白昼夢 〜 忘れられない茶封筒の想い出
私のような年齢になると突然降って湧いたように子供の頃の1シーンを思い出すことがある。30代や40代には思いもよらないことだがこれも一歩一歩終着地点に向かっているということなのだろうか...(笑)。ただしその記憶が正しいのかあるいは再構築されたものなのかは自身でも疑問だが、私にとっては懐かしい真実なのである。
先日、近所の駅ビルにテナントとして入っている文具店に買い物に行った。仕事で使う数種の封筒を購入するためだ。
めったにこの文具店には来ないので勝手が分からず店内を一回りして封筒類が置いてあるコーナーを見つけた。
ふと一連の棚を見ると様々なサイズやデザインの製品と共に今ではあまり使うことがなくなった薄い紙質の茶封筒の束が並んでいた...。
文具店に茶封筒があっても別に何の不思議もないわけだが、それを見て私は一瞬白昼夢のように少年の頃のある出来事を思い出し、しばし立ち尽くした。
それは私がまだ8歳そこそこのころだったと思う。もちろん母も若かった(笑)。
私は子供心に割烹着を身につけた母が気に入っていたのだ。そして少ししわがれたその声を今でも現前にいるかのように思い出す...。
夏の暑いある日、その母が私を呼びつけて言った。「じゅん、この手紙を○○のおばちゃんに渡してきてくれる?」
無言でうなづく私に母は「気をつけてね」と送り出した。
外は炎天下だったが、子供心に手紙は早く届けた方がいいだろうと私は走った。アブラゼミの鳴き声が響き、道路の照り返しがまぶしかった。
○○のおばちゃんちはいつも学校へ通う道の少し先にあった。
大汗をかきながらオート三輪や自転車が行き交う一本道を私は一生懸命走った。
「おばちゃん!こんにちは、じゅんいちです」と小さな門を入り大きな声を出す。
玄関の戸を開けたおばちゃんもやはり割烹着だった。思わず「あっ、おかあちゃんと同じだ...」と声が出た。
おばちゃんは笑いながら「おかあさんからの手紙を持ってきたんでしょ」という。
なぜ知っているのか私には不思議だった。
「はいこれっ!」と手紙を渡すとおばちゃんは「じゅんちゃん、少しここで待っててちょうだいな...。いまお母さんにご返事を書くからね」と奥に入っていった。
おばちゃんの家は私たちが住んでいるアパートと違って庭がある一軒家だった。太い松の木や私の背丈まであるような石があった。
庭にある大きな葉っぱが照り返す光に目を奪われていたとき、「お待たせしてごめんね」といいながらおばちゃんが玄関に戻ってきた。
おばちゃんは「じゅんちゃん、これお母さんに『ご返事です』といって渡して頂戴」と封がされた茶封筒を僕の手に握らせた。
何だかおばちゃんの返事が入っている封筒は母の手紙より少し厚いように感じた...。
私は「はいっ、さよなら...」と手を振りながらまた道路に飛び出し再び走り始めた。
郵便局、学校、神社の鳥居そして駄菓子屋が私の視界から次々に消えていく。
アパートに着くとそこには母が「ご苦労様」と少し心配顔で待っていた。
「おばちゃんからご返事もらってきた?」と聞かれた私はまたまた「なぜ返事があることを知ってるのか」と不思議に思った。
「うん、これおばちゃんがご返事だって...」と茶封筒を渡した。
瞬間母は笑顔になって「ありがとうもういいよ、遊んできな」と僕の背中を押した。
その日の夕食は私の好きな食べ物が待っていた。
月日は廻り就職した会社のカウンターに山積みされていた薄手の茶封筒を見たとき、それまで考えもしなかったことが目から鱗が落ちるように理解出来たように思った。
おばちゃんが「これご返事」と渡してくれた茶封筒の中身は間違いなく数枚のお札だったに違いないと...。
私が持っていった手紙は借金の無心だったのだ。
おばちゃんも私が手紙と称する封筒を渡したときからその意図を知って対処してくれたに違いない。
思えば黒電話さえも家にはなかった時代である。したがって急を要する場合には直接出向くしかなかったのだ。そして母自身で頼みに行くことに何らかの躊躇があったので私にその役目をさせたのではないかと思うに至ったのである。
昭和30年代の初頭、皆貧しかった。アパートの住人同士でも米や味噌醤油の貸し借りは日常だった。お互い返す当てもなかったに違いないが皆が肩を寄せ合い、助け合って生きていた時代だったが少なくとも表向き皆明るかった。そして努力さえすれば未来は約束されていると思えていた時代だったのである。
それはともかくあのときの借金は返済できたのだろうか(笑)。
すでに母もこの世になく確かめる術はないが、少なくとも私は再び封筒を持っておばちゃんの家に行くことはなかったのである...。
先日、近所の駅ビルにテナントとして入っている文具店に買い物に行った。仕事で使う数種の封筒を購入するためだ。
めったにこの文具店には来ないので勝手が分からず店内を一回りして封筒類が置いてあるコーナーを見つけた。
ふと一連の棚を見ると様々なサイズやデザインの製品と共に今ではあまり使うことがなくなった薄い紙質の茶封筒の束が並んでいた...。
文具店に茶封筒があっても別に何の不思議もないわけだが、それを見て私は一瞬白昼夢のように少年の頃のある出来事を思い出し、しばし立ち尽くした。
それは私がまだ8歳そこそこのころだったと思う。もちろん母も若かった(笑)。
私は子供心に割烹着を身につけた母が気に入っていたのだ。そして少ししわがれたその声を今でも現前にいるかのように思い出す...。
夏の暑いある日、その母が私を呼びつけて言った。「じゅん、この手紙を○○のおばちゃんに渡してきてくれる?」
無言でうなづく私に母は「気をつけてね」と送り出した。
外は炎天下だったが、子供心に手紙は早く届けた方がいいだろうと私は走った。アブラゼミの鳴き声が響き、道路の照り返しがまぶしかった。
○○のおばちゃんちはいつも学校へ通う道の少し先にあった。
大汗をかきながらオート三輪や自転車が行き交う一本道を私は一生懸命走った。
「おばちゃん!こんにちは、じゅんいちです」と小さな門を入り大きな声を出す。
玄関の戸を開けたおばちゃんもやはり割烹着だった。思わず「あっ、おかあちゃんと同じだ...」と声が出た。
おばちゃんは笑いながら「おかあさんからの手紙を持ってきたんでしょ」という。
なぜ知っているのか私には不思議だった。
「はいこれっ!」と手紙を渡すとおばちゃんは「じゅんちゃん、少しここで待っててちょうだいな...。いまお母さんにご返事を書くからね」と奥に入っていった。
おばちゃんの家は私たちが住んでいるアパートと違って庭がある一軒家だった。太い松の木や私の背丈まであるような石があった。
庭にある大きな葉っぱが照り返す光に目を奪われていたとき、「お待たせしてごめんね」といいながらおばちゃんが玄関に戻ってきた。
おばちゃんは「じゅんちゃん、これお母さんに『ご返事です』といって渡して頂戴」と封がされた茶封筒を僕の手に握らせた。
何だかおばちゃんの返事が入っている封筒は母の手紙より少し厚いように感じた...。
私は「はいっ、さよなら...」と手を振りながらまた道路に飛び出し再び走り始めた。
郵便局、学校、神社の鳥居そして駄菓子屋が私の視界から次々に消えていく。
アパートに着くとそこには母が「ご苦労様」と少し心配顔で待っていた。
「おばちゃんからご返事もらってきた?」と聞かれた私はまたまた「なぜ返事があることを知ってるのか」と不思議に思った。
「うん、これおばちゃんがご返事だって...」と茶封筒を渡した。
瞬間母は笑顔になって「ありがとうもういいよ、遊んできな」と僕の背中を押した。
その日の夕食は私の好きな食べ物が待っていた。
月日は廻り就職した会社のカウンターに山積みされていた薄手の茶封筒を見たとき、それまで考えもしなかったことが目から鱗が落ちるように理解出来たように思った。
おばちゃんが「これご返事」と渡してくれた茶封筒の中身は間違いなく数枚のお札だったに違いないと...。
私が持っていった手紙は借金の無心だったのだ。
おばちゃんも私が手紙と称する封筒を渡したときからその意図を知って対処してくれたに違いない。
思えば黒電話さえも家にはなかった時代である。したがって急を要する場合には直接出向くしかなかったのだ。そして母自身で頼みに行くことに何らかの躊躇があったので私にその役目をさせたのではないかと思うに至ったのである。
昭和30年代の初頭、皆貧しかった。アパートの住人同士でも米や味噌醤油の貸し借りは日常だった。お互い返す当てもなかったに違いないが皆が肩を寄せ合い、助け合って生きていた時代だったが少なくとも表向き皆明るかった。そして努力さえすれば未来は約束されていると思えていた時代だったのである。
それはともかくあのときの借金は返済できたのだろうか(笑)。
すでに母もこの世になく確かめる術はないが、少なくとも私は再び封筒を持っておばちゃんの家に行くことはなかったのである...。
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