2023年3月6日はラテの一周忌だった。今回の日記にはラテ最後の様子を書こうと思っていたが…やめた。読んでくださる方々にとってもよき話しではないしオトーサンにとっても何度思い返しても悲しみしか湧いてこない出来事だからだ。
ただし15年連れ添ったラテには感謝の気持ちで一杯だ。だから今後も折に触れてこの日記を綴るとすればなるべくラテとの楽しい思い出をと考えた…。

※最晩年の表情
さて、ラテは保護犬であった。2006年のこと雨の日、茨城県のとある家の軒下で保護された。推定生後3ヶ月だと病院で言われたという。そしてボランティアで犬猫の保護活動をしている方に依託され先住犬と老ネコの中で温かく迎えられ、新しい飼い主を探すべく里親会などに連れて行かれることになった。

※おむつ姿で甘えてます
オトーサンたちとラテ(その際に付けられた仮の名はカンナといった)が会ったのがラテにとって何度目の里親会だったのかは知らない。9月に保護されたというし、オトーサンたちと出会った里親会は11月だったからもしかしたら始めての里親会だったのかも知れない。
ともあれその日の事はこの日記にも何度も書いたが、正直オトーサンにとって特別えり好みするほどの知識も了見もなく、ただ初めての飼い犬として飼いやすいワンコであればなんでもよかった…。
キャバリエに目が映ったがすでに申込者がいた。しかしその場の雰囲気に飲まれ初めての体験でもあり、さてどうするかはオトーサン自身も分からないでいたもののそのとき「すみません。この子のリードを少し持っていてくれませんか」と係りの方に頼まれ、子犬に相応しくないように思う太めのリードを渡された。
そのワンコがラテだったのだ。

※襖の間からこちらの様子を覗き込む…
ワンコにこれほどまでに接近しその体に手を回したのはたぶん始めての体験ではなかったか。したがってどう扱って良いか、どう扱うべきかもわからなった。そしてラテのリードを保持しつつも周りを走り回る幾多のワンコの中からお気に入りを探していたのだった。
しかしあれよあれよという間にワンコたちの里親が決まっていく…。それも雑種ながらキャバリエとかダックスといった姿のワンコは決まるのが早かったが見るからに雑種のワンコは次第に取り残されていった。
その間のラテの行動はいくら語っても語り尽くせぬような気がするほど積極的だったしかつ大人しかった。矛盾するようだが、他のワンコたちとは違い吠えもせず粗相もせず走り出そうとせずじっとオトーサンたちの足元に座り込んでいた。
ただ、ラテの関心事はオトーサンにあったようだ。無論初対面の、それも飼い主と決まった訳でも無いオトーサンの顔を舐め続けただけでなくオトーサンの被っていたキャップを唾液だらけになるほど咥えていた。いま思えばまるで「このまま連れて行ってくれるんでしょ?」とでもいうような積極的な態度だった。

※若い時にはストーブに近づくこともなかったが最晩年はヨタヨタと近寄ることが多くなった
そういえば先日インスタで印象的なワンコの動画を見て目頭が熱くなった。それはキャプションによれば保護施設で新しい飼い主が決まったばかりのワンコが新しい飼い主の男性にしがみつくようにし、かつその視線を新しい飼い主に注いだまま動かないのだ。その姿は「引き取ってくれてありがとう」と訴え信頼を示しているように思えた。
ラテもそのとき推定生後5ヶ月だったが、些か行動は違えど精一杯の思いをオトーサンたちに訴えていたように思える。ただしオトーサンがそれに気づいたのはかなり後になってからだ。犬を飼いたいと奔走し結局里親会に参加させていただいものの、ワンコの気持ちがどうのこうのと考える余裕がなかった。ただただ一方的に気に入るワンコがいればいいなあという思いだけだった。

※家族になって1ヶ月、はじめての美容室で綺麗になった
しかしこれまた何度も書くがラテ側の思いは本能的に切実だったに違いない。ワンコには己の置かれた状況を理解するだけでなく希望や絶望を感じる高度な感情があることは前記した動画の例などでも理解できる。ラテはきっと生き残るために思いの全てをオトーサンの顔を舐めることで表現したに違いない。何故って…それ以降その時ほどラテが積極的にオトーサンの顔を舐めてくれたことはないのだから(笑)。
でも、オトーサンたちはラテを選んだことを心から喜んでいるし、ラテにとっても同じであったことを祈っている。
本原稿をアップするのは3月4日だから、一年前のこととはいえこの二日後にラテが亡くなる…。勿論その時には思いもよらないことでラテの容体を心配しつつも介護を続けていたわけだ。
こうして虹の橋を渡ってから一年もラテの思い出を探りながら写真を探すことを続けてきたがオトーサンたちにとってラテは益々かけがえのない家族だったことに思いはつのる…。

よく「ラテはどんな性格のワンコなのか?」とは生前も聞かれることはあったが正直オトーサンにも明確な説明はできなかった。
ただし親バカを承知で申し上げるならかなり利口なワンコだったとは断言できる。まあ一概に他のワンコと比べることができる問題ではないから曖昧にならざるを得ないが、エピソード記憶の保持というべきか…以前の出来事はかなり長い間記憶に留めていることは明らかだった。
確かに初対面の大人には警戒心が強く吠えたし、ワンコ同士にしても好き嫌いが激しいように思えた。しかしそれは自己を守るという本能からくることで決して攻撃性を持っていたわけでも無く、どちらかといえば特に人間に対してはフレンドリーなワンコだったといえる。
動物病院の院長からも、一般的にワンコは子供には警戒を示すものだがラテちゃんは初対面の子供にもフレンドリーなのだから珍しい…と言われた。
またあくまで人間側の見方ではあるが、不思議なほどの優しさを見せるときがいくつかあった。

※寝姿はまた特別に愛しい
例えば当時広い公園で多くのワンコと飼い主さんたちが集まっていたが、ラテが遊ぶワンコは限られていたし、必然的にワンコ同士が遊べないとその飼い主さんとも親交を深める機会は無かった。
そうした中にコーギー犬のプリンちゃんというワンコがいた。甲高い声を上げながら鼻先でボールをリフティングしながら遊ぶワンコだったが年齢的にもかなり先輩だったからかラテはプリンちゃんが苦手だった。
一緒に遊ぶことも無かったし一時期、その公園に入る直前にプリンちゃんの声が聞こえると踵を返すラテだった(笑)。したがってその飼い主さんとも挨拶をする程度の付き合いしかなかった。
後年プリンちゃんは後ろ足が動かなくなり車椅子やカートに乗って公園に来ていたがあるとき飼い主さん一人の姿が目立った。
聞けば「プーは亡くなりました」と飼い主さんはつとめて明るく言われたが、そのとき不思議なことが起こった。
ラテがその飼い主さんの足元に近づいただけでなく顔を見上げた後にその足元に蹲ったのだった。無論初めての出来事だった。
プリンちゃんの飼い主さんは「ラテ、お前…慰めてくれるのか? お利口だねえ」と頭を撫でてくれた…。

※コーギー犬プリンちゃんとその飼い主さん
同じ事はその数年後にも起こった。
ダックスフントの飼い主さんが一人で公園のベンチに座っていた。これまでも同じシーンは数え切れないほどあったがいつもは飼い犬がその廻りを歩き回っていたこともあり、ラテが近づくことはなかった。
しかしオトーサンは数日前にそのダックスフントが亡くなったという話しをどこからか聞いていたこともあってラテのリードを捌きながら飼い主さんに近づき挨拶とお悔やみの言葉を申し上げた。
するとラテは突然、ベンチに座っている飼い主さんめがけて遊びのボーズを取りながらまるで慰めているように足元に近づき臭いを嗅ぎ、お尻を飼い主さんの両足の間に置くようにして座った。
そして初めてだったがラテの頭を撫でてくれた飼い主さんに対しても吠え声を上げなかった。

※亡くなったダックスの飼い主さんに近づき遊びのポーズを取るラテ
ワンコに限らず、動物には生死感はなく、ましてや死に対する配慮などあり得ないいうのが定説のようだが、オトーサンには形は…感じ方は我々人間とは違うだろうがこれまで存在していたワンコがいなくなったことの気付きと共に何らかの感情が表れているように思えてならない。
そのラテ当人が2022年3月6日朝に亡くなったわけだが、ラテ本人がどのような思いを持ってその場に臨んでいたかを想像するだけでオトーサンは涙を禁じ得ない。

※ラテが亡くなる三日前、カートで公園に連れて行ったがすでに立ち上がることもできなかった…
しかし月並みだと笑われようが、オトーサンたちにとってのラテはいまも「生きている」。姿はないが、そこにいつものように寝そべっているからとオトーサンはリビングに至る戸はいつも少し開けている。
その理由だが、ラテは必ず鼻面でその隙間を突いてドアを開け、オトーサンたちの様子を見に来るからだ。
こうして多々一年前の記録を振り返り、写真を選別していると実に辛い…。時期的にラテの死が近づいているからだ。リアルタイムでは無論そんなことは分からずただただ一日でも長くラテと一緒にいたいという願いだけで介護を続けていたのだが…。

この頃は幸いというか自力で立ち上がり、ドッグフードと牛乳をきちんと食べていたから点滴はまぬがれていた。しかし日常その魅力的だった両眼は力なく閉じられていることが多かったものの、ときに思い出したようにオトーサンたちのいる場所に様子を伺うように歩いてくることがあった。

※女房の様子を見によたよたと出て来た
また相変わらず首の腺腫からの出血もあり、包帯は欠かせないでいたからさぞや鬱陶しかったに違いないがそれをふるい落とす力もないようだった。
ただし室内をときによたよたと歩くことがあるものの、通常の散歩ができるはずもなく、カートで公園に連れて行ったり、排泄目的だけのときにはボディを吊る下げる治具をつけ、オトーサンが引っ張り上げる形で外に連れ出していた。
あれだけ歩くのが好きで散歩から帰るのを拒否していたラテがまともな散歩すらできない現実をどう感じていたのか、それを考えるとラテの体重を右手一本に支えているオトーサンはいつも涙ぐんでいた。
そんなわけで散歩というか外にいる時間は僅かだったが、自宅に戻れば四つ脚を綺麗に拭き、体もブラッシングを欠かさなかったしお尻のメンテはもとより首の包帯を取り替え、ときに左右の腰にできた床擦れの手当と老犬の介護は大変だった。

※この頃の表情は実に穏やかで幼く忘れられない…
一番辛かったのは夜泣きが多くなり、オトーサンたちもまともな睡眠を取れなくなっていたことだ。ときに女房が起きて様子を見に行くこともあったが仕事に行かなければならず睡眠不足は冗談ではなく命取りの恐れもあり、できるだけオトーサンがラテのケアをするつもりでいたがときに起きたくても起きられないのには困った。
しかしある時期から考え方を変えた…。確かに辛いが、希望はともかくこの状態が半年続くとは思えなかったから、この大変で辛いあれこれもラテが生きていればこそだと…。

※カートで公園に連れていっても立っているのがやっとで歩くことができないでいた
ともかく元気な時には夜泣きなどまったくなかったラテだが、辛いのかあるいは心細いのか真夜中に声をあげるとマンションなので廻りに気を使わざるを得ない。
幸い我々の部屋は特別な構造というか、作りのおかげで直接声が響くとすれば上階のお宅だったのである日その上階の方に事情を話し迷惑をかけるがしばしお許し願いたいと申し出た。そのご家庭もワンコを飼っていたからか「まったく気になりませんよ」とおっしゃっていただけたのは有り難かった。
ということでオトーサンたちはラテを決して粗略に扱ったことはなく心から愛していたが、ラテが亡くなってみると「あのとき、もっとこうしてあげたらよかった」とか「もっとやり方があったではないか」といった自責の念も湧いてくる。
今一度タイムマシンであのときに戻りたいとは思わないが、もしそんなことがあったらいま少しよい接し方があったのではないかと今でも考えるときがある。

※オムツはしているものの外で排泄したいからとまともに歩けない体で玄関のドアに頭を付けるラテ
オトーサンの両手はいまでもラテの体のボリュームや暖かさ、重さを覚えているし抱っこしたときのラテの頬の感触も忘れられない。
他のワンコたちと比較すると決して飼い主だからといって特別ベタベタするワンコではなかったが、ラテなりの愛情を振りまいてくれたことは間違いなく、ラテなくしてこの16年間はあり得ないと思うほど大きな存在だった。
今年三月六日は早くもラテの一周忌。約一年前の様子を振り返っているが…。さて、首の腺腫の破裂はラテにとってかなり辛かったに違いない。痛かったのか、痒かったのか、あるいはうっとうしかったのかはわからないが、命が尽きる寸前だったことでもあり余計なアクシデントを抱えてしまったことになった。

そういえば散歩は相変わらずカートに乗せて公園に連れて行っていた。この頃はなんとか立って歩けるまでになっていたのでオムツをして出かけ、公園に着きカートから降ろすとオムツを取る。すると待ってましたとばかり排泄してくれるので後始末の後、またオムツをはかせるといった具合だ。
ただ大好きな公園だったにせよ広く歩き回ることはすでにできなかった…。
室内にいるときはそのほとんどは寝ていたが、気分が良いときは自力でオトーサンたちのいる場所へ様子を見に来たかのような笑顔で現れることもあった。

オトーサンたちはこの状態がいつまでも続くことを願ったが現実を考えると厳しい状態だった。医者からも老衰なので回復は見込めないと言われていたし…。
しかし2月(2022年)に入っても食事は自力で立ち上がり差し出した量を完食していたから、すぐにまた寝たきりになるとは思わなかったし、是非一日でも多くこの状態が続いてくれればよしとオトーサンたちは考えていた。

無論現実はオトーサンたちにも大きな負担がかかっていたことも事実だ。
いわゆる医療費は当然まとまった額になるわけだし、散歩に連れて行くにもオトーサンの腕力を必要とする場面も多く、オトーサンの右肩はすでにパンパンだった。

例え立つことができてもそれは散歩にはならない。オトーサンがラテを吊り上げるようにしつつ、時には少し引きずるようにもしながら少しずつ移動し始めるとラテは四つ脚を動かし始め、10数メートル先から戻るときには行きよりは足が動く…といった感じだった。
またカートにしても我々の住むマンションはいわゆるバリアフリーではないため、カートを道路まで運ぶには数段だとしても階段を経なければならかったりとそれなりに大変だったのである。そして左右の腰には床擦れもあり、これまた自由に寝返りを打つこともできなかったから深夜でも声を上げることの頻度も多く、すでにオトーサンたちは睡眠不足だった。
そうそう、首の傷だが単に出血だけならともかく、膿や血の塊と言った物まで傷口が大きくなると飛び出してくることになる。一度などは包帯を取り替える時、ラテがブルブルと首を振ったがため周りに血が飛び散って悲惨な事故現場みたいになったりもした。
なんとか周りを掃除しきれいにしてから医者に連れて行った。そこでは破裂した腺腫からの出血を止めるのではなく、悪い血なので出るものは出してしまおうと医者が2人がかりで絞り出すようにしてくれたが、これで大分膨らみが小さくなりラテも多少は楽になったに違いない。
動物病院の医者といえばラテ末期は随分とお世話になった。幸い極近所でもあり症状を訴えてこれから伺うと言うとときわざわざ迎えに来てくれてラテを抱いたまま病院へ連れて行ってくれたりもした。最初の点滴の際にも往診していただいたし、症状が思わしくないときには病院が休みの日にも対応してくれた。
思えばラテのお陰で沢山の方々と交流する機会を得たし、その中でもKファミリーの方々には今でも家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。ラテの存在なくしてはあり得ないことだ…。
そういえば先日、とある小学校に出向き6年生98名を前にして講義というか授業をしてきた。そのことについての詳細は別途「小学校で講義してきました!」という記事を載せたので興味のある方は覗いてみていただきたいが、そうしたことが実現したのもラテあってこそのワンコの縁だったのである。

ラテが公園デビューした2007年初頭から、ビーグル犬のハリーちゃんという活発なワンコがいたが、好き嫌いの激しいラテもハリーちゃんには心を許したようで仲良く駆けずり回るだけでなくペットボトルの小さな飲み口から落ちる水を一緒に飲むなど仲良くしていた。
そして必然的にハリーちゃんの飼い主さんのオカーサンとは会話する機会が増えたし、その小学生男子のお子さんは常に沢山のワンコに囲まれていた。

その男子が実はいま、小学校の教師をされていることは知っていたが先日電話をいただき子供たちへの講義の依頼をいただいたのだ。いわば、ラテが取り持つ嬉しいご縁がオトーサンをその小学校へと導いたのである。その際オトーサンの胸にはラテの遺骨の小さな破片が入っているペンダントがあったが、きっと…可愛がっていただいたO先生との再会を喜んでくれたに違いない。
オトーサンには奇跡が起こったとしか思えなかった。足腰は立たず排泄もオムツに依存せざるを得なくなり、食べ物は受け付けず毎日点滴が命の糧となっていたラテが突然牛乳に浸したドッグフードを食べ始めたのだ…。
無論、だからといってこのままもとの元気なワンコになり、公園を駆けずり回れるとは思わなかったが一時は寝たまま…このまま最後を迎えるのでは無いかと覚悟もしていたのでオトーサンたちは驚喜したのだ。何よりもラテ自身、もっと生きたかったに違いない。

※自分のベットから掛けた毛布をそのままにリビングに顔を出した
やはり食欲は命にとって生命線であり、食べ始めてから1週間も経つと両目にも弱々しくも力がみなぎり、よたよたとしながらも自分の意志で移動できるようにまでなったのだ。そして笑顔を見せるようになったなっただけでなく、驚いたことにボール遊びまで始めた。
当然若い頃の動きは出来るはずも無いが、ボールを追ったり、ボールを咥えて楽しそうな表情を浮かべた。

※一時は簡単なボール遊びもするまでになった
ただしそのまま激寒の中、外に散歩へ行くには無理があった。いろいろと試行錯誤もしたが歩き回れないにしても外の空気は感じさせたかったしなによりもおかしな事にラテ自身、排泄はオムツで無く外でやりたいことは明白だった…。
まあ単に「綺麗好きワンコ」などということではなく、オムツをしたままの排泄は自身気持ちが悪かったに違いない。
その証拠というと大げさだが、散歩の時間でなくてもよたよたと立ち上がり、玄関まで進み、そこでしばし立ち止まる。そのサインを見逃さずにオトーサンが急遽支度し、ラテを引っ張り上げるようにして外に連れ出し急いでオムツを取り払うとそこで排泄をするのだ。
しかし間に合わなければ玄関のドアに頭をぶつけるようにして仕方なくオムツのままして「ピーピー」と鳴く。早く処置をしてくれという合図であり、出来ることなら外に出たいという欲求はひしひしと伝わってきた。

※ラテをカートに乗せて公園へ…
ということで排泄はともかく少しでも馴染みの公園の空気に触れさせたいとカートを買うことにした。大型犬用のカートだったが、これなら公園程度であれば比較的容易に行き来が出来る。公園に入ったらカートからラテを出してしばし地面の感覚をその四つ脚に味合わせたり、その場にいた馴染みの子供たちに撫でてもらったりも出来た。

※公園でKファミリーの皆さんにご挨拶できた
カートの中でも無論基本はオムツのままだが、ときに外すとテも嬉しそうだった。しかしオトーサン自身にも問題が生じた。
それは心房細動の疑いだ。ために女房が仕事を休みの時を狙い大学病院へ精密検査をしにいったりと心配は尽きなかった…。
2月に入るといまひとつラテに異変が起きた。若い時から右首に腺腫とよぶでき物があったが病理検査の結果良性だったこともあり、医者から「痛い思いをさせることはないので放置しておきましょう」とのアドバイスもありそのままとなっていた。
見ればかなり膨らみも大きくなっていたが触るとぶよぶよで呼吸などへの影響も無いとのことだったがある日女房が床などに血が落ちていることに気づいた。

※首に包帯を巻くはめになってしまった!
ただしずっと寝込んでいたため両腰に床擦れもできていたのでそのせいかと思ったが、よく見るとぷよぷよだった腺腫がパンパンに固くなり、きっと気になったラテが爪で引っ掻いたのか、腺腫が破裂しつつ合ったのだった。
というわけで嗚呼…一難去ってまた一難、腰にはオムツ、首には包帯というまあまあ酷い姿になってしまったのだった。