初期Macintosh におけるバックパネル内面サインの考察
よく知られているようにMacintosh 128KからMacintosh Plusといった初期の本体ケースの内側にはマックチーム関係者のサインが浮き彫りにされている。Macintosh Plusのケースを開けるついでに、久しぶりにそれらを眺めてみた...。
これらのサインが集められたのは1982年2月のことだった。スティーブ・ジョブズは自分たちが開発しているMacintoshは単なる工業製品ではなく、芸術作品であると感じていたこともあって、鋳造する金型の内側にチーム全員のサインを入れることを思いついたという。
テーブルの上に大きな製図用紙が広げられ、そこに全員のサインが寄せ書きされた。それをネガフィルムに撮影の上でMacintoshの金型へエッチングをほどこすこととなる。
当事者のひとりであったアンディ・ハーツフェルドによれば、当日のサイン・パーティーに集まった35人の署名が終わるまで40分ほどかかったという。
全員のサインが終わった一番後にスティーブ・ジョブズが例の小文字だけのサインを書き込み、サインの収集は終わった。

※今回入手したMacintosh Plusの本体だが、なかなか美品である
それらのサインと書き込んだ人物については書籍などで詳しく確認できるが、私たちがマックの開発チームとして重要な役割を果たしたことを知っている、例えばスティーブ・キャプスらの名がそこにはないことを奇異に感じるかも知れない。しかしこれら数人の名は故意に消されたのでは決して無い。
なぜ1982年にこうしたサインを集めたかという理由だが、それはMacintoshの発表が近いとされていたからである。しかしその1982年2月にスティーブ・キャプスはまだチームの一員ではなかったのである。
Macintosh開発チームを率いることになったスティーブ・ジョブスは当初Macintoshの出荷を1982年の初頭と考えていた。それが不可能となったとき、今度は1983年5月に開催されるナショナル・コンピュータ・カンファレンスに合わせて出荷すると皆にハッパをかけた。
「90 HRS/WK AND LOVING IT」すなわち「週90時間労働が嬉しい」とプリントされたTシャツを着ながらチーム全員が頑張ったが、結局1984年1月の発表まで予定は延びてしまったわけだ。
サインに話をもどそう。こうして集められたサインはMacintosh自身の出荷が遅れるのと連動して新しい人材や逆にすでにチームを離れた何人かのサインも加えられることになった。事実ケースのサインにはあのスティーブ・ウォズニアックの名も存在する。
ただしこの金型は大変高価なものだったこともあり、いわゆる金型代の償却ができず、結局サインを刻んだケースの金型は後のMacintosh PlusはもとよりMacintosh SEの頃まで手直しを続けながら使われることになる。その課程でケースの金型を修正する度にサインのいくつかはその位置によっては消されることになった。


※Macintosh Plus内面のサイン全貌(上)と中央付近にあるスティーブ・ジョブズのサイン(下)
さて「アップルコンフィデンシャル 2.5J」には、集められた47人全員のサインが紹介されている。そこで今回入手したMacintosh Plusのケースを開けた機会だからと、物好きにも実際のサインと照合してみた(笑)。
スティーブ・ジョブズのサインはほぼ中央にあり、ウェズニアック独特のサインもはっきりしている。しかし前記47人のサインの内、アンディ・ハーツフェルドやビル・アトキンソンそしてジェフ・ラスキンら16人のサインがない。また当時デジタル基板設計担当だったビュレル・カーバー・スミスのサインは明らかに金型の修正時に半分以上消されてしまっている。
今般手に入れたMacintosh Plusは極端な後期形なのか?とも思ったが、念のために別途所有している御影石調のMacintosh Plusケースも開けてみた。こちらは吹きつけ塗装のために細かな判別ができないものの、結局は同じであることが分かった。
インターフェース・ポートのパネル部分内側でサインが消えている事実から推測するに、Macintosh 128KからPlusになった際、SCSIインターフェースなどが加えられ仕様変更となった。したがって金型改変のとき、もともとその位置にあったサインは消さざるを得なかったのだろうと思う。
当時の設計思想...特にジョブズの考えでは、一般ユーザがMacintoshのケースを開けて内部にアクセスすることを想定してなかった...というか、Macintoshはそれ自体で完成された製品であると考えられ、拡張性を排除した製品だった。その上にケースを開けるためには特殊な工具も必要なため、誰でもがこのサインを見ることができるわけではない。したがって多くの人たちにアピールするためというより、世界を変えるであろう製品を生み出したという自負がサインを残す原動力となったのであろう。
その47人の中にはジェフ・ラスキンのようにすでに鬼籍に入った人もいる。また現在所在が確認できない人たちもいるという。
アルミ蒸着され、光を上手く当てないとサインがよく見えないMacintosh Plusのケース内部を覗きながら、47人の人たちはその時、それぞれどのような気持ちでサインをしたのだろうか...。そんなことを考えながら私の視線は一瞬、ケースのサインのはるか遠くを眺めていた。
【参考】
・「アップルコンフィデンシャル 2.5J」オーエン・W・リンツメイヤー+林信行著(アスペクト刊)
・「レボリューション・イン・ザ・バリー」アンディ・ハーツフェルド著/柴田文彦訳(オライリージャパン刊)
これらのサインが集められたのは1982年2月のことだった。スティーブ・ジョブズは自分たちが開発しているMacintoshは単なる工業製品ではなく、芸術作品であると感じていたこともあって、鋳造する金型の内側にチーム全員のサインを入れることを思いついたという。
テーブルの上に大きな製図用紙が広げられ、そこに全員のサインが寄せ書きされた。それをネガフィルムに撮影の上でMacintoshの金型へエッチングをほどこすこととなる。
当事者のひとりであったアンディ・ハーツフェルドによれば、当日のサイン・パーティーに集まった35人の署名が終わるまで40分ほどかかったという。
全員のサインが終わった一番後にスティーブ・ジョブズが例の小文字だけのサインを書き込み、サインの収集は終わった。

※今回入手したMacintosh Plusの本体だが、なかなか美品である
それらのサインと書き込んだ人物については書籍などで詳しく確認できるが、私たちがマックの開発チームとして重要な役割を果たしたことを知っている、例えばスティーブ・キャプスらの名がそこにはないことを奇異に感じるかも知れない。しかしこれら数人の名は故意に消されたのでは決して無い。
なぜ1982年にこうしたサインを集めたかという理由だが、それはMacintoshの発表が近いとされていたからである。しかしその1982年2月にスティーブ・キャプスはまだチームの一員ではなかったのである。
Macintosh開発チームを率いることになったスティーブ・ジョブスは当初Macintoshの出荷を1982年の初頭と考えていた。それが不可能となったとき、今度は1983年5月に開催されるナショナル・コンピュータ・カンファレンスに合わせて出荷すると皆にハッパをかけた。
「90 HRS/WK AND LOVING IT」すなわち「週90時間労働が嬉しい」とプリントされたTシャツを着ながらチーム全員が頑張ったが、結局1984年1月の発表まで予定は延びてしまったわけだ。
サインに話をもどそう。こうして集められたサインはMacintosh自身の出荷が遅れるのと連動して新しい人材や逆にすでにチームを離れた何人かのサインも加えられることになった。事実ケースのサインにはあのスティーブ・ウォズニアックの名も存在する。
ただしこの金型は大変高価なものだったこともあり、いわゆる金型代の償却ができず、結局サインを刻んだケースの金型は後のMacintosh PlusはもとよりMacintosh SEの頃まで手直しを続けながら使われることになる。その課程でケースの金型を修正する度にサインのいくつかはその位置によっては消されることになった。


※Macintosh Plus内面のサイン全貌(上)と中央付近にあるスティーブ・ジョブズのサイン(下)
さて「アップルコンフィデンシャル 2.5J」には、集められた47人全員のサインが紹介されている。そこで今回入手したMacintosh Plusのケースを開けた機会だからと、物好きにも実際のサインと照合してみた(笑)。
スティーブ・ジョブズのサインはほぼ中央にあり、ウェズニアック独特のサインもはっきりしている。しかし前記47人のサインの内、アンディ・ハーツフェルドやビル・アトキンソンそしてジェフ・ラスキンら16人のサインがない。また当時デジタル基板設計担当だったビュレル・カーバー・スミスのサインは明らかに金型の修正時に半分以上消されてしまっている。
今般手に入れたMacintosh Plusは極端な後期形なのか?とも思ったが、念のために別途所有している御影石調のMacintosh Plusケースも開けてみた。こちらは吹きつけ塗装のために細かな判別ができないものの、結局は同じであることが分かった。
インターフェース・ポートのパネル部分内側でサインが消えている事実から推測するに、Macintosh 128KからPlusになった際、SCSIインターフェースなどが加えられ仕様変更となった。したがって金型改変のとき、もともとその位置にあったサインは消さざるを得なかったのだろうと思う。
当時の設計思想...特にジョブズの考えでは、一般ユーザがMacintoshのケースを開けて内部にアクセスすることを想定してなかった...というか、Macintoshはそれ自体で完成された製品であると考えられ、拡張性を排除した製品だった。その上にケースを開けるためには特殊な工具も必要なため、誰でもがこのサインを見ることができるわけではない。したがって多くの人たちにアピールするためというより、世界を変えるであろう製品を生み出したという自負がサインを残す原動力となったのであろう。
その47人の中にはジェフ・ラスキンのようにすでに鬼籍に入った人もいる。また現在所在が確認できない人たちもいるという。
アルミ蒸着され、光を上手く当てないとサインがよく見えないMacintosh Plusのケース内部を覗きながら、47人の人たちはその時、それぞれどのような気持ちでサインをしたのだろうか...。そんなことを考えながら私の視線は一瞬、ケースのサインのはるか遠くを眺めていた。
【参考】
・「アップルコンフィデンシャル 2.5J」オーエン・W・リンツメイヤー+林信行著(アスペクト刊)
・「レボリューション・イン・ザ・バリー」アンディ・ハーツフェルド著/柴田文彦訳(オライリージャパン刊)
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