ラテ飼育格闘日記(27)
この6月10日はラテ1歳の誕生日であり、わが家に来てからちょうど半年になる。オトーサンとしては何らかの形でお祝いをしたいと考えているが、実はラテの本当の誕生日は分からないのだ...。
この格闘日記で何度かご紹介しているとおり、ラテがボランティアの方に保護されたとき、獣医の診断では生後3ヶ月ほどだったという。そうであれば、保護されたのが9月だったというから、誕生は6月ということになる。しかし当然のことだが誕生日が分からない...。
6月といえばオトーサンの誕生月でもあるのだが、まさか一緒にしては可哀想だからと考えた末にわが家にラテが来たのが12月10日だったことから女房と「誕生日は6月10日にしよう」と決めた。
覚悟をしていたとはいえ、これまで飼ったことのないワンコが同居することになり、私たちの日常生活はがらりと変わった。
ウィークディの朝はこれまでも早起きだったから問題はないが、土日や祭日であっても午前中ずっと寝ているというわけにはいかなくなった(笑)。そして時間帯にもよるが、長い時間ラテを置いて外出ができなくなった。したがって女房と一緒の京都旅行などはもってのほかである。
無論ワンコをペットホテルなどに預けるという手はあるが、しばらくの間はラテ中心の生活に甘んじようと決心したのだからオトーサンは耐えなければならない。

※走り回った後の一休み。今日は機嫌がよいようだ...
毎日の生活もこれまでとはかなり違う時間割となったし、日常の買い物などのために外出する際にも、これ見よがしにドアの鍵をガチャガチャとやったりできない。これから外出するということをラテが知れば、置いて行かれると思うし、寂しがり吼え続けるかも知れない。気がつかないうちに出かけて、気がつかないうちに戻っているというのが理想なのだ。
また寝かしている時間帯が唯一安心してあれこれができる訳だから、不用意に起こすと面倒なことになる..。だから日中でもラテが寝ているときにリビングへ入る際、オトーサンは忍び足なのだ(笑)。
したがって、外出から戻って玄関の鍵を開ける際にも、何か自分の家に盗みにでも入るような感じで、静かに...静かに鍵を回すのである。
こうした一連の日常は不自由だと思えば確かに不自由だ。しかしである...。
例えばの話しだが、ラテが13年とか15年生きたとする。だとすればオトーサンの歳も当たり前だが同じだけ歳を重ねることになる。
だから...ラテがもし15年後に死んだとして、運良くオトーサンが生きていたとしてもまた新しい子犬を迎えることは体力的にできないと思うのだ。そう思うほどワンコの世話は体力がいることを思い知らされた...。だからどんなワンコだとしても、まともな世話ができなかったり、散歩に連れて行けない飼い主ではワンコが可哀想である。そうした理由なのだろうが、ワンコの里親サイトなどには「高齢者の方はご遠慮いただきます」といった類の但し書きが目に付くケースもある。それは飼い主が先に逝ってしまい、ワンコもそのまま餓死してしまうようなことが無いようにとの配慮なのだろう。

※リードを引かず、左サイドについて上手に歩けるようにもなった
そんなあれこれを考えると、オトーサンにとってラテはまさしく生涯でただ一匹のワンコだということになる。この「生涯で一匹」という縁は重い!
子供の頃から「犬を飼ってみたい」と思い続けてやっと巡り会った生涯で一匹のワンコだとすれば、飼い主というより人生のパートナーとして出来うる限りの面倒は見なければならないし、他人に迷惑をかけない範囲でなら多少は我が儘でもいいから楽しく暮らさせたいと願う。
ともかくこの半年間は長いようで短く、短いようで大変長い6ヶ月だった。そしてワンコを飼うことがこんなにも大変で、そしてこんなにも楽しく可愛いものだとは思わなかった...。
先ほども何が気にくわなかったのか、珍しくリビングの床にアテション(当て付けのオシッコ)をしてしまった!
オトーサンは「このションベン娘め!」と罵倒しながらも、嬉々としてラテのオシッコ処理をしているのであった(笑)。
この格闘日記で何度かご紹介しているとおり、ラテがボランティアの方に保護されたとき、獣医の診断では生後3ヶ月ほどだったという。そうであれば、保護されたのが9月だったというから、誕生は6月ということになる。しかし当然のことだが誕生日が分からない...。
6月といえばオトーサンの誕生月でもあるのだが、まさか一緒にしては可哀想だからと考えた末にわが家にラテが来たのが12月10日だったことから女房と「誕生日は6月10日にしよう」と決めた。
覚悟をしていたとはいえ、これまで飼ったことのないワンコが同居することになり、私たちの日常生活はがらりと変わった。
ウィークディの朝はこれまでも早起きだったから問題はないが、土日や祭日であっても午前中ずっと寝ているというわけにはいかなくなった(笑)。そして時間帯にもよるが、長い時間ラテを置いて外出ができなくなった。したがって女房と一緒の京都旅行などはもってのほかである。
無論ワンコをペットホテルなどに預けるという手はあるが、しばらくの間はラテ中心の生活に甘んじようと決心したのだからオトーサンは耐えなければならない。

※走り回った後の一休み。今日は機嫌がよいようだ...
毎日の生活もこれまでとはかなり違う時間割となったし、日常の買い物などのために外出する際にも、これ見よがしにドアの鍵をガチャガチャとやったりできない。これから外出するということをラテが知れば、置いて行かれると思うし、寂しがり吼え続けるかも知れない。気がつかないうちに出かけて、気がつかないうちに戻っているというのが理想なのだ。
また寝かしている時間帯が唯一安心してあれこれができる訳だから、不用意に起こすと面倒なことになる..。だから日中でもラテが寝ているときにリビングへ入る際、オトーサンは忍び足なのだ(笑)。
したがって、外出から戻って玄関の鍵を開ける際にも、何か自分の家に盗みにでも入るような感じで、静かに...静かに鍵を回すのである。
こうした一連の日常は不自由だと思えば確かに不自由だ。しかしである...。
例えばの話しだが、ラテが13年とか15年生きたとする。だとすればオトーサンの歳も当たり前だが同じだけ歳を重ねることになる。
だから...ラテがもし15年後に死んだとして、運良くオトーサンが生きていたとしてもまた新しい子犬を迎えることは体力的にできないと思うのだ。そう思うほどワンコの世話は体力がいることを思い知らされた...。だからどんなワンコだとしても、まともな世話ができなかったり、散歩に連れて行けない飼い主ではワンコが可哀想である。そうした理由なのだろうが、ワンコの里親サイトなどには「高齢者の方はご遠慮いただきます」といった類の但し書きが目に付くケースもある。それは飼い主が先に逝ってしまい、ワンコもそのまま餓死してしまうようなことが無いようにとの配慮なのだろう。

※リードを引かず、左サイドについて上手に歩けるようにもなった
そんなあれこれを考えると、オトーサンにとってラテはまさしく生涯でただ一匹のワンコだということになる。この「生涯で一匹」という縁は重い!
子供の頃から「犬を飼ってみたい」と思い続けてやっと巡り会った生涯で一匹のワンコだとすれば、飼い主というより人生のパートナーとして出来うる限りの面倒は見なければならないし、他人に迷惑をかけない範囲でなら多少は我が儘でもいいから楽しく暮らさせたいと願う。
ともかくこの半年間は長いようで短く、短いようで大変長い6ヶ月だった。そしてワンコを飼うことがこんなにも大変で、そしてこんなにも楽しく可愛いものだとは思わなかった...。
先ほども何が気にくわなかったのか、珍しくリビングの床にアテション(当て付けのオシッコ)をしてしまった!
オトーサンは「このションベン娘め!」と罵倒しながらも、嬉々としてラテのオシッコ処理をしているのであった(笑)。