山浦玄嗣講演会「走れ、イエス」DVDに寄せて
先般「聖書のケセン語訳書をご存じですか?」というアーティクルをご紹介したが、個人的な事ながらこのケセン語訳の聖書解釈に目から鱗が続き、完全にまいってしまった…。
というわけでこの偉業をもっと知りたいと「走れ、イエス」と題して山浦氏ご自身の講演が収録されているDVDと具体的に四福音書をケセン語に訳す際にぶち当たったさまざまな難問をどのように解いていったかを解説した同名の電子ブック(CD)を購入した。
「山浦玄嗣講演会 走れ、イエス」のDVDはケセン語新訳聖書販売一万部達成を記念して企画されたものだという。そして映像は平成18年6月4日、宮城県松島町にあるホテル松島大観荘で「ワイズメンズクラブ国際協会第9回東日本区大会」という催事で録画されたとある。

※イー・ピックス出版「山浦玄嗣講演会 走れ、イエス」のDVDパッケージ
ともあれ届いた2つのパッケージには「この商品は、東日本大震災において大津波の洗礼を受けた商品です~」うんぬんのシールが貼られているが、確かに電子ブックのパッケージ裏面は綺麗ではあるものの明らかに水で濡れた形跡がうかがえて呆然とする…。


※CD パッケージ裏には津波を受けた跡がはっきりと残っていた
さて言い訳めくが私はキリスト教の信者ではないものの史実としてのイエスに興味を持ち続けてきた一人である。
私の書棚に多々あるキリスト教関連書を見て来訪者に「信者ですか?」と聞かれるときもあるが、私は「隠れキリシタンです」と受け答えすることにしている(笑)。まあ聖書の隣には正統なキリスト教徒から見れば禁断の書とも言われる「ユダの福音書」「マグダラのマリアによる福音書」などもあるし、その横には道元や空海の著なるものがあったりしてもうメチャクチャではあるが…。

※中学時代、デッサンの練習ために母親に買ってもらった石膏のマリア像。今でも大切にしている
したがってキリスト教を知るためにといわゆる聖書なるものを読む努力は若い頃から続けてきたが、この聖書というものはキリスト教を阻害するため、嫌いにするためのものではないか…という気がしてならなかった。とにかく意味が分からないし無理難題ばかりのような気がする。
確かに2000年も前の文化や風習あるいは教義といったものを…それもまったく予備知識のない我々一般人に分かるように翻訳するのは並大抵ではないと思うが、それを何とかするのが専門家であり学者たちでしょう?といいたい。
私が山浦玄嗣氏(以後山浦先生)訳のケセン語聖書(四福音書)にざっと目を通して感動したのは “日本語として意味が分かる” からだ。
いわゆる標準語として書かれた新共同訳の聖書より岩手県気仙地方の言葉で書かれた聖書の方が意味がわかるというのも面白いというか可笑しな話しだが、その感想はケセン語聖書を手にした多くの方々共通の思いに違いない。
無論山浦先生がふるさとの言葉であるケセン語で聖書を訳すと決心してもそれには多くの困難が待ち受けていた。
為に山浦先生はなんと聖書が書かれた古代ギリシャ語を習得し、ギリシャ語原本からケセン語に訳すという快挙を実現したのである。
面白いと言っては語弊があるかもしれないが、先生の訳した聖書には「天国」とか「愛」という言葉がない…というより意図的に追放したという。そもそもこうした日本語に訳したことこそがキリスト教の真意をねじ曲げ、誤解を生む要因となってきたようだ。
例えば、聖書に「あなたの敵を愛しなさい」という有名な言葉がある。だからこそキリスト教は「愛の宗教だ」といわれるが、山浦先生は「むしずが走る」と言い切っている(笑)。ご自身で生まれついてのカトリック教徒だと自負している先生が…である。
そもそも我々は敵を愛せるものなのだろうか。敵とはこの世からいなくなれば良い、あるいは殺してやりたいと思うほど憎い対象の筈だ。それなのに宿敵を愛せなければキリスト教徒になれないのか…。
そうではなく、これは日本語訳の罪作りな誤訳というのが山浦先生の説なのだ。ギリシャ語の原典にいう「アガパオー」を「愛する」と訳したが故の誤解なのだと…。
山浦先生は「アガパオー」を「大切にする」…ケセン語的には「大事にする」と訳している。要するに「敵だったとしても大事にしろ」ということなら「おお、敵に塩を送った上杉謙信の精神だな」と我々にも少しは理解はできるだろう。
ギリシャ語の「アガパオー」を「愛する」と訳したことから「神を愛する」としなければならなくなった。
「冗談ではない、こんな失礼なことはない」と山浦先生は声を大にしていう。「神様をお慕い申し上げる」ならわかるが「愛する」はないでしょう…と。そして「ペットじゃあるまいし」と一刀両断に切り捨てている(笑)。痛快である。
そうした山浦先生の文字通り画期的な偉業(本職は医者)の背景とそれに至る苦労などをご自身のことばで語っているのが本DVDなのである。そしてそれと同種な内容を電子書籍として読むことが出来るのが同名のCDなのだ。
ただしこのCDはWindows専用となっているがPDFとしてならMacでも読めるので私はそれで満足している…。
特に講演のDVDは何度観ても実に面白く楽しい。それは山浦先生の語りが僭越ながら聞く者の心を捕らえて放さないからだ。全編これユーモアの宝庫である。そして非常に解りやすい…。
以下に販売元のサイトでこの極一部のサンプル映像を見ることが出来るので是非ご覧になっていただきたい。サンプルは映像も小さく極極短いがDVDは1時間18分の収録がある。
最後に余談ながらこの山浦先生の講演を繰り返し聞いていると昨今…特に我々の業界は…プレゼンの極意を故スティーブ・ジョブズ氏に託すような情報ばかり目立つが、人の心に響く話しはジョブズ氏の専売特許ではないということにあらためて気がつく。そしてスタイルはもとより、人生の目標や住む世界、価値観もまったく違うものの、山浦先生とスティーブ・ジョブズ氏に共通するものが見えてくる。
それは「揺るぎない自信と確信」を持っているということではないだろうか。自分の切り開いてきた道に関して誰にも負けないという自負とそれを多くの人たちに伝えたいという強い信念からもたらされた確信が自信となり、人の心を打つスピーチになっていることを感じるのだ。
それにしてもケセン語訳の聖書、私の座右の書になりそうだ。
■イー・ピックス出版
というわけでこの偉業をもっと知りたいと「走れ、イエス」と題して山浦氏ご自身の講演が収録されているDVDと具体的に四福音書をケセン語に訳す際にぶち当たったさまざまな難問をどのように解いていったかを解説した同名の電子ブック(CD)を購入した。
「山浦玄嗣講演会 走れ、イエス」のDVDはケセン語新訳聖書販売一万部達成を記念して企画されたものだという。そして映像は平成18年6月4日、宮城県松島町にあるホテル松島大観荘で「ワイズメンズクラブ国際協会第9回東日本区大会」という催事で録画されたとある。

※イー・ピックス出版「山浦玄嗣講演会 走れ、イエス」のDVDパッケージ
ともあれ届いた2つのパッケージには「この商品は、東日本大震災において大津波の洗礼を受けた商品です~」うんぬんのシールが貼られているが、確かに電子ブックのパッケージ裏面は綺麗ではあるものの明らかに水で濡れた形跡がうかがえて呆然とする…。


※CD パッケージ裏には津波を受けた跡がはっきりと残っていた
さて言い訳めくが私はキリスト教の信者ではないものの史実としてのイエスに興味を持ち続けてきた一人である。
私の書棚に多々あるキリスト教関連書を見て来訪者に「信者ですか?」と聞かれるときもあるが、私は「隠れキリシタンです」と受け答えすることにしている(笑)。まあ聖書の隣には正統なキリスト教徒から見れば禁断の書とも言われる「ユダの福音書」「マグダラのマリアによる福音書」などもあるし、その横には道元や空海の著なるものがあったりしてもうメチャクチャではあるが…。

※中学時代、デッサンの練習ために母親に買ってもらった石膏のマリア像。今でも大切にしている
したがってキリスト教を知るためにといわゆる聖書なるものを読む努力は若い頃から続けてきたが、この聖書というものはキリスト教を阻害するため、嫌いにするためのものではないか…という気がしてならなかった。とにかく意味が分からないし無理難題ばかりのような気がする。
確かに2000年も前の文化や風習あるいは教義といったものを…それもまったく予備知識のない我々一般人に分かるように翻訳するのは並大抵ではないと思うが、それを何とかするのが専門家であり学者たちでしょう?といいたい。
私が山浦玄嗣氏(以後山浦先生)訳のケセン語聖書(四福音書)にざっと目を通して感動したのは “日本語として意味が分かる” からだ。
いわゆる標準語として書かれた新共同訳の聖書より岩手県気仙地方の言葉で書かれた聖書の方が意味がわかるというのも面白いというか可笑しな話しだが、その感想はケセン語聖書を手にした多くの方々共通の思いに違いない。
無論山浦先生がふるさとの言葉であるケセン語で聖書を訳すと決心してもそれには多くの困難が待ち受けていた。
為に山浦先生はなんと聖書が書かれた古代ギリシャ語を習得し、ギリシャ語原本からケセン語に訳すという快挙を実現したのである。
面白いと言っては語弊があるかもしれないが、先生の訳した聖書には「天国」とか「愛」という言葉がない…というより意図的に追放したという。そもそもこうした日本語に訳したことこそがキリスト教の真意をねじ曲げ、誤解を生む要因となってきたようだ。
例えば、聖書に「あなたの敵を愛しなさい」という有名な言葉がある。だからこそキリスト教は「愛の宗教だ」といわれるが、山浦先生は「むしずが走る」と言い切っている(笑)。ご自身で生まれついてのカトリック教徒だと自負している先生が…である。
そもそも我々は敵を愛せるものなのだろうか。敵とはこの世からいなくなれば良い、あるいは殺してやりたいと思うほど憎い対象の筈だ。それなのに宿敵を愛せなければキリスト教徒になれないのか…。
そうではなく、これは日本語訳の罪作りな誤訳というのが山浦先生の説なのだ。ギリシャ語の原典にいう「アガパオー」を「愛する」と訳したが故の誤解なのだと…。
山浦先生は「アガパオー」を「大切にする」…ケセン語的には「大事にする」と訳している。要するに「敵だったとしても大事にしろ」ということなら「おお、敵に塩を送った上杉謙信の精神だな」と我々にも少しは理解はできるだろう。
ギリシャ語の「アガパオー」を「愛する」と訳したことから「神を愛する」としなければならなくなった。
「冗談ではない、こんな失礼なことはない」と山浦先生は声を大にしていう。「神様をお慕い申し上げる」ならわかるが「愛する」はないでしょう…と。そして「ペットじゃあるまいし」と一刀両断に切り捨てている(笑)。痛快である。
そうした山浦先生の文字通り画期的な偉業(本職は医者)の背景とそれに至る苦労などをご自身のことばで語っているのが本DVDなのである。そしてそれと同種な内容を電子書籍として読むことが出来るのが同名のCDなのだ。
ただしこのCDはWindows専用となっているがPDFとしてならMacでも読めるので私はそれで満足している…。
特に講演のDVDは何度観ても実に面白く楽しい。それは山浦先生の語りが僭越ながら聞く者の心を捕らえて放さないからだ。全編これユーモアの宝庫である。そして非常に解りやすい…。
以下に販売元のサイトでこの極一部のサンプル映像を見ることが出来るので是非ご覧になっていただきたい。サンプルは映像も小さく極極短いがDVDは1時間18分の収録がある。
最後に余談ながらこの山浦先生の講演を繰り返し聞いていると昨今…特に我々の業界は…プレゼンの極意を故スティーブ・ジョブズ氏に託すような情報ばかり目立つが、人の心に響く話しはジョブズ氏の専売特許ではないということにあらためて気がつく。そしてスタイルはもとより、人生の目標や住む世界、価値観もまったく違うものの、山浦先生とスティーブ・ジョブズ氏に共通するものが見えてくる。
それは「揺るぎない自信と確信」を持っているということではないだろうか。自分の切り開いてきた道に関して誰にも負けないという自負とそれを多くの人たちに伝えたいという強い信念からもたらされた確信が自信となり、人の心を打つスピーチになっていることを感じるのだ。
それにしてもケセン語訳の聖書、私の座右の書になりそうだ。
■イー・ピックス出版
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