ジョン・スカリー氏、最近の発言についての考察
最近、Appleの元CEOだったジョン・スカリーの発言が目立つ...というより私には酷な言い方だが目障りである(笑)。1985年にジョブズを閑職に追いやり辞職させた経緯は「さもありなん...」と思ってきたが、何をいまさら「AppleがCEOとして自分を雇ったのは大きな失敗だった」だなんて寝言みたいなことを言っているのだろうか?
ジョン・スカリーはスティーブ・ジョブズに「一生を砂糖水を売って過ごすのか、それとも世界を変えてみないか」と口説かれて東海岸の大企業からカリフォルニアのAppleに移ったことはよく知られている話しである。

※John Sculley (1939年4月6日生まれ)。ペプシコーラ社長からアップルコンピュータへ華麗なる転身は当時大きな話題となった
AppleInsiderやCult of Macの記事によればジョン・スカリーは「AppleがCEOとして自分を雇ったのは大きな失敗だった」といい、「スティーブ・ジョブズ氏がCEOに就くべきだったと」述べたとのこと。
また自分はコンピュータのことを何も知らずにAppleに移籍したといい、当時Appleの取締役会は、スティーブ・ジョブズ氏はCEOになるには若すぎると考えていたため、ジョブズ氏をヘッドハンターとしてスカリーを説得したという意味のことを述べている。

※1989年MACWORLD Expo/BOSTONにおいてプレゼンテーションを行うジョン・スカリー(筆者撮影)
当時(1983年から1993年)の最高権力者が例えインタビューに答えたのだとしても、何故いまさら自分の存在を全否定するような発言をするのだろうか。何だか告白し懺悔でもしているように思えるものの彼の発言は私にはそのまま素直に受け取れないものがある。
ましてやジョブズを追放した後もコンピュータのことを良く知らなかったしAppleの経営立て直しをどのように図ったらよいかが分からず、ジョブズの手法と理念を継承したという物言いは、何で今さららそんな寝言みたい事をいうのかと奇異な感じを受ける。
外部から社長を呼ぶ場合に、その業態についてよく知っている人材が必要かどうかという点については絶対条件ではない...。スカリーがコンピュータのことを何も知らなかったからとしても、もともと彼に白羽の矢が立った理由はコンピュータ・テクノロジーへの理解を望まれたからではなくペプシ時代のマーケティング能力の妙を買われたからだ。それにコンピュータのことは知らなかったというが、彼自身の自伝によれば僅か14歳の時にテレビのブラウン管に関する発明をしたもののすでに特許が出ていた...。それはソニーのトリニトロンと同じものだったという話しがあり、アナログとかデジタルといった話しは別にしてもそれだけ電気・電子技術に興味があった利発な人物の発言とは思えない。そしてスカリーといえばコンピュータの未来像としてナレッジ・ナビゲータというマシンを考えた人物としても知られているわけで、程度問題はともかくも1983年当時にパーソナルコンピュータについてまったく知らなかったというのも妙な話ではないか。
それにCult of Macらの記事によるニュアンスや理解が正しいとしてもそもそもAppleの取締役会の判断として、スティーブ・ジョブズがCEOになるには若すぎるからとスカリーに白羽の矢を立てたという話しは単純すぎる。
確かにジョブズは当時26歳だったがAppleの取締役会が彼をCEOに推薦しなかったのはその年齢の問題だけではなかった。スカリーは後にジョブズを評して「彼は我が儘、暴虐、激しくないものねだりの完全主義者。そして未成熟でかよわく、感じやすく傷つきやすい。さらに精力的で構想力がありカリスマ的で強情、まったく我慢のならない男」だといっている。
当時のスティーブ・ジョブズは確かにスカリーのこの評価の通りの人物だったと思われる。彼の成功談ばかりが目に付く昨今だが私は以前に「スティーブ・ジョブズの陰の部分に光を当てる!」というトピックを書いたが、若い頃の彼はまさしく鼻持ちならない男だった。
企業の取締役会というものはその構成上多くは保守的な傾向があるものだし、ジョブズのような男をCEOにしたらAppleが今後どのようなことになってしまうかを危惧したのは当然のことだった。スカリーは「Appleという会社は...実はどこを探しても見つからないような最も洗練され、経験に富んだ役員たちに支えられていた」とも言ってるほどなのだ。
そしてAppleの驚異的な成長に対応できる経験豊かな人物を求めていたわけで事実1981年8月にはIBM PCを世に送り出したチームリーダー、ドン・エストリッジを引き抜こうとして失敗している。
対して当時有名な経営者として知られていたジョン・スカリーだが志はあったにしてもペプシでの年間50万ドルの報酬を大きく上回る条件を提示されて心が動いたことは確かだろう。なぜならAppleは彼に年俸100万ドル、100万ドルの契約金、100万ドルのゴールデンパラシュート(重役を退任させられた際の報酬)、Appleの35万株の株券、そしてカリフォルニアに新居を購入するため、それまでのコネチカットにあった持ち家売却との差額を支払うという破格の条件を提示したからである。
あえて嫌みな物言いをするならスカリーはスティーブ・ジョブズに「一生を砂糖水を売って過ごすのか、それとも世界を変えてみないか」と口説かれたからではなく、砂糖水ならぬ甘い汁に引き寄せられたともいえるかも知れない(笑)。
それにスティーブ・ジョブズ自身、スカリーがコンピュータのことを知らない...この業界のことを知らない事は都合のよいことだった。いってしまえばジョブズはスカリーをお飾りのCEOに祭り上げ、自分が彼をコントロールすることを考えていたに違いないしスカリーに対してならそれが出来ると考えていたフシもある。
※MACWORLD EXPO SF 1992 でKeynoteを行うジョン・スカリー(筆者撮影)
ともかく歴史を後から俯瞰すると面白いことに多々気がつく。スカリーは事情はどうあれジョブズを追放したが、スカリー自身も後に同じように取締役会から追放された。またジョブズはAppleがウォズニアックのマシンで成功したといわれるのを嫌い、自分のマシン欲しさにLisaを企画しMacintoshの開発に打ち込んだようにスカリーもMacintosh以外の自分の生み出したマシンが欲しかった。その結果Newtonに力を入れすぎたともいえる。
そういえば「コンピュータのことを何も知らなかった」「ジョブズがいなくなっても彼のやり方と理念を継続した」というスカリーだが、1990年に自身をアップルの最高技術責任者に任命した経緯がある。これは自身の立場をより正当性のあるものにしたいという気持ちからだと思うが、この決定にAppleのエンジニアたちの多くは、技術的なことを何も知らない彼のこの上ない思い上がりだと批判したという。
ただし結果として見ればスカリーの時代にAppleは消滅しなかったし10年もの間、Appleという舵取りの難しい企業のトップに君臨していたのだから個人的にスカリーの存在は未来のAppleにとって悪くはなかったと考えている。
そう、ジョン・スカリーという人物はAppleにとって存在意味のなかった人物ではない。スカリーがAppleに来て1年ほどのうちに管理職を含めて700人以上にのぼる従業員を解雇し、自社開発中のディスクドライブをSONY製の外注品に切り替え、下請けを含めて強力なクオリティコントロールを実施させたという。またMacintoshの発表に際して後にソフトドリンクメーカー並と揶揄されたほどの広告費を計上し普及に努めたし、ガレージ企業の時代を終焉させAppleという会社を誰もが認める大企業とする礎を作ったことは確かなのだ。まあその集大成がジョブズの追放だったことは皮肉だが...。そしてスカリーはジョブズに学んだというが、ダイナミック・デュオと言われていた時代にはジョブズがスカリーに学んだことの方が多かったのではないだろうか。
では何故今更スカリーはこうした物言いをしたのか...。これまた穿った見方をするなら、メディアは何でも良いからAppleに関する情報を欲しがっていることが前提にある。そしてジョン・スカリーもApple就任当時の話しをすればメディアに注目されることをよく知っているからだと思う。
そして彼の物言いはそのまま素直に受け取るべきではないが、間違いのないこととしてスカリーはいま、無性にAppleにいた時代を懐かしく思い、そして自身の人生で一番エキサイティングな時期だったことを再認識しているのではないだろうか。
過ぎ去った過去は美しく見えるものだ。
【主な参考文献】
・オーエン・W・リンツメイヤー著「アップルコンフィデンシャル」アスキー出版局刊
ジョン・スカリーはスティーブ・ジョブズに「一生を砂糖水を売って過ごすのか、それとも世界を変えてみないか」と口説かれて東海岸の大企業からカリフォルニアのAppleに移ったことはよく知られている話しである。

※John Sculley (1939年4月6日生まれ)。ペプシコーラ社長からアップルコンピュータへ華麗なる転身は当時大きな話題となった
AppleInsiderやCult of Macの記事によればジョン・スカリーは「AppleがCEOとして自分を雇ったのは大きな失敗だった」といい、「スティーブ・ジョブズ氏がCEOに就くべきだったと」述べたとのこと。
また自分はコンピュータのことを何も知らずにAppleに移籍したといい、当時Appleの取締役会は、スティーブ・ジョブズ氏はCEOになるには若すぎると考えていたため、ジョブズ氏をヘッドハンターとしてスカリーを説得したという意味のことを述べている。

※1989年MACWORLD Expo/BOSTONにおいてプレゼンテーションを行うジョン・スカリー(筆者撮影)
当時(1983年から1993年)の最高権力者が例えインタビューに答えたのだとしても、何故いまさら自分の存在を全否定するような発言をするのだろうか。何だか告白し懺悔でもしているように思えるものの彼の発言は私にはそのまま素直に受け取れないものがある。
ましてやジョブズを追放した後もコンピュータのことを良く知らなかったしAppleの経営立て直しをどのように図ったらよいかが分からず、ジョブズの手法と理念を継承したという物言いは、何で今さららそんな寝言みたい事をいうのかと奇異な感じを受ける。
外部から社長を呼ぶ場合に、その業態についてよく知っている人材が必要かどうかという点については絶対条件ではない...。スカリーがコンピュータのことを何も知らなかったからとしても、もともと彼に白羽の矢が立った理由はコンピュータ・テクノロジーへの理解を望まれたからではなくペプシ時代のマーケティング能力の妙を買われたからだ。それにコンピュータのことは知らなかったというが、彼自身の自伝によれば僅か14歳の時にテレビのブラウン管に関する発明をしたもののすでに特許が出ていた...。それはソニーのトリニトロンと同じものだったという話しがあり、アナログとかデジタルといった話しは別にしてもそれだけ電気・電子技術に興味があった利発な人物の発言とは思えない。そしてスカリーといえばコンピュータの未来像としてナレッジ・ナビゲータというマシンを考えた人物としても知られているわけで、程度問題はともかくも1983年当時にパーソナルコンピュータについてまったく知らなかったというのも妙な話ではないか。
それにCult of Macらの記事によるニュアンスや理解が正しいとしてもそもそもAppleの取締役会の判断として、スティーブ・ジョブズがCEOになるには若すぎるからとスカリーに白羽の矢を立てたという話しは単純すぎる。
確かにジョブズは当時26歳だったがAppleの取締役会が彼をCEOに推薦しなかったのはその年齢の問題だけではなかった。スカリーは後にジョブズを評して「彼は我が儘、暴虐、激しくないものねだりの完全主義者。そして未成熟でかよわく、感じやすく傷つきやすい。さらに精力的で構想力がありカリスマ的で強情、まったく我慢のならない男」だといっている。
当時のスティーブ・ジョブズは確かにスカリーのこの評価の通りの人物だったと思われる。彼の成功談ばかりが目に付く昨今だが私は以前に「スティーブ・ジョブズの陰の部分に光を当てる!」というトピックを書いたが、若い頃の彼はまさしく鼻持ちならない男だった。
企業の取締役会というものはその構成上多くは保守的な傾向があるものだし、ジョブズのような男をCEOにしたらAppleが今後どのようなことになってしまうかを危惧したのは当然のことだった。スカリーは「Appleという会社は...実はどこを探しても見つからないような最も洗練され、経験に富んだ役員たちに支えられていた」とも言ってるほどなのだ。
そしてAppleの驚異的な成長に対応できる経験豊かな人物を求めていたわけで事実1981年8月にはIBM PCを世に送り出したチームリーダー、ドン・エストリッジを引き抜こうとして失敗している。
対して当時有名な経営者として知られていたジョン・スカリーだが志はあったにしてもペプシでの年間50万ドルの報酬を大きく上回る条件を提示されて心が動いたことは確かだろう。なぜならAppleは彼に年俸100万ドル、100万ドルの契約金、100万ドルのゴールデンパラシュート(重役を退任させられた際の報酬)、Appleの35万株の株券、そしてカリフォルニアに新居を購入するため、それまでのコネチカットにあった持ち家売却との差額を支払うという破格の条件を提示したからである。
あえて嫌みな物言いをするならスカリーはスティーブ・ジョブズに「一生を砂糖水を売って過ごすのか、それとも世界を変えてみないか」と口説かれたからではなく、砂糖水ならぬ甘い汁に引き寄せられたともいえるかも知れない(笑)。
それにスティーブ・ジョブズ自身、スカリーがコンピュータのことを知らない...この業界のことを知らない事は都合のよいことだった。いってしまえばジョブズはスカリーをお飾りのCEOに祭り上げ、自分が彼をコントロールすることを考えていたに違いないしスカリーに対してならそれが出来ると考えていたフシもある。
※MACWORLD EXPO SF 1992 でKeynoteを行うジョン・スカリー(筆者撮影)
ともかく歴史を後から俯瞰すると面白いことに多々気がつく。スカリーは事情はどうあれジョブズを追放したが、スカリー自身も後に同じように取締役会から追放された。またジョブズはAppleがウォズニアックのマシンで成功したといわれるのを嫌い、自分のマシン欲しさにLisaを企画しMacintoshの開発に打ち込んだようにスカリーもMacintosh以外の自分の生み出したマシンが欲しかった。その結果Newtonに力を入れすぎたともいえる。
そういえば「コンピュータのことを何も知らなかった」「ジョブズがいなくなっても彼のやり方と理念を継続した」というスカリーだが、1990年に自身をアップルの最高技術責任者に任命した経緯がある。これは自身の立場をより正当性のあるものにしたいという気持ちからだと思うが、この決定にAppleのエンジニアたちの多くは、技術的なことを何も知らない彼のこの上ない思い上がりだと批判したという。
ただし結果として見ればスカリーの時代にAppleは消滅しなかったし10年もの間、Appleという舵取りの難しい企業のトップに君臨していたのだから個人的にスカリーの存在は未来のAppleにとって悪くはなかったと考えている。
そう、ジョン・スカリーという人物はAppleにとって存在意味のなかった人物ではない。スカリーがAppleに来て1年ほどのうちに管理職を含めて700人以上にのぼる従業員を解雇し、自社開発中のディスクドライブをSONY製の外注品に切り替え、下請けを含めて強力なクオリティコントロールを実施させたという。またMacintoshの発表に際して後にソフトドリンクメーカー並と揶揄されたほどの広告費を計上し普及に努めたし、ガレージ企業の時代を終焉させAppleという会社を誰もが認める大企業とする礎を作ったことは確かなのだ。まあその集大成がジョブズの追放だったことは皮肉だが...。そしてスカリーはジョブズに学んだというが、ダイナミック・デュオと言われていた時代にはジョブズがスカリーに学んだことの方が多かったのではないだろうか。
では何故今更スカリーはこうした物言いをしたのか...。これまた穿った見方をするなら、メディアは何でも良いからAppleに関する情報を欲しがっていることが前提にある。そしてジョン・スカリーもApple就任当時の話しをすればメディアに注目されることをよく知っているからだと思う。
そして彼の物言いはそのまま素直に受け取るべきではないが、間違いのないこととしてスカリーはいま、無性にAppleにいた時代を懐かしく思い、そして自身の人生で一番エキサイティングな時期だったことを再認識しているのではないだろうか。
過ぎ去った過去は美しく見えるものだ。
【主な参考文献】
・オーエン・W・リンツメイヤー著「アップルコンフィデンシャル」アスキー出版局刊
- 関連記事
-
- マイコンに夢中になった原点はこの一冊だった! (2011/01/21)
- 今年の冬は電気足温器で乗りきる覚悟 (2010/12/15)
- "Macintosh" という製品名は無くなるのか? (2010/11/19)
- MacBook Air 11インチに見るAppleの細部へのこだわり (2010/11/05)
- スペシャルイベントで発表の「Mac App Store」は世界を変える!? (2010/10/25)
- ジョン・スカリー氏、最近の発言についての考察 (2010/10/19)
- 新刊「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン」を十分活用する心得 (2010/07/16)
- ビジネス回顧録〜他社が開発を失敗したネットツール開発顛末記 (2010/06/29)
- パーソナルコンピュータは果たして知性を増幅させる代物なのか? (2010/06/16)
- 白昼夢〜Macworld Expoでパスポート盗難に遭った思い出 (2010/06/15)
- 絶妙なサイズのiPadは昔の文具「石板」の大きさに酷似 (2010/05/19)