ラテ飼育格闘日記(62)
オトーサンは狼のような鋭い牙を持ち、片耳が垂れて映画クレオパトラのようなはっきりしたアイシャドーを持つ茶色い澄んだ瞳のワンコ一匹にどれだけ心を和ませられているかにあらためて気づくのだった。
自分にとってワンコという存在が何故こんなにも大きくなったのかと振り返って考えてみた...。友人のひとりは以前オトーサンがワンコを飼ったと聞いて「人間不信の現れか?」と心配そうに言ってくれたことがあったが、決してそんなことはない(笑)。まあ、確かにワンコ以下と思わざるを得ない人間たちもいるけどねぇ...(爆)。
ともかく、オトーサンの心に犬という存在がはっきりと居座ったきっかけは、子供のときに我が家に夕食の残り物をもらいに来ていた野良犬のブラッキーだった。ブラッキーは実在の雌犬だったが、それにも増してイメージ的にワンコという存在を膨らませたのはラジオドラマ「ベスよ尾をふれ」であり、テレビドラマの「名犬リンチンチン」「名犬ラッシー」そして「ちびっこギャング」に登場したワンコのピートであった。これらのワンコはどれも飼い主思いであり、嬉しいときも悲しいときも飼い主を慰めるだけでなく助け、力づけてくれた。

※公園にはすでに梅の花が満開だった
そうした物語などに影響され、オトーサンの心に「いつかワンコを飼いたい」「ワンコと暮らしたい」という気持ちが強くなったと思われる。だからこれまでにもスーパーの入り口に繋がれているワンコを見るとつい声をかけたり、頭を撫でてみたくて近寄ったりしていたが不思議に吠えられたり噛まれたりはしなかった。
では実際にワンコと暮らすようになって一年が過ぎたいま、ワンコに対する評価はどう変化したのだろうか...。
そもそも「ワンコは人間に忠実だから好き」といった短絡的な考えは持っていない。しかしワンコは自分を犠牲にしてまで友としての人間を守ろうとする忠義心を持っていることは事実のようだが、反面先にご紹介したスタンレー・コレン著「犬も平気でうそをつく?」ではないが、時には知恵比べだと思うほど手を焼かせる場面もある。ことほど左様にワンコは頭のよい動物だということを思い知らされている。
飼い主の意にそぐわない行動はとるし、あんなに言って聞かせた禁止事項もあっさりと破る。オトーサンに怒られたそばから、こちらの顔色をうかがいつつ次の悪いことを探す(笑)。
またまた階下から女房の「ダメだってばぁ!こらあ...」といった声がするからオトーサンは何事があったかと下りていく。ラテが女房のスリッパを咥えて逃げ回っているのだ。その楽しそうなこと(笑)。そこにオトーサンが顔をだすとラテはさも静かによい子で遊んでいました...とばかりその場を取り繕うのだから面白い。それだけの知能を持つワンコだからして並大抵の接し方ではバカにされてしまう。

※ラテとの散歩はさまざまな意味で知恵比べである(笑)
さてオトーサンはラテと暮らすようになって自身の変化に気がついたことがある。オトーサンはこれまで独り言を口にする人間ではなかったが、ラテと一緒にいるとラテを相手にして話しかけることが多くなったのだ。
そりゃあ、一人で散歩しながらブツブツと言葉を発しているのは褒められた行動ではないだろうし、行き交う人がいたら避けて通るかも知れない(笑)。しかしラテと一緒に歩きながら「いい天気だね」「おっと...車に気をつけろよ」「ほら、大きなカラスだぞ」「ラテ...駈けようか」「急ぐぞ」などと声に出しても行き交う人たちは誰も不思議がらず、時にはラテに笑みまで送ってくれる。
交差点や信号のある箇所では「待て」と合図をすれば座って待つラテだ。そして信号が青に変わると「良し」と声を掛けて歩き出す。信号を一緒に待っていた学生たちからは「利口だね」「可愛いね」と声がかかる。
実はきちんと座ると小さなおやつを口に入れてやるのだが...(笑)。
どれだけラテがこちらの言葉を理解し認識しているかは正直疑問だが、その時々の反応は総じてタイミングの合ったものであることが多い。ときにはこちらに視線を送りオトーサンが大好きな天使の笑顔を向けて「オトーサン大好き!」と言ってくれる(ホントカ...笑)。無論、気持ちが別のところに行って無視されることもあるが「うるさい」とも言わず反論もしない理想の聞き役であることは間違いない。
ワンコと人間の関係はこれまでにも多々記したように大変古い。例えばこれまたスタンレー・コレン著「デキのいい犬、わるい犬」によれば、カリフォルニア・インディアンのカトー族の言い伝えだと、ナガイチョの神が世界を創ったが、この神話では人間の男女を土から創り、ナガイチョの歩いた後に入り江や川ができ、全ての動物たちが創られたもののその中に犬は含まれていない。何故かといえば、ナガイチョの神が初めて散歩に出かけたとき、彼はすでにワンコを連れていたからだ。ワンコは最初から存在し、世界が創られて以来いつも創造主の後に付き添っていたという。そしてワンコはナガイチョが語る言葉に常に耳を傾けていた...。
このようにワンコに話しかけることは創造主でさえ自然なことなのだから、オトーサンがラテにあれこれと話しかけることに何ら不自然なことはないのである(笑)。

※夜も更けてオトーサンの布団の上で遊ぶラテだが、すでに眠そうだ...
散歩から戻るとき、ラテは抱っこを要求することが多い。中型犬で16キロほどにもなるワンコを抱き上げるのも大変だが、しばらく歩きながらオトーサンは「ラテ、今日の散歩はどうだった?楽しかったか...」と話しかける。ラテは両前足をオトーサンの両肩にかけて落ちないようにと力を入れながらオトーサンの口元や耳をペロペロと舐める。それは「楽しかったよ、ありがとう」と言っているようだ。
自宅の玄関でラテの四つ足の汚れを拭き、身体全体を綺麗にする。汚れの具合にもよるが時間として20分程度だろうか...その間オトーサンは意図的に話しかけながら手を動かすことにしている。
「ほら、こっち向いて」「ラテ、いつもより汚れているなあ」「今日のお前は乱暴だったぞ」「おっと、痛くなかったか」などなどと...。作業は肉球の間やお尻回りは勿論、尻尾や耳掃除など身体全体に及ぶがラテは唸ったりもせず、静かに身を任すようになった。その間、ため息をついたりオナラをするときもあるものの、機嫌のよいときには作業に支障がでるほどペロペロ攻撃に出るときもある。
その笑顔を見たくて...ラテとの四季折々を楽しみたくて、オトーサンは右足にシップを三枚も貼りながら今日も散歩に飛び出すのであった。
自分にとってワンコという存在が何故こんなにも大きくなったのかと振り返って考えてみた...。友人のひとりは以前オトーサンがワンコを飼ったと聞いて「人間不信の現れか?」と心配そうに言ってくれたことがあったが、決してそんなことはない(笑)。まあ、確かにワンコ以下と思わざるを得ない人間たちもいるけどねぇ...(爆)。
ともかく、オトーサンの心に犬という存在がはっきりと居座ったきっかけは、子供のときに我が家に夕食の残り物をもらいに来ていた野良犬のブラッキーだった。ブラッキーは実在の雌犬だったが、それにも増してイメージ的にワンコという存在を膨らませたのはラジオドラマ「ベスよ尾をふれ」であり、テレビドラマの「名犬リンチンチン」「名犬ラッシー」そして「ちびっこギャング」に登場したワンコのピートであった。これらのワンコはどれも飼い主思いであり、嬉しいときも悲しいときも飼い主を慰めるだけでなく助け、力づけてくれた。

※公園にはすでに梅の花が満開だった
そうした物語などに影響され、オトーサンの心に「いつかワンコを飼いたい」「ワンコと暮らしたい」という気持ちが強くなったと思われる。だからこれまでにもスーパーの入り口に繋がれているワンコを見るとつい声をかけたり、頭を撫でてみたくて近寄ったりしていたが不思議に吠えられたり噛まれたりはしなかった。
では実際にワンコと暮らすようになって一年が過ぎたいま、ワンコに対する評価はどう変化したのだろうか...。
そもそも「ワンコは人間に忠実だから好き」といった短絡的な考えは持っていない。しかしワンコは自分を犠牲にしてまで友としての人間を守ろうとする忠義心を持っていることは事実のようだが、反面先にご紹介したスタンレー・コレン著「犬も平気でうそをつく?」ではないが、時には知恵比べだと思うほど手を焼かせる場面もある。ことほど左様にワンコは頭のよい動物だということを思い知らされている。
飼い主の意にそぐわない行動はとるし、あんなに言って聞かせた禁止事項もあっさりと破る。オトーサンに怒られたそばから、こちらの顔色をうかがいつつ次の悪いことを探す(笑)。
またまた階下から女房の「ダメだってばぁ!こらあ...」といった声がするからオトーサンは何事があったかと下りていく。ラテが女房のスリッパを咥えて逃げ回っているのだ。その楽しそうなこと(笑)。そこにオトーサンが顔をだすとラテはさも静かによい子で遊んでいました...とばかりその場を取り繕うのだから面白い。それだけの知能を持つワンコだからして並大抵の接し方ではバカにされてしまう。

※ラテとの散歩はさまざまな意味で知恵比べである(笑)
さてオトーサンはラテと暮らすようになって自身の変化に気がついたことがある。オトーサンはこれまで独り言を口にする人間ではなかったが、ラテと一緒にいるとラテを相手にして話しかけることが多くなったのだ。
そりゃあ、一人で散歩しながらブツブツと言葉を発しているのは褒められた行動ではないだろうし、行き交う人がいたら避けて通るかも知れない(笑)。しかしラテと一緒に歩きながら「いい天気だね」「おっと...車に気をつけろよ」「ほら、大きなカラスだぞ」「ラテ...駈けようか」「急ぐぞ」などと声に出しても行き交う人たちは誰も不思議がらず、時にはラテに笑みまで送ってくれる。
交差点や信号のある箇所では「待て」と合図をすれば座って待つラテだ。そして信号が青に変わると「良し」と声を掛けて歩き出す。信号を一緒に待っていた学生たちからは「利口だね」「可愛いね」と声がかかる。
実はきちんと座ると小さなおやつを口に入れてやるのだが...(笑)。
どれだけラテがこちらの言葉を理解し認識しているかは正直疑問だが、その時々の反応は総じてタイミングの合ったものであることが多い。ときにはこちらに視線を送りオトーサンが大好きな天使の笑顔を向けて「オトーサン大好き!」と言ってくれる(ホントカ...笑)。無論、気持ちが別のところに行って無視されることもあるが「うるさい」とも言わず反論もしない理想の聞き役であることは間違いない。
ワンコと人間の関係はこれまでにも多々記したように大変古い。例えばこれまたスタンレー・コレン著「デキのいい犬、わるい犬」によれば、カリフォルニア・インディアンのカトー族の言い伝えだと、ナガイチョの神が世界を創ったが、この神話では人間の男女を土から創り、ナガイチョの歩いた後に入り江や川ができ、全ての動物たちが創られたもののその中に犬は含まれていない。何故かといえば、ナガイチョの神が初めて散歩に出かけたとき、彼はすでにワンコを連れていたからだ。ワンコは最初から存在し、世界が創られて以来いつも創造主の後に付き添っていたという。そしてワンコはナガイチョが語る言葉に常に耳を傾けていた...。
このようにワンコに話しかけることは創造主でさえ自然なことなのだから、オトーサンがラテにあれこれと話しかけることに何ら不自然なことはないのである(笑)。

※夜も更けてオトーサンの布団の上で遊ぶラテだが、すでに眠そうだ...
散歩から戻るとき、ラテは抱っこを要求することが多い。中型犬で16キロほどにもなるワンコを抱き上げるのも大変だが、しばらく歩きながらオトーサンは「ラテ、今日の散歩はどうだった?楽しかったか...」と話しかける。ラテは両前足をオトーサンの両肩にかけて落ちないようにと力を入れながらオトーサンの口元や耳をペロペロと舐める。それは「楽しかったよ、ありがとう」と言っているようだ。
自宅の玄関でラテの四つ足の汚れを拭き、身体全体を綺麗にする。汚れの具合にもよるが時間として20分程度だろうか...その間オトーサンは意図的に話しかけながら手を動かすことにしている。
「ほら、こっち向いて」「ラテ、いつもより汚れているなあ」「今日のお前は乱暴だったぞ」「おっと、痛くなかったか」などなどと...。作業は肉球の間やお尻回りは勿論、尻尾や耳掃除など身体全体に及ぶがラテは唸ったりもせず、静かに身を任すようになった。その間、ため息をついたりオナラをするときもあるものの、機嫌のよいときには作業に支障がでるほどペロペロ攻撃に出るときもある。
その笑顔を見たくて...ラテとの四季折々を楽しみたくて、オトーサンは右足にシップを三枚も貼りながら今日も散歩に飛び出すのであった。