私的な「十手と捕物帳」物語
テレビドラマの水戸黄門が昨年末に最終回を迎えたが、これでNHKの大河ドラマを別にすると民放の連続時代劇のほとんどが姿を消すことになるらしい。無論時代劇なら何でも良いとは思わないが、剣とか刀が好きで居合いの真似事をやっているオヤジとしては些か寂しい…。人間を描くその背景が現代ではないというのもアリなわけだから是非スポットでも質の良い時代劇を続けて欲しいものだ。
テレビの時代劇にもいろいろあったが捕物をモチーフにした作品が多かったように思うし好みでもあった。
個人的にはテレビドラマ「銭形平次」だけでなく岡本綺堂の時代小説「半七捕物帳」なども好きで全巻読んだが、人情味溢れる岡っ引きたちの活躍が魅力である。
そんな捕物帳に不可欠なのが「十手」である。ちなみにこれを「ジュッテ」というのが一般的になりつつあるようだが、本来は「ジッテ」で「實手」と表記する流派もあるという。ちなみに私もオモチャ同然のものだが「藤巻十手」と呼ばれる物を所持している。これはその名の通り柄に滑り止めのため、籐を巻いたものだ。
よく岡っ引きの親分が紫の柄と房がついた十手を神棚に…といったシーンがテレビドラマにあるが、紫の房がついた「十手」は特別の恩賞を受けた同心しか使えなかったから岡っ引きふぜいが使うことはあり得ず、岡っ引きの十手は籐巻か縄や糸を巻く粗末なものだった。

※柄に籐を巻いた「籐巻十手」
その「十手」は勿論武器及び捕具の一つであるが、私の持っている「藤巻十手」のような形状のものだけでなく長さも30cmから1mほどのものがあり、鉄・真鍮などの金属製はもとより、樫・栗などの堅い木でできたものもあったし同心たちの自費制作によるオリジナルな物もあったという。ちなみに十手を用いた武術を十手術という。無論その目的は「十手」を操り敵刃からの防御に用い、突いたり打つなどの攻撃、犯人の関節を極める・押さえつける、投げつけるなどを含めさらに柔術も併用して犯罪者捕縛に用いるためだ。
この「十手」の起源については諸説あるがもともと犯人捕縛の基本は生かしたまま捕らえることだ。殺してしまえば自供が取れず犯罪の細かな部分が分からないままになるし仲間の詮索もできなくなる。したがって兜割と呼ばれる刃が付いていない鉤を設けた刀状の捕具・武具が登場し、その系譜を継いで十手になったという説もある。
さてその「十手」といえば岡っ引き…すなわち「銭形の親分」とか「駒形の親分」などと呼ばれ「十手」を持って活躍する庶民の味方の岡っ引き、御用聞きを思い浮かべる。ただしこれらの呼び方は江戸でのことで関八州では目明かし、関西では手先などと呼ばれた。
しかし意外なことに岡っ引きたちは江戸時代の町奉行所や火付盗賊改方等の探索を補助し警察機能の末端を担った人たちには違いなかったが史実では非公認の協力者であったことだ。したがって岡っ引きたちを現在の警察官と同様に考えるのは誤りで、警察官に該当するのは同心たち以上である。さらに岡っ引きの手下、例えば銭形平次の子分の八五郎は下っ引と呼ばれた。
そもそも「十手」は江戸時代だと奉行所の与力、同心たちに捕物用武具として、また鑑札(身分証明)の名目で与えられたが、同心に仕える岡っ引きは前記のように非合法に雇われた者であり本来「十手」を渡されることはなかったという。ただしそれでは現実的ではないため、臨時に貸し与える形をとり、結果として常時携帯させる場合もあったらしいし、私物の「十手」を所持していた岡っ引きもいたという。
だからドラマでよく使われる岡っ引きの台詞で「俺は…お上から十手・捕り縄を預かっている」という物言いがあるが、それは大嘘で町奉行所では十手も捕り縄も預けてはいないのである(笑)。したがって岡っ引きたちはドラマのように奉行所に表立って出入りすることも出来なかった。
また非合法ということから町奉行所より報酬や正式な任命があったわけでもなかった。とはいえ岡っ引きは担当の同心から配下の印として自筆の「手札」と月に2分ほどの小銭をもらっていたというが、女房に商売をさせ町内からの付け届けや裏取引の余録などで余裕のある親分もいたという。
したがってドラマや映画にもたびたび悪徳な岡っ引きが登場するが、事実博徒やテキヤの親分が岡っ引きになることも多く、これを「二足のわらじ」と称した。
例えば池波正太郎作「剣客商売」に登場する隠居した剣豪秋山小兵衛ご贔屓の御用聞き弥七は「御用聞きには良い奴と、悪い奴がございましてねぇ」とはっきり言っているとおり、女房が正業にでもついていなければ御用聞きだけで食っていくことはできず、あくどい事でもやらなければなかなか成り立たなかったらしい。ちなみに弥七の女房は「武蔵屋」という料理屋をやっている…。
また「十手」の扱いに関してだが、ドラマなどでは同心も親分たちも腰帯に挟んでいるがこれまた史実とは違っている。
本当は親分たちはこれ見よがしに腰帯に挿して歩いたりはしなかった。普段は背後の帯の結び目のところに見えないように挿し、羽織を着て意識的に十手者とは分からない姿をしていたし、同心たちも普段は「十手」を懐に入れ、必要な時に「御用の筋の者だが」と出して見せる程度だった。
そして捕り物の際にも岡っ引きは奉行所勤めでも奉公人でもないからドラマのようにいきなり「十手」を振りかざして「御用だ!」と捕縛はできなかった。人を捕らえる場合は同心から令状をもらい、はじめて代行として召し捕る権利を与えられることになった。
こうして一本の「十手」にも多くのドラマが見え隠れするわけだが、事実質素な「十手」一本でも十手術に優れた者にかかれば10本の手に匹敵する働きをするとも言われ、そこから「十手」と呼ばれたというまことしやかな話しもあるくらいなのである。
武術の心得がない者にとっては単純に短い「十手」で大刀を振りかざす奴らと対等に戦えるのかと思うが、一般的には複数の捕り方が大八車、刺又(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)など効果的な捕具を使って犯人を追い詰めたし、狭い場所や室内などでは短い武具が有利な場合も多かったから十手術に優れた者にとって「十手」は実用的な武具だったのだ。
【主な参考資料】
・絵で見て納得!時代劇のウソ・ホント (遊子館歴史選書)
テレビの時代劇にもいろいろあったが捕物をモチーフにした作品が多かったように思うし好みでもあった。
個人的にはテレビドラマ「銭形平次」だけでなく岡本綺堂の時代小説「半七捕物帳」なども好きで全巻読んだが、人情味溢れる岡っ引きたちの活躍が魅力である。
そんな捕物帳に不可欠なのが「十手」である。ちなみにこれを「ジュッテ」というのが一般的になりつつあるようだが、本来は「ジッテ」で「實手」と表記する流派もあるという。ちなみに私もオモチャ同然のものだが「藤巻十手」と呼ばれる物を所持している。これはその名の通り柄に滑り止めのため、籐を巻いたものだ。
よく岡っ引きの親分が紫の柄と房がついた十手を神棚に…といったシーンがテレビドラマにあるが、紫の房がついた「十手」は特別の恩賞を受けた同心しか使えなかったから岡っ引きふぜいが使うことはあり得ず、岡っ引きの十手は籐巻か縄や糸を巻く粗末なものだった。

※柄に籐を巻いた「籐巻十手」
その「十手」は勿論武器及び捕具の一つであるが、私の持っている「藤巻十手」のような形状のものだけでなく長さも30cmから1mほどのものがあり、鉄・真鍮などの金属製はもとより、樫・栗などの堅い木でできたものもあったし同心たちの自費制作によるオリジナルな物もあったという。ちなみに十手を用いた武術を十手術という。無論その目的は「十手」を操り敵刃からの防御に用い、突いたり打つなどの攻撃、犯人の関節を極める・押さえつける、投げつけるなどを含めさらに柔術も併用して犯罪者捕縛に用いるためだ。
この「十手」の起源については諸説あるがもともと犯人捕縛の基本は生かしたまま捕らえることだ。殺してしまえば自供が取れず犯罪の細かな部分が分からないままになるし仲間の詮索もできなくなる。したがって兜割と呼ばれる刃が付いていない鉤を設けた刀状の捕具・武具が登場し、その系譜を継いで十手になったという説もある。
さてその「十手」といえば岡っ引き…すなわち「銭形の親分」とか「駒形の親分」などと呼ばれ「十手」を持って活躍する庶民の味方の岡っ引き、御用聞きを思い浮かべる。ただしこれらの呼び方は江戸でのことで関八州では目明かし、関西では手先などと呼ばれた。
しかし意外なことに岡っ引きたちは江戸時代の町奉行所や火付盗賊改方等の探索を補助し警察機能の末端を担った人たちには違いなかったが史実では非公認の協力者であったことだ。したがって岡っ引きたちを現在の警察官と同様に考えるのは誤りで、警察官に該当するのは同心たち以上である。さらに岡っ引きの手下、例えば銭形平次の子分の八五郎は下っ引と呼ばれた。
そもそも「十手」は江戸時代だと奉行所の与力、同心たちに捕物用武具として、また鑑札(身分証明)の名目で与えられたが、同心に仕える岡っ引きは前記のように非合法に雇われた者であり本来「十手」を渡されることはなかったという。ただしそれでは現実的ではないため、臨時に貸し与える形をとり、結果として常時携帯させる場合もあったらしいし、私物の「十手」を所持していた岡っ引きもいたという。
だからドラマでよく使われる岡っ引きの台詞で「俺は…お上から十手・捕り縄を預かっている」という物言いがあるが、それは大嘘で町奉行所では十手も捕り縄も預けてはいないのである(笑)。したがって岡っ引きたちはドラマのように奉行所に表立って出入りすることも出来なかった。
また非合法ということから町奉行所より報酬や正式な任命があったわけでもなかった。とはいえ岡っ引きは担当の同心から配下の印として自筆の「手札」と月に2分ほどの小銭をもらっていたというが、女房に商売をさせ町内からの付け届けや裏取引の余録などで余裕のある親分もいたという。
したがってドラマや映画にもたびたび悪徳な岡っ引きが登場するが、事実博徒やテキヤの親分が岡っ引きになることも多く、これを「二足のわらじ」と称した。
例えば池波正太郎作「剣客商売」に登場する隠居した剣豪秋山小兵衛ご贔屓の御用聞き弥七は「御用聞きには良い奴と、悪い奴がございましてねぇ」とはっきり言っているとおり、女房が正業にでもついていなければ御用聞きだけで食っていくことはできず、あくどい事でもやらなければなかなか成り立たなかったらしい。ちなみに弥七の女房は「武蔵屋」という料理屋をやっている…。
また「十手」の扱いに関してだが、ドラマなどでは同心も親分たちも腰帯に挟んでいるがこれまた史実とは違っている。
本当は親分たちはこれ見よがしに腰帯に挿して歩いたりはしなかった。普段は背後の帯の結び目のところに見えないように挿し、羽織を着て意識的に十手者とは分からない姿をしていたし、同心たちも普段は「十手」を懐に入れ、必要な時に「御用の筋の者だが」と出して見せる程度だった。
そして捕り物の際にも岡っ引きは奉行所勤めでも奉公人でもないからドラマのようにいきなり「十手」を振りかざして「御用だ!」と捕縛はできなかった。人を捕らえる場合は同心から令状をもらい、はじめて代行として召し捕る権利を与えられることになった。
こうして一本の「十手」にも多くのドラマが見え隠れするわけだが、事実質素な「十手」一本でも十手術に優れた者にかかれば10本の手に匹敵する働きをするとも言われ、そこから「十手」と呼ばれたというまことしやかな話しもあるくらいなのである。
武術の心得がない者にとっては単純に短い「十手」で大刀を振りかざす奴らと対等に戦えるのかと思うが、一般的には複数の捕り方が大八車、刺又(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)など効果的な捕具を使って犯人を追い詰めたし、狭い場所や室内などでは短い武具が有利な場合も多かったから十手術に優れた者にとって「十手」は実用的な武具だったのだ。
【主な参考資料】
・絵で見て納得!時代劇のウソ・ホント (遊子館歴史選書)
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