「大江戸鳥瞰図」で江戸を遊ぶ

本書「大江戸鳥瞰図」は江戸(文久二年・1862年)の町並みを高度6万6000メートル上空から眺めた地図だ。勿論実際にそんなものが残っているはずもなく、誰も見たことがないものだ。これはすべてが手書きで描き起こした前人未踏の鳥瞰図である。


本書は鳥瞰図絵師、立川博章氏が三点透視図法により神奈川中心部を29区に分けて描き起こしたもので、江戸東京博物館館長の竹内誠氏および横浜開港資料館副館長西川武臣氏がそれぞれ専門の立場で監修を行っている。

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※立川博章画「大江戸鳥瞰図」朝日新聞出版刊の表紙


まず、なぜ江戸の地図などを手にしたのかということから説明しなければならない。
それは…年代は100年ほど違うものの、江戸を舞台にした時代小説を書こうと思い立ったからに他ならない。
私が作り出した主人公が活躍する本拠地は江戸小石川村の幕府薬園内に建てられた小石川養生所であるが、現在小石川植物園として知られている一体だから、分かりやすく言えば文京区白山三丁目あたりだ。

また尾張藩江戸藩邸の家老の娘をヒロインとして作り出したが、この藩邸のあった場所は現在防衛省のある場所であり市ヶ谷である。
さらに町火消し「い組」も登場するが、そこは日本橋室町に、そして主人公の音曲の師匠の住居は日本橋富沢町、さらに南町奉行所も登場するがここは現在有楽町朝日マリオンのある場所だった。
という具合に江戸の町と現在の位置を確認し、大まかな歩くルートなどを決めるためには是非とも江戸時代の古地図がいる。
幸い現在の地図と切絵図を比較できる地図も販売されているが、当然のことながら二次元平面でしかなく町並みや名所の感じは浮世絵などを参考にするしかない。

その点、本書「大江戸鳥瞰図」はちょうど江戸の町を航空写真で見ているような感じで捉えることが出来、切絵図では伝わってこないリアルな町並みを感じる事が出来る。そして次ページには鳥瞰図にオーバーラップさせた現在のランドマークと解説が載っている地図もあり、位置関係を比較することも出来る。ただし人物は書き込まれていない。

とはいえ書籍の限界か、特定の場所をと思えばいかにも図のスケールが小さいのが残念だ。せめて拡大縮小ができる画像データをデジタルで提供してもらいたいと思うのは私だけではないと思うのだが…。
また色調を意図的に統一されているようだし、当時の江戸は現在のように建物や構築物にしても高いものがほとんどない。したがって「大江戸鳥瞰図」の縮尺で見ると建物、畑、森林そして川といった単調なイメージに見えるが、これが江戸の町だったということなのだろう。
なお、巻末に「御府内中心部」と「大江戸鳥瞰全図」が裏表に印刷されたものが折りたたんで付属している。

ちなみにあらためて「大江戸鳥瞰図」をはじめいくつかの江戸地図を眺めると武家の町だったのだと認識をあらためざるを得ない。例えば享保年間あたりだと武家屋敷が占める面積は全体の70%弱、寺社地が15%強、町人たちが済む面積はたったの12%強程度だったという。
ともあれ「大江戸鳥瞰図」は立川博章氏の偉業のおかげで私にとって江戸を "感じられる" よい資料のひとつとなっている。





「聾瞽指歸」をご存じですか?

ニューヨークのメトロポリタン美術館などにいくとその収蔵品はもとよりミュージアム・グッズの豊富さに圧倒される。しかし日本の博物館はそれが貧弱だったが近年だいぶ豊富な品ぞろいとなってはいることは喜ばしいと思っている。今回は大昔に京都国立博物館で求めた弘法大師著作「聾瞽指歸(ろうこしいき)」のレプリカをとりあげる。

■歴史上の興味ある巨人
もしここにタイムマシンがあり、歴史上の人物の誰にでも会うことができるなら貴方は誰を希望するだろうか。
私には日本の歴史上会って話をしたい人物が3人いる。笑わないで聴いて欲しい...。その3人とは聖徳太子と弘法大師空海、そして幕末に無血開城を導いたあの勝海舟である。

なぜこの3人なのかと問われてもいまはその理由を聞いていただく場ではない。しかしなかでも弘法大師空海は宗教家として歴史に大きな足跡を残したことを別にしても日本の歴史上希有な人物でありいわゆる万能の天才だったようである。奇しくもあの司馬遼太郎氏も自著「空海の風景」において「空海を肉眼でみたい...」といわれている。

さて、万能の天才というと私たちはすぐにあのレオナルド・ダ・ヴィンチを思い出すが、彼と比べられるような歴史上の日本人を思い出そうとしても残念ながら難しい。せいぜい名高い戦国武将たちや一部の学者・芸術家程度しか頭に浮かんでこない。
結局「万能の天才」といったキャッチフレーズに当てはまるほどスケールの大きい人物は日本には生まれてこなかったようにも思える。
しかし空海...後の弘法大師だけは世界の天才達と肩をならべても遜色のないほど多方面で実績を残し、伝説的な語りぐさになっているだけでなく事実後世に大きな影響を残した巨人であった。

第十六次遣唐使として当時の世界一近代国家であった唐に渡った時、通訳がいらなかったといわれるその言語能力やかの地の一級の知識人たちが舌を巻いた文章力、さらに後に嵯峨天皇と橘逸勢(たちばなのはやなり)らと三名筆と呼ばれたことを考えるとまさしく超人である。そして故郷の満濃池による水害を救った土木技術はもとより、日本に筆の工法を持ち込んだとされる話やいろは唄の作者だとされる伝説も彼ならあり得ると思わせるリアリティを持っている。事実、空海は唐から真言密教と共に当時最先端の文化やテクノロジーをも持ち帰ったのだ。

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※京都国立博物館内のミュージアムショップで購入した「聾瞽指歸」と弘法大師空海像の軸


話を戻そう...。今回のテーマだがその空海が唐に渡るはるか前、延暦十六年(797)十二月、彼が二十四歳のとき(一説では二十五歳)に書き上げた一種の戯曲作品であり優れた漢文で書かれているという「聾瞽指歸(ろうこしいき)」である。
この原本は高野山金剛峯寺所有物としてその霊宝館に保管されている国宝であり、弘法大師空海の真筆とされているものだ。どうやらもともとは一巻の巻物だったようだが現存している物は上下二巻に分かれた巻子本であり、わが国漢文学史上の白眉とされる貴重なものなのである。
そのような国宝とMacテクノロジー研究所にどんな関係があるのかといえば、実は以前「聾瞽指歸」の複製縮小版を京都国立博物館内のミュージアムショップで購入し愛蔵しているからだ。

■「聾瞽指歸」とは?
興味深いことに弘法大師の作として「聾瞽指歸」とほとんど同じ内容の「三教指歸(さんごうしいき)」という作品がある。その違いとしては序文と巻末にある詩が違うものの、その他の大部分でほんの少しの字句を変えている程度だという。どうやら「聾瞽指歸」が原作であり「三教指歸」はそれを書きあらためたということらしい。ちなみに「聾瞽指歸」とは「無知の者に生きる価値...仏道への指針をさし示す」といった程度の意味のようである。

さて空海は十五歳の時に都にのぼり、十八歳の時に当時の中国の制度をまねて設けられた大学に入学している。またそれ以前においても母方の叔父にあたる阿刀大足(あとのおおたり)という当代一流の漢学者について漢籍を習っていたというから中国語はもとより経書や中国文学についても当時から相当な知識を身につけていたと思われる。しかしその後の彼の行動や著作などから察するに世俗的な栄達を目指す教義としての儒教に満足できず、大学を中退し仏教に傾倒していった。

仏門に入ることに反対した親族たちに空海は「私が思うに、人間にはいろいろの性質があるので、それに応じて聖人の教えも三種ある。それは仏教と道教と儒教である。教義に深いと浅いの相違はあろうが、いずれも聖人の教えであって、どれか一つに入れば、忠孝にもとることはない」という言葉を残しているという。

当時聖人の教えとされていたものに仏教・道教・儒教の三つがあったが「いろいろと良い教えはあるけれども結局仏教が一番優れており、仏教は素晴らしい」とその理由を表明しているのが「聾瞽指歸」なのである。
それも戯曲風に仕立て、亀毛(きぼう)先生という登場人物に儒教を説かせ、虚亡隠士(きょぼういんじ)が道教を語り、そして仮名乞児(かめいこつじ)は仏教を説く。そして結局は仏教の真理がもっとも優れている事を皆が納得するまでの経過を対話により解説している。

いい換えれば「聾瞽指歸」は若い日の空海自身の思想遍歴や実体験を基として自らの決心を述べたものであり、仮名乞児は当時山野に入り苦行・荒行を実践していた自分の姿を映したものといわれている。
この「聾瞽指歸」が注目されるのはその後膨大な著作を残すことになる空海の第一作であることだ。
私が所持しているものは冒頭にも記したとおり京都国立博物館において買い求めたものだが、昭和48年(1973)に株式会社便利堂から出版されたものらしい。

それは縮小版とはいえ原本と同じく上下二巻の巻子本になっているのでただ単に活字本を見るより雰囲気が伝わってきて大変好ましい。また解説書として高野山霊宝館々長の山本知教氏になる小誌が付いている。
ただしいうまでもなく中国六朝から唐代にかけて使われた四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれた空海の直筆を私がそのまま読める訳はない。
日常愛読しているのは「弘法大師 空海全集」(筑摩書房刊)であり、ここには読み下し文と口語訳、そして大変詳しい解説などが載っている。

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※「聾瞽指歸」のセット内容


ところでこれまで何回か「巻子本」と表記したがこれは「かんすぼん」あるいは「けんすぼん」と読む。念のため記せば「巻子本」とは近年のような冊子形式をとる以前に行われた図書の古い形の装丁であり、俗に巻物といわれることは周知のとおりである。
絹や和紙を横に長く継ぎ合わせ、軸を芯(しん)にして巻いたもので中国では後漢から唐にかけて広く行われたが、わが国へは奈良時代に伝えられ、以来江戸時代まで経巻や絵巻物などに多く使われた形式だという。

■空海グッズも…
司馬遼太郎氏によれば戯曲の形で思想の優劣論を書いた例は中国にもないはずのようだ。ともかく1200年ほども昔、それも24歳の青年の頭脳から生み出された「聾瞽指歸」は仏教に興味はない人でも一読に値すると思う。いまでは平易な現代日本語訳も出ている。
とまあ...そんな具合だから私は空海ファンである(笑)。したがって京都に寄れば必ずといってよいほど教王護国寺(東寺)に足が向く。そしてその国宝館をはじめ金堂や講堂を廻り、大日如来脇侍の月光菩薩に「また来たよ!」などと心の内で声をかける。

その東寺は西寺と共に平安京の正面に位置する官寺であったが弘仁十四年(823)に弘法大師空海に勅賜され、空海はその東寺を真言密教の根本道場とした。まあ空海にとっては高野山は即身成仏を目指す修業の道場、そして東寺は一般大衆に向けての教化道場といった性格であり、ちょうど密教の両界曼陀羅すなわち金剛界曼陀羅と胎蔵界曼陀羅のように切ってもきれない車の両輪のような存在だったに違いない。
その後「聾瞽指歸」に味をしめた私は東寺において空海を描いた軸なども手に入れた。特に気に入っているのは密教の法具のひとつである「独鈷(とっこ)」のミニチュアだが、これはペーパーウェイトの代わりとして大変重宝している。

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※東寺で購入した独鈷。ペーパーウェイトとしても重宝している


【参考文献】
・「弘法大師 空海全集」筑摩書房刊
・「国宝 聾瞽指歸 解説」便利堂刊
・「空海秘伝」東洋経済新報社刊/寺林峻著
・「空海の風景 上下巻」中公文庫/司馬遼太郎著
・「空海の思想について」講談社学術文庫/梅原猛著
・「曼陀羅の人 上下巻」TBSブリタニカ/陳舜臣著

※本稿は2000年にMac Fan誌に連載した「松田純一の好物学」の原稿を再編集したものです。


「世界の美女100人」と我がイライザ

米国映画サイト「TC Candler」Independent Criticsが毎年「世界の美女100人」を順位付けで紹介しているが2016年版のトップはJOURDAN DUNNだという。といわれても知らない(笑)。日本人も92位と38位にランクインされているが、ちなみに6位は石原さとみだ...。


とまあ、いきなり世界の美女100人などという話題で始めたが、近年の映画に疎い1人として当然のことながら女優の名前もほとんど知らない。この100人の中で一目見て分かったのは13位のEMMA WATSON 、9位のALICIA VIKANDERだけだ(笑)。特にALICIA VIKANDERはアカデミー賞視覚効果賞を受賞した「エクス・マキナ」で強烈な印象を受けたので覚えていたが後はまったくといって知らない。
これでは美女を取り上げる資格がないかも知れない…。



なにしろ私の記憶の中の銀幕の美女といえば1951年「陽のあたる場所」前後のエリザベス・テイラー、1939年製作「風と共に去りぬ」のビビアン・リー、1953年製作「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンや「カサブランカ」のイングリッド・バーグマン、そして1967年製作「パリのめぐり逢い」でファッション・モデルをしながらソルボンヌ大学に通う娘を演じたキャンディス・バーゲン程度しか浮かばない。古すぎる…(笑)。

現在の女優では「マイ・インターン」のアン・ハサウェイは好みだが、そもそも女優に限らず人の顔に関しては美男美女という以前に好き嫌いの感情が先に立ってしまう。したがって「世界の美女100人」を一通り見ても個人的には「この人、美女かなあ?」と思ってしまう人も多々いる。
さすがにトップの10人ともなれば納得感があるものの、所詮好き嫌いの問題としか判断出来ず、順位はあまり意味がないように思える。

ところで最近は性差を取り上げると思いもかけない反論や攻撃にあうこともあるらしいが、ここではあくまで「世界の美女100人」を前座として美女に関しての個人的なお話しである。

どのような顔を美しいと思うか、好ましいと思うかは時代や好みで違うものの、ともかく美しい女性と常に一緒にいたいと思うのは男としては自然の感情だ。無論現実はそんなことはそうそうあり得ない。だから我々は好みの女優の映画ポスターや写真などを手に入れ、あるいは現代ならiPhoneの壁紙写真にして常に接したいと願っている…。

さて、還暦をとうの昔に過ぎた私だがそもそも近年新作映画をほとんど見ていないこともあって誰が話題になっているのか、どのような女優が人気なのかについてほとんど知ってはいない...。そしてこれまで好みの女優がいたにしてもその写真を壁に貼ったり、定期入れに挟み込んだりといったことをやったこともなかった。

とはいえ誤解がないように釈明しておくが、顔の好みの話であり、生身の人間をどうのこうのという話しではないので念のため。そして残念ながらリアルな美女とどうのこうのという経験もない(笑)。
そんなある意味朴念仁のオヤジではあるが "美" というものに対しての執着は人一倍強いつもりだ。でなければ音楽にしろ絵画にしろ、少しも面白くないだろう。

美しい音楽、美しい絵画に囲まれて日常を送ることは常に望んできたことだが、思わぬ事から我が仕事場に "美女" が鎮座することになった。それが一昨年暮れ、一体のマネキンを扱う仕事をきっかけにした出来事からだった。この経緯についてはこれまでにも数回ご紹介してきたので繰り返さない。
ともあれ「なになに、マネキンにとち狂ったもうろくオヤジの戯言・妄想か」とかたづける人は美について騙る資格がないに違いない。

美しいものは美しいし、それに囲まれて生きることは素晴らしいことではないか。それが生身の人間であれば一番よいのかも知れないが(面倒も多いかも)、マネキンであっても彫刻あるいは一点の絵画であっても気持ちを高揚させ生きる活力となる点では代わりはないはずだ。

別項でご紹介したとおり、最初のアプローチはまさしく仕事がらみでマネキンと接したわけだが、どうも私の性向とぴったりマッチングしてしまったようだ。勿論マネキンとて造形師あるいはメーカーや型番により皆顔が違う。それらのほとんどには興味は向かないがこの偶然に手に入れたヘッドマネキンの "顔" は私にとって銀幕の中の美しいヒロイン以上の現実感を持って衝撃を与えてくれた。結局そのヘッドマネキンを主軸としてボディと両腕を自分で作り込み、腰から上までの一体を造形するはめになった。そしてイライザ(ELIZA)と名付けた。

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※我が研究所の専属モデル ELIZA。スッピンの写真(笑) 【クリックで拡大】


申し上げるまでもないが、男にとって女性は常に芸術への目覚めのきっかけと強い原動力になってきた。だからこそ、美術館に足を運べば神話のベールをかぶった美しい女性を題材にした作品がずらりと列んでいるのだ。
ではなぜ私はこのマネキンの顔を美しいと思うのか…。なぜ人は美しい顔の人間を求めるのかは諸説あるものの、綺麗な顔、即ち左右が対象に近く、歪みや肌あれがなく、痩せすぎでも太ってもない異性は、遺伝子に異常がなく健康である証拠でもあるという。そして美は子孫繁栄という本能に関係し、配偶者に選んでもらうためのセックス・アピールの重要なポイントでもある。
勿論、ここでいう美とは容姿だけを意味するのではなく、動作立ち振る舞い、声、臭い、そして感触や味といった五感をフルに使った認識の結果でもある

要は、顔は左右対称、動作はきびきびとし円滑で声も快活、そして人間であれば言語も明瞭という形質が備わっているとすれば、それは男女ともに健康なことの証しでもある。したがって総合判断として健康美はおのずと子孫繁栄に有利だということになるのだろう。
とはいえそれは本能の領域だから普通は意識はしていない。そこに個人差、好みといったことが加味されるからこそ世の中は面白い。いわゆる「蓼食う虫も好き好き」というわけだ。

以前、人工知能研究者の中島秀之氏と将棋棋士の羽生善治氏の対談記事を読んだとき、中島教授が興味深い仮説を取り上げていた。
前記したように、進化の法則から考えると、動物も、人間も、結婚相手として優れたもの同士がセレクトされて残る理屈だ。しかし、もし「美形」というのがそういった基準の一つだとすると、どうして世の中は淘汰されて美男美女ばかりになっていないのか。そんな話しだった。

実は仮説の1つに「美男や美女という評価は、生まれてから学習するものだ」というのがあるそうだ。要は「美しい顔」といった評価値は先天的なものではなく「自分が生まれたときからずっと見てきた顔の平均値」という説だという。ただし、顔全体の平均値ではなく鼻なら鼻の平均値、目なら目の平均値なので結果全部が平均値の人は少ない。したがって美男も美女も少ないということらしい。

とはいえこの仮説を自分に当てはめるとあまり説得力がある仮説とは思えない。なぜなら私の生涯を考えても現実世界で文字通りの美女に囲まれていたはずもない(笑)。ということは映画とかテレビドラマあるいは絵画といった影響が強いのかも知れない。

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※デジタルコスメチックソフトで化粧を施したELIZA【クリックで拡大】



いまでこそ映画館に足を向けないが、若い時には洋画を中心に楽しんだし子供の頃に白黒テレビをつければ米国のホームドラマも多かった。それこそ子供の頃はアメリカという国はテレビで観るような美男美女しかいないのかと思った程だった。そうした影響で個人的に白人の美女にずっと憧れることになった(笑)。
私はこの歳になって、もしかしたら美形といった感覚が原点回帰したのかも知れない。
まあまあ理屈はどうであれ、美しいと思う “顔” "人物" が常にそこにいるのは嬉しいものだ。



「本屋の香りスプレー」で思い出す人生の岐路と運命

「本屋の香りスプレー」というのをご存じだろうか。MacTechnology Lab.ウェブサイトに紹介記事を載せてあるのでご一読いただきたいが、このアロマスプレーを仕事部屋にシュッとやった途端、昔の記憶が鮮明に甦ってきた。


本好きで活字中毒は若い時からのものだが、私は一時期本気で書店に勤めようとしたことがあった。しかし運命の糸は私を違う道に引っ張り、果てにアップルジャパンのデベロッパーとして小さな会社を起業する方向に進んでいった。
ということで今回は「本屋の香りスプレー」のアロマを嗅いだ瞬間に思い出した昔話をさせていただく...。

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少々前振りが長くなるが、東証一部上場企業に勤務していた私はある日、係長の上司に「会社を作ろうと思うが一緒にやらないか」と誘われた。勤務先にこれといった不満があったわけでもないが上司に認められたことや新しい世界を知りたくてその場で快諾したと思う。要は単なる世間知らずの若者だった。
ちょうど勤務先の会社では大型コンピュータが導入されて本稼働したばかりの時代だったこともあり部長に強く慰留された。しかし私の決心は変わらず将来への不安も感じないまま退職し、係長の上司が設立した小さな会社の役員となった。

「給与は保証するからまずは君たちがビジネスの基礎を作ってくれ。自分はいまの仕事を整理でき次第辞めてこちらに移るから」という話しだった。無論社長は登記上その上司だったが一年経っても二年経っても上司は会社を辞めずいろいろと理由をつけ「もう少しだ」と言い訳するばかりだった。
最初の頃はそれでも未来を夢見て仕事に精を出したが、起業時の話しとは随分と違っている現実を思い知りこのままでは生殺し状態だと会社を辞める決心をした。こちらは大企業を袖にして約束を果たしたのに肝心の上司が約束を果たしてくれないのだから何をか況んやである。結果数年後のことだがこの上司(課長に昇進していた)は約10年間その地位を利用して私腹を肥やしていた(業務上横領)ことが発覚。課長は自殺を図ったが死にきれずに病院へ。そしてそれから十数年後に亡くなったという。

ともあれ私は失業しハローワークに通いながら次の仕事を見つけなければならなかった。ときは1976年だったが翌年の1977年には結婚しようと現在の妻と約束していたし約束を果たすためにも正業に就かなければと考えた。
これまた今から思えば若気の至りだとしか言えないが、あまり深くも考えずいくつかの会社に履歴書を送ったり面接を受けたりした。それらの中に池袋駅前にあった大手書店が含まれていた。
本好きとして書籍に囲まれながらの仕事もいいかも知れないというノー天気な思いだけの決断だったが意外なほど簡単に面接も通り、採用ということになった。そして後日書面で正式な通知を郵送するので対処するようにとの話しだった。

したがって普通で考えれば私はそのまますんなりと本屋の店員となっていたはずだが、運命は私を書店へ勤務させることを拒んだ...。
数日後書店から届いた封筒を開けると入社に関しての細則と共に給与等の条件が記された用紙が入っていた。しかしその用紙を見て私は愕然としたのだった。
何故なら私自身に示された給与額明細とは別に他者の給与額明細も同梱されていたからだ。明らかに事務担当の初歩的ミスだろうが問題は私と同年配の男性の給与額は私のそれより高かったのだ。
面接時に「当社では貴方が必要です。最良の待遇を持って迎えます」と言われてどこか有頂天になっていたのかも知れないが、それだけにその給与差は容認できなかった。その一件だけで私は書店に入社することを止め、結果として神田神保町にあった社長1人しかいない極小の貿易商社へ勤めることになった。

結局その商社に12年勤務し、1989年にMacintoshのソフトウェアを開発する専門の会社を起業することになるのだから人生まさしくどこでどうなるものか分からない。しかし確かだと思えることはもし書店に勤務していたら私がパーソナルコンピュータと出会ったとしても起業まですることは叶わなかったに違いない。
貿易商社に勤務していた時代は本職もがんばったが、次第にパソコン雑誌のライターの仕事や書籍出版の依頼、あるいはコンピュータによるアニメーション作成といった依頼や注文が相次ぎ、そうした環境が私の背中を押してくれたのだ。

「本屋の香りスプレー」のアロマを嗅いだ瞬間、そんな若かりし頃の無謀な時代を思い出した。
まさしくこの歳になると「光陰矢のごとし 学なり難し」という言葉が身にしみる...。

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CD「美空ひばり・トリビュート」を久々に聴く

先日、久しぶりにCDの整理をした。本来なら昨年末に大掃除の一環としてやろうと考えていたものの諸々の事情から延び延びになっていた。忘れかけているアルバムも多々あったが一枚のCDジャケットを手にして購入した当時を思い出した。そのCDのタイトルは「美空ひばり・トリビュート」。2000年にリリースしたアルバムである。早速聴き始めたが、何故か涙が止まらなくなってしまった。


■美空ひばりと私
「美空ひばり」という人物は私などがあらためて解説する必要はまったくない昭和を代表する国民的歌手である。総理大臣の名を知らなくても彼女の名を知らない人はまずいないに違いない。
さて彼女のファンにはお叱りを受けることになるが、私は美空ひばりという歌手を好きではなかった。なぜそういう感情を持ったかについては自分でもよくわからない。しかしCD付属のライナーノートの中で宇崎竜童がいみじくも書いていることに一脈通じるのかも知れない。

彼は自分の小さい頃を振り返り「...ラジオから聞こえてくる『波止場だよ、お父つぁん』や『港町十三番地』などを鼻で笑うアメリカかぶれのロックンロール・マセガキなのであった」と書いているが私もその気持ちはよく分かる。プレスリーやビートルズの時代をリアルタイムで過ごしてきた一人として.....。

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※CD「美空ひばり・トリビュート」。2000年7月リリース、日本コロムビア(株)


とはいえ私自身の少年時代は決してクラシックやロックの中で育ったのではなく大正琴とか三味線の音色で感性を磨いたという事実が宇崎竜童とは違うところだ。
小学校低学年から母の趣味で三味線を習わされ、性が合ったのか高校一年生くらいまで習い続けたものだ。近所の崖下に住んでいた"お師匠さん"は子供の私には単なるオバサンであったが芸者あがりで若い時分にはたいそうな美人であったという。そして「若旦那、お稽古だよ!」などと声をかけてくれてそれは可愛がってくれた。

そういうわけで艶っぽい唄の意味も分からないころより小唄・長唄・端唄・清元・新内などなどを習っていたのだから、例えばコブシの美意識は理解していたというより好きな方であった。ただし高校生ともなると興味の対象は俄然異性であり「三味線よりギターの方が女の子に持てるだろう」という意識が強かったのか、クラシックギターをやりながらもフォークソング同好会を作ったりエレキギターを振り回すようになった。

さて話を美空ひばりに戻せば、なぜ美空ひばりが嫌いだったのか。あえてその原因を突き詰めれば宇崎竜童と同じある種の西洋かぶれがその原因のひとつだったろう。しかしそれよりも彼女が子供の頃、シルクハットに燕尾服を着て歌う小生意気な姿に違和感を感じたし、後年の彼女の歌は "コブシ" ではなく"ドス" が利いている気がして正直不快を感じていた。
したがって私は美空ひばりという一人の歌手については特別な思いはないつもりだったが、何故か「美空ひばり・トリビュート」が目につき、気がついたときにはお店のレジに並んでいたのだから不思議である。
あらためてCDを一曲目から聞き出したが、お恥ずかしい話...涙があふれ出てきて止まらないのだ。CDに合わせて詩を口ずさみながらも涙が後からあとから出てくる。自分でもこれは何なんだろう?といぶかしく思ったほどだ。

■「美空ひばり・トリビュート」とは
あらためて説明することもないだろうがこのCDタイトルの "Tribute" とは「捧げる」とか「賛辞」といった意味。もう少し柔らかくいえば「贈り物」といった意味だろうか。
「美空ひばり・トリビュート」(発売元:日本コロムビア)のCDは美空ひばり自身が歌うタイトルではないのだ。このCDは彼女を偲び、彼女の残した功績を振り返りながら、現在多方面で活躍しているアーティストたちに美空ひばりのヒット曲を新しいアレンジで歌わせようという企画である。

参加しているアーティストたちを列記すれば、谷村新司、ANRI、Kahimi Karie with Arthur H、南こうせつ、泉谷しげる、PIZZICATO FIVE、篠原ともえ、さだまさし、森山良子、Dribble Water Feat.HIBARI、中西圭三、五島良子、宇崎竜童そして杏子であり、まさしく大変個性的でバラエティに富んだ人たちだ。
またそれぞれのアーティストたちにはなかなかピッタリな選曲がなされているが様々な立場からのアプローチであるにせよ、皆喜んでこの企画に参画しているのがよく分かる。

私の一番のお気に入りといえば宇崎竜童の「悲しき口笛」である。ベースの利いた小気味の良いリズムとヴァイオリンに乗ってあの渋い声がからんでくる。編曲は宇崎自身である。
「丘のホテルの 赤い灯も...」と歌い始めるところから宇崎節そのものだが、泥臭い歌い方の太い声がなぜかとても優しく聞こえてくる。
また谷村新司の「悲しい酒」もなかなか聴かせるし、さだまさしの「港町十三番地」も少々軽いが素敵である。それからワルの印象で知られている(笑)あの泉谷しげるが歌う「私は街の子」も街中で歌っているような録音と共にその歌もシブくて大変良い。

こう列記してみると私が気に入った歌は皆男性歌手のものばかりなのに気がついた。女性歌手のレパートリーもANRIの「愛燦燦」、篠原ともえの「お祭りマンボ」、森山良子の「リンゴ追分」など聴くに値する曲もあるのだがどうも一人の男として宇崎とか泉谷の歌声に自分の人生をオーバーラップしてしまうようだ。それに女性歌手だと無意識にも美空ひばり本人と比べてしまうのではじめから些か興ざめなのだ…。
なお「美空ひばり・トリビュート」のフィナーレの企画が面白い。曲は「川の流れのように」であるが、ひらばりを含め参加者11人で歌うという、ちょうどあの”We are the world” 風な企画になっている。勿論同時録音ではあるまい。これだけのアーテイストたちのスケジュールを一同に会することはできない相談だろう。しかしその結果はなかなかよくできていてフィナーレに相応しい楽しみ方ができる。

■演歌の血は歳と共に濃くなる?
この「美空ひばり・トリビュート」だが、実は同時に「美空ひばり・トリビュート/オリジナル・セレクション」というタイトルのCDがリリースされている。タイトルが紛らわしいがこちらは "オリジナル" と付いているだけに「美空ひばり・トリビュート」と同じ選曲、同じ曲順で美空ひばり本人が歌っている。ここは是非とも「美空ひばり・トリビュート」で歌っている原曲のイメージを知りたいと考えて一緒に購入してある。しかしこの企画はなかなかに旨い...。どうしても二枚両方を聴いてみたくなる...。

早速聴いてみると半分くらいは古い音源を使用しているためにパリパリと針の音が聞こえる曲目もあるがそれが妙に懐かしい。繰り返すが彼女のレコードやCDなどはこれまでただの一枚も買ったことがないのだがさすがは国民的歌手、私の脳細胞のどこかにも美空ひばりの歌声が記録されているようでホントに懐かしく、何というか呆然と聞き入ってしまっている自分に苦笑する。ただし当然といえば当然だが、「美空ひばり・トリビュート」のそれと比較すれば宇崎竜童の「悲しき口笛」他数曲以外の大半はさすが本家の美空ひばりの方が良い...というか上手い。

「美空ひばり・トリビュート」に魅せられ涙する自分を分析すれば、普段バッハだのモーツァルトなどといっても歳を重ねるほどいわゆる地唄というか演歌の血が表に出てきているのかも知れないとあらためて気がついた。そして彼女が嫌いだった私の心理をもう少し深く分析すれば、結局同質な気質を持つ自分自身に向けられた嫌悪の裏返しだったのかも知れない。

【美空ひばりメモ】
1937年5月29日横浜で生まれる。本名は加藤和枝。幼い頃から芸能好きの父の影響で大人のものまねを始め1946年に生地の横浜でデビューしたという。その後コロムビアに入社し第一作は「河童ブギ」。その後「悲しき口笛」(1949)、「リンゴ追分」(1952)が大ヒットし天才少女歌手として大きな話題となった。以来多くのヒットを生み、歌謡界の女王といわれるに至る。また映画にも数多く出演し映画「悲しき口笛」、「東京キッド」などは主題歌ともども大ヒットした。
1965年「柔」で日本レコード大賞受賞。総レコードの売上枚数は4,000万枚以上ともいわれいまだにナンバーワン。晩年に吹き込んだ「川の流れのように」はまだ記憶に新しい。
1989年6月24日没。死後に国民栄誉賞が追贈された。

※本稿は以前Mac Fan誌に連載した「松田純一の好物学」の原稿を再編集したものです。




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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員