ラテ飼育格闘日記(158)
オトーサンはラテと生活したいが為にこの土地に引っ越してきた。緑が多く近隣にはいくつかの公園があるからだ。ラテも3年前に公園デビューを果たしありがたいことに十数匹の友達ワンコもできた。しかし最近とみに風向きはワンコの飼い主には逆風のような気がして気が重い。確かに「動物の愛護及び管理に関する法律」という法律はあるものの、もう少し日常生活に密着した人権ならぬ“ワン権”を確立できないものだろうか。
こんなことを書くきっかけは毎日通っている地元の公園に「禁止 犬の放し飼い ノーリード」という立て看板が設置されたことにある。
オトーサンはそうした看板を設置するなというわけではないし、その公園の回りのいくつかにはその種のプレートがすでに立っている。そしてワンコの散歩時には公共の場所においてリードを付けなければならないと決まっているのも承知しているが、だからといってこの看板は...実にアホらしい。
まず第一に広い公園のド真ん中にコンクリートを流し立てられていることだが、真ん中はないだろう...真ん中は!
これでは美観も損なうし、サッカーやボール遊びで走り回る子供たちにとっても邪魔に違いないし危険である。
同じ事をするにしてもやりかた、センスというものがあるだろうにと思うわけだ..。
第2にそれがあまりにも雑で無骨すぎることだ。まさしく美的感覚の欠片さえない奴らのすることだと切り捨てるしかない醜さではないか。


※こんな無骨な看板を広い公園の真ん中に立てるセンスが許せないのだが...
この種の警告は効力があれば何でも良いと思っているなら、その行為こそ役所が公園を私物化しているようなものだ。
繰り返すが物事にはやり方というものがあろうではないか...。
市民が何らかの安らぎを求めて集まってくるその公園のど真ん中に醜い立て看板は無粋と言うよりこれは市民に対する罪だと思う。
こうした馬鹿なものが立った背景は無論想像できる。
公園は市民皆のものであり、犬好きはもちろん犬が嫌いな人たちも多々集まる。そして子供もいるだろうしワンコだって絶対に噛まないという保証はないし、噛まないまでもワンコを怖いと思う人だっている。そして近づかれただけで蕁麻疹を起こす人だっているかも知れない。
その上にすでに公園の回りに「ノーリード禁止」の告知があるにもかかわらずそれを無視するかのように飼い主たちが大手を振ってワンコを遊ばせている...とでも言うのだろう。
まあ、ワンコとノーリードうんぬんの問題はもっともっと議論をしたいところだがはっきりいってこの国ではワンコの飼い主側に勝ち目はない。しかしこの調子で市にあるすべての公園のど真ん中にこの種の立て看板を取り付ける気なのだろうか(笑)。
オトーサンの基本的な考えは「ワンコの”ラテ” 飼育格闘日記(93)」に書いたから繰り返さないが、できることなら曖昧なことではなく飼い主がマナーを守るのは当然としても遠慮なくワンコをノーリードで遊ばせることが出来るよう早朝とか夕方遅くなど、人通りがない時間帯をワンコと飼い主に開放してくれるよう願いたいものだ。
ドイツなど海外では同伴犬訓練試験制度に合格したワンコは公園でノーリードにより遊ばせることが出来るという。ドッグランなど専用の施設はその場所が不便だったりすれば本末転倒で無駄になることが多い。やはり近隣の公園を有効に使う手を考えて欲しいものだ。

※ラテはどこでもリードを付けているので安心だが、問題はラテが走るときオトーサンも走らなければならないことだ(笑)
オトーサンはといえば道路であっても公園であってもラテに100%リードをつけているし、人通りが多い場所や未知のワンコ連れの方とすれ違う場合はラテを内側にし、リードを極端に短くしてラテの動きを制御しながら通り過ぎるようにしている。したがってこんな看板が立ったところで屁でもないが、邪魔であるばかりかあまりにも馬鹿げていると思うのだ。
確かにオトーサンは「ラテはイイコだから絶対に人を噛まない」とはまったく思っていない(笑)。
実の娘のように可愛いラテではあるが、ワンコはワンコであるし相応の教育というか躾に努力をしてきたつもりでもラテ自身が恐怖を感じたり何らかの原因で怒る場合もあり得るし...相手が人であっても噛まないという保証はない。
ワンコだって自己防衛本能があるわけだし...というか、それが生きものとして当然なことだからである。無論これまで人を噛んだことはないし子供たちにフレンドリーなラテである.。
とはいえリードの存在の第一はラテ自身を守ることにある。バイクや自動車と接触しないようにとの配慮は勿論、すれ違いざまに他のワンコに噛まれたり噛んだりしないようにとの気遣いだ。そして万一人を噛み大怪我でもさせたら場合によってはラテの命が絶たれるかもしれないからでもある。
こんな話をいくらしたからといってワンコの飼い主たちにとっての状況が有利になるわけではないのは承知の上だ。
繰り返すがいくら愚痴をいってもダメなものはダメといわれれば現状では致し方ない。しかしどなたか「ワンコ党」を作って市長選に立候補しないだろうか...。一票入れたいと思うが(笑)。
ワンコを飼うということは個人の勝手な行為には違いないものの、それは精神的に豊かで文化的な日常を過ごす大切な選択でもある。また良くも悪くもこれだけペットブームになっている時代なのだからもう少し柔軟な行政を目指してもらいたいと思う。
ただしワンコの飼い主の中には公道をノーリードで、それも複数のワンコを連れ回すような馬鹿がいるからオトーサンたちまで肩身の狭い思いをしなければならないのだが...。どうもワンコを嫌う人たちの声は大きくなりがちだが、飼い主たちの声...主張はかき消されがちのように思えて残念である。
ともかくラテにとっての大問題はこの3年間、共に遊んだ仲間たちと気楽に会えなくなるかも知れないことだ。いや、事実この数日いつもの時間に行き会う仲間がほとんどいないのである。
ノーリードがどうの...といった問題はともかく、誰だってこんな嫌みったらしい馬鹿みたいな立て看板の回りでワンコを遊ばせたくないに違いない。だからこの場所に来なくなるワンコたちも多々いるのではないだろうか。まあ、こんな看板を作るに至った当事者たちはそれが狙いなのかも知れないが...。

※これまで立ち寄ったことのない場所にラテを連れて行ったが、新鮮なのかラテの表情は輝いていた
しかしオトーサンとしてはやはり気のあったワンコたちとラテを触れ合わせてやりたいと思う。そしてそもそもワンコを飼うためにこの地に引っ越してきたオトーサンなのだが、現実にはなかなか理想郷はないようである。
オトーサンも公園だけに頼らず、一層工夫してラテとの毎日をより安全で楽しいものになるよう考えなければならないようだ。
こんなことを書くきっかけは毎日通っている地元の公園に「禁止 犬の放し飼い ノーリード」という立て看板が設置されたことにある。
オトーサンはそうした看板を設置するなというわけではないし、その公園の回りのいくつかにはその種のプレートがすでに立っている。そしてワンコの散歩時には公共の場所においてリードを付けなければならないと決まっているのも承知しているが、だからといってこの看板は...実にアホらしい。
まず第一に広い公園のド真ん中にコンクリートを流し立てられていることだが、真ん中はないだろう...真ん中は!
これでは美観も損なうし、サッカーやボール遊びで走り回る子供たちにとっても邪魔に違いないし危険である。
同じ事をするにしてもやりかた、センスというものがあるだろうにと思うわけだ..。
第2にそれがあまりにも雑で無骨すぎることだ。まさしく美的感覚の欠片さえない奴らのすることだと切り捨てるしかない醜さではないか。


※こんな無骨な看板を広い公園の真ん中に立てるセンスが許せないのだが...
この種の警告は効力があれば何でも良いと思っているなら、その行為こそ役所が公園を私物化しているようなものだ。
繰り返すが物事にはやり方というものがあろうではないか...。
市民が何らかの安らぎを求めて集まってくるその公園のど真ん中に醜い立て看板は無粋と言うよりこれは市民に対する罪だと思う。
こうした馬鹿なものが立った背景は無論想像できる。
公園は市民皆のものであり、犬好きはもちろん犬が嫌いな人たちも多々集まる。そして子供もいるだろうしワンコだって絶対に噛まないという保証はないし、噛まないまでもワンコを怖いと思う人だっている。そして近づかれただけで蕁麻疹を起こす人だっているかも知れない。
その上にすでに公園の回りに「ノーリード禁止」の告知があるにもかかわらずそれを無視するかのように飼い主たちが大手を振ってワンコを遊ばせている...とでも言うのだろう。
まあ、ワンコとノーリードうんぬんの問題はもっともっと議論をしたいところだがはっきりいってこの国ではワンコの飼い主側に勝ち目はない。しかしこの調子で市にあるすべての公園のど真ん中にこの種の立て看板を取り付ける気なのだろうか(笑)。
オトーサンの基本的な考えは「ワンコの”ラテ” 飼育格闘日記(93)」に書いたから繰り返さないが、できることなら曖昧なことではなく飼い主がマナーを守るのは当然としても遠慮なくワンコをノーリードで遊ばせることが出来るよう早朝とか夕方遅くなど、人通りがない時間帯をワンコと飼い主に開放してくれるよう願いたいものだ。
ドイツなど海外では同伴犬訓練試験制度に合格したワンコは公園でノーリードにより遊ばせることが出来るという。ドッグランなど専用の施設はその場所が不便だったりすれば本末転倒で無駄になることが多い。やはり近隣の公園を有効に使う手を考えて欲しいものだ。

※ラテはどこでもリードを付けているので安心だが、問題はラテが走るときオトーサンも走らなければならないことだ(笑)
オトーサンはといえば道路であっても公園であってもラテに100%リードをつけているし、人通りが多い場所や未知のワンコ連れの方とすれ違う場合はラテを内側にし、リードを極端に短くしてラテの動きを制御しながら通り過ぎるようにしている。したがってこんな看板が立ったところで屁でもないが、邪魔であるばかりかあまりにも馬鹿げていると思うのだ。
確かにオトーサンは「ラテはイイコだから絶対に人を噛まない」とはまったく思っていない(笑)。
実の娘のように可愛いラテではあるが、ワンコはワンコであるし相応の教育というか躾に努力をしてきたつもりでもラテ自身が恐怖を感じたり何らかの原因で怒る場合もあり得るし...相手が人であっても噛まないという保証はない。
ワンコだって自己防衛本能があるわけだし...というか、それが生きものとして当然なことだからである。無論これまで人を噛んだことはないし子供たちにフレンドリーなラテである.。
とはいえリードの存在の第一はラテ自身を守ることにある。バイクや自動車と接触しないようにとの配慮は勿論、すれ違いざまに他のワンコに噛まれたり噛んだりしないようにとの気遣いだ。そして万一人を噛み大怪我でもさせたら場合によってはラテの命が絶たれるかもしれないからでもある。
こんな話をいくらしたからといってワンコの飼い主たちにとっての状況が有利になるわけではないのは承知の上だ。
繰り返すがいくら愚痴をいってもダメなものはダメといわれれば現状では致し方ない。しかしどなたか「ワンコ党」を作って市長選に立候補しないだろうか...。一票入れたいと思うが(笑)。
ワンコを飼うということは個人の勝手な行為には違いないものの、それは精神的に豊かで文化的な日常を過ごす大切な選択でもある。また良くも悪くもこれだけペットブームになっている時代なのだからもう少し柔軟な行政を目指してもらいたいと思う。
ただしワンコの飼い主の中には公道をノーリードで、それも複数のワンコを連れ回すような馬鹿がいるからオトーサンたちまで肩身の狭い思いをしなければならないのだが...。どうもワンコを嫌う人たちの声は大きくなりがちだが、飼い主たちの声...主張はかき消されがちのように思えて残念である。
ともかくラテにとっての大問題はこの3年間、共に遊んだ仲間たちと気楽に会えなくなるかも知れないことだ。いや、事実この数日いつもの時間に行き会う仲間がほとんどいないのである。
ノーリードがどうの...といった問題はともかく、誰だってこんな嫌みったらしい馬鹿みたいな立て看板の回りでワンコを遊ばせたくないに違いない。だからこの場所に来なくなるワンコたちも多々いるのではないだろうか。まあ、こんな看板を作るに至った当事者たちはそれが狙いなのかも知れないが...。

※これまで立ち寄ったことのない場所にラテを連れて行ったが、新鮮なのかラテの表情は輝いていた
しかしオトーサンとしてはやはり気のあったワンコたちとラテを触れ合わせてやりたいと思う。そしてそもそもワンコを飼うためにこの地に引っ越してきたオトーサンなのだが、現実にはなかなか理想郷はないようである。
オトーサンも公園だけに頼らず、一層工夫してラテとの毎日をより安全で楽しいものになるよう考えなければならないようだ。
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