スティーブ・ジョブズ CEOの辞任に思う
すでにご承知のように米国Apple Inc.は8月24日、スティーブ・ジョブズ CEOが辞任し取締役会会長に就任したことを発表した。後任のティム・クック氏率いる新生Appleに期待する一方、正直私のAppleに対する思いも一区切りをつける時期がきたのかも知れないと感じる…。
陳腐な台詞になってしまうが、始まりがあれば必ず終わりがある。人の命も同様で死を免れた者はいないのだから病に冒されているスティーブ・ジョブズのCEO退任は誰が見てもそう遠くではないことを感じていた。
しかし実際にそのニュースに接するとなにか自分の人生とオーバーラップし、ここでも時代が大きく変わっていくという感慨を持ってしまうのも致し方のないことか…。
ビジネスそのものは新しくCEOに就任したティム・クックが問題なくやっていくと思うがやはりAppleといえばスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ジョブズといえばAppleという感覚だった私などは寂しくて仕方がない。
まあ「Appleって昔はねぇ...」といった類の古老の独り言みたいな話しは嫌いだという人はそれでよい(笑)。しかし実際に私を含めAppleをずっと意識しながら...それもビジネスにして生きてきた者も存在するわけで...私などはAppleが見せてきた歴史の妙がエッセンスとなり自身のアイデンティティになっている気がするほどなのだ。

※今年のWWDCで基調講演を行うスティーブ・ジョブズ
Appleという企業ならびにその製品に対して人それぞれの思いはあるだろうが、私自身は「なんて特異な素晴らしい時代に生を受けたのだろうか」という思いでいっぱいである。
思えば私の生まれた1948年はトランジスタが発明され同年6月に特許取得を含めて正式発表された年でもあった。ちなみに私の生まれつきもその6月である。
最初に就職した東証一部上場企業では1970年前半に大型コンピュータが導入され、社内の仕事のやり方も混乱を極めながら大きく変わっていったし、私は資材購入部署の単なる平社員であったが仕事的にはコンピュータ導入で変化していくまっただ中にいた。
直属の上司に起業しようと誘われ、会社に辞表を出したとき「君にはコンピュータ関連の仕事で中心的な役割を担う人材になって欲しい」と部長から慰留されたことを今でも覚えている。
その後縁があったとしか思えないが、海の物とも山の物とも分からないワンボードマイコン(FACOM L Kit-8)を購入したことをきっかけにBASICを勉強し十数機種ものパソコンを楽しむ毎日となった。
主な機種だけでもコモドール PET 2001、Apple II、IBM 5550、PC-9801、PC-100、シャープX1、Macintoshと多種多様な機種を手にする中で何が使いよいのか、良いインターフェースとは何か…といった概念が自然に身についていった。
Apple Computer Inc. (当時)という会社を意識したのは1978年のことだった。池袋の西武百貨店のマイコン売り場に展示されていたシンプルなカラーアニメーションを見て虜になったが高価なそれは外車のようなイメージだったし買えるものとは考えていなかった。だからその代わりとしてPET 2001というオールインワンのコンピュータを買った。
当時Apple IIを安く手に入れる方法がひとつだけあった。それは秋葉原のとあるショップなどで出回り始めていたコピーの組立品である。
無論非合法のものでROMもまったくのコピーだったから問題なく組み立てればApple IIとまったく変わらないものが出来上がるという触れ込みだったし価格も1/3以下だった。
その代わり基板にひとつひとつ部品をはんだ付けしなければならないし、はんだ付けの課程でチップを壊したり接触不良といったアクシデントもあったがこれまた本物と同じようなプラスチックケースも手に入れた。
私のApple IIはまがい物から始まったのである。1982年6月のことだった。


※1982年6月、はんだ付けの毎日に明け暮れて組み立てたApple IIのコピー品
しかし私にとってApple IIは当時から光り輝くブランドであった。正規品と変わりなくソフトウェアは動きBASICプログラミングも楽しめるが、どこか後ろめたいものがついて回る。「俺はApple IIのユーザーなんだ」という声を上げることが憚れる気がしてその年の秋だったか本物のApple IIを手にしたのである。
運命の女神は私の背中を押しているように思えた…。サラリーマンとしては異例の二カ所より給料が入るという幸運に恵まれ数年の間、ひとつの会社から受ける年収をすべてAppleやMacintoshにつぎ込むことになる。
一時期はMacintoshにもっとも金をつぎ込んだ男として雑誌の記事にもなった(笑)。
その上、パソコン雑誌からの原稿依頼が多々舞い込み、かつ書籍の執筆依頼も増えてきた。睡眠時間は一日4時間しか取れなかったがコンピュータのハードやソフトを購入する金にはまったく困ることはなかった。
その私が今から思えば周りに押されるようにMacintosh専門のソフトウェア開発会社を起業し、足かけ14年の間アップルジャパンのトップデベロッパーとして仕事をさせていただいたことはまるで夢のような体験だった。
私たち当人は1年間、与えられた仕事をしてそれ以降の展望がなければまたサラリーマンに戻れば良い…といったある意味いい加減な考え方をどこか持っていたものだが、大手企業から次々と持ち込まれるビジネスは我々をほおって置いてはくれなかった。
キヤノン販売、キヤノン、ソニー、ミノルタ、フジテレビ、東京都、富士写真フイルム、大日本印刷、ビクター、シャープ、パイオニア、エプソン、NTTなどなど日本有数の大企業から開発依頼が舞い込んだ。
なにしろソニーやキヤノンのカタログの中に我々の社名や製品名が載るという快挙に小躍りする思いもあったが、仕事は契約を含めてシビアに努力し、前記した企業らの開発も一度なりとも納期を守らなかったことはなかった。
そうした我々のバックグランドには常にAppleというブランドがあり続けMacintoshというパーソナルコンピュータがあった。
しかしいま思うとおかしなことに我々が起業したとき、Appleにスティーブ・ジョブズはいなかったし、経営悪化で会社を解散しなければならない事を意識し始めたころスティーブ・ジョブズはAppleに復帰する...。
まあそれでも1999年の5月のWWDCにおいて...まだスティーブ・ジョブズが暫定CEOではあったが、私の会社は日本初のApple Design Awardを受賞したことは誇れる思い出となった。
したがって私にとっては可笑しな事にAppleをビジネスとして捉えようと努力した時代にスティーブ・ジョブズは不在で、アマチュアの時代ならびに会社を辞めた後にスティーブ・ジョブズを強く意識するという結果になった。しかし私が啓示を受けたApple IIやMacintoshはまさしくスティーブ・ジョブズのスピリットから生まれたパソコンであったことは間違いないしそのスピリットのおかげで現在まで走ってこれたのだと思っている...。
スティーブ・ジョブズは世界を変えたのだろうが、間違いなく私の人生をも変えたのだ(笑)。
スティーブ・ジョブズがCEOを退任というニュースはどうしても感傷的に受け止めてしまうが、冒頭に書いたように何にでも終わりがある。とすればこの時代を彼のスピリットを借りつつ、走ってこれたことに…そしてスティーブ・ジョブズと同じ時代に生まれた幸運を喜びたいと思う。
そんな感慨に浸りながら、これを機会にいまいちどAppleという企業が生まれた時代…いや私のような者が好き勝手な事を実現できた時代を精査してみたいという気持ちが年々膨らんできている。
最近当サイトに書き出したAltair 8800といったホビーコンピュータに興味を持ったのも、Appleという特異な企業が登場するその時代背景をきちんと捉えてみたいという思いから出たことなのだ。
最初期からAppleの製品ならびにその企業文化に興味を持ってきた1人としてスティーブ・ジョブズ CEO退任のニュースはやはり軽くは受け止められないし私にとってもひとつのステージが終わったものと思わざるを得ない。
ともかくスティーブ・ジョブズ! 貴方にはお礼を言わなければならないし貴方の姿をステージで見られなくなるのは実に寂しい。しかしこれを機会に肩の荷を下ろし病気に打ち勝って欲しい。そして一日も長くAppleを見守り続けて欲しいと心から願っている。
陳腐な台詞になってしまうが、始まりがあれば必ず終わりがある。人の命も同様で死を免れた者はいないのだから病に冒されているスティーブ・ジョブズのCEO退任は誰が見てもそう遠くではないことを感じていた。
しかし実際にそのニュースに接するとなにか自分の人生とオーバーラップし、ここでも時代が大きく変わっていくという感慨を持ってしまうのも致し方のないことか…。
ビジネスそのものは新しくCEOに就任したティム・クックが問題なくやっていくと思うがやはりAppleといえばスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ジョブズといえばAppleという感覚だった私などは寂しくて仕方がない。
まあ「Appleって昔はねぇ...」といった類の古老の独り言みたいな話しは嫌いだという人はそれでよい(笑)。しかし実際に私を含めAppleをずっと意識しながら...それもビジネスにして生きてきた者も存在するわけで...私などはAppleが見せてきた歴史の妙がエッセンスとなり自身のアイデンティティになっている気がするほどなのだ。

※今年のWWDCで基調講演を行うスティーブ・ジョブズ
Appleという企業ならびにその製品に対して人それぞれの思いはあるだろうが、私自身は「なんて特異な素晴らしい時代に生を受けたのだろうか」という思いでいっぱいである。
思えば私の生まれた1948年はトランジスタが発明され同年6月に特許取得を含めて正式発表された年でもあった。ちなみに私の生まれつきもその6月である。
最初に就職した東証一部上場企業では1970年前半に大型コンピュータが導入され、社内の仕事のやり方も混乱を極めながら大きく変わっていったし、私は資材購入部署の単なる平社員であったが仕事的にはコンピュータ導入で変化していくまっただ中にいた。
直属の上司に起業しようと誘われ、会社に辞表を出したとき「君にはコンピュータ関連の仕事で中心的な役割を担う人材になって欲しい」と部長から慰留されたことを今でも覚えている。
その後縁があったとしか思えないが、海の物とも山の物とも分からないワンボードマイコン(FACOM L Kit-8)を購入したことをきっかけにBASICを勉強し十数機種ものパソコンを楽しむ毎日となった。
主な機種だけでもコモドール PET 2001、Apple II、IBM 5550、PC-9801、PC-100、シャープX1、Macintoshと多種多様な機種を手にする中で何が使いよいのか、良いインターフェースとは何か…といった概念が自然に身についていった。
Apple Computer Inc. (当時)という会社を意識したのは1978年のことだった。池袋の西武百貨店のマイコン売り場に展示されていたシンプルなカラーアニメーションを見て虜になったが高価なそれは外車のようなイメージだったし買えるものとは考えていなかった。だからその代わりとしてPET 2001というオールインワンのコンピュータを買った。
当時Apple IIを安く手に入れる方法がひとつだけあった。それは秋葉原のとあるショップなどで出回り始めていたコピーの組立品である。
無論非合法のものでROMもまったくのコピーだったから問題なく組み立てればApple IIとまったく変わらないものが出来上がるという触れ込みだったし価格も1/3以下だった。
その代わり基板にひとつひとつ部品をはんだ付けしなければならないし、はんだ付けの課程でチップを壊したり接触不良といったアクシデントもあったがこれまた本物と同じようなプラスチックケースも手に入れた。
私のApple IIはまがい物から始まったのである。1982年6月のことだった。


※1982年6月、はんだ付けの毎日に明け暮れて組み立てたApple IIのコピー品
しかし私にとってApple IIは当時から光り輝くブランドであった。正規品と変わりなくソフトウェアは動きBASICプログラミングも楽しめるが、どこか後ろめたいものがついて回る。「俺はApple IIのユーザーなんだ」という声を上げることが憚れる気がしてその年の秋だったか本物のApple IIを手にしたのである。
運命の女神は私の背中を押しているように思えた…。サラリーマンとしては異例の二カ所より給料が入るという幸運に恵まれ数年の間、ひとつの会社から受ける年収をすべてAppleやMacintoshにつぎ込むことになる。
一時期はMacintoshにもっとも金をつぎ込んだ男として雑誌の記事にもなった(笑)。
その上、パソコン雑誌からの原稿依頼が多々舞い込み、かつ書籍の執筆依頼も増えてきた。睡眠時間は一日4時間しか取れなかったがコンピュータのハードやソフトを購入する金にはまったく困ることはなかった。
その私が今から思えば周りに押されるようにMacintosh専門のソフトウェア開発会社を起業し、足かけ14年の間アップルジャパンのトップデベロッパーとして仕事をさせていただいたことはまるで夢のような体験だった。
私たち当人は1年間、与えられた仕事をしてそれ以降の展望がなければまたサラリーマンに戻れば良い…といったある意味いい加減な考え方をどこか持っていたものだが、大手企業から次々と持ち込まれるビジネスは我々をほおって置いてはくれなかった。
キヤノン販売、キヤノン、ソニー、ミノルタ、フジテレビ、東京都、富士写真フイルム、大日本印刷、ビクター、シャープ、パイオニア、エプソン、NTTなどなど日本有数の大企業から開発依頼が舞い込んだ。
なにしろソニーやキヤノンのカタログの中に我々の社名や製品名が載るという快挙に小躍りする思いもあったが、仕事は契約を含めてシビアに努力し、前記した企業らの開発も一度なりとも納期を守らなかったことはなかった。
そうした我々のバックグランドには常にAppleというブランドがあり続けMacintoshというパーソナルコンピュータがあった。
しかしいま思うとおかしなことに我々が起業したとき、Appleにスティーブ・ジョブズはいなかったし、経営悪化で会社を解散しなければならない事を意識し始めたころスティーブ・ジョブズはAppleに復帰する...。
まあそれでも1999年の5月のWWDCにおいて...まだスティーブ・ジョブズが暫定CEOではあったが、私の会社は日本初のApple Design Awardを受賞したことは誇れる思い出となった。
したがって私にとっては可笑しな事にAppleをビジネスとして捉えようと努力した時代にスティーブ・ジョブズは不在で、アマチュアの時代ならびに会社を辞めた後にスティーブ・ジョブズを強く意識するという結果になった。しかし私が啓示を受けたApple IIやMacintoshはまさしくスティーブ・ジョブズのスピリットから生まれたパソコンであったことは間違いないしそのスピリットのおかげで現在まで走ってこれたのだと思っている...。
スティーブ・ジョブズは世界を変えたのだろうが、間違いなく私の人生をも変えたのだ(笑)。
スティーブ・ジョブズがCEOを退任というニュースはどうしても感傷的に受け止めてしまうが、冒頭に書いたように何にでも終わりがある。とすればこの時代を彼のスピリットを借りつつ、走ってこれたことに…そしてスティーブ・ジョブズと同じ時代に生まれた幸運を喜びたいと思う。
そんな感慨に浸りながら、これを機会にいまいちどAppleという企業が生まれた時代…いや私のような者が好き勝手な事を実現できた時代を精査してみたいという気持ちが年々膨らんできている。
最近当サイトに書き出したAltair 8800といったホビーコンピュータに興味を持ったのも、Appleという特異な企業が登場するその時代背景をきちんと捉えてみたいという思いから出たことなのだ。
最初期からAppleの製品ならびにその企業文化に興味を持ってきた1人としてスティーブ・ジョブズ CEO退任のニュースはやはり軽くは受け止められないし私にとってもひとつのステージが終わったものと思わざるを得ない。
ともかくスティーブ・ジョブズ! 貴方にはお礼を言わなければならないし貴方の姿をステージで見られなくなるのは実に寂しい。しかしこれを機会に肩の荷を下ろし病気に打ち勝って欲しい。そして一日も長くAppleを見守り続けて欲しいと心から願っている。
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