ラテ飼育格闘日記(248)
久しぶりにワンコ関連本を購入した。夏目真理子著「もう、ばか犬なんて言わせない~私は社会化のドッグトレーナー」(文芸社刊)という本である。Amazonで見つけ、その考え方に興味を持ったので購入してみたがこうした新しい考え方に基づいてワンコをトレーニングしているドッグトレーナーもいることを知った。
これまでいわゆるドッグトレーナーとして名前が知られている人の著書を何冊も読んだが、どうにも納得がいかないものばかりだった。
それらの人たちはドッグトレーナーとして肩書きは文字通り一流の方々だがそのほとんどがワンコをオオカミの子孫と捉え、飼い主がグループのリーダーとなるべく努力をしなければならないとし、例えばワンコを飼い主の目の高さ以上に持ち上げないこと、玄関の出入りは飼い主が先にすること、食事も飼い主の後でワンコに与えることなどを推薦する。その上で吠える犬にはお酢のスプレーが有効だとか、家具を咬む犬には足払いの天罰とか、飛びついてきたら後ろを向き無視すること…などなどが有効だとしている。
オトーサンはこの「飼育格闘日記」でそうした考え方は欧米から入ってきた情報としても古い考え方で、すでにワンコをオオカミの子孫だからオオカミの習性をお手本にして云々するなど茶番だということを多々書いてきた。
事実最新の科学ではワンコとオオカミは我々の祖先と出会ったときにすでに種の枝分かれが終わっていたようで、決してオオカミの子供を人類の祖先が拾って育てたものがワンコの祖先になった…という話しはすでに信じられていないのである。
しかし一流のドッグトレーナーと称する人たちの中にはまだまだワンコと飼い主の主従関係に関しどちらがリーダーシップを取っているか…というパワーバランスで解釈する人が多く、結果ある種の力ずくでワンコを押さえつけているように思えて好きになれないでいた…。

※穴を掘り砂をかぶりながらアクティブに遊ぶラテ
例えば現在も飼い犬が吠えるその理由も考えず、ただ人間の都合で黙らせようとお酢のスプレーを吹き付けたり電気ショックを与えたりすることがまるで正当化された飼い方だといわんばかりの情報に満ちあふれているのが現状なのである。
子犬の時の甘噛みを許し、放置しておくと成犬になるにつれ本物の噛み犬になる…といったことをそのまま信じ、子犬の育て方に神経をすり減らしている飼い主さんも多いのではないだろうか。
ただしオトーサンの体験ではワンコが子犬時代にきちんと社会化ができているかも問題だし、ワンコの性格にも大きく左右されるものの、子犬時代の甘噛みは他のワンコとの遊びや飼い主との日常の中で加減を覚えていく上で必要な行為だと思っている。

※夏目真理子著「もう、ばか犬なんて言わせない~私は社会化のドッグトレーナー」(文芸社刊)表紙
本「飼育格闘日記」の第二回の末尾をご覧になればお分かりだが、実はオトーサンもラテの甘噛みに悩んでいたことが記録されている(笑)。しかし成犬になったラテはオトーサンたちに間違っても歯を立てるようなことをしない良い子に育った。
例えば縫いぐるみで遊んでいるとき、オトーサンはわざとラテが咥えている当たりに手を突っ込むことを今でもたまたまやっている。ラテはそれこそ縫いぐるみを咥えて振り回しているが「ガブッ」と力任せに咥えるのではなく甘噛みよろしく加減しながら歯を立てている。そのときオトーサンの手に歯が一瞬触れると見事によけて咥え直すのだ。
したがって甘噛み犬がそのまま凶暴な人噛み犬に成長するといった単純なものではないし「案ずるより産むが易し」である。

※先日、約半年ぶりに出会った大好きなマキちゃんにチューをねだるラテ。右にいるビーグル犬のハリーちゃんはちょっとあきれ顔で見つめてる(笑)
ともかく本書には「支配性理論をぶち壊せ」とか「犬は犬であるだけで愛されなくてはならない」といった章立てがあることを知り興味を持った…。この著者はこれまでの古い理論にとらわれたドッグトレーナーではないな…と思い本書を買ってみた。
本書冒頭では「本書は飼い方のマニュアルを教えるものではありません」と書いているが、具体的な問題行動をどうしたら解決できるか…といった類のマニュアル本ではなく、雑に言ってしまえばワンコにどのように接したらよいか、ワンコとはどのような動物なのかをドッグトレーナーの立場で解説した一冊のように思える。
筆者の主張は大別してふたつある。ひとつは一般的にペットショップで販売されているワンコは生後かなり早く親兄弟から離されるためワンコとしての社会化ができていない状態だという。トイレのしつけ、甘噛み、犬なのに犬が怖いといった問題は飼い主の躾け方以前にこの社会化ができていないことが原因だという。
2つ目はワンコを取り巻く環境が「(ワンコとして)普通であること」を許していないんじゃないか?と感じ「どうしてワンコにそこまで求めるのか?」という問いかけだ。これは1人の飼い主として身につまされるものがある。
ワンコという生き物を知らな過ぎるために、素のワンコであることを許さない飼い主が多くなっているのかも知れない…。

※「ラテ、しばらくだったけど元気だったか?」「うん、ちょっと夏バテなのよ」といった会話か(笑)
著者はいまだにワンコが言うことを聞かなかったら、叩き、首を締め上げ、蹴る…といった方法でワンコを躾けている人が多い現状に心が重くなると言う。さらに筆者はリードさばきや、歩行の訓練などは、ワンコが家庭内で起こす問題の解決にはあまり意味がないとも書いている。
素人がいうのも僭越だが、こうした考えを持ってワンコに接するドッグトレーナーがいることに大変心強いものを感じるし「たとえ褒めてしつけることを選択しても、正しい行動のみ褒めに値するよ、という態度では、決して犬からの信頼を得られないと思うのです」には思わず頷くオトーサンであった。
勿論オトーサンもワンコと真正面から向かい合い、ワンコと飼い主の幸せをと日々努力している多くのドッグトレーナーの方々がいることも知っている。しかしテレビチャンピオン優勝とか、何とか団体公認訓練士などなどを看板に著作も多いドッグトレーナーを一般的には信用してしまうのが我々素人飼い主なのだ。本書の著者のようにワンコと真っ正面に向き合っているドッグトレーナーの方々がもっともっと声を大にして表に出て欲しいと願う。
ただし本書は内容は良いとしても正直少々読みづらい本だった。別に難しい言い回しがあるというのではない。本書は話し言葉で書かれているから字面を追うのは容易だが、独特の癖というか統一感がないというか急にため口で語られるような違和感があるのが残念だ。
とにかくオトーサンは本書を興味を持って読み終わったが、もう一度具体的にラテをイメージしながら復習として再読してみようと思っている。
■私は社会化のドッグトレーナー もう、バカ犬なんて言わせない
これまでいわゆるドッグトレーナーとして名前が知られている人の著書を何冊も読んだが、どうにも納得がいかないものばかりだった。
それらの人たちはドッグトレーナーとして肩書きは文字通り一流の方々だがそのほとんどがワンコをオオカミの子孫と捉え、飼い主がグループのリーダーとなるべく努力をしなければならないとし、例えばワンコを飼い主の目の高さ以上に持ち上げないこと、玄関の出入りは飼い主が先にすること、食事も飼い主の後でワンコに与えることなどを推薦する。その上で吠える犬にはお酢のスプレーが有効だとか、家具を咬む犬には足払いの天罰とか、飛びついてきたら後ろを向き無視すること…などなどが有効だとしている。
オトーサンはこの「飼育格闘日記」でそうした考え方は欧米から入ってきた情報としても古い考え方で、すでにワンコをオオカミの子孫だからオオカミの習性をお手本にして云々するなど茶番だということを多々書いてきた。
事実最新の科学ではワンコとオオカミは我々の祖先と出会ったときにすでに種の枝分かれが終わっていたようで、決してオオカミの子供を人類の祖先が拾って育てたものがワンコの祖先になった…という話しはすでに信じられていないのである。
しかし一流のドッグトレーナーと称する人たちの中にはまだまだワンコと飼い主の主従関係に関しどちらがリーダーシップを取っているか…というパワーバランスで解釈する人が多く、結果ある種の力ずくでワンコを押さえつけているように思えて好きになれないでいた…。

※穴を掘り砂をかぶりながらアクティブに遊ぶラテ
例えば現在も飼い犬が吠えるその理由も考えず、ただ人間の都合で黙らせようとお酢のスプレーを吹き付けたり電気ショックを与えたりすることがまるで正当化された飼い方だといわんばかりの情報に満ちあふれているのが現状なのである。
子犬の時の甘噛みを許し、放置しておくと成犬になるにつれ本物の噛み犬になる…といったことをそのまま信じ、子犬の育て方に神経をすり減らしている飼い主さんも多いのではないだろうか。
ただしオトーサンの体験ではワンコが子犬時代にきちんと社会化ができているかも問題だし、ワンコの性格にも大きく左右されるものの、子犬時代の甘噛みは他のワンコとの遊びや飼い主との日常の中で加減を覚えていく上で必要な行為だと思っている。

※夏目真理子著「もう、ばか犬なんて言わせない~私は社会化のドッグトレーナー」(文芸社刊)表紙
本「飼育格闘日記」の第二回の末尾をご覧になればお分かりだが、実はオトーサンもラテの甘噛みに悩んでいたことが記録されている(笑)。しかし成犬になったラテはオトーサンたちに間違っても歯を立てるようなことをしない良い子に育った。
例えば縫いぐるみで遊んでいるとき、オトーサンはわざとラテが咥えている当たりに手を突っ込むことを今でもたまたまやっている。ラテはそれこそ縫いぐるみを咥えて振り回しているが「ガブッ」と力任せに咥えるのではなく甘噛みよろしく加減しながら歯を立てている。そのときオトーサンの手に歯が一瞬触れると見事によけて咥え直すのだ。
したがって甘噛み犬がそのまま凶暴な人噛み犬に成長するといった単純なものではないし「案ずるより産むが易し」である。

※先日、約半年ぶりに出会った大好きなマキちゃんにチューをねだるラテ。右にいるビーグル犬のハリーちゃんはちょっとあきれ顔で見つめてる(笑)
ともかく本書には「支配性理論をぶち壊せ」とか「犬は犬であるだけで愛されなくてはならない」といった章立てがあることを知り興味を持った…。この著者はこれまでの古い理論にとらわれたドッグトレーナーではないな…と思い本書を買ってみた。
本書冒頭では「本書は飼い方のマニュアルを教えるものではありません」と書いているが、具体的な問題行動をどうしたら解決できるか…といった類のマニュアル本ではなく、雑に言ってしまえばワンコにどのように接したらよいか、ワンコとはどのような動物なのかをドッグトレーナーの立場で解説した一冊のように思える。
筆者の主張は大別してふたつある。ひとつは一般的にペットショップで販売されているワンコは生後かなり早く親兄弟から離されるためワンコとしての社会化ができていない状態だという。トイレのしつけ、甘噛み、犬なのに犬が怖いといった問題は飼い主の躾け方以前にこの社会化ができていないことが原因だという。
2つ目はワンコを取り巻く環境が「(ワンコとして)普通であること」を許していないんじゃないか?と感じ「どうしてワンコにそこまで求めるのか?」という問いかけだ。これは1人の飼い主として身につまされるものがある。
ワンコという生き物を知らな過ぎるために、素のワンコであることを許さない飼い主が多くなっているのかも知れない…。

※「ラテ、しばらくだったけど元気だったか?」「うん、ちょっと夏バテなのよ」といった会話か(笑)
著者はいまだにワンコが言うことを聞かなかったら、叩き、首を締め上げ、蹴る…といった方法でワンコを躾けている人が多い現状に心が重くなると言う。さらに筆者はリードさばきや、歩行の訓練などは、ワンコが家庭内で起こす問題の解決にはあまり意味がないとも書いている。
素人がいうのも僭越だが、こうした考えを持ってワンコに接するドッグトレーナーがいることに大変心強いものを感じるし「たとえ褒めてしつけることを選択しても、正しい行動のみ褒めに値するよ、という態度では、決して犬からの信頼を得られないと思うのです」には思わず頷くオトーサンであった。
勿論オトーサンもワンコと真正面から向かい合い、ワンコと飼い主の幸せをと日々努力している多くのドッグトレーナーの方々がいることも知っている。しかしテレビチャンピオン優勝とか、何とか団体公認訓練士などなどを看板に著作も多いドッグトレーナーを一般的には信用してしまうのが我々素人飼い主なのだ。本書の著者のようにワンコと真っ正面に向き合っているドッグトレーナーの方々がもっともっと声を大にして表に出て欲しいと願う。
ただし本書は内容は良いとしても正直少々読みづらい本だった。別に難しい言い回しがあるというのではない。本書は話し言葉で書かれているから字面を追うのは容易だが、独特の癖というか統一感がないというか急にため口で語られるような違和感があるのが残念だ。
とにかくオトーサンは本書を興味を持って読み終わったが、もう一度具体的にラテをイメージしながら復習として再読してみようと思っている。
■私は社会化のドッグトレーナー もう、バカ犬なんて言わせない
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