ソフトハウス時代スタッフの結婚披露宴参列のために札幌へ
ソフトハウス時代の話だが、1990年暮れに札幌支店を開設したことでその後約13年もの間、月に最低1回は札幌と新宿を行き来していた。札幌の街並みが気に入り仕事とは言え出向くのを毎回楽しみにしていたが、それは街並みだけでなく我が子と同様な年代の2人の女性スタッフの笑顔に会うのが嬉しかったからでもある。今般そのひとりW嬢の結婚披露宴に招待いただいたので喜び勇んで駆けつけた...。
札幌の街に入るのは約2年半ぶりになる...。昔は毎月出向いていた場所でもありまだまだロケーションも多少は覚えているからあまり戸惑うことはないしリラックスできる場所でもある。
その札幌には1990年秋に支店を開設してから2003年に事務所を閉鎖するまで実にさまざまなことがあった。
駅近くのビルでプライベートイベントを開催する際には東京本社スタッフ全員は勿論、支援していただく方々ならびにMac Fan誌やMacLife誌の編集長、アップルジャパンのデベロッパー担当者、デザイナー、流通企業担当者、公認会計士、顧問弁護士といった方々にご一緒いただくためホテルのリザーブから航空チケットの手配などに気を使ったことなどが思い出される。そしてイベント終了後は有志たちで小樽観光をしたりと楽しい想い出も多い...。

※宿泊のホテルに近かったことでもあり時計台の姿も見てきた
今般の結構披露宴参列は1996年4月に当時私の会社に新卒者として入社したW嬢から招待いただいたものだ。W嬢は前記した札幌支店で日常のルーチンワークの他、プライベートイベントの企画ならびに運営全般を取り仕切っていたスタッフでもあり、最後の最後まで苦楽を共にしてきた1人であった。
W嬢と後輩のY嬢2人は会社解散の残務整理に至るまで私の体調と精神状態まで気遣ってくれ、本来は後ろ向きの辛い仕事を最後まできちんとやってのけてくれた。だからというわけではないが両名は私にとって大切な仲間であり、共にそれぞれのご両親たちにも公言してはばからないが「第2の父親」を自負してきた(笑)。したがってW嬢が結婚されたことは大きな喜びであるが反面自分の子供が遠くにいってしまうような寂しさも少々感じている...。
あれは1995年のことだった...。それまで札幌支店に勤務していた女性が結婚退職することになり急遽人材を探す必要が出た。ただしそのときの私にはひとつの強い決意があった。
会社を起業してすでに6年になっていたが幸い業績はよかったこともあり、このチャンスに新しい風を入れてみたいと考えた。どういうことか...。
それは私たちのような超マイクロ企業が起業する場合、当然のこととはいえスタッフ等はどうしても手近から探さざるを得ない。私の会社も日常の事務や雑務をこなしてくれる人材が必要なのは目に見えていたものの新聞などに募集をかける時間も余裕もなかった。そしてどうしても即戦力を期待することでもありそれまで私が勤務していた会社の女性を引き抜き、たった3人で会社をスタートした。その後に経理専門のスタッフを探すときにもその女性の友人を紹介されて雇うことになったが、事ほど左様にいわゆる縁故といった探し方にならざるを得なかったわけだ。前記した札幌支店に勤務していた女性も札幌支店長の姪でありいわゆる縁故採用だったのである。
そうした選択がすべて悪いという訳ではないものの会社が多少でも軌道に乗ったいま、仲間意識だけではない新しい人材を迎えてみたいと思うに至ったのだ。
とはいえこれまた新聞や専門雑誌に頼る自信もなく、結局地元S大学のS先生にお電話をし「新卒者を一人ご紹介いたたけないか」と相談した結果面接を受けに来社したのがW嬢だったのである。
面接の当日私はそのために札幌支店に出張したが、古めかしい事務所の応接室に座っていた彼女は輝いて見えた。
いまもその際に彼女が持参した身上調査票に添付した写真が残っているが、彼女としても重要な就職の機会であるからと最大のおめかしをしてその場に臨んだことは明らかだった(笑)。
結局来年の卒業を待って入社していただくことが決まったが私の役割と責任をあらためて強く感じざるを得なかった。
私自身東証一部上場のいわゆる大企業に入社し、その後社長ひとりしかいないという会社にも勤務した経験から大きいから小さいからといってもそれぞれ短所と長所があることを肌で感じていた。しかしマイクロ企業が大会社にどうしても太刀打ちできないことが2つあるとも実感していた。
その1つは福利厚生であり2つ目が新人教育にかける時間とコストである。
福利厚生の差はどうしようもないので諦めてもらうしかないが、重要なのは小さな会社に勤務したために当人の能力が活かされず、伸びる機会やきっかけもないままに年月だけ過ぎていく...ということになっては申し訳ないし会社にとっても大きな損失だと考えた。したがって入社半年程度までは私の時間を最優先に確保し、我々が何を考えて物作りをしているのかといった企業の根本を知ってもらうのは勿論、新卒のW嬢をなるべく短期間に一人前となるよう教育することを決心したのだった...。
彼女に関する面白いエピソードは多々あるが、ここではそれらに触れないものの彼女の素直さ、聡明さ、そして旺盛な好奇心も手伝って回りからも可愛がられ、前記したように難しい外部との折衝までこなすようになってくれたのである。私はその間、僭越なもの言いではあるが人を育てるという大変難しくもやり甲斐のある仕事に生き甲斐を覚えていた。
その秘蔵のスタッフ(笑)が新しい就職先で頑張っていることは本人からもお聞きしていたものの、結婚するというのだから私の喜びも如何ばかりかとご推察いただけると思う...。
そんな想い出多き札幌に8月1日の土曜日の昼過ぎ到着した。まずは荷物を置いて楽にしようと札幌駅にも近い全日空ホテルにチェックインをする。
以前イベントの際に使った事があるホテルでもあるが当時はフロントの態度や接客が悪く部屋もお世辞にも良いとはいえなかったが、競争激化の影響なのだろうか、内装もリニューアルしたようで清潔感があってよかった。
特にこの全日空ホテルを好んだわけではないがANAの往復チケットを取る際にはホテルとの組み合わせだと安くなるので選んだわけだが2泊目はW嬢の好意で遠方からこられる親戚の方々の宿泊先としてリザーブしたという、「すみれホテル」というところに私の部屋も取っていただいた。
せっかくの...本当に久しぶりの札幌だが冷静に考えるとやはり北海道は遠い(笑)。だいたい自宅から羽田空港までたどり着くのだけでもかなりの時間がかかるわけだし当初一泊で向かう決心をしていた私はこの際だからと思いきって二泊することにしたのである。
その第一は自身の体調を考えてのことだった。戻ってから疲労で寝込むのでは洒落にもならないからと結婚式の前日の土曜日に出発し月曜の午前中の便で戻ろうと予定を組んだ。
札幌はあいにくの天気で、ときおり霧雨が降るなかをY嬢と待ち合わせ、そして夕刻にはこれまた旧知のS先生と三人で夕食を共にし思い出話とマックの話題で盛り上がった...。
翌日も同じような天気の中、結婚式が始まる時間までと札幌駅から大通公園を横切りApple Store Sapporoまで歩いた。
日中だったこともあるのか日曜日の店内に客はほんの2,3人しかおらず、スタッフが交代で「お手伝いすることがあればお申し付けください」と声をかけてくれたが残念ながら聞きたいことはなんにもない...(笑)。
「ありがとう」と返事をしてしばらくは店内の端から隅まで観察して外に出た。


※大通公園のテレビ塔(上)とApple Store Sapporo(下)
W嬢の結婚披露宴は「ホテルモントレ エーデルホフ札幌」というそれはそれは立派なホテルだったが130名以上もの参列者が円形テーブルを囲むという規模も大きく華麗な演出が目立った。その参列者の多くは社内結婚ということでもあり現職の諸先輩や同僚、そして友人たちで占められていた。さらに当該勤務先の社長ご夫婦も参列され祝辞を述べられたが嬉しいことに明らかに彼女は現職場で可愛がられていることをひしひしと感じた。
私が今回結婚披露宴の末席に座る気になったのは勿論W嬢の花嫁姿を見たいと考えたと同時に彼女が務めている職場の雰囲気みたいなものを確認したかったからだ。
私の会社が解散した後に縁あって務めた会社、そしてなによりもその新しい環境で生涯の伴侶を得たわけだし、しばらくは旧姓で仕事も続けたいと聞いていたからどんな会社なのだろうと心配と期待が入り交じる複雑な思いを持っていたわけである。
しかし正直安心した...。その社長が若い社員たちから慕われている様が見て取れたし心から新郎新婦の新しい門出を祝福している様子が伝わってくる。
まあ、決定的なことはその社長がiPhone 3Gのユーザーだったこともあるし...(笑)。
冗談はともかく...であれば昔の人の出番はない。なによりも周囲は平均年齢がW嬢と同じという明るい雰囲気で満たされていたし、彼女が皆さんに愛されている事で安堵した自称第2の父はなるべく目立たないようにと心がけた...。
幸いお隣はS先生だったので会話には事欠かなかったしW嬢のご両親にも本当に久しぶりにご挨拶ができた。

※新婦がお父さんにエスコートされて登場し、和やかで華麗な結婚披露宴が始まった
デジタルカメラを持参したことでもあり、私なりにW嬢のあでやかな姿を多々撮ってきたが両家両親への花束贈呈のシーンでは不覚にも涙腺が緩んでしまった。
大切な人が幸せになる姿を見ることができるのは心から嬉しい反面、今日から遠い所に行ってしまうような、そんな父親の気持ちにも共感し少々寂しくもあった。
この地に引っ越ししてからこれまで、仕事も含めて自宅を二泊も空けたことは初めてだったが、疲れて戻った私を待っていたのは愛犬だった(笑)。
女房の脇にちょこっと座り、口を大きく開け耳を倒して身体全体で喜びを表している。そしてさすがに寂しかったのだろうか、普段は愛想のない愛犬が私の口元をチョロッと舐めた...。そういえば2年前にW嬢が愛犬に会いに来てくれた際のその面白いやりとりを断片的に思い出しながら、私はクーラーの効いた愛犬の部屋でひととき居眠りをしてしまったようだ...。
疲れは費やした時間ではなく移動した距離に比例するという説があるらしいが、いまの私には大好きな札幌も遠くなったようだ。
札幌の街に入るのは約2年半ぶりになる...。昔は毎月出向いていた場所でもありまだまだロケーションも多少は覚えているからあまり戸惑うことはないしリラックスできる場所でもある。
その札幌には1990年秋に支店を開設してから2003年に事務所を閉鎖するまで実にさまざまなことがあった。
駅近くのビルでプライベートイベントを開催する際には東京本社スタッフ全員は勿論、支援していただく方々ならびにMac Fan誌やMacLife誌の編集長、アップルジャパンのデベロッパー担当者、デザイナー、流通企業担当者、公認会計士、顧問弁護士といった方々にご一緒いただくためホテルのリザーブから航空チケットの手配などに気を使ったことなどが思い出される。そしてイベント終了後は有志たちで小樽観光をしたりと楽しい想い出も多い...。

※宿泊のホテルに近かったことでもあり時計台の姿も見てきた
今般の結構披露宴参列は1996年4月に当時私の会社に新卒者として入社したW嬢から招待いただいたものだ。W嬢は前記した札幌支店で日常のルーチンワークの他、プライベートイベントの企画ならびに運営全般を取り仕切っていたスタッフでもあり、最後の最後まで苦楽を共にしてきた1人であった。
W嬢と後輩のY嬢2人は会社解散の残務整理に至るまで私の体調と精神状態まで気遣ってくれ、本来は後ろ向きの辛い仕事を最後まできちんとやってのけてくれた。だからというわけではないが両名は私にとって大切な仲間であり、共にそれぞれのご両親たちにも公言してはばからないが「第2の父親」を自負してきた(笑)。したがってW嬢が結婚されたことは大きな喜びであるが反面自分の子供が遠くにいってしまうような寂しさも少々感じている...。
あれは1995年のことだった...。それまで札幌支店に勤務していた女性が結婚退職することになり急遽人材を探す必要が出た。ただしそのときの私にはひとつの強い決意があった。
会社を起業してすでに6年になっていたが幸い業績はよかったこともあり、このチャンスに新しい風を入れてみたいと考えた。どういうことか...。
それは私たちのような超マイクロ企業が起業する場合、当然のこととはいえスタッフ等はどうしても手近から探さざるを得ない。私の会社も日常の事務や雑務をこなしてくれる人材が必要なのは目に見えていたものの新聞などに募集をかける時間も余裕もなかった。そしてどうしても即戦力を期待することでもありそれまで私が勤務していた会社の女性を引き抜き、たった3人で会社をスタートした。その後に経理専門のスタッフを探すときにもその女性の友人を紹介されて雇うことになったが、事ほど左様にいわゆる縁故といった探し方にならざるを得なかったわけだ。前記した札幌支店に勤務していた女性も札幌支店長の姪でありいわゆる縁故採用だったのである。
そうした選択がすべて悪いという訳ではないものの会社が多少でも軌道に乗ったいま、仲間意識だけではない新しい人材を迎えてみたいと思うに至ったのだ。
とはいえこれまた新聞や専門雑誌に頼る自信もなく、結局地元S大学のS先生にお電話をし「新卒者を一人ご紹介いたたけないか」と相談した結果面接を受けに来社したのがW嬢だったのである。
面接の当日私はそのために札幌支店に出張したが、古めかしい事務所の応接室に座っていた彼女は輝いて見えた。
いまもその際に彼女が持参した身上調査票に添付した写真が残っているが、彼女としても重要な就職の機会であるからと最大のおめかしをしてその場に臨んだことは明らかだった(笑)。
結局来年の卒業を待って入社していただくことが決まったが私の役割と責任をあらためて強く感じざるを得なかった。
私自身東証一部上場のいわゆる大企業に入社し、その後社長ひとりしかいないという会社にも勤務した経験から大きいから小さいからといってもそれぞれ短所と長所があることを肌で感じていた。しかしマイクロ企業が大会社にどうしても太刀打ちできないことが2つあるとも実感していた。
その1つは福利厚生であり2つ目が新人教育にかける時間とコストである。
福利厚生の差はどうしようもないので諦めてもらうしかないが、重要なのは小さな会社に勤務したために当人の能力が活かされず、伸びる機会やきっかけもないままに年月だけ過ぎていく...ということになっては申し訳ないし会社にとっても大きな損失だと考えた。したがって入社半年程度までは私の時間を最優先に確保し、我々が何を考えて物作りをしているのかといった企業の根本を知ってもらうのは勿論、新卒のW嬢をなるべく短期間に一人前となるよう教育することを決心したのだった...。
彼女に関する面白いエピソードは多々あるが、ここではそれらに触れないものの彼女の素直さ、聡明さ、そして旺盛な好奇心も手伝って回りからも可愛がられ、前記したように難しい外部との折衝までこなすようになってくれたのである。私はその間、僭越なもの言いではあるが人を育てるという大変難しくもやり甲斐のある仕事に生き甲斐を覚えていた。
その秘蔵のスタッフ(笑)が新しい就職先で頑張っていることは本人からもお聞きしていたものの、結婚するというのだから私の喜びも如何ばかりかとご推察いただけると思う...。
そんな想い出多き札幌に8月1日の土曜日の昼過ぎ到着した。まずは荷物を置いて楽にしようと札幌駅にも近い全日空ホテルにチェックインをする。
以前イベントの際に使った事があるホテルでもあるが当時はフロントの態度や接客が悪く部屋もお世辞にも良いとはいえなかったが、競争激化の影響なのだろうか、内装もリニューアルしたようで清潔感があってよかった。
特にこの全日空ホテルを好んだわけではないがANAの往復チケットを取る際にはホテルとの組み合わせだと安くなるので選んだわけだが2泊目はW嬢の好意で遠方からこられる親戚の方々の宿泊先としてリザーブしたという、「すみれホテル」というところに私の部屋も取っていただいた。
せっかくの...本当に久しぶりの札幌だが冷静に考えるとやはり北海道は遠い(笑)。だいたい自宅から羽田空港までたどり着くのだけでもかなりの時間がかかるわけだし当初一泊で向かう決心をしていた私はこの際だからと思いきって二泊することにしたのである。
その第一は自身の体調を考えてのことだった。戻ってから疲労で寝込むのでは洒落にもならないからと結婚式の前日の土曜日に出発し月曜の午前中の便で戻ろうと予定を組んだ。
札幌はあいにくの天気で、ときおり霧雨が降るなかをY嬢と待ち合わせ、そして夕刻にはこれまた旧知のS先生と三人で夕食を共にし思い出話とマックの話題で盛り上がった...。
翌日も同じような天気の中、結婚式が始まる時間までと札幌駅から大通公園を横切りApple Store Sapporoまで歩いた。
日中だったこともあるのか日曜日の店内に客はほんの2,3人しかおらず、スタッフが交代で「お手伝いすることがあればお申し付けください」と声をかけてくれたが残念ながら聞きたいことはなんにもない...(笑)。
「ありがとう」と返事をしてしばらくは店内の端から隅まで観察して外に出た。


※大通公園のテレビ塔(上)とApple Store Sapporo(下)
W嬢の結婚披露宴は「ホテルモントレ エーデルホフ札幌」というそれはそれは立派なホテルだったが130名以上もの参列者が円形テーブルを囲むという規模も大きく華麗な演出が目立った。その参列者の多くは社内結婚ということでもあり現職の諸先輩や同僚、そして友人たちで占められていた。さらに当該勤務先の社長ご夫婦も参列され祝辞を述べられたが嬉しいことに明らかに彼女は現職場で可愛がられていることをひしひしと感じた。
私が今回結婚披露宴の末席に座る気になったのは勿論W嬢の花嫁姿を見たいと考えたと同時に彼女が務めている職場の雰囲気みたいなものを確認したかったからだ。
私の会社が解散した後に縁あって務めた会社、そしてなによりもその新しい環境で生涯の伴侶を得たわけだし、しばらくは旧姓で仕事も続けたいと聞いていたからどんな会社なのだろうと心配と期待が入り交じる複雑な思いを持っていたわけである。
しかし正直安心した...。その社長が若い社員たちから慕われている様が見て取れたし心から新郎新婦の新しい門出を祝福している様子が伝わってくる。
まあ、決定的なことはその社長がiPhone 3Gのユーザーだったこともあるし...(笑)。
冗談はともかく...であれば昔の人の出番はない。なによりも周囲は平均年齢がW嬢と同じという明るい雰囲気で満たされていたし、彼女が皆さんに愛されている事で安堵した自称第2の父はなるべく目立たないようにと心がけた...。
幸いお隣はS先生だったので会話には事欠かなかったしW嬢のご両親にも本当に久しぶりにご挨拶ができた。

※新婦がお父さんにエスコートされて登場し、和やかで華麗な結婚披露宴が始まった
デジタルカメラを持参したことでもあり、私なりにW嬢のあでやかな姿を多々撮ってきたが両家両親への花束贈呈のシーンでは不覚にも涙腺が緩んでしまった。
大切な人が幸せになる姿を見ることができるのは心から嬉しい反面、今日から遠い所に行ってしまうような、そんな父親の気持ちにも共感し少々寂しくもあった。
この地に引っ越ししてからこれまで、仕事も含めて自宅を二泊も空けたことは初めてだったが、疲れて戻った私を待っていたのは愛犬だった(笑)。
女房の脇にちょこっと座り、口を大きく開け耳を倒して身体全体で喜びを表している。そしてさすがに寂しかったのだろうか、普段は愛想のない愛犬が私の口元をチョロッと舐めた...。そういえば2年前にW嬢が愛犬に会いに来てくれた際のその面白いやりとりを断片的に思い出しながら、私はクーラーの効いた愛犬の部屋でひととき居眠りをしてしまったようだ...。
疲れは費やした時間ではなく移動した距離に比例するという説があるらしいが、いまの私には大好きな札幌も遠くなったようだ。
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