聖書のケセン語訳書をご存じですか?
聖書の「ケセン語訳」と聞いて、最初は死海文書ではないがまたまた古代の言葉で書かれた古い文書でも見つかったのかと思った。しかしケセン語とは岩手県気仙地方の言葉を指すもので当地の医師が1人で聖書をこのふるさとの言葉で訳したものだと知り驚愕した…。
早くも来月3月11日は東日本大震災から1年だ…。故郷が徹底的に破壊された被害地の医師、山浦玄嗣氏がふるさとの言葉で聖書を訳していた事実を遅ればせながら知り、いくつかの書籍を取り寄せてみた。
正直、最初は冗談だとも思ったが、ページを読み進むうちに驚愕に変わりそして自然に涙がこぼれ落ちた…。
「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ幸せだ。神さまの懐に抱がさんのァその人達だ。」
「野辺の葬送に泣いでる人ァ幸せだ。その人達ァ慰めらィる。」
何のことかと言えばこれはマタイによる「山上の垂訓」の一節なのである。これをお馴染みの聖書新共同訳で記せば以下のようになる。
「心の貧しい人々は、幸せである。天の国はその人たちのものである。」
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」

※1999年山口県のザビエル記念聖堂で手に入れたメダイ
そもそも聖書は大変分かりづらいものだ。その最大の原因は2000年も前の言葉や風習を現代の我々の言葉で伝えるという難しさがあげられよう。そして本来時代も文化もまったく違う当時のあれこれを知らずしてイエスらが何を見てどう感じたか、何をどのように伝えたかったのか…など、なかなか理解できるものではないと思う。
思えばその時代、ガリラヤという小さな村の大工(イエスも大工だった)や漁師たちが現在我々が手にしている聖書に記されているような意味で整然とした言葉を話していたはずはない。
ましてや現在のようにテレビやラジオがあったわけではなく、いわゆる標準語といった概念もなかったから、それぞれの地方や職種あるいは階級でかなり話し言葉は違っていたはずだ。
山浦玄嗣訳「ガリラヤのイェシュー」と題された新訳聖書四福音書によれば、本書の訳ではリアリティを出すために登場人物たちに様々な方言が割り当てられている。
例えばイェシュー(イエス)とその弟子たちやガリラヤ人たちの大部分はケセン語すなわち岩手県気仙地方の方言。サマリア人、シカルの村人たちは鶴岡弁(山形県鶴岡市)を、代官ピラトたちを含むローマ人は鹿児島弁といった具合だ…。

※山浦玄嗣訳「ガリラヤのイェシュー」イー・ピックス出版刊の表紙
これらは訳者がお遊びやふざけて取り上げたものではない。訳者自身、これらはひとつの試みであるとしているがその目的はこれまで一般の日本人にとってかなり難解であり続けてきた福音書を楽しく、親しみやすく、解りやすいものとして伝えることだという。
「福音書」は文字通り、これを読む人にとって「よきたより」でなければならず、その為には言わんとしていることが読者の心に抵抗なく受け入れられ、共感と感動をもって理解される必要があり、訳者の試みはこの一点を目指したものだという。

※山浦玄嗣著「イエスの言葉〜ケセン語訳」文春新書刊表紙
ただ山浦玄嗣氏は言葉を方言に置き換えただけではない。無論そのためには福音書の言わんとする真意を我々日本人が理解できる言葉に訳さなければならない。
「愛する」を「大事にする」、「永遠の命」を「いつまでも明るく活き活き幸せに生きること」、「精霊」を「神さまの息」といった具合に…。
さらに訳者は古代ギリシャ語原典からあらためてその意味を探り、新しい発想で我々に聖書の物語を解き明かしてくれる。
例えばヨハネによる福音の中に「湖の上を歩く」という箇所がある。その新共同訳では次のように訳されている。
夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りていった。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したところ、イエスが湖の上を歩いて船に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない」そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。
私もこの一節を読み、何故イエスが湖の上を歩いているのを見て弟子たちが恐れるのかがピンとこなかった…。それこそ「先生はスゲ〜」と驚愕し喜ぶのが普通かな…と思った。
しかしケセン語訳では「湖の上を歩く」を「湖の縁を歩く」として次のように訳している。
夕方になって、弟子たちは湖の畔に下がって行った。そうして、小舟に乗って、そこからかなり遠いずっと向こう岸にあるカファルナウムを目指した。既に暗くなっていたけれども、イェシューさまはまだ弟子たちのところに来ていなかった。そのうち、大風が吹いて、湖が荒れ始めた。一里と半分くらい漕ぎ出した時、弟子たちはイェシューさまが湖の縁を歩いて来て、ザブザブと小舟に近づいて来るのを見て「何とまァ、危ねァぞ!」と心配した。イェシューさまは弟子たちに声をかけなさった。「俺だ!心配するな!」弟子たちは喜んで、イェシューさまを小舟に引っ張り上げた。やがて間もなく舟は目指す船着き場に着いた。
要は「恐れた」という意味は弟子たちがザフザブと小舟に近づくイエスを危ないからと心配した場面だったということになる。
ただしこれは単純にイエスが湖水の上を歩いたとする奇跡を否定したものではない。詳しくは本書をお読みいただきたいが、訳者は原典を紐解き単語の意味を探り、イエスや弟子たちの時系列の行動や土地感を十分に考察した結果、この時イエスは湖畔を走ったのだと結論づけている。
しかし中には本書の存在は聖書を冒涜しているように感じる人やトンデモ本の一種かと思う人もいるかも知れないが、それは早計である。なにしろ山浦玄嗣氏と仲間たちは2004年、聖書の理解に役立ったとしてバチカンに招かれ、教皇ヨハネ・パウロ二世に「ケセン語訳新約聖書・四福音書」を直接献呈して祝福を受けたという。
無論この短いアーティクルでケセン語訳の福音書の意味などお伝えすることは力不足で敵わないことだが、聖書に興味のある方は先入観を持たず、まずは一読されることをお勧めしたい。
きっと心に響く言葉に沢山出会うと共にイエスが本当に何を伝えたかったのかがこれまでより理解できるに違いない。
このケセン語訳による聖書、今後も引き続き親しんでみようと考えている。
■ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書
■イエスの言葉 ケセン語訳 (文春新書)
早くも来月3月11日は東日本大震災から1年だ…。故郷が徹底的に破壊された被害地の医師、山浦玄嗣氏がふるさとの言葉で聖書を訳していた事実を遅ればせながら知り、いくつかの書籍を取り寄せてみた。
正直、最初は冗談だとも思ったが、ページを読み進むうちに驚愕に変わりそして自然に涙がこぼれ落ちた…。
「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ幸せだ。神さまの懐に抱がさんのァその人達だ。」
「野辺の葬送に泣いでる人ァ幸せだ。その人達ァ慰めらィる。」
何のことかと言えばこれはマタイによる「山上の垂訓」の一節なのである。これをお馴染みの聖書新共同訳で記せば以下のようになる。
「心の貧しい人々は、幸せである。天の国はその人たちのものである。」
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」

※1999年山口県のザビエル記念聖堂で手に入れたメダイ
そもそも聖書は大変分かりづらいものだ。その最大の原因は2000年も前の言葉や風習を現代の我々の言葉で伝えるという難しさがあげられよう。そして本来時代も文化もまったく違う当時のあれこれを知らずしてイエスらが何を見てどう感じたか、何をどのように伝えたかったのか…など、なかなか理解できるものではないと思う。
思えばその時代、ガリラヤという小さな村の大工(イエスも大工だった)や漁師たちが現在我々が手にしている聖書に記されているような意味で整然とした言葉を話していたはずはない。
ましてや現在のようにテレビやラジオがあったわけではなく、いわゆる標準語といった概念もなかったから、それぞれの地方や職種あるいは階級でかなり話し言葉は違っていたはずだ。
山浦玄嗣訳「ガリラヤのイェシュー」と題された新訳聖書四福音書によれば、本書の訳ではリアリティを出すために登場人物たちに様々な方言が割り当てられている。
例えばイェシュー(イエス)とその弟子たちやガリラヤ人たちの大部分はケセン語すなわち岩手県気仙地方の方言。サマリア人、シカルの村人たちは鶴岡弁(山形県鶴岡市)を、代官ピラトたちを含むローマ人は鹿児島弁といった具合だ…。

※山浦玄嗣訳「ガリラヤのイェシュー」イー・ピックス出版刊の表紙
これらは訳者がお遊びやふざけて取り上げたものではない。訳者自身、これらはひとつの試みであるとしているがその目的はこれまで一般の日本人にとってかなり難解であり続けてきた福音書を楽しく、親しみやすく、解りやすいものとして伝えることだという。
「福音書」は文字通り、これを読む人にとって「よきたより」でなければならず、その為には言わんとしていることが読者の心に抵抗なく受け入れられ、共感と感動をもって理解される必要があり、訳者の試みはこの一点を目指したものだという。

※山浦玄嗣著「イエスの言葉〜ケセン語訳」文春新書刊表紙
ただ山浦玄嗣氏は言葉を方言に置き換えただけではない。無論そのためには福音書の言わんとする真意を我々日本人が理解できる言葉に訳さなければならない。
「愛する」を「大事にする」、「永遠の命」を「いつまでも明るく活き活き幸せに生きること」、「精霊」を「神さまの息」といった具合に…。
さらに訳者は古代ギリシャ語原典からあらためてその意味を探り、新しい発想で我々に聖書の物語を解き明かしてくれる。
例えばヨハネによる福音の中に「湖の上を歩く」という箇所がある。その新共同訳では次のように訳されている。
夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りていった。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したところ、イエスが湖の上を歩いて船に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない」そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。
私もこの一節を読み、何故イエスが湖の上を歩いているのを見て弟子たちが恐れるのかがピンとこなかった…。それこそ「先生はスゲ〜」と驚愕し喜ぶのが普通かな…と思った。
しかしケセン語訳では「湖の上を歩く」を「湖の縁を歩く」として次のように訳している。
夕方になって、弟子たちは湖の畔に下がって行った。そうして、小舟に乗って、そこからかなり遠いずっと向こう岸にあるカファルナウムを目指した。既に暗くなっていたけれども、イェシューさまはまだ弟子たちのところに来ていなかった。そのうち、大風が吹いて、湖が荒れ始めた。一里と半分くらい漕ぎ出した時、弟子たちはイェシューさまが湖の縁を歩いて来て、ザブザブと小舟に近づいて来るのを見て「何とまァ、危ねァぞ!」と心配した。イェシューさまは弟子たちに声をかけなさった。「俺だ!心配するな!」弟子たちは喜んで、イェシューさまを小舟に引っ張り上げた。やがて間もなく舟は目指す船着き場に着いた。
要は「恐れた」という意味は弟子たちがザフザブと小舟に近づくイエスを危ないからと心配した場面だったということになる。
ただしこれは単純にイエスが湖水の上を歩いたとする奇跡を否定したものではない。詳しくは本書をお読みいただきたいが、訳者は原典を紐解き単語の意味を探り、イエスや弟子たちの時系列の行動や土地感を十分に考察した結果、この時イエスは湖畔を走ったのだと結論づけている。
しかし中には本書の存在は聖書を冒涜しているように感じる人やトンデモ本の一種かと思う人もいるかも知れないが、それは早計である。なにしろ山浦玄嗣氏と仲間たちは2004年、聖書の理解に役立ったとしてバチカンに招かれ、教皇ヨハネ・パウロ二世に「ケセン語訳新約聖書・四福音書」を直接献呈して祝福を受けたという。
無論この短いアーティクルでケセン語訳の福音書の意味などお伝えすることは力不足で敵わないことだが、聖書に興味のある方は先入観を持たず、まずは一読されることをお勧めしたい。
きっと心に響く言葉に沢山出会うと共にイエスが本当に何を伝えたかったのかがこれまでより理解できるに違いない。
このケセン語訳による聖書、今後も引き続き親しんでみようと考えている。
■ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書
■イエスの言葉 ケセン語訳 (文春新書)
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