ラテ飼育格闘日記(169)
毎日朝夕二度の散歩を続けていると季節の移り変わりに必然的に敏感になる。こんなことはコンクリートに囲まれ、朝早く家を出て会社に出向き夜遅くに帰宅するという生活を繰り返していた時代では感じなかったことである。それにしても最近ラテは一段と可愛くなった...。
2月もこの時期になると朝晩の散歩がかなりやりやすくなってくる...。それは少し前までなら朝出かけるときも、そして夕方に出かけるときにも懐中電灯は欠かせないアイテムだった。
朝家を出てまず駅方面に歩くがその10分程度の距離でも外灯の有る無しには関わらず懐中電灯で前方を照らして歩くのが日課だった。それがここの所、天気がよい日にはその明かりは不要になってきたのがありがたい。無論懐中電灯はラテの安全を確保するために重要な役割を果たす...。
愛犬との散歩をはじめてから再認識したことだが、我々人間のマナーの悪さから道路にはさまざまな危険が牙を剝いている。
タバコの吸い殻をポイする人は相変わらず多いし、コンビニ食の食べかけを容器ごと捨ててあったり、わざわざガラス瓶を叩きつけて粉々にして捨ててあるといった具合だ。
そんな所を何も知らずに歩いては災いがない方がおかしいではないか。
また以前にも書いたと思うが、明かりをつけて歩いていることで行き交う人や向かってくる自転車にこちらの存在を知ってもらうサインにもなるのである。なにしろ特に信号がない交差点などでは注意をしていても無灯火の自転車が突っ込んでくる場合もあるからだ。
しかし指が凍えるほどの寒い時期に懐中電灯ひとつでも持ち物が多いことは面倒なものだし、懐中電灯の明かりを照らせるのは極狭い範囲だ。それが自然の...太陽は例え薄明かりでも向こうまで見通せるわけでより安全がとりやすい。
夕方も同じで、帰る頃には真っ暗だったのが時間帯によっては懐中電灯の明かりが不要な日が増えてくるのは嬉しいものである。
そして春がそこまで来ているのは日が延びたということだけではない。この週の散歩では暖かくなったからだろうか、大きなカエルが歩道を横切っているのを2度も見た。

※午前6時過ぎでも天気が良いと美しい朝焼けを見ることができる
そんな季節の朝夕は天気が良いとさまざまな朝焼けや夕焼けに出会う事ができる。そして都心とは違い空を見渡せる面積が抜群に広いからまさしく吸い込まれそうな気がするほど雄大で美しい空の下をラテとアイコンタクトしながら歩くのは無類の喜びなのだ。
そういえば最近偶然なのだろうが、4,5人の方から「最近のラテ、ますます可愛くなったね」といった声をいただいた。半分はお世辞だと受け取らなければいけないのだろうがオトーサンもそれは感じていることなので嬉しくて仕方がない。

※真面目な顔のラテ。何を考えているのやら...
ただ人間と違い、化粧もしないスッピン顔のラテは意外とその場その場で表情が変わる...。
一番は顔の毛並みとその色合いの差がある種の模様となり、それが可愛い感じだったり時には滑稽な見え方になったりもする。とはいってもブラッシングでそうしたパターンをオトーサンがコントロールできるわけでもなく自然に任せるしかないのだ。その上にラテは柴犬のような短毛ではないためそのままにしていると結構体毛が伸びる。そして顔の周り、特に首回りなどの伸び具合によっても随分と印象が違うのも面白い。
かなり短く刈ってしまうとボーイッシュで精悍な感じもするが適度に伸びるとやはり柔らかい印象をかもし出す。
その上にブスっとしている顔と満面の笑顔ではそれこそ雲泥の違いがあるし、この項でご紹介してきたラテの写真も一瞬の時を捉えたわけでいつもいつもが同じ顔をしているわけではない。
あらためて昔の写真を眺めてみるとまず目立つのは顔云々より体の細いことだ(笑)。
ともかく我が家に来た頃は推定だが生後6ヶ月ほどだったこともあり、幼犬特有で頭が大きいから今見ると笑ってしまうほどバランスが違う。そしてかなりの枚数の写真を見てみると確かに顔つきが大きく変わってきたことは確かなようだ。
無論人間同様、子供の顔と成人の顔はちがうわけだがラテも1歳半頃から随分と大人顔になってきたように思える。
マズルが長くなり精悍な感じがする一方で、幼犬時代の少々はれぼったいような目の周りもはっきりしてきたし、両耳が垂れていたものが片耳だけだが立った姿は随分と違う印象を受ける。

※オカーサンと一緒に何見ているのか?
それにオトーサンの思い過ごしかも知れないが、我が家に来てしばらくはラテもいろいろと不安なことも多かったからだろうか、その視線はどこか強く不審感というより常に緊張しているような感じを受ける。いや、それはラテだけでなくオトーサンたちも一緒だったに違いない。
ラテの視線を受けるオトーサンの目もどこか自信がないオロオロした表情だったのかも知れない(笑)。


※我が家に来た直後(2006年12月)のラテはこうした険しい表情をすることもあった(上)。写真下は2007年2月のスナップだが、それにしても...細い(笑)
ともかく間違いないことはこの1年ほどでラテの感情表現はより豊かになったし、それに関連してその表情も柔らかで良くなった。
公園で会う友達ワンコたちと比べると五月蠅いといえば一番五月蠅いのがラテである。なぜなら友達ワンコである柴犬のクロちゃんやポン吉ちゃんはまず吠えることはないしその動作も穏やかに思えるがラテはまったく違う。
大好きな飼い主さんたちには声を出して近づくし...挨拶のつもりなのだろうか、あるいはオヤツ頂戴というおねだりなんだろうか、ともかくその人の前に座って「ワンワン!」と吠える。その方が屈んで撫でてくれようものならその膝に前足をかけ、口元を舐めようとする。場合によっては一緒に遊ぼうのポーズをとり、自分だけで飛び回る...。

※マキちゃんと嬉しそうにお話し中のラテ
少なくとも回りのワンコの中でラテほど感情表現が大げさなワンコは少ないようだ。
当然、それらの動作に合わせて表情も変化する。目を見開いたり口を開けたり、そして首を傾げたりと様々だがその少々太めの体全体で思いを表現しようとするその姿が愛おしいオトーサンなのである。
2月もこの時期になると朝晩の散歩がかなりやりやすくなってくる...。それは少し前までなら朝出かけるときも、そして夕方に出かけるときにも懐中電灯は欠かせないアイテムだった。
朝家を出てまず駅方面に歩くがその10分程度の距離でも外灯の有る無しには関わらず懐中電灯で前方を照らして歩くのが日課だった。それがここの所、天気がよい日にはその明かりは不要になってきたのがありがたい。無論懐中電灯はラテの安全を確保するために重要な役割を果たす...。
愛犬との散歩をはじめてから再認識したことだが、我々人間のマナーの悪さから道路にはさまざまな危険が牙を剝いている。
タバコの吸い殻をポイする人は相変わらず多いし、コンビニ食の食べかけを容器ごと捨ててあったり、わざわざガラス瓶を叩きつけて粉々にして捨ててあるといった具合だ。
そんな所を何も知らずに歩いては災いがない方がおかしいではないか。
また以前にも書いたと思うが、明かりをつけて歩いていることで行き交う人や向かってくる自転車にこちらの存在を知ってもらうサインにもなるのである。なにしろ特に信号がない交差点などでは注意をしていても無灯火の自転車が突っ込んでくる場合もあるからだ。
しかし指が凍えるほどの寒い時期に懐中電灯ひとつでも持ち物が多いことは面倒なものだし、懐中電灯の明かりを照らせるのは極狭い範囲だ。それが自然の...太陽は例え薄明かりでも向こうまで見通せるわけでより安全がとりやすい。
夕方も同じで、帰る頃には真っ暗だったのが時間帯によっては懐中電灯の明かりが不要な日が増えてくるのは嬉しいものである。
そして春がそこまで来ているのは日が延びたということだけではない。この週の散歩では暖かくなったからだろうか、大きなカエルが歩道を横切っているのを2度も見た。

※午前6時過ぎでも天気が良いと美しい朝焼けを見ることができる
そんな季節の朝夕は天気が良いとさまざまな朝焼けや夕焼けに出会う事ができる。そして都心とは違い空を見渡せる面積が抜群に広いからまさしく吸い込まれそうな気がするほど雄大で美しい空の下をラテとアイコンタクトしながら歩くのは無類の喜びなのだ。
そういえば最近偶然なのだろうが、4,5人の方から「最近のラテ、ますます可愛くなったね」といった声をいただいた。半分はお世辞だと受け取らなければいけないのだろうがオトーサンもそれは感じていることなので嬉しくて仕方がない。

※真面目な顔のラテ。何を考えているのやら...
ただ人間と違い、化粧もしないスッピン顔のラテは意外とその場その場で表情が変わる...。
一番は顔の毛並みとその色合いの差がある種の模様となり、それが可愛い感じだったり時には滑稽な見え方になったりもする。とはいってもブラッシングでそうしたパターンをオトーサンがコントロールできるわけでもなく自然に任せるしかないのだ。その上にラテは柴犬のような短毛ではないためそのままにしていると結構体毛が伸びる。そして顔の周り、特に首回りなどの伸び具合によっても随分と印象が違うのも面白い。
かなり短く刈ってしまうとボーイッシュで精悍な感じもするが適度に伸びるとやはり柔らかい印象をかもし出す。
その上にブスっとしている顔と満面の笑顔ではそれこそ雲泥の違いがあるし、この項でご紹介してきたラテの写真も一瞬の時を捉えたわけでいつもいつもが同じ顔をしているわけではない。
あらためて昔の写真を眺めてみるとまず目立つのは顔云々より体の細いことだ(笑)。
ともかく我が家に来た頃は推定だが生後6ヶ月ほどだったこともあり、幼犬特有で頭が大きいから今見ると笑ってしまうほどバランスが違う。そしてかなりの枚数の写真を見てみると確かに顔つきが大きく変わってきたことは確かなようだ。
無論人間同様、子供の顔と成人の顔はちがうわけだがラテも1歳半頃から随分と大人顔になってきたように思える。
マズルが長くなり精悍な感じがする一方で、幼犬時代の少々はれぼったいような目の周りもはっきりしてきたし、両耳が垂れていたものが片耳だけだが立った姿は随分と違う印象を受ける。

※オカーサンと一緒に何見ているのか?
それにオトーサンの思い過ごしかも知れないが、我が家に来てしばらくはラテもいろいろと不安なことも多かったからだろうか、その視線はどこか強く不審感というより常に緊張しているような感じを受ける。いや、それはラテだけでなくオトーサンたちも一緒だったに違いない。
ラテの視線を受けるオトーサンの目もどこか自信がないオロオロした表情だったのかも知れない(笑)。


※我が家に来た直後(2006年12月)のラテはこうした険しい表情をすることもあった(上)。写真下は2007年2月のスナップだが、それにしても...細い(笑)
ともかく間違いないことはこの1年ほどでラテの感情表現はより豊かになったし、それに関連してその表情も柔らかで良くなった。
公園で会う友達ワンコたちと比べると五月蠅いといえば一番五月蠅いのがラテである。なぜなら友達ワンコである柴犬のクロちゃんやポン吉ちゃんはまず吠えることはないしその動作も穏やかに思えるがラテはまったく違う。
大好きな飼い主さんたちには声を出して近づくし...挨拶のつもりなのだろうか、あるいはオヤツ頂戴というおねだりなんだろうか、ともかくその人の前に座って「ワンワン!」と吠える。その方が屈んで撫でてくれようものならその膝に前足をかけ、口元を舐めようとする。場合によっては一緒に遊ぼうのポーズをとり、自分だけで飛び回る...。

※マキちゃんと嬉しそうにお話し中のラテ
少なくとも回りのワンコの中でラテほど感情表現が大げさなワンコは少ないようだ。
当然、それらの動作に合わせて表情も変化する。目を見開いたり口を開けたり、そして首を傾げたりと様々だがその少々太めの体全体で思いを表現しようとするその姿が愛おしいオトーサンなのである。
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