ラテ飼育格闘日記(31)
ワンコが言語を持っているかどうかについてはいろいろと学説もあるようだが、人間とのコミュニケーションを考えた場合、ラテは確実にボディランゲージを含めて声や表情といった多彩な意思表示手段を持っているように思える。
ワンコのビギナーオーナーであるオトーサンだから、あまり大それたことは言えないものの、ラテが何を欲し、どんなメッセージを出しているのかが日々の格闘の中で少しずつ分かるようになってきた。
人とワンコとのコミュニケーションで問題なのは我々人間側がワンコの意図をなかなか理解できなかったり、事実とは違った解釈をしてしまうことだ。逆にワンコは我々人間の話す言葉をかなりの精度で聞き分けているように思える。一説では言語の理解においては人間の2歳児程度の能力を持っているともいう...。
例えば私らがキッチンで食事を始めると、ラテはリビングからキッチン側に入ってくる。勿論おこぼれをもらえると思っているわけだが、ちょっとした物を与え「向こうに行け」と言いながらリビング側に顎でもしゃくるだけでラテはイソイソとリビングに戻る。明らかに「向こう」「行け」という言葉と私のボディランゲージから何を言われているのかが分かっているのだ。
ただしラテが頻繁に発するボディランゲージはもとより、多くの鳴き声や吠え声が何を意味するのかを知ることは難しい...。
人とワンコとは共にほ乳類であることは勿論だが、そのDNA配列コードは90%以上の一致を見ているという。だからといって人とワンコが同じ思考回路を持ち、同じ意思伝達パターンを持つだろうと単純なことを考えているわけではない。ただし、例えば言語能力というと誤解があるかも知れないが、意図伝達の能力を考えたとき、遺伝子的にそれほど多くの共通項を持っているのだとすれば量的にも質的にもまったく違ったレベルである方がおかしいと思う気持ちも湧いてくる...。
とはいえ、残念ながら人とワンコとは意識や認識というプロセスも違うだろうし、何よりも身体の構造が違う。例えば人が喋れるのは声帯が発達したおかげだが、チンパンジーなどが高度な言語能力を持っているにもかかわらず、言葉が喋れないのはこの声帯が発達できなかった構造上の問題にあるという。
ところで、レックス・ハリソン主演の20世紀フォックス映画「ドリトル先生不思議な旅」を30年も前に見たとき、大変感動して自分も動物と...特にワンコと話をしたいと心から思った(笑)。

※20世紀フォックス映画「ドリトル先生不思議な旅」のレーザーディスクジャケット
人間のいうところの言語と同じ意思疎通ではないものの、ワンコはワンコ同士で間違いなくコミュニケーションを図っている。であるならば、我々がワンコの言語を学べれば、彼ら彼女たちと意思疎通ができる理窟になる。とはいってもオトーサンが「ワンワン!」とワンコの吼え方を真似るということではない(笑)。ワンコの思考パターン、ワンコの行動パターン、ワンコのボディランゲージの意味を知ることができれば単に楽しいといったことだけでなく、ワンコと大きな誤解を避けることができるに違いない。
とかく我々はワンコが発するメッセージを擬人化し、感情面から判断するといった間違った形で受け取ることが多いために、誤解が深まっていく...。
では実際にラテの発するメッセージ(声とボディランゲージ)はどのようなものがあるのだろうか...。
まずボディランゲージからご紹介するなら、例えば私がパンやお菓子を囓っているとする。そのパンをラテが欲しいとき、彼女は闇雲に吼えたりせず、鼻面で私の腕や手あるいは膝頭などを突く。それも必ずお座りをした上で「ツンツン」と濡れた鼻面を押しつけてくる。これは「わたしにも頂戴」と言っているのだ。
またオトーサンの口元をペロペロ舐めるのも愛情の表現というより一種の服従の意思表示だと考えられる。残念ながら「愛してる」という意味ではなく、その多くは「アナタがボスです。宜しくね」といったある種の "おべっかい" 的ニュアンスだと考えるべきだろう。
さらによく知られていることだが、両前足を伸ばして頭を低くし、そしてお尻を上げるというお辞儀のようなポーズをしながらにじり寄ってくるのは「遊ぼう!」「遊んで」の誘いである。
また両手をお手のように上げ、少し振りながら近づいてくるときは「いいな!いいな!」とか「ワーイ!ワーイ!」といった意味のようで、このとき口は大きく開けて瞳はきらきらと光るように見開かれている。
こうした能動的な行動ではなくてもワンコの耳やシッポ、そして口元やその表情でも喜んでいるのか嫌なのか、リラックスしているのか緊張しているのかは明確に分かる。総じて自信がなかったり、嫌だという気持ちのときには両耳は後ろに折りたたまれるが、反対に興味を持ったり機嫌が良いときには両耳を立てる(といってもラテの左耳はまだ少したれているのだが)。

※まるで猫のように両手で顔を覆いながら、甘えるラテ
ボディランゲージと共にワンコにとってのコミュニケーションで重要なのは勿論吠え声だ。以前にも書いたがワンコがこんなにも多彩な声を出すとは知らなかった。それらは鳥の鳴き声かと思うほど繊細な「チュンチュン」や「ピィーピィー」といった鳴き声だが、それはほとんど哀願を意味するようだ。「寂しい」とか「つまらない」あるいは「お願い...」「嫌だなあ」といった意味に受け取れる。
また私がオモチャやラテが好きな段ボール箱などを見せるとちょっとした遠吠えのように口を上に向けて「ウォッ...ウォォォォン」といった吼え方をする。これは「イイジャン!」「嬉しいなあ」という意思表示だと考えている。
さらに「オフッ...ワフッ」といった短い声を連続的に発すときは「早くして」とか「ねぇ!」という催促に違いない。
こうした会話とも取れる吼え方の他に、一方的な告知というか知らせるための吼え方もある。私がラテの側にいない場合、例えば二階など比較的離れている場所いるときに限って「ワン...ワン」と少し間隔をおき、強く二度鳴くときは「オシッコをしたよ」という合図になっている。
なお「キャイーン!」と高い声を出すときは「痛い」といった時に限られるようだ。以前歩きながらオトーサンはラテの足を少し踏んでしまったときがあったが、大げさだと思うほどの「キャイーン!」を発せられ周りの目を気にしたことがある(笑)。
このようなボディランゲージと声によるメッセージ以前に、その顔つきを見ていれば大体の感情がわかる。その点ワンコはポーカーフェイスは使わないようだから(笑)、感情が素直に顔に出る。
例えばラテは走るのが好きだ。朝の散歩などでもラテは軽快に走りながら伴走する私にアイコンタクトしながら、嬉しさを顔いっぱいに表す。感極まると走りながら私のジーンズの裾や膝裏に甘噛みしながら走るのだ。そのとき、私が掌をラテの開いた口に近づけると嬉しいとばかりに飛びつき歯を当てる。
これは何だかラテと走りながらハイタッチをしている感じなのでこちらも嬉しくなってくる(笑)。

※何が嬉しいのか...ご機嫌の笑顔である!
どうやら、ワンコを理解する上での問題は、こちらの行動パターンや意志はかなり正確にワンコに伝わっているにもかかわらず、私たちがワンコ語を理解できないのが問題のようである。
ワンコの言語は決して私たち人間にとって分かりやすいものではないが、人間側の思い入れというか、単純な擬人化による間違った解釈はワンコとの関係を良くするどころか異常行動などマイナス面を引き出すことにもなるという。したがって日々の観察の中で少しづつ「ワンコ語」を理解したいと考えている...。
オトーサンはまだまだドリトル先生やソロモン王(魔法の指輪をはめる事で獣、鳥、魚達と語り合う事が出来たという伝説がある)には遠く及ばないものの、いつの日かラテと牛乳でも飲みながら、あるいはニボシでも囓りながら...語り明かしたいと考えているのだが...(爆)。
ワンコのビギナーオーナーであるオトーサンだから、あまり大それたことは言えないものの、ラテが何を欲し、どんなメッセージを出しているのかが日々の格闘の中で少しずつ分かるようになってきた。
人とワンコとのコミュニケーションで問題なのは我々人間側がワンコの意図をなかなか理解できなかったり、事実とは違った解釈をしてしまうことだ。逆にワンコは我々人間の話す言葉をかなりの精度で聞き分けているように思える。一説では言語の理解においては人間の2歳児程度の能力を持っているともいう...。
例えば私らがキッチンで食事を始めると、ラテはリビングからキッチン側に入ってくる。勿論おこぼれをもらえると思っているわけだが、ちょっとした物を与え「向こうに行け」と言いながらリビング側に顎でもしゃくるだけでラテはイソイソとリビングに戻る。明らかに「向こう」「行け」という言葉と私のボディランゲージから何を言われているのかが分かっているのだ。
ただしラテが頻繁に発するボディランゲージはもとより、多くの鳴き声や吠え声が何を意味するのかを知ることは難しい...。
人とワンコとは共にほ乳類であることは勿論だが、そのDNA配列コードは90%以上の一致を見ているという。だからといって人とワンコが同じ思考回路を持ち、同じ意思伝達パターンを持つだろうと単純なことを考えているわけではない。ただし、例えば言語能力というと誤解があるかも知れないが、意図伝達の能力を考えたとき、遺伝子的にそれほど多くの共通項を持っているのだとすれば量的にも質的にもまったく違ったレベルである方がおかしいと思う気持ちも湧いてくる...。
とはいえ、残念ながら人とワンコとは意識や認識というプロセスも違うだろうし、何よりも身体の構造が違う。例えば人が喋れるのは声帯が発達したおかげだが、チンパンジーなどが高度な言語能力を持っているにもかかわらず、言葉が喋れないのはこの声帯が発達できなかった構造上の問題にあるという。
ところで、レックス・ハリソン主演の20世紀フォックス映画「ドリトル先生不思議な旅」を30年も前に見たとき、大変感動して自分も動物と...特にワンコと話をしたいと心から思った(笑)。

※20世紀フォックス映画「ドリトル先生不思議な旅」のレーザーディスクジャケット
人間のいうところの言語と同じ意思疎通ではないものの、ワンコはワンコ同士で間違いなくコミュニケーションを図っている。であるならば、我々がワンコの言語を学べれば、彼ら彼女たちと意思疎通ができる理窟になる。とはいってもオトーサンが「ワンワン!」とワンコの吼え方を真似るということではない(笑)。ワンコの思考パターン、ワンコの行動パターン、ワンコのボディランゲージの意味を知ることができれば単に楽しいといったことだけでなく、ワンコと大きな誤解を避けることができるに違いない。
とかく我々はワンコが発するメッセージを擬人化し、感情面から判断するといった間違った形で受け取ることが多いために、誤解が深まっていく...。
では実際にラテの発するメッセージ(声とボディランゲージ)はどのようなものがあるのだろうか...。
まずボディランゲージからご紹介するなら、例えば私がパンやお菓子を囓っているとする。そのパンをラテが欲しいとき、彼女は闇雲に吼えたりせず、鼻面で私の腕や手あるいは膝頭などを突く。それも必ずお座りをした上で「ツンツン」と濡れた鼻面を押しつけてくる。これは「わたしにも頂戴」と言っているのだ。
またオトーサンの口元をペロペロ舐めるのも愛情の表現というより一種の服従の意思表示だと考えられる。残念ながら「愛してる」という意味ではなく、その多くは「アナタがボスです。宜しくね」といったある種の "おべっかい" 的ニュアンスだと考えるべきだろう。
さらによく知られていることだが、両前足を伸ばして頭を低くし、そしてお尻を上げるというお辞儀のようなポーズをしながらにじり寄ってくるのは「遊ぼう!」「遊んで」の誘いである。
また両手をお手のように上げ、少し振りながら近づいてくるときは「いいな!いいな!」とか「ワーイ!ワーイ!」といった意味のようで、このとき口は大きく開けて瞳はきらきらと光るように見開かれている。
こうした能動的な行動ではなくてもワンコの耳やシッポ、そして口元やその表情でも喜んでいるのか嫌なのか、リラックスしているのか緊張しているのかは明確に分かる。総じて自信がなかったり、嫌だという気持ちのときには両耳は後ろに折りたたまれるが、反対に興味を持ったり機嫌が良いときには両耳を立てる(といってもラテの左耳はまだ少したれているのだが)。

※まるで猫のように両手で顔を覆いながら、甘えるラテ
ボディランゲージと共にワンコにとってのコミュニケーションで重要なのは勿論吠え声だ。以前にも書いたがワンコがこんなにも多彩な声を出すとは知らなかった。それらは鳥の鳴き声かと思うほど繊細な「チュンチュン」や「ピィーピィー」といった鳴き声だが、それはほとんど哀願を意味するようだ。「寂しい」とか「つまらない」あるいは「お願い...」「嫌だなあ」といった意味に受け取れる。
また私がオモチャやラテが好きな段ボール箱などを見せるとちょっとした遠吠えのように口を上に向けて「ウォッ...ウォォォォン」といった吼え方をする。これは「イイジャン!」「嬉しいなあ」という意思表示だと考えている。
さらに「オフッ...ワフッ」といった短い声を連続的に発すときは「早くして」とか「ねぇ!」という催促に違いない。
こうした会話とも取れる吼え方の他に、一方的な告知というか知らせるための吼え方もある。私がラテの側にいない場合、例えば二階など比較的離れている場所いるときに限って「ワン...ワン」と少し間隔をおき、強く二度鳴くときは「オシッコをしたよ」という合図になっている。
なお「キャイーン!」と高い声を出すときは「痛い」といった時に限られるようだ。以前歩きながらオトーサンはラテの足を少し踏んでしまったときがあったが、大げさだと思うほどの「キャイーン!」を発せられ周りの目を気にしたことがある(笑)。
このようなボディランゲージと声によるメッセージ以前に、その顔つきを見ていれば大体の感情がわかる。その点ワンコはポーカーフェイスは使わないようだから(笑)、感情が素直に顔に出る。
例えばラテは走るのが好きだ。朝の散歩などでもラテは軽快に走りながら伴走する私にアイコンタクトしながら、嬉しさを顔いっぱいに表す。感極まると走りながら私のジーンズの裾や膝裏に甘噛みしながら走るのだ。そのとき、私が掌をラテの開いた口に近づけると嬉しいとばかりに飛びつき歯を当てる。
これは何だかラテと走りながらハイタッチをしている感じなのでこちらも嬉しくなってくる(笑)。

※何が嬉しいのか...ご機嫌の笑顔である!
どうやら、ワンコを理解する上での問題は、こちらの行動パターンや意志はかなり正確にワンコに伝わっているにもかかわらず、私たちがワンコ語を理解できないのが問題のようである。
ワンコの言語は決して私たち人間にとって分かりやすいものではないが、人間側の思い入れというか、単純な擬人化による間違った解釈はワンコとの関係を良くするどころか異常行動などマイナス面を引き出すことにもなるという。したがって日々の観察の中で少しづつ「ワンコ語」を理解したいと考えている...。
オトーサンはまだまだドリトル先生やソロモン王(魔法の指輪をはめる事で獣、鳥、魚達と語り合う事が出来たという伝説がある)には遠く及ばないものの、いつの日かラテと牛乳でも飲みながら、あるいはニボシでも囓りながら...語り明かしたいと考えているのだが...(爆)。