緊急搬送入院闘病記

私は初めて救急搬送され、4月21日から入院となった。病名は急性虫垂炎だった。下っ腹が張り、ときにチクチクしたりも気になったが、吐き気が強くなり最後は呼吸が困難になってきたので一大決心し自分で119へ電話をかけた…。

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※緊急搬送された府中恵仁会病医院


■入院前夜
私は子供の頃から胃腸が弱かった。大人になってからはほとんど意識することはなくなったが、それでも年に数度酷い便秘に悩まされることがある。
4月中旬ころから下腹が張り、重く感じられるようになり「これはまた便秘か…」と思っていた。とはいえ通常は下剤を飲むこと無く時間が経過するうちに解消することがほとんどだが今回はちょっと違っていた。

便秘の苦しさに加え嘔吐感が増してきた。それでも便秘とはそんなものだという先入観もあったから普段の生活を続けていたが18日になり嘔吐感にまたまた息苦しさが加わった…。変だなと思いながらも我慢していたが19日なっても解消せずこれは本格的な下剤が必要ではないかと行きつけのクリニックへ駆け込み下剤を処方してもらった。また万一盲腸ではないかという考えが頭に浮かんだので問うてみたが、数日前にやった血液検査の結果では白血球の値は正常だし…とのこと取り急ぎ下剤を飲んだが効かない。

翌21日の朝は嘔吐感と胸苦しさは相変わらずだったから朝食は前日同様ほとんど食べられなかった。昼前にコンビニへ買い物に行った後息苦しさが急激に増してきた…。
しばし我慢して様子を見ていたが、この日は女房が務めに出ていて万一このまま倒れるようなことになったら命に関わると考えた。そんな時間経過の内にも息苦しさが増し立っていられない。
一大決心し、13時27分に自力で119番に電話した…。

救急車は10分程度で到着するようだからとフラフラの体にむち打って、保険証と財布そしてiPhoneをリュックに放り込み、玄関に出てドアを施錠し、そのまましゃがみ込んで待った。
救急車に乗るのは初めてではないが、自分がそのベッドに寝かされるとは考えたこともなかった。ともかく救急車は確かに10数分で到着し手際よく車内に運び込んでくれ、女房の職場に電話しつつ、反応を見るためだろう名前を聞いたりされる。
保険証を救急隊の方に預けて寝ていたが、最初の病院候補だった永山日医大では断られたらしく結局所沢の恵仁会病院に搬送された。

この恵仁会病院は昨年6月に女房が運び込まれたとき同乗していたので概要は承知していたが自分自身が搬送されるとなると話しは違う。
意識朦朧で確かな記憶はないが、CTスキャンやレントゲンなどの検査の結果、病状は急性虫垂炎だという…。ということで四人部屋の入り口近くのベッドに寝かされた。

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■病院でのあれこれ
正直、病室も明るくなにより看護師の方々の献身的な働きはあらためてこの仕事の大切さと激務であることを実感する毎日だった。
私は今回のような本格的入院は初めてなので他の病院と比較できるわけではない。しかし世辞でなく看護師の人たちの対応は適切でありそして親切だった。
抗生剤のためか、痛みはほぼ消えていたがまだ嘔吐感は残っていたる。これまた投薬と共に胃のレントゲンだけでなく、万一脳に問題があってのことだと大変だからとCTスキャンを撮る。
しかし幸いなことにどちらも問題はないとのことだった。結局嘔吐感の原因は分からず仕舞となったのだが…。

こうして一日が過ぎ、二日が過ぎたが痛みや胸苦しさは解消したものの新たな苦しみを意識せざるを得なくなる。それは空腹感との戦いだった。医者からは "禁食" の指示があり一日三食全てが出ない。無論点滴をしているので空腹で死ぬことはないが(笑)死ぬほど辛い…。

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※4月25日朝に出た最初の食事


禁食は入院してからだけではないのだ。気持ちが悪くて18日からほとんど食事が出来ない状態だったから4月24日時点で一週間経っている。しかし口から入れられるものは水か麦茶だけ。
このまま即身仏として入滅できそうな気持ちなってくる(笑)。
それだけでなく、眠れないのだ…。

ひとつはアイマスクや耳栓といった入院必須アイテムを用意する暇もなく緊急搬送されたためだが日中は部屋の照明は点いたままだ。ベッドに仰向けになると角度的に天井の照明が目に入る。
二つ目は入院患者たちの言動による。
入院した翌日の昼前、なにやら患者の婆ちゃんがナースステーション辺りでわめき騒いでる。病室のドアは開いているしナースステーションも近くだ。ただし入れ歯が外してあるのか、言語が不明瞭でなにを言ってるか半分はわからない。それでも「帰りてえ…帰りていよう」とかは聞き取れたし「ねえ、おねーさん」と看護師に呼びかけているのは分かった。そのうち自分に向き合ってくれないとわかると暴言に変わる。

このコロナ下の入院で家族とも会えず、どのような病気なのかはわからないが寂しいのはよくわかる。だから看護師たちの意識を何とかして自分に向けたいと思っているのに違いない。しかし看護師は激務であり、一人の患者にずっと付き添ってはいられないから暫くすると何やら大声でわめき始め、挙げ句の果て「馬鹿野郎!」と怒鳴る。
問題は声が大きなことと女性特有の甲高い声なので耳について気になってくる。そしてその日の夜10時頃にまたその婆ちゃんの怒号がはじまった。一旦始まると30分は止まらないしその日は明け方まで続いた。
「馬鹿野郎!」の後、少しして「ねえ、オネーサン」と猫なで声をかける。あの婆ちゃんだけでなく入院病棟のほとんどは高齢者なので痴呆症が加わっている者が多いとはいえ、看護師たちの献身的な対応にはホント頭が下がる。
いまはベットに拘束したりはできないから、言われ放題だがその婆ちゃんの介護をし、おむつを取り替えているのだから…私にはできないな…とつくづく思った。

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また別の婆ちゃんの話だが、姿は見えないものの車椅子に乗りどこかへ向かう途中のようだがいきなり「ねえ、あたし殺すの?殺されるの?」と可愛らしい声で問う声が聞こえた。看護師はたぶんに噴き出しながらだと想像したが「殺さないよ!大丈夫、殺さないから安心して」と答えている。

無論入院患者は女性だけではなく1/3ほど男性もいる。これまた高齢者たちだが同じ高齢者として腹が立つほど態度が悪い。「ねえちゃん…」と呼びかけるのはまだしも、常に目上からの言動で嫌みを言う…。
これらの人々がこれまでどのような人生を送ってきたのかは知る由もないが、職場や家族たちへのパワハラも馬鹿にできなかったのではないかと想像してしまった。

■同室の人々
前記したように私は四人部屋に入れられた。私がその内の一人であるからして他のベッドは三つあり、それぞれ何の病気で入院したのか最初はわからなかったがこれまた高齢者だ。ただし他人の歳は判別しにくいから私より年下なのかも知れない…。
ともかくカーテンで仕切られているから普段姿は分からないが、トイレに行くときすれ違いざまにちらりと確認する程度だ。無論?同室の患者と雑談するといった機会も気持ちもお互いにないから詳しい事はわからない。

ただしそんなに広い空間でもないから看護師や医師たちとの会話はほぼ聞こえる。そんなあれこれで判明した右側のベッドの男性は大腸癌のようだ。術後のケアと多分人工肛門の取扱などであれこれと指導があるようだが問題は病気のことではない。その男性は看護師に対しても真摯に対応しているようだったがイビキが半端ではないのだ。
私の父親がいわゆる往復イビキで子供心に随分と悩まされたものだが、この男性のイビキはもの凄く私は「爆弾イビキ」と名付けた(笑)。大体段階4程度の進行で「カッ…」と呼吸に難があるようなことになると最後は「ガホーン!」とでもいったら良いのか爆弾が落ちたような声をだす。無論隣のベッドで寝ている私は寝られないし寝ていても起きてしまう。
イビキの持ち主の困った点は当の本人は寝ていることだ(笑)。しゃくに障るが文句も言えず対策は自分が個室へ費用を負担して移るしかない…。手軽にできることは耳栓程度だが、この爆弾イビキにはあまり効果はなかった。

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また足元側の向こうのベッドに寝ている男性はイビキも凄いがまあ標準か…。それよりこの男性はすべておいてデリカシーに欠けていると思わざるを得ない。
なぜなら同室の他者に対する気遣いがないのだ。詳しい様子は無論カーテンの向こうだからして分からないものの、コップやらをサイドテーブルに置くとき、静かに置くと言うことを知らないらしい。「ガタン」と大きな音を立てる。まあ日中ならまだしも真夜中でも同じでトイレから戻ってきたのであろう…多分メガネをサイドテーブルに置くらしいとき夜中で同室のものは寝ているという配慮がなく、投げるようにおくようだからこれまた「ガチャン」と大きな音を立てる。そして病名は分からないが辛いとか怠いということはあり得るにしても真夜中に自分のベッドを「ドンドン…」と蹴るような音を立てる。
そして独り言と寝言が多い…。
病気のため、仕事を放り出して入院せざるを得なかったかも知れずプレッシャーは膨らむ一方に違いないが同室の一人としてはたまったものではない。

「ではお前はどうなのか?」と問われるかも知れないが、私はイビキはかかないし寝言もまず言わない。ただし時にうなされたりすることがある程度だ。
そうそう、うなされるといえば便秘解消にと下剤を処方された夜、嫌なというか気味の悪い体験をした。
体調はまだまだ良くならない入院初期の夜のこと、消灯時間になりベッドに横になった私は何とか眠りたいと目を瞑った。暫くすると(まだ眠りに入っていない)目を瞑った向こうに人の顔がおぼろげに見えた…。知り合いの顔ではない。「嫌だな…」と一旦目を開け、再び目を瞑ると今度は闇の向こうにいくつかの顔が見える。

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しかし私は霊というものを信じていないから、此所のベッドで亡くなった人たちの霊か?とは考えない人間だ。いや…霊など信じないと言いきるとバズりそうだから付け加えると、私に限らず霊魂というものがあるのかないのかは誰しも分かるはずはない。なにしろ本当の意味で死にその体が消滅した後に生き返った者はいなのいないのだから。私はその霊とかが現世で我々の眼前に現れるということを信じていないという意味だ…。そしていつしか眠りに入ったが実に気味の悪い夢を見た。
夢だからしてストーリーやプロットに綻びがあり、理論整然と説明できないが、怪奇小説の短編くらいは書けるのではないかとも思えるほどリアルで気持ち悪い夢だった。
脂汗をかきながら目が覚めると強い便意を感じトイレに駆け込んだが、二週間も便秘だったもののその夜初めて出た!酷い下痢だった。
どうやら下剤のおかげで腸が動き出したのだろうが、先ほどの悪夢は胃腸の気持ち悪さが現れたものだったに違いない。ともあれその後、顔は現れなかった。

3人目の同室者は基本静かな方で、私が入院した翌日あたりに退院された。すぐそのベッドに運びこられたのは年配者ではなく多分40歳前…もっとお若いかも知れないが、その風貌と言動から音楽関係の仕事をしているように思えた。
日中には目立たず分からなかったが、夜になり回りが静かになってくると「ゴボゴボ…」と水を沸騰させたような音がする。無論病名も分からないからしばし様子を見ていたが、ふと閃いた!
あの音は酸素発生器ではないかと…。
勿論目視したわけではないので分からないが、あの音はラテの末期に購入した酸素発生器の音そのものではないかと確信したが、後日判明したのはバイク事故で肺をやられて緊急入院されたようだ。
点滴もそうだが、ここでもラテの看病が知識として繋がったことを実感した。しかしものを見ることなくそれが何なのかを知り得るのは本来難しいことだが希有な例であった。

■インターネット接続に落とし穴あり~虫の知らせ?
とにもかくにもベッドで寝ていなければならない。だからというか入院時の一日は長く時間の経つのも遅い。
しかしiPhoneがあるからと時々ネットを確認すると同時にSNSでお世話になっている方に連絡や女房とのやりとりを始めた。虚ろな頭で始めて見たが、私は日本で最初に発売されたiPhone3Gからのユーザーだが、iPhoneでまとまった文字数を入力するのはいまだ苦手の人間で、近所の中学二年生女子が遊びにきてくれたときにはその指さばきに驚嘆したものだ…。

そんな泣き言いっても手元にはiPhoneしかないし、これで病院の談話室に移動して電話をかけた。ふと思ったが丁度四月一日にiPhoneを通話無制限のプランに変えたばかりであり時間を気にせず話しができることを嬉しく思った。
虫の知らせ…という奴だったのか。

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またご承知のようにこのコロナの中、家族と言えども面会には来られないからせめてFaceTimeで顔見て話したいと女房はもとより心配をして下さり多々メッセージをいただいたファミリーのオカーサンにもこれでお話しをしたが、ふと気づくと契約してある3GBの残りが僅かになっていたことだ。お恥ずかしいが、虚ろな頭ではFaceTimeはデータ通信であることを失念していた…。

そもそも病室はもとより、電話可能なスペースとして用意された談話室にも Wi-Fi 設備のない病院だった。入院してまでインターネットかよ…といった考えなのかも知れないが、今やスマホは命綱…ライフラインの一つであり好むと好まざるとを問わずこれなくして一日が終わらない。ベッドサイドにあるセキュリティボックスのキー同様「貴方のIDとパスワードはこれです」なんて渡される世になって欲しい。
今回契約した通信業者は IIJmio なのでネットからデータ契約容量を増やすことができる。それは覚えていたものの普段iPhoneを本格活用していなかったからユーザーIDもパスワードも分からない(笑)。

それにiPhoneのバッテリーも心細くなってきたがモバイルバッテリーもない。女房に連絡し入院の翌日にはモバイルバッリーとケーブルを届けてもらったがそれとていつまでも使えるわけもないし、入院期間がどれほどになるかも分からないからとナースステーション行き、売店があると聞いたがそこでモバイルバッテリーを売っているか?と聞いてみたが答えはNO!
しかし看護師の続く言葉に私は笑顔になった…。
スマートフォンはアンドロイドかiPhoneかと尋ねられた。iPhoneだと答えると「これならお貸出ししましょうか。いま使っていないので」とアップル純正ACアダプタを差し出した。ケーブルはあるからして、これでiPhoneのバッテリー問題は解消することになった。
1989年からアップルのソフトウエア開発専門会社として私は起業したが、優秀なMacintoshだとしてもその認知度はいまから考えると驚くほど低く、公共機関でMacintoshの話題がでることなどまず考えられなかった時代だった。そんな体験をしてきた私にとって「よき時代になったな」とつくづく感じた。

■退院へ向けて
4月25日の朝から食事が出た。嬉しかったがそこは病院食でありそして体調もあるからして爆食できるはずもない。ともあれ26日の朝主治医曰く薬で散らすことはできたとの説明があった。ただしこの病気は再発の可能性が高く、とくに私の場合はまた早々に同じ苦しみを味わうかもしれないと…。
要は退院できるまでになったが、このまま入院を続けて手術に踏み切るか、あるいは一旦退院するか、どうする?と問われた。
そもそも急性虫垂炎と診断された後、なぜすぐ手術せず薬で散らすことをやったのかについては分からない。まずは薬で…がベーシックな手順なのだろうか…。

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私は即座に「一旦退院させてください」とお願いした。そして「最短で退院可能な日はいつですか?」と…。主治医は少し考えた後「明日でも大丈夫だと思うよ」と答えてくれ、ここに4月27日の退院が決まった。
退院したいという理由はふたつある…。単に病院は嫌いだからということではない。今度は万全の準備をして一ヶ月後か二ヶ月後以内に手術をお願いしようと考えている。
それはともかく、もし幸いというかこのまま再発せず二年とか三年経ったとして、その後再発したのでは私の年齢では今より辛いだろうし、抱えた爆弾はいつ爆発するかも知れない。そんなリスクを抱え続けるのならスパッと手術しようと考えた。

ただしひとつは今回、緊急搬送だったし前記した幾多の理由で例えば銀行口座間の金の移動などもできなかった。しかし万一引き落としに問題があれば後が厄介だ。それに現役は退いたとはいえいくらかは予定に従いあれこれと処理しなければならない事案もあり気が気でなかったのだ。

そして二つ目はこれまた前記した理由で安静に安全に治療はしていただけたがとにかく眠れない。そして私は人並み以上の神経質ではないと思っているが夜に立てられる音は続くとノイローゼになりそうだったからだ。
ということで翌日の四月二七日、腕に刺してあった点滴の針跡を感じながら "緊急退院" した…。
(完)



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員