ラテ飼育格闘日記(88)
ワンコの2歳という年齢はその寿命から人間の年齢に換算すると20歳程度だということらしい。オトーサンは毎日ピチピチギャルと一緒なのだ(笑)。その彼女の毎日の行動は新しい事へのチャレンジ精神と共に落ち着きと自信が見えてきたように思う。
何度かご紹介しているが、オトーサンに対するラテの態度はなかなか興味深いものがある。思春期になった女の子が父親を意識して避けるような、そんな思いをする毎日なのである(笑)。
なにしろラテは外面が抜群によい!散歩で出向く公園にはいつもお馴染みの飼い主さんならびにワンコたちが居並ぶことになるが、ラテは男性でも女性でも飼い主さんたちの足元にうずくまったり、顔を見上げてオヤツをねだったりする。
ありがたいことに可愛がってくださる方々も多く、そうした方々には積極的に愛想を振りまきチューを迫ったりするラテなのだ。ただし初対面の場合は子供や幼児以外はまずは吠える。吠えながら近づき安心だと確認してから尻尾を振るようになる。ラテはこれでなかなか用心深く、初対面の人が頭を撫でようとしても容易にそれを許さない。

※公園で拾ったゴルフボールで遊ぶラテ
さて、他者への外面の良さの反面同じ事をオトーサンに対してするということはほとんどない...。しかしラテは間違いなくオトーサンを信頼している...と思う。しかしまた怖い存在としても意識しているようだ。
これまでラテが何故オトーサンには甘え下手なのか...という理由があるとすれば、飼い始めた最初にずいぶんと厳しく育てたから少々嫌われたのかと思った時期があった(笑)。
しかし例えば先日、オトーサンはリビングとキッチンを仕切ってる柵を面倒だからと開けずに跨ごうとした。その際に指先を引っかけ、大したことではないもののリビング側に倒れ込んだ。
「痛い...」と足先を抱えて座り込んだ瞬間にラテが出窓のたたきから飛び降りて飛んできた。そしてまさしく「大丈夫?」とでもいうようにオトーサンの口元を舐め始めたのである。オトーサン感激の場面だった。
本当に嫌いであればこんなことはしてくれないものと思う。
これに味をしめたオトーサンはその翌日、わざとつまずいたように演技をし「痛い!」と大げさに倒れ込んでみたが、ラテは振り向いただけで飛んできてはくれなかった。やはりクサイ演技は見破られたようだ...(笑)。
ともあれ我々飼い主から自分の飼い犬を見るとき、かなり我が儘な要求...思いをそのワンコに向けているように思われる。
その第一は自分に対して最大級...他の誰にも比較できないほどの忠実・従順さを向けて欲しいと思うことだ。第二に、もし自分に対して危害を加えるものがあれば守ってくれるほどの番犬としての能力を持ち合わせていること。第三に、自分の友人知人たちはもとより、自分が認める相手...子供であろうと大人であろうと...には吠えたり歯をむいたりしないこと...といったことだろうか。
しかしこうした要求には大いに矛盾があり、そんな都合の良いワンコはいるわけがない(笑)。

※公園で木の枝そっくり(擬態)なナナフシを発見。実物を見たのは初めてかも...
ワンコは訓練の仕方はもとよりだが個性・性格によりその愛情表現方法にずいぶんと違いがあるうようだ。したがってリードを持った人が見知らぬ人物でも尾を振り従順なワンコもいれば、飼い主...主人に対してのみ忠実であるワンコもいる。
そもそもワンコがたった1人の主人に対して決定的な忠実さを身につけるのはどうした理窟からなのだろうかと不思議に思ったことはないだろうか。
「ソロモンの指輪」(ハヤカワ文庫)で著者のコンラート・ローレンツは「謎だ」としながらも、それはまったく異なる2つの源から発していると解説している。
第一は、野生の犬がその群れのリーダーに対して抱く愛着にほかならないことだ。そしてそれが家犬においてもその本質をほとんど変えずに人間に移し替えられる...。それに加え、高度に家畜化された家犬たちには、まったく別の愛着が生ずるという。
野生型の犬では幼年期のみにごく短期間みられるに過ぎない身体の構造や行動が、家犬では一生涯保たれる点だという。このことはネオトニー(Neoteny)と説明されるが、家畜化に伴う幼児化は野生犬ではごく幼い犬に限りその母親に示すような愛着が、家犬では一生涯を通じて保たれ、それが変えることのない忠実さとなってワンコを主人に結びつけることになるらしい。
コンラート・ローレンツは、この2つの系統をオオカミ系のワンコとジャッカル系ワンコと区別しているが、ジャッカル系のワンコは誰とでも仲良しになり、事実上だれがリードを持っても喜んでついていくタイプのワンコとなる。
反してオオカミ系はひとたびある人に忠誠を誓ったら、もはや永久にその人のワンコとなり、見知らぬ人には尻尾さえ振らない。
興味のあることはこの相反する2つの性格がどれほどのバランスでラテに備わっているかということだ。
極端にオオカミ系の血の濃いワンコは、もし何かの理由で飼い主が変わったりすると完全に心理的平衡を失い、そのモラルは野犬のレベルに転落し、食事も咽を通らないということになるというが、面白いのはその並外れた忠実さと愛着の深さにもかかわらず、100%従順ではないことだ...。
確かに彼女・彼は死ぬまで主人の友であるが決して奴隷にはならない。
彼女・彼は主人なくしては生きていけないが、確固とした自分なりの私生活を持っているという。
対してジャッカル系のワンコはまったく違う。彼女・彼らは扱いやすい従順な道連れであり、例えば自分の名を呼ばれたらすぐにとんでくるだけでなく、誰にでも相手かまわず遊ぼうとし、ついていってしまう...。
コンラート・ローレンツ自身はどうやら”犬らしさ”としてオオカミ系のワンコを好んでいるようだが、私の興味はやはり両者の気質がどれほどバランスよく混じり合っているかにある。
コンラート・ローレンツの説がどれほど現実に合っているかは分からないが、こうした理窟をラテに当てはめてみるとどうやら彼女はオオカミ系の血をより濃く持っているワンコのような気がする。子供に対してはほふく前進で近づき、ごろりとお腹を出したりする幼児性も持っているが彼女の琥珀色の目を見つめていると確固たる自己と信念を持っているようにも思えてくる。

※オオカミ系とジャッカル系の気質を併せ持つ?ラテ
一般的に飼い主にとって忠実であり、二君に仕えない姿のワンコは生涯の友としても相応しい。誰彼かまわずについていってしまうようなワンコでは飼い主としては心許ないし面白くない。反面、幼児性を忘れずじゃれ合ったり、誰に対しても好意的な対応をするワンコはこれまた可愛い。
しかしこのオオカミ系とジャッカル系の気質をバランスよく備えたワンコなどそうそういないだろう。とはいえラテを見ていると親ばかながらなかなかバランスがとれた気質を持っているようにも思える。
そう...外見から判断するなら、ラテのピンと立っている左耳はオオカミ系を表し、子犬のままに垂れている右耳はジャッカル系のネオトニー気質を表しているのかも知れない(笑)。
何度かご紹介しているが、オトーサンに対するラテの態度はなかなか興味深いものがある。思春期になった女の子が父親を意識して避けるような、そんな思いをする毎日なのである(笑)。
なにしろラテは外面が抜群によい!散歩で出向く公園にはいつもお馴染みの飼い主さんならびにワンコたちが居並ぶことになるが、ラテは男性でも女性でも飼い主さんたちの足元にうずくまったり、顔を見上げてオヤツをねだったりする。
ありがたいことに可愛がってくださる方々も多く、そうした方々には積極的に愛想を振りまきチューを迫ったりするラテなのだ。ただし初対面の場合は子供や幼児以外はまずは吠える。吠えながら近づき安心だと確認してから尻尾を振るようになる。ラテはこれでなかなか用心深く、初対面の人が頭を撫でようとしても容易にそれを許さない。

※公園で拾ったゴルフボールで遊ぶラテ
さて、他者への外面の良さの反面同じ事をオトーサンに対してするということはほとんどない...。しかしラテは間違いなくオトーサンを信頼している...と思う。しかしまた怖い存在としても意識しているようだ。
これまでラテが何故オトーサンには甘え下手なのか...という理由があるとすれば、飼い始めた最初にずいぶんと厳しく育てたから少々嫌われたのかと思った時期があった(笑)。
しかし例えば先日、オトーサンはリビングとキッチンを仕切ってる柵を面倒だからと開けずに跨ごうとした。その際に指先を引っかけ、大したことではないもののリビング側に倒れ込んだ。
「痛い...」と足先を抱えて座り込んだ瞬間にラテが出窓のたたきから飛び降りて飛んできた。そしてまさしく「大丈夫?」とでもいうようにオトーサンの口元を舐め始めたのである。オトーサン感激の場面だった。
本当に嫌いであればこんなことはしてくれないものと思う。
これに味をしめたオトーサンはその翌日、わざとつまずいたように演技をし「痛い!」と大げさに倒れ込んでみたが、ラテは振り向いただけで飛んできてはくれなかった。やはりクサイ演技は見破られたようだ...(笑)。
ともあれ我々飼い主から自分の飼い犬を見るとき、かなり我が儘な要求...思いをそのワンコに向けているように思われる。
その第一は自分に対して最大級...他の誰にも比較できないほどの忠実・従順さを向けて欲しいと思うことだ。第二に、もし自分に対して危害を加えるものがあれば守ってくれるほどの番犬としての能力を持ち合わせていること。第三に、自分の友人知人たちはもとより、自分が認める相手...子供であろうと大人であろうと...には吠えたり歯をむいたりしないこと...といったことだろうか。
しかしこうした要求には大いに矛盾があり、そんな都合の良いワンコはいるわけがない(笑)。

※公園で木の枝そっくり(擬態)なナナフシを発見。実物を見たのは初めてかも...
ワンコは訓練の仕方はもとよりだが個性・性格によりその愛情表現方法にずいぶんと違いがあるうようだ。したがってリードを持った人が見知らぬ人物でも尾を振り従順なワンコもいれば、飼い主...主人に対してのみ忠実であるワンコもいる。
そもそもワンコがたった1人の主人に対して決定的な忠実さを身につけるのはどうした理窟からなのだろうかと不思議に思ったことはないだろうか。
「ソロモンの指輪」(ハヤカワ文庫)で著者のコンラート・ローレンツは「謎だ」としながらも、それはまったく異なる2つの源から発していると解説している。
第一は、野生の犬がその群れのリーダーに対して抱く愛着にほかならないことだ。そしてそれが家犬においてもその本質をほとんど変えずに人間に移し替えられる...。それに加え、高度に家畜化された家犬たちには、まったく別の愛着が生ずるという。
野生型の犬では幼年期のみにごく短期間みられるに過ぎない身体の構造や行動が、家犬では一生涯保たれる点だという。このことはネオトニー(Neoteny)と説明されるが、家畜化に伴う幼児化は野生犬ではごく幼い犬に限りその母親に示すような愛着が、家犬では一生涯を通じて保たれ、それが変えることのない忠実さとなってワンコを主人に結びつけることになるらしい。
コンラート・ローレンツは、この2つの系統をオオカミ系のワンコとジャッカル系ワンコと区別しているが、ジャッカル系のワンコは誰とでも仲良しになり、事実上だれがリードを持っても喜んでついていくタイプのワンコとなる。
反してオオカミ系はひとたびある人に忠誠を誓ったら、もはや永久にその人のワンコとなり、見知らぬ人には尻尾さえ振らない。
興味のあることはこの相反する2つの性格がどれほどのバランスでラテに備わっているかということだ。
極端にオオカミ系の血の濃いワンコは、もし何かの理由で飼い主が変わったりすると完全に心理的平衡を失い、そのモラルは野犬のレベルに転落し、食事も咽を通らないということになるというが、面白いのはその並外れた忠実さと愛着の深さにもかかわらず、100%従順ではないことだ...。
確かに彼女・彼は死ぬまで主人の友であるが決して奴隷にはならない。
彼女・彼は主人なくしては生きていけないが、確固とした自分なりの私生活を持っているという。
対してジャッカル系のワンコはまったく違う。彼女・彼らは扱いやすい従順な道連れであり、例えば自分の名を呼ばれたらすぐにとんでくるだけでなく、誰にでも相手かまわず遊ぼうとし、ついていってしまう...。
コンラート・ローレンツ自身はどうやら”犬らしさ”としてオオカミ系のワンコを好んでいるようだが、私の興味はやはり両者の気質がどれほどバランスよく混じり合っているかにある。
コンラート・ローレンツの説がどれほど現実に合っているかは分からないが、こうした理窟をラテに当てはめてみるとどうやら彼女はオオカミ系の血をより濃く持っているワンコのような気がする。子供に対してはほふく前進で近づき、ごろりとお腹を出したりする幼児性も持っているが彼女の琥珀色の目を見つめていると確固たる自己と信念を持っているようにも思えてくる。

※オオカミ系とジャッカル系の気質を併せ持つ?ラテ
一般的に飼い主にとって忠実であり、二君に仕えない姿のワンコは生涯の友としても相応しい。誰彼かまわずについていってしまうようなワンコでは飼い主としては心許ないし面白くない。反面、幼児性を忘れずじゃれ合ったり、誰に対しても好意的な対応をするワンコはこれまた可愛い。
しかしこのオオカミ系とジャッカル系の気質をバランスよく備えたワンコなどそうそういないだろう。とはいえラテを見ていると親ばかながらなかなかバランスがとれた気質を持っているようにも思える。
そう...外見から判断するなら、ラテのピンと立っている左耳はオオカミ系を表し、子犬のままに垂れている右耳はジャッカル系のネオトニー気質を表しているのかも知れない(笑)。