「偉大な生涯の物語」「パッション」に見る人間の愚かしさと残酷さ
まったく私的なことではあるが、これまで見損なったあるいは意図的に見なかった多くの映画を時間のある限り見てみようと思い立った...。というわけで先日も土日を利用しジョージ・スティーヴンス監督・制作「偉大な生涯の物語」とメル・ギブソン監督「パッション」の二作品を観た。共にイエス・キリストの生き様を描いた作品である。
私はキリスト教徒ではないがその教義より人の子としてのイエスに興味がある。いや、もしタイムマシンがあったならまずは是非イエス・キリストに会ってみたいと思うほどなのだ(笑)。
イエス・キリストとして聖書に記録された歴史上の人物がいかにして神の子として崇められるに至ったか、そして世界中の人々にいまでも多くの影響を与えるに至ったのかについては諸説あるものの、多分に人を引きつける大いなる魅力を持った人物であったことは確かだろうと思う。そして生身の人間として筆舌に尽くせぬ苦痛をともなう十字架刑をなぜに受けなければならなかったのか、私たちには大変分かりづらい。
それこそ余談だが、私に執筆の力があればあのTBSドラマ「JIN - 仁」ではないが、イエスの時代にタイムスリップした現代人がイエスと絡むという小説を書いてみたいと思うほどだ...。
タイムスリップした際に持っていたiPhoneをイエスに見せたとき、彼はもしかしたら「言っておく、私はそれを知っている...」というかも知れない。
さて私にとって「偉大な生涯の物語」や「パッション」を見る意義というか興味のポイントはいくつかあるが、その最たることは時代的考証といったことに集約される。なぜなら私たち日本人は特に意識的に学ぶことはなくとも例えば江戸時代の風俗や人の生活などは知ったつもりになれている。それらの知識はテレビの時代劇などによる不確かなものであってもイメージとしては大方知り得ているように思う。
しかし例えばイエスの生きた時代のナザレがどんな所だったのか、彼らは何を食べ何を身にまといどんな生活をしていたのか、どんな時代だったのかについてはきちんと学んだ人でなければイメージがわかないだろう。
人は時代背景を抜きにして語れないわけで、映画としての演出や間違いがあったとしても一応は時代考証を踏まえたであろう作品を観ることで多少でも真実に近づけたら嬉しいと考えているわけだ。
とはいえ公開当時大いに話題になった「パッション」にしても史実そのままであったかはこれまた分からない。しかしこの作品を見るとそれまでのイエス・キリストの受難を描いたものが子供だましのように思える。なぜなら「パッション」で描かれるイエスは文字通り血の海の中で息絶えるからだ。
それに比べたら「偉大な生涯の物語」で描かれるゴルゴダの丘における磔のシーンはまさしく絵画的であり、不謹慎を承知でいえば美しいとさえ思える描写である。
何しろイエスの生涯において...というかキリスト教において最も重大な出来事は彼が十字架刑となるシーンである。逆説的だが受難があったればこその復活であり、イエスの生涯における最大のクライマックスであろう。
とはいえ映画は本来娯楽産業でもあり、多くの人達の目に触れることを使命として作られるわけだから、人が傷つけられるシーンをリアルに描けばそれで良いというわけではないことは確かだ。ただし特にそうした時代背景に疎い私たちにはイエスが受けた磔という刑罰がいかに非人道的であり、無残この上もないものであったかを知り得ないでいる。
そうした点に警鐘を鳴らす目的でもあったのだろう「パッション」ではその受難の苦しみ、刑罰がいかに惨いものであるかを「これでもか」といった感じで見せつける...。
以降の記述は正確をきすためとはいえ少々惨いというか人によっては気持ちを悪くする可能性もあるので心していただけば幸いである...。
ではイエスが受けた十字架刑とはいかなる刑だったのか...。聖書には「鞭打たれ」「茨の冠を被せられ」「十字架にかけられた」と簡素に書かれているため現代の私たちには想像もつかない。
まず罪人は十字架にかける前に鞭で何度も打ちのめされる。鞭といっても単なる革紐みたいなものでなく先にギサギサがついた2,3連の金属球が付いているものが使われ、これで打たれると皮膚はやぶれ肉までえぐれるはずだ...。

※辱めを受けるイエス。以下を含めてギュスターヴ・ドレの作品
本来この鞭打ちの刑で絶命しないようにとユダヤ人が刑を執行する場合は最大40発と決められていたようだが、イエスはローマ兵から120発程度なぐられたと思われる。そしてすでに立っていられないほど衰弱した体に十字架を背負わされ刑場まで1キロほど歩かされるわけだが、絵画や映画のように文字通りの十字架の形に組んだものでなく実際には横木だけだったようだ。それはすでに刑場に縦木は準備されていたからであるが、横木だけでも20キロ以上の重さがあったらしくまともに歩けないイエスは何度も膝を折り倒れている。

※ゴルゴダの丘まで十字架を背負わされるイエス
刑場に着くと担いできた横木に両手を広げられ両手首を釘で打ちつけられる。
絵画などではほとんど掌に釘を打ち込む表現がなされるが、それでは体を支えることができず、実際には手首が使われたという。そしてそのまま執行人たちが罪人を横木に打ちつけたまま吊り上げて縦木にはめ込み、十字架の形にするわけだ。無論罪人は体重がすべて両手の釘部位にかかり激しい苦痛を受ける。

※十字架に打ちつけられるイエス。左下には賭け事に興じるローマ兵の姿が...
続いて両足を縦木に打ちつけるわけだが、釘の節約のため両足を重ねて一度に打ちつけることもあったという。そしてこのまま死ぬまで放置されるのが十字架刑なのだ。
なにしろ全体重は広げた両腕にかかり、体重で体が沈むと呼吸ができなくなる。だから...痛みと闘いながら懸垂のように体を持ち上げて息をするものの、再び傷の痛みに耐えかねて体はまた落ちてしまう。
この想像を絶する苦痛の繰り返しの後で窒息死するのが十字架刑なのだ。無論罪人は素っ裸であり、絵画や映画で腰巻きをしている姿はフィクションである。
イエスが十字架に磔となったのは午前9時(マルコによる福音書)でこの悲惨きわまりない苦しみの中で午後3時頃に息を引き取ったというから6時間も刑が続いたことになる。ただし長時間生き続けている場合は執行人側の都合で罪人の脚を折るという慣習があった。脚を折ると体重を支えられずに窒息死が早まることになるからだ。

※他の2人の罪人と共に十字架に磔となったイエス
聖書によればイエスと一緒に十字架刑に処せられた2人の罪人は脚を折られたがイエスはそのときすでに息絶えていたため脚は折られず、死亡確認の意味を含めて兵士が槍で右脇腹を突いたとされる。
また刑を執行された罪人の死体は遺族などが引取を依頼しなければゴミ捨て場で焼かれるか放置され野犬などの餌食となったらしい。無論イエスの遺体はアリマタヤ出身で身分の高い議員だったヨセフが引取を申し出たので下げ渡され丁重に埋葬された。

※ヨセフの申し出により十字架から下ろされるイエスの遺体
こうしてあらためて十字架刑というものを認識すると、それはできるだけ長い苦しみを与えながら窒息死させるという惨い処刑方法だったということがわかる。
結局ローマ兵たちに徹底的に侮辱を受け、唾を吐かれ鞭打ちで痛めつけられ、なぶり者にされたイエスは文字通り血まみれのはずであり、顔面は腫れ歯の一部や鼻柱は折れていたに違いない。したがってそうした意味においてはメル・ギブソン監督の「パッション」で描かれたイエスの姿は史実に近いのかも知れないが映画とはいえなかなか正視できない...。
ところで昼の12時頃になると全地は暗くなり太陽は光を失っていた(ルカの福音書)。それがイエスが「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ...」と叫び十字架上で息を引き取る午後3時まで続く。そして直後、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに避けたという。それを見ていた百人隊長は「本当にこの人は神の子だった」と言ったという(マルコによる福音書)。
映画「偉大な生涯の物語」では一天にわかにかき曇り、雷鳴が轟き、雨が降り注ぐ...。また「パッション」では突風が吹き荒れ、地震で大地が揺れ神殿は真っ二つに崩れる...。
私見ながらこれらの天変地異は史実ではないかも知れないが、イエスが受けた苦しみを思えばせめて天変地異でもなければやりきれないし不条理極まりないと考えた聖書制作者達の心情を表現したものだといえようか。このときイエスは33歳だったという。
そういえば「偉大な生涯の物語」にはイエス役のマックス・フォン・シドーの他にヨハネ役のチャールトン・ヘストン、力尽きたイエスの変わりに十字架を担ぐ役のシドニー・ポワチエ、百人隊長役のジョン・ウェイン、そしてユダ役のデヴィッド・マッカラムなど錚々たるスター達が顔を連ねているのも見物であろう。ただしこれらの作品は一般的な娯楽作品ではなく、聖書に興味のない者にとっては些か退屈な作品かも知れない...。また「パッション」はイエスの受難にフォーカスを当てているだけ主題ははっきりしているものの、これまたとてもとても饅頭などを頬張りながら観る作品ではなく...何とも心が重くなる。
しかし「偉大な生涯の物語」と「パッション」を観てあらためて思ったことは人間とはかくも残酷な行為を笑いながら行うことのできる愚かな生き物だということ...。無論現代に十字架刑は無くなったが天災を始めとして、あるいはいまだに人間の浅はかな行為や争いが発端で苦しんでいる人達が世界中に多々存在する。
イエスの時代から2000年も経ったこの世界であるが、果たして私たちの精神構造は過去に学び、かつ進歩しているのであろうか...。
【主な参考資料】
・THE BIBLE (日本聖書教会刊)
・イエスのDNA―トリノの聖骸布、大聖年の新事実
(成甲書房刊)
・聖骸布の男 あなたはイエス・キリスト、ですか?
(講談社刊)
私はキリスト教徒ではないがその教義より人の子としてのイエスに興味がある。いや、もしタイムマシンがあったならまずは是非イエス・キリストに会ってみたいと思うほどなのだ(笑)。
イエス・キリストとして聖書に記録された歴史上の人物がいかにして神の子として崇められるに至ったか、そして世界中の人々にいまでも多くの影響を与えるに至ったのかについては諸説あるものの、多分に人を引きつける大いなる魅力を持った人物であったことは確かだろうと思う。そして生身の人間として筆舌に尽くせぬ苦痛をともなう十字架刑をなぜに受けなければならなかったのか、私たちには大変分かりづらい。
それこそ余談だが、私に執筆の力があればあのTBSドラマ「JIN - 仁」ではないが、イエスの時代にタイムスリップした現代人がイエスと絡むという小説を書いてみたいと思うほどだ...。
タイムスリップした際に持っていたiPhoneをイエスに見せたとき、彼はもしかしたら「言っておく、私はそれを知っている...」というかも知れない。
さて私にとって「偉大な生涯の物語」や「パッション」を見る意義というか興味のポイントはいくつかあるが、その最たることは時代的考証といったことに集約される。なぜなら私たち日本人は特に意識的に学ぶことはなくとも例えば江戸時代の風俗や人の生活などは知ったつもりになれている。それらの知識はテレビの時代劇などによる不確かなものであってもイメージとしては大方知り得ているように思う。
しかし例えばイエスの生きた時代のナザレがどんな所だったのか、彼らは何を食べ何を身にまといどんな生活をしていたのか、どんな時代だったのかについてはきちんと学んだ人でなければイメージがわかないだろう。
人は時代背景を抜きにして語れないわけで、映画としての演出や間違いがあったとしても一応は時代考証を踏まえたであろう作品を観ることで多少でも真実に近づけたら嬉しいと考えているわけだ。
とはいえ公開当時大いに話題になった「パッション」にしても史実そのままであったかはこれまた分からない。しかしこの作品を見るとそれまでのイエス・キリストの受難を描いたものが子供だましのように思える。なぜなら「パッション」で描かれるイエスは文字通り血の海の中で息絶えるからだ。
それに比べたら「偉大な生涯の物語」で描かれるゴルゴダの丘における磔のシーンはまさしく絵画的であり、不謹慎を承知でいえば美しいとさえ思える描写である。
何しろイエスの生涯において...というかキリスト教において最も重大な出来事は彼が十字架刑となるシーンである。逆説的だが受難があったればこその復活であり、イエスの生涯における最大のクライマックスであろう。
とはいえ映画は本来娯楽産業でもあり、多くの人達の目に触れることを使命として作られるわけだから、人が傷つけられるシーンをリアルに描けばそれで良いというわけではないことは確かだ。ただし特にそうした時代背景に疎い私たちにはイエスが受けた磔という刑罰がいかに非人道的であり、無残この上もないものであったかを知り得ないでいる。
そうした点に警鐘を鳴らす目的でもあったのだろう「パッション」ではその受難の苦しみ、刑罰がいかに惨いものであるかを「これでもか」といった感じで見せつける...。
以降の記述は正確をきすためとはいえ少々惨いというか人によっては気持ちを悪くする可能性もあるので心していただけば幸いである...。
ではイエスが受けた十字架刑とはいかなる刑だったのか...。聖書には「鞭打たれ」「茨の冠を被せられ」「十字架にかけられた」と簡素に書かれているため現代の私たちには想像もつかない。
まず罪人は十字架にかける前に鞭で何度も打ちのめされる。鞭といっても単なる革紐みたいなものでなく先にギサギサがついた2,3連の金属球が付いているものが使われ、これで打たれると皮膚はやぶれ肉までえぐれるはずだ...。

※辱めを受けるイエス。以下を含めてギュスターヴ・ドレの作品
本来この鞭打ちの刑で絶命しないようにとユダヤ人が刑を執行する場合は最大40発と決められていたようだが、イエスはローマ兵から120発程度なぐられたと思われる。そしてすでに立っていられないほど衰弱した体に十字架を背負わされ刑場まで1キロほど歩かされるわけだが、絵画や映画のように文字通りの十字架の形に組んだものでなく実際には横木だけだったようだ。それはすでに刑場に縦木は準備されていたからであるが、横木だけでも20キロ以上の重さがあったらしくまともに歩けないイエスは何度も膝を折り倒れている。

※ゴルゴダの丘まで十字架を背負わされるイエス
刑場に着くと担いできた横木に両手を広げられ両手首を釘で打ちつけられる。
絵画などではほとんど掌に釘を打ち込む表現がなされるが、それでは体を支えることができず、実際には手首が使われたという。そしてそのまま執行人たちが罪人を横木に打ちつけたまま吊り上げて縦木にはめ込み、十字架の形にするわけだ。無論罪人は体重がすべて両手の釘部位にかかり激しい苦痛を受ける。

※十字架に打ちつけられるイエス。左下には賭け事に興じるローマ兵の姿が...
続いて両足を縦木に打ちつけるわけだが、釘の節約のため両足を重ねて一度に打ちつけることもあったという。そしてこのまま死ぬまで放置されるのが十字架刑なのだ。
なにしろ全体重は広げた両腕にかかり、体重で体が沈むと呼吸ができなくなる。だから...痛みと闘いながら懸垂のように体を持ち上げて息をするものの、再び傷の痛みに耐えかねて体はまた落ちてしまう。
この想像を絶する苦痛の繰り返しの後で窒息死するのが十字架刑なのだ。無論罪人は素っ裸であり、絵画や映画で腰巻きをしている姿はフィクションである。
イエスが十字架に磔となったのは午前9時(マルコによる福音書)でこの悲惨きわまりない苦しみの中で午後3時頃に息を引き取ったというから6時間も刑が続いたことになる。ただし長時間生き続けている場合は執行人側の都合で罪人の脚を折るという慣習があった。脚を折ると体重を支えられずに窒息死が早まることになるからだ。

※他の2人の罪人と共に十字架に磔となったイエス
聖書によればイエスと一緒に十字架刑に処せられた2人の罪人は脚を折られたがイエスはそのときすでに息絶えていたため脚は折られず、死亡確認の意味を含めて兵士が槍で右脇腹を突いたとされる。
また刑を執行された罪人の死体は遺族などが引取を依頼しなければゴミ捨て場で焼かれるか放置され野犬などの餌食となったらしい。無論イエスの遺体はアリマタヤ出身で身分の高い議員だったヨセフが引取を申し出たので下げ渡され丁重に埋葬された。

※ヨセフの申し出により十字架から下ろされるイエスの遺体
こうしてあらためて十字架刑というものを認識すると、それはできるだけ長い苦しみを与えながら窒息死させるという惨い処刑方法だったということがわかる。
結局ローマ兵たちに徹底的に侮辱を受け、唾を吐かれ鞭打ちで痛めつけられ、なぶり者にされたイエスは文字通り血まみれのはずであり、顔面は腫れ歯の一部や鼻柱は折れていたに違いない。したがってそうした意味においてはメル・ギブソン監督の「パッション」で描かれたイエスの姿は史実に近いのかも知れないが映画とはいえなかなか正視できない...。
ところで昼の12時頃になると全地は暗くなり太陽は光を失っていた(ルカの福音書)。それがイエスが「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ...」と叫び十字架上で息を引き取る午後3時まで続く。そして直後、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに避けたという。それを見ていた百人隊長は「本当にこの人は神の子だった」と言ったという(マルコによる福音書)。
映画「偉大な生涯の物語」では一天にわかにかき曇り、雷鳴が轟き、雨が降り注ぐ...。また「パッション」では突風が吹き荒れ、地震で大地が揺れ神殿は真っ二つに崩れる...。
私見ながらこれらの天変地異は史実ではないかも知れないが、イエスが受けた苦しみを思えばせめて天変地異でもなければやりきれないし不条理極まりないと考えた聖書制作者達の心情を表現したものだといえようか。このときイエスは33歳だったという。
そういえば「偉大な生涯の物語」にはイエス役のマックス・フォン・シドーの他にヨハネ役のチャールトン・ヘストン、力尽きたイエスの変わりに十字架を担ぐ役のシドニー・ポワチエ、百人隊長役のジョン・ウェイン、そしてユダ役のデヴィッド・マッカラムなど錚々たるスター達が顔を連ねているのも見物であろう。ただしこれらの作品は一般的な娯楽作品ではなく、聖書に興味のない者にとっては些か退屈な作品かも知れない...。また「パッション」はイエスの受難にフォーカスを当てているだけ主題ははっきりしているものの、これまたとてもとても饅頭などを頬張りながら観る作品ではなく...何とも心が重くなる。
しかし「偉大な生涯の物語」と「パッション」を観てあらためて思ったことは人間とはかくも残酷な行為を笑いながら行うことのできる愚かな生き物だということ...。無論現代に十字架刑は無くなったが天災を始めとして、あるいはいまだに人間の浅はかな行為や争いが発端で苦しんでいる人達が世界中に多々存在する。
イエスの時代から2000年も経ったこの世界であるが、果たして私たちの精神構造は過去に学び、かつ進歩しているのであろうか...。
【主な参考資料】
・THE BIBLE (日本聖書教会刊)
・イエスのDNA―トリノの聖骸布、大聖年の新事実
・聖骸布の男 あなたはイエス・キリスト、ですか?
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