PCアート展「Imagine Tokyo '89」の思い出
手元に表紙と裏表紙が取れかかった薄い雑誌がある。いまはなき米国Verbum, Inc.発行の季刊誌「VERBUM」である。そこにはやっとパソコンでアートが可能になるという感触をつかんだ喜びと大いなる困惑の思い出が詰まっている...。
1989年9月11日から22日、草月会館ギヤラリーそして9月23日から10月11日まではコニカギャラリーにおいて「Imagine Tokyo '89」というPCアートの展覧会が開催された。主催者はVerbum社だが、当時のアップルコンピュータジャパンもスポンサーだった。
※草月会館におけるPCアート展「Imagine Tokyo '89」会場
実は私も様々な行きがかりがあったのだが、主催者側から依頼をいただき小さな作品を一点出展することになった。そしてその模様が主催者でありコンピュータ・アートならびにデスクトップ・プリプレスなどの米国専門誌「VERBUM」に掲載され、私の作品も雑誌の一部を飾ることになったのである。
※米国専門誌「VERBUM」表紙(上)と作品紹介の見開きページ(下)。私の作品「MARIA」は左ページの上から二番目左の作品
詳しいことは知らないが当の「VERBUM」誌によれば、この「Imagine Tokyo '89」以前の企画として同種の展覧会はこれまでにもニューポートビーチ、カリフォルニア、ボストン、マサチューセッツおよびサンディエゴで開催されたそうだが、「Imagine Tokyo '89」は文字通りその日本バージョンだったようだ。
他のいくつかのトピックでも書いたが、もともと私は「パーソナルコンピュータでアート表現がどこまで可能か」という点に大いなる興味を持ってあれこれ悪戦苦闘してきたこともあり「Imagine Tokyo '89 に作品を出展してくれ」という依頼自体は大変嬉しいことであった。
しかし当時は昨今のように優秀なハードウェアやソフトウェア、そして様々な周辺機器が豊富に存在した時代ではなく、時は1989年であったことを気にとめていただきたいと思う。
私はすでに最初のカラーMac (Macintosh II) を1987年8月に購入してはいたが当時はあのPhotoshopさえ、私たちの前には存在しなかった時代であった。したがって作品を制作するとしても、肝心のソフトウェアは何を使うかといった初歩的な問題をクリアする必要があったし、何よりも今回はPCのモニター上で展示するのではなく一般絵画の展覧会のように作品を額装して展示することになっていたからそのプリントアウトが難点だった。さらに言い忘れてはならないことだが、当時のMacintoshはいわゆるフルカラーを使える環境ではなく256色カラーによる作品作りを行うしか術がなかったのである。
私はこの機会にコラージュに挑戦してみようと思った。テーマは「宇宙」それも「母なる宇宙」といったニュアンスを表現できないかと考えたみた。そして構成そのものやデザイン的なアイデアは早めに決まったが現実としてはなかなか壁も多かった。
まずグラフィックソフトとしては前年の1988年リリースしたばかりのElectronic Arts社「Studio 8」という8ビット・カラーグラフィックソフトを使うことにした。しかし256色カラーのパレットしか使えないシステム上で、中心テーマとなるマリア像、そして花や地球といったオブジェをカラースキャナで取り込み合成する際にいかにそのカラーパレットを崩さずきれいに仕上げるかという問題があった。
※Electronic Arts社「Studio 8」。当時としては代表的なMacintosh版カラーグラフィックソフトだった
また額装のため、ペーパーに印刷する必要があったがA4サイズの出力では作品としてインパクトがないと考え、何とか少しでも大判の出力を考えたかった。無論重要なのは予算をかけずに可能なかぎり美しいカラー出力を可能にするプリンタを探すことだったが、幸いなことに当時自社開発のソフトウェアならびにそのβ版が存在していたこともあり、プリンタはベタ出力が大変きれいなキヤノンFP-510SPAを使うことにした。そしてその専用ロール紙に作品データを分割出力し、後でそれをらをつなぎ合わせるという方法で大きめの作品作りをクリアしたが、いま考えると...凄いというかアバウトな時代であった(笑)。
無論、プロフェッショナルの多くはIllustrator 88とLinotronic 300などから最終のオフセット印刷を試みたり、NEC PC-9801とサピエンス社のSuper Tableauシステムを使ったりと作品作りの過程は様々だった。
こうして私の作品「MARIA」は「Imagine Tokyo '89」の展示の一端を担うことになったのである。
※「Imagine Tokyo '89」出品作「MARIA」。作品作りにはStudio 8、ColorMagician II、Professional FP、ColorDiffusionといったソフトとEPSON GT-4000カラースキャナおよびCANON FP-510SAPフルカラープリンタを使った
そして他に50人ほどの日本人アーチストが参加したが、さらに米国は勿論、ヨーロッパやオーストラリアのアーチストたち100人ほどの出展があり、展覧会は当時として十分な完成度を持っていたと思う。
私はといえば、自作の出来はともかくとしても出展された多くのプロフェッショナルたちの作品を眺めながら、パーソナルコンピュータで本格的な作品作りが可能になった時代の喜びを噛みしめていた...。
さて面白い...といっては語弊があるが事はこれで終わらなかった。
私の付け焼き刃的作品が「VERBUM」誌に載ったことや、展覧会で実際の作品をご覧になった方々からの問い合わせが多くてしばらくの間、正直閉口したことが記憶に残っている(^_^)。それらは使用したソフトウェアやハードウェアの質問からその使い方、そして「それらはどこで入手できるのか」といった今では想像もできないような問い合わせがあったし、何よりも困ったことにデザイン依頼の仕事まで舞い込むようになった...。
おおらかな、良き時代であったということだろうか(笑)。
1989年9月11日から22日、草月会館ギヤラリーそして9月23日から10月11日まではコニカギャラリーにおいて「Imagine Tokyo '89」というPCアートの展覧会が開催された。主催者はVerbum社だが、当時のアップルコンピュータジャパンもスポンサーだった。
※草月会館におけるPCアート展「Imagine Tokyo '89」会場
実は私も様々な行きがかりがあったのだが、主催者側から依頼をいただき小さな作品を一点出展することになった。そしてその模様が主催者でありコンピュータ・アートならびにデスクトップ・プリプレスなどの米国専門誌「VERBUM」に掲載され、私の作品も雑誌の一部を飾ることになったのである。
※米国専門誌「VERBUM」表紙(上)と作品紹介の見開きページ(下)。私の作品「MARIA」は左ページの上から二番目左の作品
詳しいことは知らないが当の「VERBUM」誌によれば、この「Imagine Tokyo '89」以前の企画として同種の展覧会はこれまでにもニューポートビーチ、カリフォルニア、ボストン、マサチューセッツおよびサンディエゴで開催されたそうだが、「Imagine Tokyo '89」は文字通りその日本バージョンだったようだ。
他のいくつかのトピックでも書いたが、もともと私は「パーソナルコンピュータでアート表現がどこまで可能か」という点に大いなる興味を持ってあれこれ悪戦苦闘してきたこともあり「Imagine Tokyo '89 に作品を出展してくれ」という依頼自体は大変嬉しいことであった。
しかし当時は昨今のように優秀なハードウェアやソフトウェア、そして様々な周辺機器が豊富に存在した時代ではなく、時は1989年であったことを気にとめていただきたいと思う。
私はすでに最初のカラーMac (Macintosh II) を1987年8月に購入してはいたが当時はあのPhotoshopさえ、私たちの前には存在しなかった時代であった。したがって作品を制作するとしても、肝心のソフトウェアは何を使うかといった初歩的な問題をクリアする必要があったし、何よりも今回はPCのモニター上で展示するのではなく一般絵画の展覧会のように作品を額装して展示することになっていたからそのプリントアウトが難点だった。さらに言い忘れてはならないことだが、当時のMacintoshはいわゆるフルカラーを使える環境ではなく256色カラーによる作品作りを行うしか術がなかったのである。
私はこの機会にコラージュに挑戦してみようと思った。テーマは「宇宙」それも「母なる宇宙」といったニュアンスを表現できないかと考えたみた。そして構成そのものやデザイン的なアイデアは早めに決まったが現実としてはなかなか壁も多かった。
まずグラフィックソフトとしては前年の1988年リリースしたばかりのElectronic Arts社「Studio 8」という8ビット・カラーグラフィックソフトを使うことにした。しかし256色カラーのパレットしか使えないシステム上で、中心テーマとなるマリア像、そして花や地球といったオブジェをカラースキャナで取り込み合成する際にいかにそのカラーパレットを崩さずきれいに仕上げるかという問題があった。
※Electronic Arts社「Studio 8」。当時としては代表的なMacintosh版カラーグラフィックソフトだった
また額装のため、ペーパーに印刷する必要があったがA4サイズの出力では作品としてインパクトがないと考え、何とか少しでも大判の出力を考えたかった。無論重要なのは予算をかけずに可能なかぎり美しいカラー出力を可能にするプリンタを探すことだったが、幸いなことに当時自社開発のソフトウェアならびにそのβ版が存在していたこともあり、プリンタはベタ出力が大変きれいなキヤノンFP-510SPAを使うことにした。そしてその専用ロール紙に作品データを分割出力し、後でそれをらをつなぎ合わせるという方法で大きめの作品作りをクリアしたが、いま考えると...凄いというかアバウトな時代であった(笑)。
無論、プロフェッショナルの多くはIllustrator 88とLinotronic 300などから最終のオフセット印刷を試みたり、NEC PC-9801とサピエンス社のSuper Tableauシステムを使ったりと作品作りの過程は様々だった。
こうして私の作品「MARIA」は「Imagine Tokyo '89」の展示の一端を担うことになったのである。
※「Imagine Tokyo '89」出品作「MARIA」。作品作りにはStudio 8、ColorMagician II、Professional FP、ColorDiffusionといったソフトとEPSON GT-4000カラースキャナおよびCANON FP-510SAPフルカラープリンタを使った
そして他に50人ほどの日本人アーチストが参加したが、さらに米国は勿論、ヨーロッパやオーストラリアのアーチストたち100人ほどの出展があり、展覧会は当時として十分な完成度を持っていたと思う。
私はといえば、自作の出来はともかくとしても出展された多くのプロフェッショナルたちの作品を眺めながら、パーソナルコンピュータで本格的な作品作りが可能になった時代の喜びを噛みしめていた...。
さて面白い...といっては語弊があるが事はこれで終わらなかった。
私の付け焼き刃的作品が「VERBUM」誌に載ったことや、展覧会で実際の作品をご覧になった方々からの問い合わせが多くてしばらくの間、正直閉口したことが記憶に残っている(^_^)。それらは使用したソフトウェアやハードウェアの質問からその使い方、そして「それらはどこで入手できるのか」といった今では想像もできないような問い合わせがあったし、何よりも困ったことにデザイン依頼の仕事まで舞い込むようになった...。
おおらかな、良き時代であったということだろうか(笑)。