この夏はハッカ油を楽しむ

「ハッカ油」をご存じだろうか。遅ればせながら最近その「ハッカ油」を愛用している。当初はいただきものだったが気に入ったので数種取り寄せていろいろと試し始めた。そういえば昔、頻繁に北海道に出張していた時代にどこかの土産店でスプレー式の「ハッカ油」を一度買った記憶が宿ってきた。


ご承知のようにハッカとはミントのことだが、それらにはメントールが多く含まれる。そしてその清涼感を期待して歯磨きやチューインガムやキャンディのような菓子類あるいは食品にも多く使われているし医薬品、化粧品類にも多々用いられている。
ということであらためてこのハッカ油に興味を持ったので数種手に入れてみた。

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※三種類の製品を手に入れてみた


どこまで事実なのかは分からないが、この「ハッカ油」は実に多くの効用があるという。
そもそもミントの臭いを嫌いだという人は少ないのではないだろうか。だからこそ多くの食品にも使われていることになる。
実際、紅茶とかリキュールなど爪楊枝の先ほどの量を混ぜるとその魅力が増すそうだ。
そして我々人間にとっては清涼感のある臭いだし神経を落ち着かせたり、ストレスや眠気にも効果があるといわれているし、おしぼりに使うのも効果的か。

さらに鼻づまりなどにも効果が期待できるし芳香剤の効果もあり、汗の臭いや口臭を和らげる。また例えばアロマ効果はもとより靴の中に一滴垂らせば嫌な臭いを軽減できる。
一滴垂らすといえば、この暑い時期の入浴時に湯槽に垂らすと清涼感たっぷりのお風呂が楽しめるといった具合に用途はとても広範囲にわたる。
ただし副作用はないようだが、量を間違うとえらいことになるし、妊婦や肌の弱い方は控えた方がよいだろう。
そういえば蟻など、虫一般にはこの臭いを嫌うものが多いというから使い方によっては虫除けになるし、近所の猫がオシッコして困る…といった場合にそのエリアに吹き付けると効果があるという。

それから今回初めて気がついたが、「ハッカ油」といっても口にして良いハッカ油と飲んだりしてはいけないハッカ油があることだ。
外箱や説明書に「飲めません」と明記してあるものや無水エタノールで薄めた製品に「化粧品グレード」などと記されているものは口に入れてはいけない。
口に入れてよい製品には「食品添加物」と明記してあるので注意が必要だ。

もうひとつ「ハッカ油」製品にはスプレーになっている製品とそうではない製品がある。スプレーボトルに入っているものはそのまま手軽に使えるが、ボトルの製品を買って無水エタノールと精製水で割って目的に合ったハッカスプレーを作るのも面白い。
私はといえば、もっぱら愛犬との散歩時に首周りと両腕にスプレーして蜂などの虫除けと清涼効果を期待して使っている。ただしやりすぎると愛犬や子供たちから嫌われるので程度が難しい(笑)。
「ハッカ油」はコストパフォーマンスもよいので今年の夏はこれで乗り切ろうと考えているのだが。


  


紀田順一郎著「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」読了

紀田順一郎さんの新刊を発売前に届けていただいたので早速手に取ってみた。タイトルは「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」だが、紀田先生のこれまでの著書とは違い些か気持ち的に重い本だった。なぜなら紀田先生にとってかけがえのない蔵書のほとんどをやむなくとはいえ処分されたレポートであり、蔵書の可能性と限界についても考察した興味深い一冊である。


ご存じの方もいらっしゃると思うが、私は1989年「FAX交遊録〜MACの達人」という本を紀田先生と共著で出版した経緯があり、今でも時折FAXならぬメールで近況をお知らせいただいている関係上、先生が命の次にも大切と考えてきた蔵書を処分された前後の事情を多少なりとも知っている1人だ。

さらに本好きの1人として、紀田先生と親しくお付き合いさせていただき、いわゆるOA化書斎を構築された時代もリアルタイムに承知していることでもあり、本書が先生にとってどれほど重みのある一冊であるかを考えざるを得ない。
しかし「あとがき」にも記されているが「…難しい本にする気はないので、筆者自身の蔵書構築と失敗のいきさつや、日ごろ見聞きしている蔵書家の悩みなども多くのエピソードをまじえて記してみた」とあるように内容は大変読みやすく一気に読んでしまった。

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※紀田順一郎著「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」松籟社刊


仕事がご趣味で趣味がそのまま仕事であると先生ご自身が書かれているが、その背景に数万冊もの蔵書があったことは想像に難くない。とはいえ300冊程度の蔵書と棚ひとつに納めているコンピュータ関連資料および十数機種の歴史的なパソコンをよすがにしてきた私にもレベルの深さは到底違うもののそのお仕事の生命線ともいえる辞典(事典)をも含めて決別の決心をされ、処分せざるを得なかったお気持ちは痛いほど伝わってくる。

そうした人生の伴侶ともいえる蔵書の処分にまつわる出来事を主軸に、そもそも蔵書とはなんだろうという命題に取り組んだのが本書なのだ。
近代日本の出版史・読書文化を振り返りながら、ひととき「蔵書」の意義と可能性、そしてその限界を探る旅にご一緒されてはいかがだろうか。
また大変僭越だが、私にとって本書は紀田順一郎さんをより身近に感じた一冊でもあった。




新刊書「江戸の瓦版 庶民を熱狂させたメディアの正体」紹介

ここの所、時代小説の執筆に凝っている。書くのが面白くて仕方がないが、可能な限り時代考証も正確でありたいと考えているから執筆の途中途中で調べる時間がかなり必要になる。ということで先般ストーリーに瓦版や読売を絡ませたいと考察したがこれまた知らない事が多すぎた…。


ということで調べた結果、森田健司著「江戸の瓦版 庶民を熱狂させたメディアの正体」(洋泉社刊)が出版されることを知り早速予約をした次第。本書の魅力というか特徴は帯にもあるとおり、実物の瓦版を材料に、庶民の好奇心に応えた "非合法出版物" の魅力に迫るということに尽きる。

要はいかに我々が瓦版というものを知っていたつもりでもそれは史実とは大きくかけ離れたものであるかを痛感せざるを得ない。
なにしろ瓦版が "非合法出版物" だったとは本書で初めて知った。
これは貞享元年(1684年)に出された「読売禁止令」によるものだ。

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※森田健司著「江戸の瓦版 庶民を熱狂させたメディアの正体」洋泉社刊


瓦版といえばテレビや映画の時代劇で左手に多くの瓦版を抱え、細くて長い棒を振り回しながら集まった人たちと軽妙な掛け合いと共に瓦版を売るシーン程度しか記憶にないのではないだろうか。
また私が愛読している時代小説にも瓦版やその作り手が多々登場するが、邪慳にされながらも岡っ引きたちとの交流が描かれていたりしてとても非合法の商売だとは感じられない。

とはいえ、瓦版屋など誰でもできる商売ではないし人の集まる場所でなければ売れなかったに違いない。したがって非合法はそれとして役人たちも目くじら立てて追い立てたり捕縛したりはしなかったようだ。とはいえそれは「心中の話題」と「幕政批判」を別にしての話しだという。

まあ「幕政批判」は分かるが、「心中」事件を取り上げるのがなぜ禁止だったのか。それは本書をお読みいただきたいが、心中に大きな注目が集まったのは近松門左衛門によって書かれた人形浄瑠璃「曾根崎心中」だったが、その出版を機会に八代将軍吉宗は退廃的風潮を是正することを名目に心中を相対死として禁令を出したことは私の時代小説「首巻き春貞 小石川養生所始末」にも紹介した。
例えば不義で相対死をした者は死骸を取り捨てて弔わせず、もし双方存命ならば三日晒のうえ非人に落とされた。そして心中事件を瓦版で報じた場合は販売中止は勿論のことだが、摺物だけでなく版木まで抹殺されたという。
したがってというべきか、本書筆者に寄れば心中事件を報じた瓦版の本物はほとんど現存しないという。

ともかく非合法出版物だからして売り子、読売は普通二人一組で、それも顔が分からないように網笠を被って商売をしていたという。やはりドラマや時代小説から受けてきた印象は史実とは遠いものだったことになる。
そういえば瓦版の売り手を "読売" というが、これは文字通り読みながら売ることからついた名のようだ。

本書は瓦版の実体を知ることは勿論だが、瓦版を通して江戸という時代の臭いまで彷彿とさせてくれる貴重な1冊だと思う。


松岡圭祐著「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」は素晴らしい!

日本シャーロック・ホームズ協会の会報を眺めていて本書の存在を知った。しかしホームズ物語のパスティーシュは数あれど本書「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」は新鮮な驚きだった。タイトルだけでAmazonへオーダーした。ともあれ際物であるかも知れないが、シャーロキアンを自負する一人として放っておけないタイトルだった。


日本はもとより日本の著名人をホームズにからめた作品がこれまでなかったわけではない。コナン・ドイルの正典ではモリアーティを格闘の末ライヘンバッハの滝壺に落としたシャーロック・ホームズは自分も一緒に死んだと偽装し消息を断つ。
帰還した後、失踪時期の所在についてホームズはダライラマに会ったことなどをワトソンに話してはいるがあくまで概略だし、第一それが本当のことなのかどうかも分からない。したがってその間、ホームズが来日していたというテーマの作品も生まれている。

ともあれ本書「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」の魅力の第一は無論もう1人の主人公、伊藤博文との出会いだ。そして当時の日本の国力や国内情勢を知り得ると共に史実の大津事件にホームズがからむことだ。
大津事件は教科書にも載っていたと思うが、来日していたロシアのニコライ皇太子が滋賀の大津町で警備中の警察官だった津田三蔵に斬りつけられ負傷した事件だ。あわや日露の戦争になる可能性もあった大事件である。

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※松岡圭祐著「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」講談社文庫刊


小国の日本が列強ロシアの皇太子を負傷させたため報復としてロシアが攻めてくると日本国中に大激震が走り、学校は謹慎の意を表して休校、神社や寺院や教会では、皇太子平癒の祈祷が行われたという。ニコライの元に届けられた見舞い電報は1万通を超え、山形県最上郡金山村(現金山町)では犯人の「津田」姓及び「三蔵」の命名を禁じる条例を決議するといった混乱に見舞われたほどの大事件だった。
ここに本国イギリスで死亡したはずのシャーロック・ホームズが日本に密航し伊藤博文邸にかくまわれ事件解決、いや日露の戦争回避に活躍するというのが本書のストーリーである。ただしホームズの日本における活躍はホームズ自身の立場、そして国家の機密を背負った伊藤博文の願いにより友人のワトスンにさえ秘密にされる。

本書のさらなる魅力は正典で十分に説明されていない矛盾や不明なあれこれが語られている点であろう。
シャーロック・ホームズは世界で最も有名な探偵だし、その物語は聖書の次ぎに多く読まれているという話もあるほど世界中で愛されてきた。プロットの巧みさや登場人物の魅力、エキセントリックなホームズの言動や推理の妙、そしてワトスンとの友情に読者は夢中になる。
しかし正典と呼ばれる原作には矛盾はもとより、緻密な意味でいうなら綻びというか説明不足な部分も多い。
本書「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」は悪の帝王モリアーティ教授とシャーロック・ホームズがライヘンバッハの滝の上で一対一で争うお馴染みのシーンから始まるが、このシーンにしても突っ込み所は満載だ。

なぜモリアーティとホームズは一対一で、それも素手で戦おうとしたのか。悪の帝王なら手段を選ばず飛び道具でもなんでも使えば良いではないか。
さらにこの危険な場所にホームズはともかく、モリーアーティ本人が出向くのはあまりにも無謀だし、ホームズを葬り去るためなら腹心の部下でも良いのではないか。
それが律儀にもモリーアーティ本人が素手で格闘しもみ合った結果、ホームズがバリツと称する武術でモリアーティと姿勢を入れ替え、モリアーティは滝壺に落ちていく。それに大悪人とてこれは殺人ではないか。まあ正当防衛は主張できるだろうが目撃者はモリアーティの腹心の部下一人だけだったが、ホームズは復帰後なぜ罪を問われなかったのか。
あるいはモリアーティにしてもホームズと組み合って勝てると考えていたのなら情報収集能力に問題があると思われても仕方がないだろう。
なにしろホームズはバリツを別にしてもボクシングの名手だし火かき棒を素手で曲げてしまうほど腕力もあるのだから...。

そもそもライヘンバッハの滝でホームズとモリアーティを戦わせたのは作者コナン・ドイルがシリーズを書くのが嫌になったからだという。だからどこか無理矢理二人を滝壺に落としシリーズを終わらせたという印象も拭えない。
掲載していたストランドマガジンでホームズの死が知らされるとロンドンは喪章を着けたひとが目立ったというしホームズの新しい物語、復活を望む声が大きくなっていく。
ドイルの母もホームズを死なせたことを批難したという...。
ドイルは仕方なく?ホームズを復活させた。実はライヘンバッハの滝に落ちたのはモリアーティだけだったのだということにして...。したがってホームズとモリアーティの一対一の戦いはどこか不自然なのだ。

また本書でホームズが死んだとされる以前の彼と帰還してからの彼は些か言動が違っていることの原因が日本にたどり着き、伊藤博文と出会ったことを示唆しているのも面白い。帰還してからのホームズは相変わらずエキセントリックではあるものの時に暖かみを見せるようになったり、あれほどワトスンに言われても止めなかったコカインの使用もぴたりとそのシーンは登場しなくなっている。
そんなあれこれの疑問が本作品には理論然と説明されているのもシャーロキアンとしては頬が緩んでくる。

ともあれ本書の虚と実を巧みにブレンドしストーリーが展開していく様は実に見事というしかない。そして思いもしなかった二重三重のどんでんがえしが待っている...。
一読者が「見事」と評しても意味は無いかも知れないが、本作品は多くのホームズ物語のパスティーシュを書いてきた、あるいは書こうと思っている作家達にも大きな衝撃と刺激を与えるのではないだろうか。




今年もウクレレの季節到来

今年も夏間近となったがやはりウクレレは夏がよく似合う。しかしこのウクレレ、まだまだ誤解されている部分も多いようだ。ウクレレと聞くといまだに「あ~やんなっちゃった~あ~驚いた」のウクレレ漫談しかイメージできない人や玩具楽器としてしか認知できない方々も多いようだがそれは大きな過ちである。


どんな事でもそうだが、それを理解する一番の早道はその最高のものを見聞きすることだと私は思っている。
ウクレレだって同じであり、例えばハーブ・オオタやジェイク・シマブクロのいわゆるソロウクレレ演奏を聴けばこれまでのウクレレのマイナーなイメージなどいっぺんに吹き飛ぶだろう。

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※愛用のコンサートタイプのウクレレ(弦長38cm)。安物だけどお気に入り


さて私のウクレレ歴は以外と古く、物心ついたころには大正琴と共に私の手の中にあった。
親の趣味からか小学校低学年から三味線を習わされたこともあり弦楽器が好きで、その後もクラシックギターとかエレキギターなどにうつつを抜かすことになる。

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※昭和41年(1966年)3月、舞台に上がりウクレレ演奏を披露する筆者(一番右)


ただし情けないことに近年は加齢に腱鞘炎も関係し握力が著しく弱くなり、左手でギターのネックを正確にセーハすることが難しくなった。さらに右手の指も時にカクカクしたり痙ることもあってギターどころかリュート演奏もままならなくなってしまった。
残念なことだが、それでも弦楽器は弾きたいし楽しみたい。ということで季節は夏に向かっているこの時期、ウクレレを取りだしてみた。

ウクレレはポルトガル領マデイラ諸島からのハワイ移民らがギター種の楽器を持ち込んで以来、新しいハワイ音楽に同化しつつ親しまれてきた。なかでも小形のものがハワイ語のウクレレ("ウク"とはチビとか蚤、"レレ"とは跳ねるの意)となり、より親しまれ現在の形になったようだ。
ではなぜウクレレなのだろうか。
それはまず小さくてそのボディが可愛いからだろうし、ギターと比較すればより簡単に楽しめるらか…。あるいは小型で持ち運びが容易だからか。
もちろんそうした事も理由の一つかも知れないが、私にとっての一番の魅力はやはりその底抜けに明るい音色にあると思う。

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※ボディはマホガニー材だという。当然合板だろうが...


いま重要なキーワードのひとつに「癒し」があると言われるが、ウクレレのあの乾いた明るいサウンドは他にない魅力だと思う。例えマイナーコードを「ポロロン~」とやってもギターのそれとはまったく違う趣がある。
したがってウクレレだけは眉間にしわを寄せての演奏は似合わない。インドア派の私でもウクレレをカーテンを引いた暗い部屋で奏でる気はしない。やはり真っ青な空とか海、燦々と輝く太陽の下がもっとも似合う楽器だろう。そうした意味からも手軽で理屈をとなえることなく誰でもが手に出来る楽器だという点がポイントだ。
勿論前記したようにハーブ・オオタやジェイク・シマブクロのような演奏を目指すのは容易ではないが、昨今は単なる伴奏楽器といっただけでなくソロウクレレ、すなわち例えばクラシックギターのようにメロディとコードが一体となったより魅力的な音楽を奏でることができる楽器として注目を浴びている。

いちおうチューニングや弾き方というものがあるにはあるが、ギターほどそのスタイルに対してもうるさくはない。そして三つ四つのコードを覚えれば何とか楽しめるしフレットを押さえるのもギターよりずっと簡単だ。
しかしどんなものでもそうだがウクレレにもいわゆるピンからキリまでがある。
安物のウクレレで満足している私から言われたくはないだろうが、間違ってもプラスチック製は止めよう(笑)。

まずウクレレにはその大きさによりソプラノ・スタンダードタイプ、コンサートタイプそしてテナータイプとバリトンタイプがある。
私たちがよく知っているのはソプラノタイプだが、コンサートなどでミュージシャンたちによく使われるのはその名のとおりコンサートタイプが多いそうだ。そしてその形状もギターのような形の他にパイナップル形をしたものまであるが現在ではアンプの使用を前提にした製品など幾多のバリーエーションがある。
楽器...特に木材を使った弦楽器はその材質や作りにより音質ががらりと変わる。そしてそのスタイルや音質はメーカーによっても違ってくる。

いま私自身が手にしている楽器はバインディングの入ったコンサートタイプのウクレレだ。とはいえコンサートをするつもりも腕もない(笑)。ちなみにバインディングとはボディの縁やサウンドホール廻りを貝などを使って飾りが入っているものがあるが、そのような飾りをいう。
まあ、私のウクレレも安物だが、気に入っているのでまずは幸せである。

ところで私はウクレレ演奏の目標はコードを弾き語りだけでなく、いわゆるソロウクレレを練習中だ。無論ウクレレだって握力も必要だし指の正確性も求められるが、まあ難しいことは考えずにたどたどしくても好きな曲を数曲覚えたいと思っている。

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※ウクレレ専用のクリップ式チューナー


また旋律をも奏でるとすれば通常のチューニングでは音域が狭く適さないので4弦をガットギターの4弦を使って「ローG」チューニングすることが知られているがまずは一般的な「ハイーG」でやっている。

ともあれウクレレはお気楽に付き合えばそれでよい。しかし楽器である以上一番重要なことはチューニングだ。こればかりはきちんと合っていないと音楽にならない。音叉などで合わせるには少々訓練が必要だから安価な電子式のチューナーをひとつ用意しておくと便利だ。
この夏はウクレレで遊ぼう!



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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員