興福寺の阿修羅に思う
上野の東京国立博物館平成館で国宝の「阿修羅展」が開催されている。奈良興福寺創建1300年記念イベントだという。会場には連日一万人以上の人たちが詰めかけていることもあって、入場待ち時間を携帯サイトで案内までしている。私も仏像好きの阿修羅ファンだが、だからこそ混雑の中では会いたくないので上野にはいかないつもりである。
奈良興福寺にこれまで何度足を向けただろうか..。無論それは阿修羅に会うためであるが、記憶しているだけでも6,7回は阿修羅像の前に立ったはずだ。その憂いのある表面の表情はどこかファンだった今は亡き夏目雅子の面影がある...。
この阿修羅像が東京に来るのは半世紀ぶりだという。あの、みうらじゅん的にいうなら「久々の阿修羅さん東京出張」ということになる(笑)。

※国宝 阿修羅展のパンフレット表面
すでにご存じの方も多いと思うが、この阿修羅像はもと興福寺西金堂に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体である。
この堂は734年(天平六年)光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したもので、光明皇后の強い意志が感じられるという。
興福寺の阿修羅像は3つの顔と6本の腕をもつ少年を思わせる可憐な像だが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されている。
リアルなのは体や顔だけでなく巻きスカートのような着衣、そしてなによりも身につけている装身具類も素晴らしい。
この天平時代、都にはシルクロードを通じてアジア諸国やオリエントの宝石や装身具も入っていたに違いないが、阿修羅の首からかけられているオーナメントに彩られた豪華な宝石類はもとより、腕釧(わんせん)や臂釧(ひせん)といったあでやかなブレスレット類はこの像を女性的なイメージへと誘う感じもする。
しかし阿修羅はもともと古代インドの神で、インド名をアスラという。アスラは戦闘の神であり、激しい気性の持ち主とされ、これまでにも様々な美術作品としても見ることができるが、興福寺の阿修羅にはその激しさはどこにも見られないし八部衆としてもこの一体だけ武装していない。
アスラは帝釈天(インドラ)に多くの戦いを挑むが勝てず、戦うことの苦しみを負い、ついに釈迦に帰依したという。したがって一般的な阿修羅像は怒り顔、三つの顔、6本の腕、そして赤い肌で表されるのが普通だが興福寺の阿修羅は造形として同様でもその表情から怒りがまったく消え、逆に内面に向かった憂いと懺悔の表情をうかべている...といわれる。
ともかく正面の顔を正視すると私は何故か切なくなってくる...。この切なさは正面から向かって左側の表情が下唇を噛んでいる悔しさの表情としか思えない姿を見ると増幅されるのだ。そしてもう一つの顔は私にはどこか魂が離脱でもしたような放心...諦めの表情にも思える。だから阿修羅像の前に立つと人間臭さを感じて共感を覚えるのだ...。
この阿修羅のモデルが誰か...といった論議も結論が出ていない。少年のようでもありまた少女のような中性的なその姿に多くの人たちが魅惑されるが、誰がモデルかについては記録がなく想像するしかない。
当時大陸から渡ってきた異国の少年たちをモデルにしたのではないかという説もあるが、一説には聖武天皇と光明皇后の娘でのちの孝謙・称徳天皇となった阿倍内親王では...という説もあるという。後に道鏡との醜聞で知られる彼女は当時15あるいは16歳だったらしい。
これだけの高度な表現を可能にした作者の名は仏師万福とされているがその作りは渡来仏師の感性とは思えない日本人の魂を揺さぶるものを持っている。
この阿修羅像には6月7日まで上野の東京国立博物館平成館の「国宝・阿修羅展」で逢うことが出来る。
私もできることなら覗いてみようと思っていたが連日大変な人手でピーク時には50分も待たされるというので躊躇している...。
阿修羅との再会が「...止まらないでください!」といったアナウンスの中ではなんともやりきれない...。したがってたぶん上野には足を向けないと思うが、気になったのは開催に合わせて会場限定販売の公式グッズ「阿修羅像フィギュア」が発売されたことだ。ただし予想はしていたものの即売り切れたらしい。
人気の秘密は展示会場のみの特別限定販売品であり公式グッズだということ、そして造形企画製作がフィギュア製作として定評のある海洋堂だからだ。
このフィギュアは阿修羅像を約12分の1スケールでリアルに再現したレジン製のミニチュアモデルであり、一体一体手彩色だという。高さは台座を含めず約12センチほどだ。

※会場限定販売の公式グッズ「阿修羅像フィギュア」
本物の阿修羅像には別の機会にまた会えるとしても、このフィギュアは機会を逃すと入手は難しくなると考え、結局ヤフーオークションで入手することにした。
ともかく幸い念願の阿修羅フィギュアを手に入れることができご機嫌である(笑)。
私は大阪四天王寺の国宝・菩薩半跏思惟像ならびに大阪・観心寺蔵の金銅菩薩立像(共に白鳳時代)のレプリカを所有している仏像マニアの1人だがこれでまた仲間が一体増えたというわけだ。それも仏像界のアイドル中のアイドルが...である。
そのフィギュアとしてのデキはどうかといえば...まあフィギュアであるからして興福寺公認とはいえ正直レプリカのレベルには達していないがそもそも定価が2,980円なのだからこんなものだろう...。しかし今後も国宝級の仏像などの展示には是非ミュージアムグッズとしてこの種の企画を続けて欲しいと思う。
【主な参考資料】
・「国宝阿修羅展」のすべてを楽しむ公式ガイドブック (ぴあMOOK)
・阿修羅を究める
・阿修羅のジュエリー (よりみちパン!セ シリーズ44)
・日本史の謎がおもしろいほどわかる本 (王様文庫)
■国宝・阿修羅展
奈良興福寺にこれまで何度足を向けただろうか..。無論それは阿修羅に会うためであるが、記憶しているだけでも6,7回は阿修羅像の前に立ったはずだ。その憂いのある表面の表情はどこかファンだった今は亡き夏目雅子の面影がある...。
この阿修羅像が東京に来るのは半世紀ぶりだという。あの、みうらじゅん的にいうなら「久々の阿修羅さん東京出張」ということになる(笑)。

※国宝 阿修羅展のパンフレット表面
すでにご存じの方も多いと思うが、この阿修羅像はもと興福寺西金堂に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体である。
この堂は734年(天平六年)光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したもので、光明皇后の強い意志が感じられるという。
興福寺の阿修羅像は3つの顔と6本の腕をもつ少年を思わせる可憐な像だが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されている。
リアルなのは体や顔だけでなく巻きスカートのような着衣、そしてなによりも身につけている装身具類も素晴らしい。
この天平時代、都にはシルクロードを通じてアジア諸国やオリエントの宝石や装身具も入っていたに違いないが、阿修羅の首からかけられているオーナメントに彩られた豪華な宝石類はもとより、腕釧(わんせん)や臂釧(ひせん)といったあでやかなブレスレット類はこの像を女性的なイメージへと誘う感じもする。
しかし阿修羅はもともと古代インドの神で、インド名をアスラという。アスラは戦闘の神であり、激しい気性の持ち主とされ、これまでにも様々な美術作品としても見ることができるが、興福寺の阿修羅にはその激しさはどこにも見られないし八部衆としてもこの一体だけ武装していない。
アスラは帝釈天(インドラ)に多くの戦いを挑むが勝てず、戦うことの苦しみを負い、ついに釈迦に帰依したという。したがって一般的な阿修羅像は怒り顔、三つの顔、6本の腕、そして赤い肌で表されるのが普通だが興福寺の阿修羅は造形として同様でもその表情から怒りがまったく消え、逆に内面に向かった憂いと懺悔の表情をうかべている...といわれる。
ともかく正面の顔を正視すると私は何故か切なくなってくる...。この切なさは正面から向かって左側の表情が下唇を噛んでいる悔しさの表情としか思えない姿を見ると増幅されるのだ。そしてもう一つの顔は私にはどこか魂が離脱でもしたような放心...諦めの表情にも思える。だから阿修羅像の前に立つと人間臭さを感じて共感を覚えるのだ...。
この阿修羅のモデルが誰か...といった論議も結論が出ていない。少年のようでもありまた少女のような中性的なその姿に多くの人たちが魅惑されるが、誰がモデルかについては記録がなく想像するしかない。
当時大陸から渡ってきた異国の少年たちをモデルにしたのではないかという説もあるが、一説には聖武天皇と光明皇后の娘でのちの孝謙・称徳天皇となった阿倍内親王では...という説もあるという。後に道鏡との醜聞で知られる彼女は当時15あるいは16歳だったらしい。
これだけの高度な表現を可能にした作者の名は仏師万福とされているがその作りは渡来仏師の感性とは思えない日本人の魂を揺さぶるものを持っている。
この阿修羅像には6月7日まで上野の東京国立博物館平成館の「国宝・阿修羅展」で逢うことが出来る。
私もできることなら覗いてみようと思っていたが連日大変な人手でピーク時には50分も待たされるというので躊躇している...。
阿修羅との再会が「...止まらないでください!」といったアナウンスの中ではなんともやりきれない...。したがってたぶん上野には足を向けないと思うが、気になったのは開催に合わせて会場限定販売の公式グッズ「阿修羅像フィギュア」が発売されたことだ。ただし予想はしていたものの即売り切れたらしい。
人気の秘密は展示会場のみの特別限定販売品であり公式グッズだということ、そして造形企画製作がフィギュア製作として定評のある海洋堂だからだ。
このフィギュアは阿修羅像を約12分の1スケールでリアルに再現したレジン製のミニチュアモデルであり、一体一体手彩色だという。高さは台座を含めず約12センチほどだ。

※会場限定販売の公式グッズ「阿修羅像フィギュア」
本物の阿修羅像には別の機会にまた会えるとしても、このフィギュアは機会を逃すと入手は難しくなると考え、結局ヤフーオークションで入手することにした。
ともかく幸い念願の阿修羅フィギュアを手に入れることができご機嫌である(笑)。
私は大阪四天王寺の国宝・菩薩半跏思惟像ならびに大阪・観心寺蔵の金銅菩薩立像(共に白鳳時代)のレプリカを所有している仏像マニアの1人だがこれでまた仲間が一体増えたというわけだ。それも仏像界のアイドル中のアイドルが...である。
そのフィギュアとしてのデキはどうかといえば...まあフィギュアであるからして興福寺公認とはいえ正直レプリカのレベルには達していないがそもそも定価が2,980円なのだからこんなものだろう...。しかし今後も国宝級の仏像などの展示には是非ミュージアムグッズとしてこの種の企画を続けて欲しいと思う。
【主な参考資料】
・「国宝阿修羅展」のすべてを楽しむ公式ガイドブック (ぴあMOOK)
・阿修羅を究める
・阿修羅のジュエリー (よりみちパン!セ シリーズ44)
・日本史の謎がおもしろいほどわかる本 (王様文庫)
■国宝・阿修羅展
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