ラテ飼育格闘日記_843

ラテがいなくなった喪失感は自分でも驚くほど大きかったし、いまでも日々ボディブローを喰らっているかのように心を痛めている。虹の橋を渡ったものは帰ってこないわけで嘆き悲しんでばかりいても益などないことは承知しているが寂しくてならない…。そういえば今日、6月10日はラテ17歳の誕生日なのだ!


喪失感はそれとして逆にラテがオトーサンにもたらしてくれた事もこれまた大きなものがある。今回はそんな話しをしてみたいと思う。

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まずはざっくりしたところから言うとラテと過ごした15年間そのものの思い出はオトーサンの人生の後半において最も貴重な宝物となった。
可愛くて愛しくて仕方がなかったことは勿論、雨の日も雪の日も欠かさず散歩に出る辛さはこれまたなかなかに大変なことだったが、単なる使命感といったものだけではなくラテと何かを共有するそのことがオトーサンの喜びだったのだ。

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勿論、楽しいことばかりではなかった。特に晩年は足腰が思うように利かなくなったことでもありオトーサンの力業でなんとか外に出られるといった有様だったし、首に出来た腺腫が破裂してあたり一面殺人現場みたいになったこともあった。
オトーサン自身の手で日々ラテに点滴の針を刺すはめにもなったが、最初の一針はさすがに手が震えたものだ。それでもラテは暴れたり声を上げたりしなかった。
楽しいことも辛いこともいまでは皆良い思い出に昇華した。

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ラテがオトーサンに残してくれた具体的な宝物としてはそれまで挨拶さえおぼつかないであろう方々とお付き合いができたということだろう。
事実ワンコを連れているとさまざまな方とお話しする機会が増える。特にラテが公園デビューしてこの方、そこに集う飼い主さんたち…ビーグル犬のハリーちゃん、雑種のマキちゃん、ボーダーコリーのボーちゃん、ボストンテリアのボビーちゃん、黒柴のクロちゃん、コーギー犬のアポロちゃんなどの飼い主さんらとのひとときの交流はオトーサンに多大な喜びを与えてくれた。

そうした中、現在でもときにメールなどで情報をいただく方もいるし、今年の1月にはハリーちゃんの飼い主さんのお子さん(出会ったときは小学生)といっても現在は小学校の先生から6年生98名を前に講演を依頼された。
それもこれもラテがいたからこそのご縁である。

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またなによりも近隣のKファミリーと家族ぐるみのお付き合いをさせていただくことになったことは普段人付き合いの無いオトーサンにとってはなによりも嬉しいことである。それもこの地に引っ越ししてきた当初に当時幼稚園の年長組だったKファミリーの長女Nちゃんと出会い、ラテを可愛がって下さりラテも多くのお子さんたちの中で特にNちゃんが好きだったことがきっかけでそのオカーサンと知り合うことになった…。

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ラテの置き土産は実に大きく偉大であった。いつまでもメソメソしているつもりはないが、近隣のどこを歩いてもその時々のラテのアイコンタクトの視線を感じ、ラテの様子を思い出してしまうのだ。
したがってこの15年という長い間、もしラテがいなかったらオトーサンの今はどうなっていたのか…を想像すると脇の下を冷風が通り抜けるような気がするほど薄寒く味気ないものになっていたに違いない。
ラテにはほんと、感謝感謝なのだ。




ラテ飼育格闘日記_842

毎朝オトーサンはラテの慰霊に新しい水と花を添えつつ「おはよう、ラテ。今日も宜しくなっ」といった風に声をかける。そこにはいまだ納骨していない遺骨があるので文字通りラテに語りかけていることになる。


さて、ワンコは飼い主に似る...とよく言われる。毎日一緒に生活しているのだから、ワンコが飼い主の行動パターンや性格を自然に身につけていくのも当然かも知れない。

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ともあれラテは好き嫌いが激しく、メスなのに人間は女性好きだ。それも年寄りでは無く若い女性が好みだ…。女房に言わせればそうした点はオトーサンの気質そのもので、きっとラテはそれを察知した上での行動なんでは…と主張(笑)。

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まあそれはないと思うけれど、ワンコは思った以上に飼い主の言動を常に注視していると思われる。だから自然に飼い主の日常を反映した性格になっていくのかも知れない。
そういえば、ワンコ好きだった作家コナン・ドイルはその代表作品であるシャーロック・ホームズに「犬はその家の生活を反映する。陰気な家には陽気にじゃれつく犬はいないし、明るい家庭には、悲しそうな犬はいない。がみがみどなる飼い主には、歯をむきだしてうなる犬、危険な人間には危険な犬がつきものだ」と「這う男」の中で言わせている。オトーサンはそれって真実だと思っている。

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だから初対面のワンコと挨拶するとき、ワンコ以前にリードを持っている飼い主さんを観察する癖がついた。事実こちらが挨拶の言葉をかけてもろくな反応もせず、失礼ながら無愛想な飼い主さんのワンコにはなるべくラテを近づけさせないようにしていたのも事実。
結局近所に住んでいるのに一度もまともな会話をしたことのない飼い主さんもいた(笑)。

ではオトーサンという飼い主とそれこそ15年以上ものあいだ、日々24時間一緒にいたラテはどのような性格のワンコに育ったのか…。まあオトーサンはあまりに身近なので逆に正確な観察はできないのかも知れないが、そもそもラテは気質から飼い主に対してもベタベタしたり、飼い主の後を追い回すといった類のワンコではなかった。

寝るときも最初からラテは我々夫婦とは離れた場所で寝かすようにしていたこともあるからか後年になってもオトーサンが寝ている布団に入り込んでくるといった行動はしたことがない。YouTubeなどを見ていると大型犬でも飼い主に頬を寄せたり、体をぶつけてくるワンコが多々いるが、それらを見ていると些か羨ましくなるほどラテはクールなワンコだったといえる。

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しかし親バカではあるが、ラテは非常に利口なワンコだったしラテなりにオトーサンたちに対して愛情表現を向けてくれたことは確かだ。いや、女房にたいしては口元を舐めたりと正しく愛情表現だったがオトーサンに対しては慣れれば慣れるほど口元を舐めに来る…といったことは残念ながらなかった。
女房が「オトーサンが寂しがってるよ。チューしてやりな…」などと仰ぐとラテは一応私に顔を近づけに来るものの、後1センチといったところで体を捻るようにしてチューを回避するのが常だった(笑)。

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ただし写真や動画の数が証明しているが実に抱っこの機会が多かった。それもオトーサンが抱っこしてあげようとアクションを起こすのではなく、水たまりがあるから、苦手のワンコが近づいて来たから、怖いことがあるから、そして足が痛かったり疲れたから…などなどラテの方からオトーサンに抱っこを迫った。
だからオトーサンにはチューの思い出はほとんどないが、ラテを抱っこしたその重みやボリューム、暖かさや体毛の感触と臭いなどなどがいまでもありありと感じられるのである。



ラテ飼育格闘日記_841

ラテが亡くなってからすでに一年二ヶ月が経つ…。ちょうどこの原稿を書き始めたのは5月6日なのでいわゆる月命日でもあるが、今さらながらラテという娘を失ったことはオトーサンの心の中で忘れるどころか日増しに悲しみが大きくなっていく…。


ラテを我が家に迎えるとき「家族として迎えよう」とは思ったが正直それがどういうことなのか、よく分かっていなかったことは確かだ。

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無論ワンコを飼うことにどのような覚悟が必要なのかは理解していた。毎日散歩させなければならないし排泄の後始末は勿論、朝夕の食事の世話もオトーサンが行うことに決めていた。しかし無知だったのは子犬がどれほど活発でヤンチャなのかは実際にラテと暮らしてみるまでは分からなかったし最初に困ったのは甘噛みだった。

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子犬とはそういうものらしいが、我が事になれば理屈を「はいそうですか」と容認できるはずもない。なにしろオトーサンの両腕はラテの歯が当たって傷だらけとなった。さすがに本気で噛むことはしないがマズルをオトーサンの腕に当ててきたり、拳固を突き出せば「ぱくり」と大口開けて咥えようとするわけであっというまに傷だらけになり時には出血もする。

甘噛みの時期に玩具として有用だといわれる少々大きめのガムなども与えてみたが、困ったことに我が娘はそうした物より、日常生活品の方が好みのようで特に木製のものは無残なことになり、一時はフローリングの床にまで歯を立てた。
ただしラテの名誉のために申し上げておくと、15年にもわたる日々一緒の生活においてオトーサンは一度も噛まれたことはない…。夢中になって歯を当てた瞬間「あっ、しまった!」といった感じの表情で飛び退いたものだった。

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ともあれ、それまでまったく経験がなかったオトーサンが朝昼晩と3回の散歩と就寝前の排泄のための外出を実行し、朝夕のご飯の支度をやり始めたのだからいやはや大変だった。というより夢中だったので細かなことは覚えていないのだが(笑)。
そんな状況を一ヶ月ほど続けた翌月(2007年1月21日)のことだが、オトーサンは一人札幌に飛んだ…。会社時代のスタッフの結婚式だというので久しぶりに一泊で出かけることになったが、心配は無論ラテのことだった。

世話そのこと自体は女房が休みを取ってくれたのでラテがひとりぼっちになる訳ではなかったが、女房自体もオトーサンよりもっとラテの扱いに慣れていなかった訳だから正直心配で心配でならなかった。
結婚式に参列した後、いそいそと帰路についたが特に問題はないことを女房から連絡を受けていたこともあって安堵していたオトーサンだが、いまひとつの危惧は戻っても果たしてラテはオトーサンのことを歓迎してくれるかどうかだった(笑)。

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たった一日留守にしただけではあるが、ラテはそのことをどう思っているのか、どう理解をしているのかが心配だった。
ラテが雨の日にとある家の軒下で保護されたことは度々記したが、その経緯は残念ながら我々には分からない。しかし生後3ヶ月ほどの子犬が飼い主のエリアを大きく逸脱し一匹で歩き回るというのも変だしやはり何らかの事情で捨てられたのだろうとも考えていた。

事実ラテもそうしたことがある種のトラウマになっていた感じで、例えば散歩の途中でオトーサンが両手を使いたいからと側の手すりなどにラテのリードを繋ぐと嫌だと吠え出す…。また常にリードは離さなかったが、とある四方が完全に囲まれているテニスコートでラテのリードを離してもオトーサンとの距離5メートルほど以上は離れないのだ。

日常の分離不安といったものは克服していたが、やはり飼い主と離れるのは大きな不安を感じていたであろうラテだったからこそ心配していたのだ。
オトーサンが戻ってきた時間はまだ日の高いうちだったこともあり、近隣のTULLY’Sまで女房がラテを連れて向かえにきてくれた。

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そのシーンはいまだに覚えているし忘れられないが、オトーサンの姿を見つけたラテはリードを引きつつその場に座り込むようにしたオトーサンに向かって突進してきただけでなく前年の11月にはじめてラテと対面したときを思い起こすようにオトーサンの膝に前脚を乗せながらオトーサンの顔をベロベロに舐め回した。そのとき眼鏡をかけていたため、オトーサンの視界はラテの唾液で見えなくなったが、視界が曇ったのは決してラテの唾液だけでなくオトーサン自身の涙のせいでもあった。





ラテ飼育格闘日記_840

犬の寿命が我々人間の寿命より短いのは何故なんだと考えたことはありませんか。無論オトーサンだって長い短いはともかくもやがてラテも全ての生き物と同じように旅の終わりを迎えることは知っていた。しかし "たかだかワンコ" だというのにラテの死がこれほどオトーサンを深く打ちのめすとは思わなかった…。


このことはオトーサン自身が驚いている。まるでラテの死と一緒にオトーサンの長い人生の歳月まで失ってしまった感じなのだから。

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ときにオトーサンの言うことを聞かず、我が儘なワンコだったラテ。しかし彼女が逝ってしまった後、オトーサンがどれほど深く悲しんでいるのか、辛い思いをしているのかをラテが知らずに済んだことは幸いだった…。

普段はオトーサンの存在などまるで空気のようにしか考えていないフシもあったが、いざ怖い目にあったり嫌な目にあうと抱っこを要求するラテだった。

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あの3月11日の大地震の日も揺れと同時にオトーサンはラテにリードを着け玄関のドアを半開きにしたままその間にラテと立ちすくんでいた。いつものように暫くしたら揺れは収まるだろうと思っていたが揺れは一層激しくなってくる。

戸建ての家はどこからか「ピシッ」といった音がし始め、オトーサンは家が崩れてきたら外に飛び出そう、それ以外は電柱が倒れてくるかも知れないし不用意に外に飛び出さないようにと、どちらにも対応できるようにラテと怯えながらも身構えていた。
気がつくとラテは靴を履いたオトーサンの片足に自分の前足1本を乗せ、体をオトーサンの足に寄せているのがわかった。

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尋常でない揺れと共にもしかしたらオトーサンの緊張が伝わったのかラテも怯えているのがわかった。「大丈夫だよラテ、一緒にいるからね」と激しい揺れにもかかわらずラテを愛しくその胴体に腕を回した思い出がある。
要は普段は無関心のようだが、いざとなれば飼い主のオトーサンを頼りにするしかないのがラテの宿命ではあるものの普段見せない態度にオトーサンはうるっと来たのだった。

それにこちらが思っている以上にラテはオトーサンや女房の言動に注視していることもわかる。女房が泣き真似をすればすぐに飛んできて口元を舐めに行く。
言葉は話せないし我々と同じ感情の表現はできないものの、ラテは我々の言うことをわかっているしその意図も理解しているように思えた。

そんなラテだが…そんなラテを残して万一オトーサンが先に死んだらラテはどうするだろうか。いなくなったことは理解できても、しばらくすれば姿を現すかも知れないと心を痛めながら待つのではないか。まさか、さすがに死というものを理解するのは無理だろうから。
有名な忠犬ハチ公の物語を持ち出すまでもなく、YouTubeなどにも最後に飼い主に会った場所に毎日出かけていきその姿を探すワンコといった話しは少なくない。

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オトーサンはどうしたのか?どうして姿を見せないのか?いつ戻ってくるのか?などなどきっとラテなりの考え方で日々悲しむに違いない。もしかしたらオトーサンに嫌われ捨てられたのか…とも思うのかも。
そんなことを想像するに、オトーサンは相変わらず泣きながらではあるが「ラテ…お前が死んだのは悲しいがオトーサンより先に死んでくれてよかったんだ」と思うようにもなってきた。

ラテが居ないのは悲しいし寂しいが、オトーサンはなぜラテが居なくなったのかは理解できる。そしてラテの慰霊に毎日手を合わせ、声をかけることができるが、もしこれが反対だったならきっとラテはその命がつきるまで心のどこかでオトーサンの帰りを待ち続け、悲しむに違いない。

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なにしろ15年と3ヶ月もの間、寝起きを共にし家族として慈しんできたラテだから、そのラテに必要以上の悲しみを感じ続けて欲しくないではないか。

飼い主のことは勿論、愛してくれた人間を忘れないだけでなく思いやり深いのがワンコの特徴でもある。だからきっと万物を作られた神は人の寿命よりワンコの寿命を4倍近くも短命に定めたのかも知れない。飼い主より長生きしないようにと…。



ラテ飼育格闘日記_839

オトーサンが毎日朝起きるとまずはラテの慰霊に「ラテ、おはよう。今日もいい子でなっ」などと声をかけてコップの水を取り替えるという毎日だ。ラテの姿は見えないがそこに腹ばいになっているかのように「これからオトーサンたちのご飯だ。おいで…」などとも声をかける。


バカらしいと笑われようが、それだけオトーサンの心の中にはいまだにラテの生々しい姿が生きづいているのだから仕方がない。
ワンコの飼い方にも飼い主の都合や考え方によりそれこそ様々なバターンがあるだろう。大別すれば「外飼い」と「室内飼い」ということになるか…。

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ともあれ戸建てにしろマンション住まいにせよオトーサンたちにとってラテを家族に迎えるにあたり、当然室内飼いとして考えていたし事実その形を最後まで貫いた。まあベランダに犬小屋を作って…という例もあるそうだが、何しろオトーサンたちはラテを飼うために埼玉から多摩の地に引っ越し、それに相応しいであろう住居も探したのだ。

最初は二戸が繋がっている戸建て形式の賃貸住宅だった。二階建てだったことでもあり一階のリビングすべてはラテのテリトリーとして解放した。広さは8畳程度はあったはずだ。
物の本によればワンコにとって広いエリアは落ち着かないとあったが、そこの窓際に排泄シートとクレートを置き、常に新鮮な水を補給しておくことに注視した。

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※ビーグル犬のハリーちゃん、コーギー犬アポロちゃんと


ただしリビングからキッチンに至る箇所には柵を置き、普通はリビングから出られないようにしていた。そして二階および其処に至る階段は使用禁止とした。
ひとつには狭い急勾配の階段はワンコ、特に子犬にとって簡単に登れるものではなかったし上り下りさせると足腰に負担がかかると物の本にも書いてあったからだ。

また当初はすべておいてワンコを飼うと言うことがどのようなことなのかについて経験が無かったから、室内を綺麗にするという意味においてもラテの入室を禁止するエリアがあった方が良かろうと考えていた。したがって日中はもとより夜寝る際にもラテは一階のクレートに入り寝ることにしていたし、我々夫婦は二階で寝ていた。

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※時に激しい遊び方も…


ただしご想像いただける通り、いつもいつもラテが大人しく一人で寝るとは限らず、寂しいのか不安なのか…鳴き声を上げることがあるとオトーサンは昼夜に限らず二階から階段を降りてラテの様子を覗きに行くこととなる。とにかくラテのテリトリーの範囲には危険な物は置かないようにしていたが、物音を立てたり声を上げればやはり気になるので実際にはかなりの頻度でオトーサンは階段の上り下りをするはめになり、事実そのために左膝を痛めてしまってこともあった。

ということで当時すでにオトーサンは退職の身であり、昔の仲間や知人たちからの仕事の依頼にしても特別の場合を除いて自宅でやっていたので文字通りラテとは24時間常に同一空間で生活していた。ただしそれだけに当初心配したことのひとつに「分離不安」があった。

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※落ちていたフリスビーを大切に咥えて公園まで持ち込もうとする


飼い主と離れて過ごす不安から、精神的・肉体的に不調になり、そのストレスが原因で様々な問題行動を起こしてしまう状態を「分離不安症」や「分離不安障害」と言うそうだが、ときに食欲が低下し、下痢や嘔吐をするだけでなく部屋の中を荒らして物を壊したり自分の肉球などを囓る…などなどといった問題を起こすという。

特にラテはそもそもが保護犬であり、捨てられたのか迷子になったのかはともかく新たな飼い主として巡り会ったオトーサンたちの動向には敏感だった。
推察するに散歩中に念のためとどこかの手すりにリードを繋げたりすると異常に不安を見せるワンコだった。また捨てられるのか…と心配になるのかも知れない。
そこで家族に迎入れた最初期から分離不安に対する訓練をすることにした。

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※散歩途中の拾い食いも多く、マズルをこじ開けて吐き出させるのに苦労した


訓練というと大げだが、要はオトーサンが玄関のドアを開けて外に出ても必ず戻ってくると信じ込ませるわけだ。その具体的な方法は物の本にも書いてあった。
ラテの注意を引いた後にオトーサンは玄関のドアを開け「ラテ、行ってくるよ」と声をかけてドアを閉める。最初は15秒程度の短い時間でドアを開けて「ただいま」と室内に入る。無論ラテは猛烈に吠えた…。

それが次第に30秒、一分、五分と少しずつ繰り返しながら不在の時間を延ばしていくというやり方だ。
結果だが、ラテはオトーサンは戻ってくる事を学習し安心ようで、後を追ったり吠えたりはしなくなった。しかし「必ず戻ってくる」という信頼も度を超すと飼い主にとって面白くないことになった。なにしろ四歳とか五歳頃になると例えば数時間留守にして戻り、玄関のドアを開け「ラテ、帰って来たよ」と声をかけても、リビングに腹這いになっているラテは起き上がる気配もなく、ましてや顔をこちらに向けることもなく平然としているではないか。これまたオトーサンとしては少々寂しいものがある(笑)。



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プロフィール

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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員