ラテ飼育格闘日記(113)
我が家の日常生活は間違いなくラテを中心に動かざるを得ない。特にオトーサンのスケジュールはラテ抜きにしては語れないし仕事すらその優先順位はラテなのだ(笑)。まあ猛烈サラリーマン時代を長く経験したのだからこうした生活も良いと思っているが、他人から見ればよほどの変わり者と写るに違いない。
1月25日の日曜日に父が91歳で亡くなった。朝の6時に弟から電話があり、父が入居していた老人養護施設にすぐ来てくれという話だった。
幸いその日は日曜日で女房も休みだったから安心して出かけることができたが、普段の散歩はすべてオトーサンの役目なので代役の女房では心許なくオトーサンは出かける段になっていささか心配になってくる(笑)。
ともかく急いで電車に乗り、iPhone 3Gに愛用のイヤフォンを装着する。そのスタートアップの画面はオトーサンと一緒に撮ったラテの写真なのだが、そのラテの顔は心なしか不安そうに見える...。
前の座席のご婦人が持っているバッグに抽象的だが犬の刺繍がされているのを見れば、それにラテの顔が重なってくる。もうこうなると病気である(笑)。
なにしろ、弟と共に葬儀社の人と葬儀の打ち合わせをしているときもフト「ラテは今頃どうしているか...」といったことが気になってならない。まったく親不孝の極致であるが自分の気持ちを偽るわけにはいかないのでこれは仕方がないのだ。
そして女房との散歩はトラブルに遭遇していないか、リードを離したりしていないか、他のワンコと喧嘩したりしないか、あるいは悪いものを拾い食いしていないか...などなどオトーサンの頭の中はさまざまな心配で膨らんでいく。

※2009年1月28日(水曜日)父の通夜が始まった...
ワンコを飼ったことのない方にその心配のイメージを知っていただくとするなら、そう...例えば2歳児を一人で家に置いてきたときの気持ちといったらお分かりいただけるだろうか...(爆)。
ともかく父の葬儀、すなわち通夜と告別式の両日は長時間留守しなければならず、心配なのはやはりラテのことだ。
まず考えることはその2日間、安全を第一に考えるならどのような形にせよラテをペットホテルのような場所に預けることだろう。
これまでの行きがかりから言うなら、ひとつは行きつけの動物病院と美容室の2カ所である。
どちらもいわゆるペットホテルを兼ねているので空いていれば預かってくれるに違いないが問題はラテがどちらを好むかということになるが、これはなかなか難しい。
結論は決してどちらも好きではないからだ(笑)。しかしどちらかといえば美容室の方が痛い目にあったことはないはずだしラテの好きな若い女性スタッフも多い(爆)。
そして一番の問題はこれまでラテは我が家に来てから一度も外泊を体験していないことだ。

※居眠りを邪魔されたからか「何よ!?」と言っているような...(笑)
そもそも寂しいという以前に最初のこうした経験は食欲がなくなったり下痢や便秘になるケースもあるほどワンコにとっては辛い体験だという。特にラテのようにこれまで飼い主というか預かり主が変わった経験のあるワンコはペットホテルなどに押し込められれば「捨てられた」と思うに違いないのだ...。
オトーサンとしてはラテに「アタシは捨てられたかも...」などと考えさせる行為をするとなれば自分を許せないのである。
そりゃあ...ワンコの感情より人間の道理が優先することは事実だろう。それでもいつも言うとおり、高度な頭脳と感情を持っている愛犬に一瞬たりとも「裏切られた」とか「何故こんなことに?」といった思いをさせるのはオトーサンとして忍びないのだ。
とはいえ一方でこうした事はこれからもあり得るのだから慣れさせる良いチャンスかも知れないという気持ちもちょっとある...。
オトーサンの本音をいうなら、通夜も告別式も弟や妹に任せてそこそこ早く戻ってきたいのだが、こんな罰当たりのことが頭をよぎるのだからオトーサンも亡くなった父親を変わり者だったと非難もできない(笑)。まあ、父は笑って「バカ野郎!お前は俺の子だ」と許してくれると思うのだが。


※仲間のハリーちゃん(左のビーグル)と右のボーちゃん(ボーダーコリー)と楽しそうに遊ぶラテ(上)。公園を狭しとばかりボーちゃんと全力疾走するラテ(下)
そういえば生前父にラテの写真を見せたことがあった...。私が遠方に引越したこともあり、かつ父の足腰が弱ったこともあって父は現在のオトーサンの家に立ち寄ったことがないのだ。したがって父はまだラテと会ったことがなかったのである。
というわけで、親ばかだが特に可愛く写った一枚をオヤジにも見せたいと持参したのだが一瞥した父は「俺は犬...嫌いだ!」と言い放った。
おいおい...いつからオヤジは犬嫌いになったんだよぉ(笑)。
あまりに嬉しそうに愛犬の写真なんかを取り出すオトーサンに反発を感じたのかどうかは知らないが、オトーサンが犬を好きになったのはそもそもオヤジの影響なのだから犬嫌いの訳はないのだが...。
斎場の棺に飾られた父の写真を眺めながら、そして「ラテは大人しく留守番しているだろうか」と心配しながらオトーサンはそんなことを思い出していた。
結局ラテはペットホテルなどに預けることは止め、自宅にいつものように留守番させることにした。
いつものように...といっても今回は少々留守番の時間が長いが、オトーサンたちが外泊するわけでもなく遅くなっても帰宅するわけだから前記したようにラテに嫌な思いをさせるより、ちょっと寂しい思いをする程度の方がよいと判断したわけだ。
斎場で遺骨を受け取りそれを自宅に迎えるためタクシーに乗った。そしてタクシーの運転手さんとペットの話しになったとき、運転手さんは「犬とか猫とかは死んだときのことを思うと飼えないんですよ...可哀想で」という。続けて「本来動物好きなんですが、しかたなくいまは金魚で楽しんでいるんですが」とおっしゃる。
いや、私からペットの話しを持ちかけたわけではなく運転手さんがこれから向かう...些か遠い我が家がある場所...「○○のお住まいは長いのですか?」という問いにオトーサンが「2006年の暮れに犬を飼うために引越したんですよ」と答えてからしばらくの間、ペット談義となったわけだ。
とにかくいろいろと大変だったが無事に父の葬儀は終わった...。
しかし考えてみるとラテの事ばかりが気になった葬儀のように気がする。実に親不孝なオトーサンであった...。
そして父は遺骨となって初めて我が家を訪れラテと対面することになったが、父はラテを「可愛いなあ」と言ってくれるとオトーサンは信じているのだが...。
1月25日の日曜日に父が91歳で亡くなった。朝の6時に弟から電話があり、父が入居していた老人養護施設にすぐ来てくれという話だった。
幸いその日は日曜日で女房も休みだったから安心して出かけることができたが、普段の散歩はすべてオトーサンの役目なので代役の女房では心許なくオトーサンは出かける段になっていささか心配になってくる(笑)。
ともかく急いで電車に乗り、iPhone 3Gに愛用のイヤフォンを装着する。そのスタートアップの画面はオトーサンと一緒に撮ったラテの写真なのだが、そのラテの顔は心なしか不安そうに見える...。
前の座席のご婦人が持っているバッグに抽象的だが犬の刺繍がされているのを見れば、それにラテの顔が重なってくる。もうこうなると病気である(笑)。
なにしろ、弟と共に葬儀社の人と葬儀の打ち合わせをしているときもフト「ラテは今頃どうしているか...」といったことが気になってならない。まったく親不孝の極致であるが自分の気持ちを偽るわけにはいかないのでこれは仕方がないのだ。
そして女房との散歩はトラブルに遭遇していないか、リードを離したりしていないか、他のワンコと喧嘩したりしないか、あるいは悪いものを拾い食いしていないか...などなどオトーサンの頭の中はさまざまな心配で膨らんでいく。

※2009年1月28日(水曜日)父の通夜が始まった...
ワンコを飼ったことのない方にその心配のイメージを知っていただくとするなら、そう...例えば2歳児を一人で家に置いてきたときの気持ちといったらお分かりいただけるだろうか...(爆)。
ともかく父の葬儀、すなわち通夜と告別式の両日は長時間留守しなければならず、心配なのはやはりラテのことだ。
まず考えることはその2日間、安全を第一に考えるならどのような形にせよラテをペットホテルのような場所に預けることだろう。
これまでの行きがかりから言うなら、ひとつは行きつけの動物病院と美容室の2カ所である。
どちらもいわゆるペットホテルを兼ねているので空いていれば預かってくれるに違いないが問題はラテがどちらを好むかということになるが、これはなかなか難しい。
結論は決してどちらも好きではないからだ(笑)。しかしどちらかといえば美容室の方が痛い目にあったことはないはずだしラテの好きな若い女性スタッフも多い(爆)。
そして一番の問題はこれまでラテは我が家に来てから一度も外泊を体験していないことだ。

※居眠りを邪魔されたからか「何よ!?」と言っているような...(笑)
そもそも寂しいという以前に最初のこうした経験は食欲がなくなったり下痢や便秘になるケースもあるほどワンコにとっては辛い体験だという。特にラテのようにこれまで飼い主というか預かり主が変わった経験のあるワンコはペットホテルなどに押し込められれば「捨てられた」と思うに違いないのだ...。
オトーサンとしてはラテに「アタシは捨てられたかも...」などと考えさせる行為をするとなれば自分を許せないのである。
そりゃあ...ワンコの感情より人間の道理が優先することは事実だろう。それでもいつも言うとおり、高度な頭脳と感情を持っている愛犬に一瞬たりとも「裏切られた」とか「何故こんなことに?」といった思いをさせるのはオトーサンとして忍びないのだ。
とはいえ一方でこうした事はこれからもあり得るのだから慣れさせる良いチャンスかも知れないという気持ちもちょっとある...。
オトーサンの本音をいうなら、通夜も告別式も弟や妹に任せてそこそこ早く戻ってきたいのだが、こんな罰当たりのことが頭をよぎるのだからオトーサンも亡くなった父親を変わり者だったと非難もできない(笑)。まあ、父は笑って「バカ野郎!お前は俺の子だ」と許してくれると思うのだが。


※仲間のハリーちゃん(左のビーグル)と右のボーちゃん(ボーダーコリー)と楽しそうに遊ぶラテ(上)。公園を狭しとばかりボーちゃんと全力疾走するラテ(下)
そういえば生前父にラテの写真を見せたことがあった...。私が遠方に引越したこともあり、かつ父の足腰が弱ったこともあって父は現在のオトーサンの家に立ち寄ったことがないのだ。したがって父はまだラテと会ったことがなかったのである。
というわけで、親ばかだが特に可愛く写った一枚をオヤジにも見せたいと持参したのだが一瞥した父は「俺は犬...嫌いだ!」と言い放った。
おいおい...いつからオヤジは犬嫌いになったんだよぉ(笑)。
あまりに嬉しそうに愛犬の写真なんかを取り出すオトーサンに反発を感じたのかどうかは知らないが、オトーサンが犬を好きになったのはそもそもオヤジの影響なのだから犬嫌いの訳はないのだが...。
斎場の棺に飾られた父の写真を眺めながら、そして「ラテは大人しく留守番しているだろうか」と心配しながらオトーサンはそんなことを思い出していた。
結局ラテはペットホテルなどに預けることは止め、自宅にいつものように留守番させることにした。
いつものように...といっても今回は少々留守番の時間が長いが、オトーサンたちが外泊するわけでもなく遅くなっても帰宅するわけだから前記したようにラテに嫌な思いをさせるより、ちょっと寂しい思いをする程度の方がよいと判断したわけだ。
斎場で遺骨を受け取りそれを自宅に迎えるためタクシーに乗った。そしてタクシーの運転手さんとペットの話しになったとき、運転手さんは「犬とか猫とかは死んだときのことを思うと飼えないんですよ...可哀想で」という。続けて「本来動物好きなんですが、しかたなくいまは金魚で楽しんでいるんですが」とおっしゃる。
いや、私からペットの話しを持ちかけたわけではなく運転手さんがこれから向かう...些か遠い我が家がある場所...「○○のお住まいは長いのですか?」という問いにオトーサンが「2006年の暮れに犬を飼うために引越したんですよ」と答えてからしばらくの間、ペット談義となったわけだ。
とにかくいろいろと大変だったが無事に父の葬儀は終わった...。
しかし考えてみるとラテの事ばかりが気になった葬儀のように気がする。実に親不孝なオトーサンであった...。
そして父は遺骨となって初めて我が家を訪れラテと対面することになったが、父はラテを「可愛いなあ」と言ってくれるとオトーサンは信じているのだが...。
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