DynaMacに見るMacの日本語化奮戦記
過日は「Apple日本上陸におけるキヤノン販売の英断を考察する」と題した記事を載せ、日本においてキヤノン販売がApple製品を扱うことになった経緯をご覧いただいた。今回はより局所的なテーマだが「DynaMac」を含む当時の日本語化への壁と意欲について考察してみたい。
最初に申し上げると、私は1985年8月20日にキヤノン販売から発売された「DynaMac」は買わなかった。それは後の漢字TalkのようにOS側でサポートしたシステムではなかったため漢字が使えるソフトが限られていたからだ...。
「DynaMac」はMacintoshの総代理店であったキヤノン販売がMac 512Kの基盤に独自の漢字ROMを搭載し、日本語化ツール EgBridge (エルゴソフト社開発)と共にセットにして日本語を扱えるようにしたマシンだった。外見からオリジナルMacと違う点はただひとつ、フロントに “DynaMac” のプレートがついていることだ。

※1985年8月20日、DynaMac発売開始におけるキヤノン販売の新聞広告【クリックで拡大】
この「DynaMac」がAppleの…あるいはMacintoshの歴史において記憶すべき点はAppleがサードパーティにMacの内部を開け、手を加えることを容認したただ一つの例だったからである。後に中古のMac PlusあるいはSEのシステムROMを利用した互換機「OutBound」という例は存在したが、純正の基盤に別途ROMボードを追加したものを契約代理店が販売することを容認した例は他にはない...。

※ImageWriterと外付フロッピーディスクドライブと共に。DynaMacのフルシステム
そもそもMacの日本語化にスティーブ・ジョブズは反対していた。アップルジャパン社長の福島正也がMacintosh日本語化の必要性をスティーブ・ジョブズに説いたとき、ジョブズは「余計なことをするんじゃない」と言い放ったという。
ジョブズは漢字ROMの搭載やらそのOEM化はAppleの技術を日本人に売り渡すことだと激怒する。さらに日本でMacの販売が思わしくないのは日本語化の問題ではなくアップルジャパンが適切な仕事をしていないからではないか...とも疑った。
しかしMacの弱みはその価格はもとよりだが、やはり日本語化の見通しさえついていないことだった。これでは私らのような好事家はともかく(笑)、ビジネス市場への売り込みはできない。
この頃、アップルジャパンの依頼で電通のアートディレクター鈴木八朗が手がけ、イラストレーターのペーター佐藤が描く水墨画と観音像などを駆使したプロモーションが話題を呼んだが、ユーザーの間では「そんな予算があるなら一日も早く日本語化しろ」という声が日に日に大きくなっていた。

※イラストレーターのペーター佐藤による観音像広告例
また明らかにMacを意識した類似品まがいのパソコンが登場するに至りスティーブ・ジョブズも重い腰を上げ、お気に入りのジェームス比嘉に「漢字化のプランを作れ」と命じる。
これでMacの日本語化はともかく進む筈だったが、1985年の年明けからジョブズとスカリーの確執が目立つようになり、6月に取締役会はスティーブ・ジョブズの全権限を剥奪するに至る。無論ジョブズがOKを出したMacの日本語化も頓挫し振り出しに戻ってしまった。
反対にキヤノン側では独自のMac日本語化が現実味を帯びてきた…。ビジネスユーザーにMacを売るにはどうしても日本語化が欠かせないからだ。「アップルがやらないなら自分たちでやる」という機運が高まったのである。
1985年6月にはアップルジャパンとキヤノン販売間でキヤノン製の漢字版Macの可能性を協議する場が設けられた。ただしこの場に出席したApple側の人間は後にジェームス比嘉と共に漢字Talkを開発するに至るプログラマーのケン・クルグラーだけだったというからApple本社のやる気の無さに驚くではないか…。
さらにキヤノン販売の滝川精一社長にMacの日本語化を約束したアップルジャパン社長の福島正也はジョブズとの確執に疲れストレスと疲労から視力が極端に落ちたという。そして結局Appleを退社することになるが、滝川精一著「起業家スピリット」によれば1985年のことだと記されている。
ともかく1985年7月には福島正也の後任としてアップルジャパン社長となったロバート・コーリーが出席しキヤノンの販売推進会議が催され「ダイナマック(DynaMac)」と名付けられた日本語版Macの販売計画が発表検討された。
ここで事の進捗を見極めるため、一部情報がはっきりしない部分もあるものの重要事項を時間順でリストアップしてみよう。
1983年10月6日 キヤノン販売とアップルジャパンの販売提携が報じられ翌日共同記者会見実施
1984年1月24日 Macintosh 発表
1984年4月 キヤノン販売がMacの販売を開始
1984年9月 Macintosh 512K 発表
1985年 アップルジャパン社長福島正也退職
1985年3月 Macintosh 512K で動作するイージーワード1.0が完成
1985年6月 ジョブズが全権を剥奪された会長職に。Appleは従業員1200人一時解雇発表
1985年6月中旬 アップルジャパンとキヤノン販売間でキヤノン製の漢字版Macの可能性を協議
1985年7月 キヤノンのDynaMac販売推進会議開催
1985年8月6日 朝日新聞にDynaMac販売のニュースが掲載
1985年8月20日 EgBridge同梱のDynaMac発売
1985年9月17日 スティーブ・ジョブズ辞表提出
1986年1月 Macintosh Plus発表
1986年 アップルジャパン社長にアレクサンダー・D・バン・アイック就任
こうして「DynaMac」という世界で最初で最後のローカライズドMacが実現した背景をあらためて俯瞰するとその実現にはキヤノン販売の意欲と強い意志があったのはもとよりだが、スティーブ・ジョブズが不在だったことが事を進める原動力になったと思わざるを得ない。
前記したようにスティーブ・ジョブズは日本語化の重要性に理解を示していなかったしそれらの実現に至る過程ではMacintoshの技術を日本側に真似されるという危惧を持っていたようで、彼がそれまでどおりAppleの舵取りをしていたとすればDynaMacの実現はまず無理だったに違いない。
実際に上記リストをご覧いただければDynaMacが企画され発売に至る時期はスティーブ・ジョブズがApple内で力を失っていた時機と重なる…。
DynaMacの実現の背景にはジョブズの権限剥奪および経営陣の混乱・困惑、本社副社長兼日本担当に就任したマイケル・スピンドラーの存在、そしてアップルジャパン側も福島の後任であるロバート・コーリーがやっと着任したばかりでいわばAppleもアップルジャパンもその根底が揺らいでいた時代であり、極東の小さな国で起こっている改革などに注視する余裕がなかったというのが本当のところではないだろうか。

※1985年6月24日付、InfoWorld誌にはAppleはジョン・スカリー社長の職権を強化すると共にAppleを改組し、スティーブ・ジョブズを恒常的な職権から外すという記事が載っている。DynaMac実現時期はApple本社が多くの解雇者を出すと共にスティーブ・ジョブズの扱いをどうするかで大きく揺れ動いていた時期だった
アップルジャパンの社長、ロバート・コーリーも当然のことDynaMacに好意的ではなかったが、キヤノン販売の熱意と本社側の曖昧さを受け「キヤノン販売製のダイナマックを歓迎し支持します」といったコメントを出さざるを得なかったのである。
事実キヤノン販売の新聞広告にはアップルジャパン社長ロバート・コーリーのサインと共に歓迎の推奨文が載せられている。とはいえこれでキヤノン側では正式なお墨付きを得たことになった...。
なおDynaMacの販売価格だが大別して2種類の構成があった。まず「DynaMac基本構成システム」としてMacintosh 512K本体及び漢字ROMとEgBridgeをパッケージにしたものが 898,000円。もうひとつは「DynaMacバンドルシステム」として「DynaMac基本構成システム」にイメージライター(ドットインパクト・プリンター)と拡張フロッピードライブが付属する構成が1,098,000円だった。

※前記新聞広告に含まれるアップルコナンピュータジャパン社長、ロバート・コーリーのサイン
無論ご承知のようにMacの日本語化はMac Plusの登場で実現した漢字Talk 1.0で事実上標準化され、それに伴いDynaMacは短期間で消滅する運命となるが、繰り返すもののサードパーティがオリジナルMacを改変して販売するという唯一の例としてDynaMacはこれからも我々の記憶に残っていくに違いない。


※漢字Talk 1.0のマニュアル表紙(上とMacPaint上での漢字表示(下)。フォントサイズが大きくバランスが悪いので落胆したことを覚えている
ちなみに私自身は冒頭記したようにDynaMacは購入しなかった。しかしまったく指をくわえて見ていたわけではない(笑)。
まずは1985年9月、Macで漢字が扱えないことに業を煮やした私は自身で80級サイズの常用漢字、約2,000文字をデザインして「インスタント漢字」と名付けイーエスディラボラトリ社から発売した経緯がある。これはワープロといった用途には不向きだが、デザインの一端に明朝のみとはいえ漢字を配すことができるようになった。

※筆者が常用漢字約2,000文字をデザインしてパッケージ化した「インスタント漢字」
さらに紀田順一郎さんとの共著「Macの達人」で当時を振り返ってみると1986年1月にDynaMacに搭載された漢字ROMの同等品入手について情報交換をしているし、2月1日にはMacの筐体を開けるドライバー付きで漢字ROMが5万円で入手可能という情報を得ている。そして2月15日にはPC WORLD誌にも掲載された当該漢字ROMを購入し、2月27日に愛用のMac 512Kへ取り付けたことが記されている。

※技術評論社刊「Macの達人」(紀田順一郎氏と筆者の共著)には当時の状況が克明に見て取れる
とはいえすでに28年も前のことで細かな点の記憶は薄れているが、前記リストにもある1985年8月6日付けの「英文ソフトで日本語を処理〜米社のパソコンに新機能」というタイトルの朝日新聞記事を確認してみると、当該記事にはキヤノン販売がDynaMac発売に合わせ、漢字ROMのみを8万円で販売するとしている。

※1985年8月6日付、朝日新聞にDynaMac発売の記事が載った【クリックで拡大】
別途EgBridgeが38,000円とあるから既存のMacintosh 512Kユーザーも118,000円の予算でDynaMacと同等の日本語化を手にすることができたわけだ。無論その場合にはユーザー自身がMacの筐体を開けて漢字ROMをメインボードに取りつける必要があったわけだが…。したがって私が購入した漢字ROMも購入価格は安いもののこのキヤノン販売の製品だったのだろう。
しかしその後、この漢字ROMを付けたMac 512Kについての記録が途絶えるが、それは早くも7月にMac Plusへのアップグレードを実行し漢字Talk 1.0を得たからに他ならない。私の漢字ROMも極々短命に終わったのだった…。
【主な参考資料】
・斎藤由多加著「林檎の樹の下で~アップル日本上陸の軌跡」
・ルイス・クラー著「日本の異端経営者からキヤノンを世界に売った男・滝川精一」
・滝川精一氏著「起業家スピリット―逃げるな、嘘をつくな、数字に強くなれ」
最初に申し上げると、私は1985年8月20日にキヤノン販売から発売された「DynaMac」は買わなかった。それは後の漢字TalkのようにOS側でサポートしたシステムではなかったため漢字が使えるソフトが限られていたからだ...。
「DynaMac」はMacintoshの総代理店であったキヤノン販売がMac 512Kの基盤に独自の漢字ROMを搭載し、日本語化ツール EgBridge (エルゴソフト社開発)と共にセットにして日本語を扱えるようにしたマシンだった。外見からオリジナルMacと違う点はただひとつ、フロントに “DynaMac” のプレートがついていることだ。

※1985年8月20日、DynaMac発売開始におけるキヤノン販売の新聞広告【クリックで拡大】
この「DynaMac」がAppleの…あるいはMacintoshの歴史において記憶すべき点はAppleがサードパーティにMacの内部を開け、手を加えることを容認したただ一つの例だったからである。後に中古のMac PlusあるいはSEのシステムROMを利用した互換機「OutBound」という例は存在したが、純正の基盤に別途ROMボードを追加したものを契約代理店が販売することを容認した例は他にはない...。

※ImageWriterと外付フロッピーディスクドライブと共に。DynaMacのフルシステム
そもそもMacの日本語化にスティーブ・ジョブズは反対していた。アップルジャパン社長の福島正也がMacintosh日本語化の必要性をスティーブ・ジョブズに説いたとき、ジョブズは「余計なことをするんじゃない」と言い放ったという。
ジョブズは漢字ROMの搭載やらそのOEM化はAppleの技術を日本人に売り渡すことだと激怒する。さらに日本でMacの販売が思わしくないのは日本語化の問題ではなくアップルジャパンが適切な仕事をしていないからではないか...とも疑った。
しかしMacの弱みはその価格はもとよりだが、やはり日本語化の見通しさえついていないことだった。これでは私らのような好事家はともかく(笑)、ビジネス市場への売り込みはできない。
この頃、アップルジャパンの依頼で電通のアートディレクター鈴木八朗が手がけ、イラストレーターのペーター佐藤が描く水墨画と観音像などを駆使したプロモーションが話題を呼んだが、ユーザーの間では「そんな予算があるなら一日も早く日本語化しろ」という声が日に日に大きくなっていた。

※イラストレーターのペーター佐藤による観音像広告例
また明らかにMacを意識した類似品まがいのパソコンが登場するに至りスティーブ・ジョブズも重い腰を上げ、お気に入りのジェームス比嘉に「漢字化のプランを作れ」と命じる。
これでMacの日本語化はともかく進む筈だったが、1985年の年明けからジョブズとスカリーの確執が目立つようになり、6月に取締役会はスティーブ・ジョブズの全権限を剥奪するに至る。無論ジョブズがOKを出したMacの日本語化も頓挫し振り出しに戻ってしまった。
反対にキヤノン側では独自のMac日本語化が現実味を帯びてきた…。ビジネスユーザーにMacを売るにはどうしても日本語化が欠かせないからだ。「アップルがやらないなら自分たちでやる」という機運が高まったのである。
1985年6月にはアップルジャパンとキヤノン販売間でキヤノン製の漢字版Macの可能性を協議する場が設けられた。ただしこの場に出席したApple側の人間は後にジェームス比嘉と共に漢字Talkを開発するに至るプログラマーのケン・クルグラーだけだったというからApple本社のやる気の無さに驚くではないか…。
さらにキヤノン販売の滝川精一社長にMacの日本語化を約束したアップルジャパン社長の福島正也はジョブズとの確執に疲れストレスと疲労から視力が極端に落ちたという。そして結局Appleを退社することになるが、滝川精一著「起業家スピリット」によれば1985年のことだと記されている。
ともかく1985年7月には福島正也の後任としてアップルジャパン社長となったロバート・コーリーが出席しキヤノンの販売推進会議が催され「ダイナマック(DynaMac)」と名付けられた日本語版Macの販売計画が発表検討された。
ここで事の進捗を見極めるため、一部情報がはっきりしない部分もあるものの重要事項を時間順でリストアップしてみよう。
1983年10月6日 キヤノン販売とアップルジャパンの販売提携が報じられ翌日共同記者会見実施
1984年1月24日 Macintosh 発表
1984年4月 キヤノン販売がMacの販売を開始
1984年9月 Macintosh 512K 発表
1985年 アップルジャパン社長福島正也退職
1985年3月 Macintosh 512K で動作するイージーワード1.0が完成
1985年6月 ジョブズが全権を剥奪された会長職に。Appleは従業員1200人一時解雇発表
1985年6月中旬 アップルジャパンとキヤノン販売間でキヤノン製の漢字版Macの可能性を協議
1985年7月 キヤノンのDynaMac販売推進会議開催
1985年8月6日 朝日新聞にDynaMac販売のニュースが掲載
1985年8月20日 EgBridge同梱のDynaMac発売
1985年9月17日 スティーブ・ジョブズ辞表提出
1986年1月 Macintosh Plus発表
1986年 アップルジャパン社長にアレクサンダー・D・バン・アイック就任
こうして「DynaMac」という世界で最初で最後のローカライズドMacが実現した背景をあらためて俯瞰するとその実現にはキヤノン販売の意欲と強い意志があったのはもとよりだが、スティーブ・ジョブズが不在だったことが事を進める原動力になったと思わざるを得ない。
前記したようにスティーブ・ジョブズは日本語化の重要性に理解を示していなかったしそれらの実現に至る過程ではMacintoshの技術を日本側に真似されるという危惧を持っていたようで、彼がそれまでどおりAppleの舵取りをしていたとすればDynaMacの実現はまず無理だったに違いない。
実際に上記リストをご覧いただければDynaMacが企画され発売に至る時期はスティーブ・ジョブズがApple内で力を失っていた時機と重なる…。
DynaMacの実現の背景にはジョブズの権限剥奪および経営陣の混乱・困惑、本社副社長兼日本担当に就任したマイケル・スピンドラーの存在、そしてアップルジャパン側も福島の後任であるロバート・コーリーがやっと着任したばかりでいわばAppleもアップルジャパンもその根底が揺らいでいた時代であり、極東の小さな国で起こっている改革などに注視する余裕がなかったというのが本当のところではないだろうか。

※1985年6月24日付、InfoWorld誌にはAppleはジョン・スカリー社長の職権を強化すると共にAppleを改組し、スティーブ・ジョブズを恒常的な職権から外すという記事が載っている。DynaMac実現時期はApple本社が多くの解雇者を出すと共にスティーブ・ジョブズの扱いをどうするかで大きく揺れ動いていた時期だった
アップルジャパンの社長、ロバート・コーリーも当然のことDynaMacに好意的ではなかったが、キヤノン販売の熱意と本社側の曖昧さを受け「キヤノン販売製のダイナマックを歓迎し支持します」といったコメントを出さざるを得なかったのである。
事実キヤノン販売の新聞広告にはアップルジャパン社長ロバート・コーリーのサインと共に歓迎の推奨文が載せられている。とはいえこれでキヤノン側では正式なお墨付きを得たことになった...。
なおDynaMacの販売価格だが大別して2種類の構成があった。まず「DynaMac基本構成システム」としてMacintosh 512K本体及び漢字ROMとEgBridgeをパッケージにしたものが 898,000円。もうひとつは「DynaMacバンドルシステム」として「DynaMac基本構成システム」にイメージライター(ドットインパクト・プリンター)と拡張フロッピードライブが付属する構成が1,098,000円だった。

※前記新聞広告に含まれるアップルコナンピュータジャパン社長、ロバート・コーリーのサイン
無論ご承知のようにMacの日本語化はMac Plusの登場で実現した漢字Talk 1.0で事実上標準化され、それに伴いDynaMacは短期間で消滅する運命となるが、繰り返すもののサードパーティがオリジナルMacを改変して販売するという唯一の例としてDynaMacはこれからも我々の記憶に残っていくに違いない。


※漢字Talk 1.0のマニュアル表紙(上とMacPaint上での漢字表示(下)。フォントサイズが大きくバランスが悪いので落胆したことを覚えている
ちなみに私自身は冒頭記したようにDynaMacは購入しなかった。しかしまったく指をくわえて見ていたわけではない(笑)。
まずは1985年9月、Macで漢字が扱えないことに業を煮やした私は自身で80級サイズの常用漢字、約2,000文字をデザインして「インスタント漢字」と名付けイーエスディラボラトリ社から発売した経緯がある。これはワープロといった用途には不向きだが、デザインの一端に明朝のみとはいえ漢字を配すことができるようになった。

※筆者が常用漢字約2,000文字をデザインしてパッケージ化した「インスタント漢字」
さらに紀田順一郎さんとの共著「Macの達人」で当時を振り返ってみると1986年1月にDynaMacに搭載された漢字ROMの同等品入手について情報交換をしているし、2月1日にはMacの筐体を開けるドライバー付きで漢字ROMが5万円で入手可能という情報を得ている。そして2月15日にはPC WORLD誌にも掲載された当該漢字ROMを購入し、2月27日に愛用のMac 512Kへ取り付けたことが記されている。

※技術評論社刊「Macの達人」(紀田順一郎氏と筆者の共著)には当時の状況が克明に見て取れる
とはいえすでに28年も前のことで細かな点の記憶は薄れているが、前記リストにもある1985年8月6日付けの「英文ソフトで日本語を処理〜米社のパソコンに新機能」というタイトルの朝日新聞記事を確認してみると、当該記事にはキヤノン販売がDynaMac発売に合わせ、漢字ROMのみを8万円で販売するとしている。

※1985年8月6日付、朝日新聞にDynaMac発売の記事が載った【クリックで拡大】
別途EgBridgeが38,000円とあるから既存のMacintosh 512Kユーザーも118,000円の予算でDynaMacと同等の日本語化を手にすることができたわけだ。無論その場合にはユーザー自身がMacの筐体を開けて漢字ROMをメインボードに取りつける必要があったわけだが…。したがって私が購入した漢字ROMも購入価格は安いもののこのキヤノン販売の製品だったのだろう。
しかしその後、この漢字ROMを付けたMac 512Kについての記録が途絶えるが、それは早くも7月にMac Plusへのアップグレードを実行し漢字Talk 1.0を得たからに他ならない。私の漢字ROMも極々短命に終わったのだった…。
【主な参考資料】
・斎藤由多加著「林檎の樹の下で~アップル日本上陸の軌跡」
・ルイス・クラー著「日本の異端経営者からキヤノンを世界に売った男・滝川精一」
・滝川精一氏著「起業家スピリット―逃げるな、嘘をつくな、数字に強くなれ」
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