹介しておこう。
慶次の従僕に従順で忠実な若者がいた。この若者は仏教の信心にこり、時ところかまわず「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。困った慶次だったが頭からがみがみと注意をいうのも芸がないと一計を案じた。
「吾助」「吾助」と朝から晩まで頻繁に名前を呼ぶ。「何か御用ですか」とかしこまる吾助に「いや...別に用はない」と答え、吾助が立ち去るとすぐにまた「吾助」と呼ぶことを繰り返す。
これには吾助も困り果て「旦那様にお願いです。私の名をお呼びになるのは結構ですが格別御用のない時にはお止めいただけますようお願いします」と申し入れた。
慶次はその機会を捉えて「わしからも言うて聞かせることがある」とし、お前は仏様を信じて念仏を四六時中唱えているが考えてもみることだ。四六時中「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」では阿弥陀様も返事をしきれないだろう。阿弥陀様にそうしてご迷惑をかけてもいいものか、とくと考えてみろ...と諭したという。
ほとんど史料がない前田慶次だが、彼が慶長六年(1601年)盟友直江兼続を追い京都伏見を出発して米沢に着くまでの二十六日間の道程を書いた直筆といわれる日記「前田慶次道中日記」が市立米沢図書館に収蔵されている。まさしくこの「前田慶次道中日記」の存在がなければ慶次は単に伝説の人物としか語られなかったかも知れない。
実はこの「前田慶次道中日記」は2001年9月に米沢市図書館より「影印本」「資料編」「前田慶次道中行程図」「前田慶次の遺跡を訪ねる」といった内容のものがセットになって出版され好評を博した。
その資料編には道中日記の解読文および現代語訳、その他にも慶次郎の紹介や逸話、遺品や遺跡の紹介が載っている。
私が所持しているのは2005年5月2日に発行されたその改訂二刷りと今年2009年1月1日発行の第五版であるがメインは装丁・本文ともに、原本に忠実に再現された和綴じの影印本であり、原本に添えられた朱書きまで再現されている。
無論その慶次直筆と言われる文体は私などには簡単に読めるわけもないが良質の現代語訳と解説が付いているので対比しながら楽しむことができる。


※市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」二刷一式(上)で右の青いのが和綴じの影印本。下は影印本の内容例
この「前田慶次道中日記」には紫式部が「源氏物語」を書いたと言われる石山寺などの名所旧跡を列挙したり「古今和歌集」の一首を書き付けたり白居易の詩を掲げている。また慶次が過去を思い出す記述には「金剛般若波羅蜜経」の知識があることを臭わせており、慶次が豪放磊落な性格であったと同時に当時としても多方面にわたる教養豊かな人物であったことを伺わせる。

※市立米沢図書館刊「前田慶次道中日記」第五版。2009年1月1日発行
「前田慶次~武家文人の謎と生涯」の著者、今福匡氏によれば本書は慶次の防備録というより、端から人に読ませ楽しませるための文学作品だったのではないかという。そして慶次ファンにとってこの「前田慶次道中日記」はスタンダードなテキストでありかつバイブル的な存在でもあるのだ。
【主な参考資料】
・「前田慶次道中日記」市立米沢図書館刊
・今福匡著「前田慶次~武家文人の謎と生涯」新紀元社刊
・隆慶一郎著「一夢庵風流記」新潮文庫刊
■市立米沢図書館
私は「鬼平犯科帳」とか「剣客商売」など、池波正太郎の作品や藤沢周平の「清左衛門残日録」などを別にすると時代劇が特に好きだということはない。ただし10年ほど前から居合いの真似事をはじめたこともあって“日本刀”そのものが好きなのである。とはいっても本物を手にする勇気もないのでいわゆる模造刀を数振り持っているだけだが、刃は付いていないもののそれでも扱いを間違えると怪我をする...。
この日本刀に関しては別途書いてみたいことが多々あるが、そのさまざまな刀剣の “拵 (こしらえ)〜刀の外装” はまさしく日本人の感性ならびに美意識の優れた証明になるのではないかと思う。
例えば「江戸の刀剣拵-コレクション」(井出正信著/里文出版)といった本は私の隠れた愛読書でもある。とにかく刀は美しいのである。
そんなわけで随分と前のことだが久しぶりに大刀ではなく脇差しを求めたくなり探したところとても気に入った一振りがあった。それがたまたま昨今の人気からか前田慶次モデルと銘打った拵だった。

※前田慶次モデルの脇差し(模造刀)。お気に入りの一振りである
無論多少は戦国時代や江戸時代の歴史を知っているから前田慶次という傾奇(かぶき)者...伊達者の勇者の名は承知していたが俄然強い興味を持ち、まずは遅ればせながら定石ともいうべきか...隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」などを読んでみた。ちなみに傾奇者とは姿形を好み、異様な振る舞いで人を驚かす者を意味するが織田信長や伊達政宗なども傾奇者といえようか...。ともかくもこの破天荒な人物の実像を知りたいと思い立ち調べた結果、市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」にたどり着いたのだった。


※峰慶一郎著「一夢庵風流記」と今福匡著「前田慶次~武家文人の謎と生涯」表紙
この人物は海音寺潮五郎なども取り上げているが、前記したように近年はもっぱら隆慶一郎の小説やそれを原作とした原哲夫の劇画「花の慶次」で広く知られるようになった。ただし実在の人物ではあるものの織田信長とか豊臣秀吉といった天下を狙った人物ではないこともあってかその人物像を知り得る正確な史料が非常に少ないのが残念なところである。
第一出目、すなわちどこで生まれてどのような少年時代や青年時代を過ごしたか、そして死に場所にいたるまで確たる史料は絶無といってよいらしい。ただし定着しつつある説のひとつとしては天文二年(1533)年の生まれで慶長十年(1605)に73歳で没したということになる。したがって彼が様々な逸話を残した年代は劇画「花の慶次」で描かれているような青年の姿ではなく、すでにかなりのオヤジであったはずだ。そしてその残された甲冑などから判断する限り、6尺豊かな巨漢でもないようである。
さらに当時の武士が頻繁にその名を変えるのが普通だったとはいえ、彼の名は慶次の他、慶次郎、慶二、利太、利益、利貞、利卓、宗兵衛などが知られているとおり非常にややこしい...。
さて、彼は滝川一益の甥である儀太夫益氏の子として生まれ、尾張荒子城城主前田利久の養子となったために前田姓であり、加賀藩の基礎を気づいた前田利家は年下の叔父ということになっている。
本来なら慶次が前田家の家督を相続するはずだったが、織田信長のつるの一声で前田利家が継ぐことになり慶次の存在は浮いてしまう。これで利家との主従の立場が逆転することになり、こうしたあれこれがさまざまな屈折した感情を生んだと思われる。しかし慶次は茶道にも通じいくつかの連歌会の常連だったり源氏物語や伊勢物語の奥義を授けられたともいわれ、自ら註釈をほどこしたほど史記についてはエキスパートだったらしくまさしく文武両道に優れた人物だった。そしてひとたび戦時になれば、武芸十八般に通じ愛馬(松風)にまたがり赤柄の槍を抱えて比類のない戦いぶりを見せたのは史実であるようだし後年上杉のために和平交渉に赴くシーンなどはまさしく絵になる人物である。
ただし今日まで伝わっている彼の伝説は荒唐無稽なものが多い。だから興味を持っただけにできるならその実像を知りたいと思うのは当然であろう...。
そんな伝説の中で私が好きなのをひとつだけご紹介しておこう。
慶次の従僕に従順で忠実な若者がいた。この若者は仏教の信心にこり、時ところかまわず「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。困った慶次だったが頭からがみがみと注意をいうのも芸がないと一計を案じた。
「吾助」「吾助」と朝から晩まで頻繁に名前を呼ぶ。「何か御用ですか」とかしこまる吾助に「いや...別に用はない」と答え、吾助が立ち去るとすぐにまた「吾助」と呼ぶことを繰り返す。
これには吾助も困り果て「旦那様にお願いです。私の名をお呼びになるのは結構ですが格別御用のない時にはお止めいただけますようお願いします」と申し入れた。
慶次はその機会を捉えて「わしからも言うて聞かせることがある」とし、お前は仏様を信じて念仏を四六時中唱えているが考えてもみることだ。四六時中「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」では阿弥陀様も返事をしきれないだろう。阿弥陀様にそうしてご迷惑をかけてもいいものか、とくと考えてみろ...と諭したという。
ほとんど史料がない前田慶次だが、彼が慶長六年(1601年)盟友直江兼続を追い京都伏見を出発して米沢に着くまでの二十六日間の道程を書いた直筆といわれる日記「前田慶次道中日記」が市立米沢図書館に収蔵されている。まさしくこの「前田慶次道中日記」の存在がなければ慶次は単に伝説の人物としか語られなかったかも知れない。
実はこの「前田慶次道中日記」は2001年9月に米沢市図書館より「影印本」「資料編」「前田慶次道中行程図」「前田慶次の遺跡を訪ねる」といった内容のものがセットになって出版され好評を博した。
その資料編には道中日記の解読文および現代語訳、その他にも慶次郎の紹介や逸話、遺品や遺跡の紹介が載っている。
私が所持しているのは2005年5月2日に発行されたその改訂二刷りと今年2009年1月1日発行の第五版であるがメインは装丁・本文ともに、原本に忠実に再現された和綴じの影印本であり、原本に添えられた朱書きまで再現されている。
無論その慶次直筆と言われる文体は私などには簡単に読めるわけもないが良質の現代語訳と解説が付いているので対比しながら楽しむことができる。


※市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」二刷一式(上)で右の青いのが和綴じの影印本。下は影印本の内容例
この「前田慶次道中日記」には紫式部が「源氏物語」を書いたと言われる石山寺などの名所旧跡を列挙したり「古今和歌集」の一首を書き付けたり白居易の詩を掲げている。また慶次が過去を思い出す記述には「金剛般若波羅蜜経」の知識があることを臭わせており、慶次が豪放磊落な性格であったと同時に当時としても多方面にわたる教養豊かな人物であったことを伺わせる。

※市立米沢図書館刊「前田慶次道中日記」第五版。2009年1月1日発行
「前田慶次~武家文人の謎と生涯」の著者、今福匡氏によれば本書は慶次の防備録というより、端から人に読ませ楽しませるための文学作品だったのではないかという。そして慶次ファンにとってこの「前田慶次道中日記」はスタンダードなテキストでありかつバイブル的な存在でもあるのだ。
【主な参考資料】
・「前田慶次道中日記」市立米沢図書館刊
・今福匡著「前田慶次~武家文人の謎と生涯」新紀元社刊
・隆慶一郎著「一夢庵風流記」新潮文庫刊
■市立米沢図書館
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