今年もウクレレの季節到来

今年も夏間近となったがやはりウクレレは夏がよく似合う。しかしこのウクレレ、まだまだ誤解されている部分も多いようだ。ウクレレと聞くといまだに「あ~やんなっちゃった~あ~驚いた」のウクレレ漫談しかイメージできない人や玩具楽器としてしか認知できない方々も多いようだがそれは大きな過ちである。


どんな事でもそうだが、それを理解する一番の早道はその最高のものを見聞きすることだと私は思っている。
ウクレレだって同じであり、例えばハーブ・オオタやジェイク・シマブクロのいわゆるソロウクレレ演奏を聴けばこれまでのウクレレのマイナーなイメージなどいっぺんに吹き飛ぶだろう。

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※愛用のコンサートタイプのウクレレ(弦長38cm)。安物だけどお気に入り


さて私のウクレレ歴は以外と古く、物心ついたころには大正琴と共に私の手の中にあった。
親の趣味からか小学校低学年から三味線を習わされたこともあり弦楽器が好きで、その後もクラシックギターとかエレキギターなどにうつつを抜かすことになる。

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※昭和41年(1966年)3月、舞台に上がりウクレレ演奏を披露する筆者(一番右)


ただし情けないことに近年は加齢に腱鞘炎も関係し握力が著しく弱くなり、左手でギターのネックを正確にセーハすることが難しくなった。さらに右手の指も時にカクカクしたり痙ることもあってギターどころかリュート演奏もままならなくなってしまった。
残念なことだが、それでも弦楽器は弾きたいし楽しみたい。ということで季節は夏に向かっているこの時期、ウクレレを取りだしてみた。

ウクレレはポルトガル領マデイラ諸島からのハワイ移民らがギター種の楽器を持ち込んで以来、新しいハワイ音楽に同化しつつ親しまれてきた。なかでも小形のものがハワイ語のウクレレ("ウク"とはチビとか蚤、"レレ"とは跳ねるの意)となり、より親しまれ現在の形になったようだ。
ではなぜウクレレなのだろうか。
それはまず小さくてそのボディが可愛いからだろうし、ギターと比較すればより簡単に楽しめるらか…。あるいは小型で持ち運びが容易だからか。
もちろんそうした事も理由の一つかも知れないが、私にとっての一番の魅力はやはりその底抜けに明るい音色にあると思う。

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※ボディはマホガニー材だという。当然合板だろうが...


いま重要なキーワードのひとつに「癒し」があると言われるが、ウクレレのあの乾いた明るいサウンドは他にない魅力だと思う。例えマイナーコードを「ポロロン~」とやってもギターのそれとはまったく違う趣がある。
したがってウクレレだけは眉間にしわを寄せての演奏は似合わない。インドア派の私でもウクレレをカーテンを引いた暗い部屋で奏でる気はしない。やはり真っ青な空とか海、燦々と輝く太陽の下がもっとも似合う楽器だろう。そうした意味からも手軽で理屈をとなえることなく誰でもが手に出来る楽器だという点がポイントだ。
勿論前記したようにハーブ・オオタやジェイク・シマブクロのような演奏を目指すのは容易ではないが、昨今は単なる伴奏楽器といっただけでなくソロウクレレ、すなわち例えばクラシックギターのようにメロディとコードが一体となったより魅力的な音楽を奏でることができる楽器として注目を浴びている。

いちおうチューニングや弾き方というものがあるにはあるが、ギターほどそのスタイルに対してもうるさくはない。そして三つ四つのコードを覚えれば何とか楽しめるしフレットを押さえるのもギターよりずっと簡単だ。
しかしどんなものでもそうだがウクレレにもいわゆるピンからキリまでがある。
安物のウクレレで満足している私から言われたくはないだろうが、間違ってもプラスチック製は止めよう(笑)。

まずウクレレにはその大きさによりソプラノ・スタンダードタイプ、コンサートタイプそしてテナータイプとバリトンタイプがある。
私たちがよく知っているのはソプラノタイプだが、コンサートなどでミュージシャンたちによく使われるのはその名のとおりコンサートタイプが多いそうだ。そしてその形状もギターのような形の他にパイナップル形をしたものまであるが現在ではアンプの使用を前提にした製品など幾多のバリーエーションがある。
楽器...特に木材を使った弦楽器はその材質や作りにより音質ががらりと変わる。そしてそのスタイルや音質はメーカーによっても違ってくる。

いま私自身が手にしている楽器はバインディングの入ったコンサートタイプのウクレレだ。とはいえコンサートをするつもりも腕もない(笑)。ちなみにバインディングとはボディの縁やサウンドホール廻りを貝などを使って飾りが入っているものがあるが、そのような飾りをいう。
まあ、私のウクレレも安物だが、気に入っているのでまずは幸せである。

ところで私はウクレレ演奏の目標はコードを弾き語りだけでなく、いわゆるソロウクレレを練習中だ。無論ウクレレだって握力も必要だし指の正確性も求められるが、まあ難しいことは考えずにたどたどしくても好きな曲を数曲覚えたいと思っている。

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※ウクレレ専用のクリップ式チューナー


また旋律をも奏でるとすれば通常のチューニングでは音域が狭く適さないので4弦をガットギターの4弦を使って「ローG」チューニングすることが知られているがまずは一般的な「ハイーG」でやっている。

ともあれウクレレはお気楽に付き合えばそれでよい。しかし楽器である以上一番重要なことはチューニングだ。こればかりはきちんと合っていないと音楽にならない。音叉などで合わせるには少々訓練が必要だから安価な電子式のチューナーをひとつ用意しておくと便利だ。
この夏はウクレレで遊ぼう!



白内障術後、はじめて眼鏡を新調

昨年末に左目の白内障手術を行った。その顛末はすでにご紹介したが幸い経過は良好だったものの視力が安定するまでは眼鏡を作ることができず不便を強いられていた。やっと先月の検診で視力安定のお墨付きがでたので待望の眼鏡を新調することになった。


もともと私の両眼の視力は大きく差があったし老眼も考慮し二焦点レンズの眼鏡を愛用してきた。両眼の視力に大差があることは眼鏡を作る際にも難しい点がある。
それは矯正視力のままに両眼にレンズを入れたとしてもそれで問題が解決するわけではない。
一応眼科で検査した矯正視力は左が1.2、右が1.0だった。ド近眼の左右だが矯正視力は悪い結果ではないがそんな眼鏡をかけ両眼で廻りをみようとすると目が回りとてもではないが歩けないし物をきちんと見ることができない。
要は左右とも視力の良し悪しの妥協点を見いだして視力を落とすしかないのだ。

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※「眼鏡市場」で新調した眼鏡。フレームはこれまでのものを使った


ということで術後はそれまで使っていた眼鏡で代用するしかなかったが、左目が手術した後は視力も近い距離では回復したものの右目はそのままでありその視力の差はより大きくなってしまった。
したがってどうしても見える左目でモニターや活字を追う癖がついてしまったようで眼が疲れて仕方がなかった。

ところでここ10年ほどお世話になっている眼鏡店は "眼鏡市場" だ。近隣というか電車で一駅あるいは二駅のところにあるので今回もこれまで作ってきた同じ店でお願いすることにした。
なぜ眼鏡市場なのかは申し上げるまでもないが、価格的にリーズナブルだからだ。
例えば数年前に眼鏡を作ろうとしたとき、近隣の駅ビル内のテナントの眼鏡店で簡単な見積をとってみたら一般的なフレーム付きで6万5千円ほどだといわれた。

懐具合も関係し、そのとき眼鏡市場という存在を思い出して始めて利用したが、結果ニコンのプラスチックレンズにシンプルなフレーム付きで2万円を少し超えた程度で済んだ。そして対応も親切で適切、なによりも出来上がった眼鏡はとても楽で私にとってよい出来だった。
無論、こうした業界の人たちの目で比較すればその価格差に見合うあれこれもあるかも知れない。しかしこの種の価格はある種の技術料を含んでいると聞いたこともあるし一人の消費者から見て6万5千円と2万円強の価格差は眼鏡そのものから感じられなかった。

今回は以前眼鏡市場で作った2つの眼鏡(同型のフレーム)のうち、ひとつのフレームをそのまま使い、レンズだけ新調してもらうことにした。結果レンズにオプションのブルーライトカットを加え1万5千円程度で私の複雑な視力を持つ二焦点レンズの眼鏡ができあがった。
帰りがけに「何日で出来上がるか」を聞くと「一週間程度」だという。まあそれは仕方がないなと思ったが、その顔色を見たのか担当の方は「お急ぎですか」と聞く。
ともかく事情はお話ししたとおりの眼だからして勝手ながら日々不自由していることを伝えると「早めに出来上がりましたら携帯電話の方にお電話をしましょう」と言ってくれた。

結果4日後にiPhoneが鳴り勇んで眼鏡を受け取りに行った。ありがたいことだ。
早速その新調した眼鏡をかけて帰路を急いだが、フレームの微調整はもとより鼻当てが新しくなっていた。
それにサービスも充実している。
まず「見え方保証」という、6ヶ月以内に度数の進行や度数になじまない場合は無料で度数を交換してくれる。また「品質保証」として1年以内の正常な使用で品質に問題が生じた場合は無料交換・無料修理をしてくれること。さらに「破損保証」として1年以内に眼鏡が破損した場合、1回限り通常販売価格の半額で交換してくれるという保証が付いてくることも重要だ。


さて、検査時に確認はしたものの、実際にいつものiMacの前に座り、そのモニターを見ると両眼でテキストが認識できるし手元の資料や書籍もこれまた両眼で焦点があう。いささか左目だけで見る期間がながかったからかその癖は残っているもののきちんと合った眼鏡の有り難さをあらためて知った思いだった。

通常 iMac 27インチのモニターを約70センチほど離れた位置から使うが1メートル離れても両眼できちんと12ポイントのフォントが見えるのだから快感である。
若いときのように視力も大きく動くことはないのかも知れないが、眼鏡のレンズは消耗品だ。大切に使うにしても例えば右目の白内障が酷くなり、またまた手術ということになる可能性もありうるし数年後に視力の変化もわずかにしてもありうる。だとすれば決して眼鏡市場の宣伝をするつもりはないが、良質な商品をリーズナブルに提供してくれるこうしたお店を大切にしたいと思うのだ。
ともあれ、ド近眼に老眼、乱視に飛蚊症を持ちかつ白内障(右目)と緑内障という不自由な両眼だが、なんとか日常生活に不自由のないよう大切に使わなくてはならない。



菊池ひと美著「江戸衣裳図鑑」を楽しむ

江戸中期を舞台に時代小説を書こうと決めたものの、あらためてその時代に関しての知識が絶無なことに気がついた。当時の人たちはどのような衣裳でどんな髪型だったのか、食事はもとよりどのような住居でどのような生活をしていたのかといった情報はテレビの時代劇程度しか頭に浮かんでこない。


とはいえいくらフィクションだとしても時代考証はなるべく尊重したいとあれこれ資料となる書籍を集めたが、中でも菊池ひと美著「江戸衣裳図鑑」は役に立ったという以上に素敵で面白い本である。

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※菊池ひと美著「江戸衣裳図鑑」東京堂出版


本書の筆者にはこれまで馴染みがなかったが、江戸衣裳考証家であり文筆家、日本画家だという。
したがって本書は図版がそれもカラーの図版が豊富なことも特長のひとつだが、そうした掲載図版は絵画資料や版本をもとに原則として原典通りに筆者が模写、彩色をしたものだという。

筆者は330ページを越えるそのコンセプトを「はじめに」で記しているが、一つは縦軸に「階層軸・歴史軸」をとり、横軸に衣裳という糸を通して織り上げていったことで、男服は仕事服なので身分、階層別にそして女服は流行の変遷なので歴史軸をとっているのだという。
二つ目の試みは、江戸衣裳をするべく全体として俯瞰で見ることができるように、体系化していることらしい。
さらに基本として「人々歴史が主役」の本であり、「衣裳を通してみた人と歴史の本」だという。こうした点が単なる資料本と一線を期す理由に違いない。

無論一人の読者として自身が知りたいことのすべてが本著のみで解決するとは思っていないが、あらためて江戸260年がモノクロの世界、静的な世界ではなくダイナミックで大江戸ルネサンスともいうべき百花繚乱の服装シーンを創り出したオリジナリティ溢れる時代だったことに驚いた。
ともあれ、江戸中期を中心にした武家と町人、男と女の衣裳および髪型についてまったくの付け焼き刃ではあるが知識を得ることが出来たし、貴重な資料であるべき本書であるが思わず引き込まれて読み進んでしまう魅力を持っている。

現在もファッションは女性主導であるが、江戸時代も身分制度のしばりをものともせずに帯の締め方ひとつ、髪の結い方ひとつにも人々の創意工夫があり時代時代にファッションリーダーがいたことにも驚きを覚えた。
本書「江戸衣裳図鑑」は同じ筆者の「女性たちの日常〜江戸の暮らし図鑑」と共に素敵な本に巡り会えたと喜んでいる。









時代小説「首巻き春貞 小石川養生所始末」を自身の誕生日に公開

筆者の誕生日に初めての時代小説を公開することにした。読んでいただける方がどれほどいらっしゃるかは心許ないが、ある意味これは自身へのプレゼントでもある!


私は池波正太郎、藤沢周平、佐伯泰英、司馬遼太郎らのいわゆる時代小説のファンである。しかしまさか自分が時代小説を書くとは正直思いもよらないことだった。
それが今年 (2017年) の春先、急に「書きたい」と思った。
まさしくいきなりストーリーやプロットが浮かび、主人公を初めとする登場人物たちが自然に自己主張し始めた。
大げさに思えるかも知れないが本当である。

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自分なりに分析するなら、良くも悪くもこれまで見聞きした時代小説は膨大な量でもあり、流行り言葉でかつ大仰に例えるなら、そうしたビッグデータが私の頭の中で何らかの形を取り、自分なりに興味のあるストーリーやプロットを生み出したのではないかと思っている。
それらしいものが書けるかどうか、それはやってみなければわからない。
それに歳を取ると言うことは実に過酷なことだ。自身は30代とか40代の自分とそう変化はないと思っているが体が思うように動かないし記憶力も落ちていることがわかる。せめて興味のあることに向かう意欲は衰えたくないと思っていた矢先だから、これは良い刺激でありモチベーション向上の試みであると考えた。

江戸時代中期の風俗や言葉、医療、食べ物などなどこれまで気にも留めなかったことを織り込まなければならない。数十冊の書籍や資料を集めてにわか勉強を始めた。しかしそのことを面白く楽しく感じる自分がいることにまずは驚き、意欲高揚を目的として一編の小説を書いてみるのも自分にとっては大きな意味のあることではないかと挑戦をしてみた。

ともあれ舞台は小石川養生所である。
となれば主人公は榊原伊織と大岡越前となり竹脇無我と加藤剛の顔が浮かぶ(笑)。しかし基本は可能な限り史実に忠実でありたいと考えたし時代考証もこれまたできうる限りリアルなものにしたいと考え、養生所の肝煎は史実通り小川笙船とし、他の本道や外科・眼科の医師たちも実在の人たちを配した。
ただし主人公は得体の知れない風来坊、ヒロインは尾張藩江戸家老の一人娘とした。勿論フィクションだ。
さらに尾張藩主やその背景に関しては史実に頼ったが、家老や登場人物は架空の名である。また南町奉行所の奉行、大岡越前は申し上げるまでもなく実在の人物だが、登場させた与力や同心たちの名はこれまた創作である。

ストーリーはあまり深刻な展開はせず、心安らかに読めるようにと考えた。しかし何らかのリアリティを求めるとすれば時代小説の魅力は主人公たちの生き様はもとより、やはり剣術の魅力に他ならない。
この点も多くの文献を参考にさせていただき、尾張柳生新陰流の名手である主人公を引き立たせるべく気を遣った。そしていくつか剣を振るうシーンもあるが、私自身居合いの真似事をしていることが意外と役にたった。とはいえ柳生新陰流の一端を主人公に語らせているものの、それはあくまで筆者の勝手な解釈なので念のため。

また手前味噌ながら本小説には小石川養生所の設立当時の出来事が表現はフィクションながら史実を重視して書かれている。したがって養生所の描写は勿論、当時の医療、町火消し、湯屋といった江戸中期の風俗などにも興味を持っていただけたら嬉しい。
ということで、本編はまさしく筆者自身が楽しんで執筆したものだ。
考えたプロットの通りにシーンを決め、登場人物を決めると彼ら彼女らが自然に江戸の町を歩き回る様が手に取るように見える気がした。
一番厄介だったことは自身が考えたストーリーに時代考証をマッチングさせることだったが、いかんせん、にわか仕立ての小説故不備も間違いも多々あろうかと思う。しかし虚の世界を作る面白さを知ってしまったような気がして些か困惑もしている。それでも一般的な文庫本1冊分の量を2ヶ月半ほどで書き上げた。

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※PDFをダウンロードし例えばKindleにインストールすれば電子ブックとして利用できる


最後に、小説ではあえて説明していない事項も多い。例えば大岡忠相と主人公の出会い、岡っ引きの親分や「い組」の頭とどのように親交を持ったのかなどなどだ。これらを説明するとそれだけでページが増え、緊張感が間延びするように思えたのであえて次回作への布石と考えた。

縦書きで執筆したデータはPDFとしてMacTechnology Lab.ウェブサイトに載せた。そのままブラウザでお読みいただけるが、例えばダウンロードしていただき Kindle にインストールすればまさしく電子ブックとしてご利用いただける。
ともあれお一人でも楽しんでいただければ嬉しい。

時代小説「首巻き春貞 小石川養生所始末」



43年前、京都ひとり旅の思い出

京都には何度行ったか、正直数え切れない。女房と一緒にそして後半は私の両親を含めて4人で毎年、それも多いときには桜の季節と紅葉の季節、あるいは正月といった具合に至福のひとときを過ごした。実際 “桜” といえば京都の桜を思い出すほどだ。そうした京都旅行の中でも忘れなられない特異な旅がある。それは昭和49年(1974年)8月にひとり旅した思い出だ。


独身時代であり、懐具合もよかったものの、なぜ京都にひとり旅してみようと思ったのか、いまとなっては釈然としない。それ以前に京都といえば修学旅行で立ち寄ったことがあっただけだから、仏像好きの私としては自由に旅を満喫したいと思ったのかも知れない。
さて、なぜいまさらこのようなテーマで記事を書こうと思ったのかといえば、当時よほど印象深い旅だっのか、旅行の過程を写真と共に1冊のアルバムにしたものが出てきたからだ。決して几帳面とは言えない自分がよくもまあ、整理して残したと感心する。何しろすでに43年も前のお話しなのだから…。
京都の観光名所など、今となっては珍しくもないだろうがひとり旅の気楽さと不便さといった両極端を味わった旅でもあった。

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※43年前、京都ひとり旅したアルバムを発見(笑)


1974年8月29日、日の高いうちに私は京都大原に向かった。新幹線で京都まで来て駅のコインロッカーに荷物を預けタクシーを拾った。
ときはちょうど昼時だったようで大原三千院入り口近くにあった一福茶屋という店で “とろろ蕎麦” を食す。350円也。
勿論カメラを持って行ったが、三千院門前は三脚禁止だったので自分撮りができないことにもどかしさを感じた。

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※三千院門前で。三脚が使えず自撮りができなかったので旅行者の方にお願いした


三千院の往生極楽院で本尊の阿弥陀如来三尊を仰ぎ見る。会うのは初めてだった。
中央の阿弥陀さまより両脇士に魅せられる。お尻が少し上がり、いまこのとき衆生の救済に向かおうとする瞬間の姿なのだそうな。

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※三千院の往生極楽院


三千院から200mほど離れた来迎院へと立ち寄るが、ここは本堂しか見るべきものがないと5分で退散。一路、東海道自然歩道とかを歩き出す。
現在のように道々に土産物屋がある時代ではなかったが、一件の喫茶店を見つけてアイスコーヒーを注文。私はここではじめて京都ではコールコーヒーと呼ぶことを知った。
どのくらい歩いたのか、寂光院にたどり着いた。あの建礼門院陵があることで知られているが、さすがというべきか、女性の観光客ばかりで見回した限り、男性は私だけのようだった。
院内に置かれていた建礼門院の像は彩色され京人形のようだった。

 思いきや 深山の奥に すまゐして
 雲居の月を よそに見むとは

の歌が哀れ。だからであろうか、パラパラと天気雨が降ってきた。私には建礼門院の涙に思えた。
寂光院門前で運良くタクシーが拾えたので京都駅に戻り、コインロッカーから荷物を出して旅館へと思ったが時刻はまだ15時。
時間つぶしと話しのネタにと駅前の京都タワーに登ってみた。無論初めてである。
しかし正直あまりにも俗っぽい土産物屋ばかりで見る気が失せ、早々に降りて旅館に向かった。

実はこの旅行のひとつの目的はこの旅館にあった。
三条河原町西に懐石・京の宿「大文字家」があった。ここは亀井勝一郎や水上勉らが愛した京の宿として紹介されていた雑誌の一文を読み、是非そのうち1度で良いから利用してみたいと考えていたのだ。

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※懐石・京の宿「大文字家」のパンフレットと記載されていた亀井勝一郎と水上勉による推薦文


ただし京都の宿は一見は利用できないところもあるので私はおそるおそる電話をしてみた結果、利用可能とのことだったので予約をした。
何度も写真で見た水打ちされた狭い道を入ると夢にまで見た(笑)大文字家の玄関だった。

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※水打ちされた石畳を入ると雑踏が嘘のように消える


通された部屋は八畳だったと思うが、近代的な旅館とも、無論ホテルとも異質な独特の空間だった。
覚えているのは一品ずつ出でくる懐石料理の数が多くて驚いたこと、そして一人で飲むビールが効いたことだった。

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※二泊した宿、大文字家の一室。背景のテレビが時代を感じさせる


翌日は嵯峨野へ行き、三条大橋を渡ったり、化野念仏寺を経て祇王寺へと向かった。

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※祇王寺、控の間の吉野窓


途中、檀林寺があったのでちょいと覗いたら、門前で週刊新潮を読んでた老人に「おいでやす」と言われ入ってみたが見るものはなかった。

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※化野念仏寺奥の竹林


さらに南に下って少々右に折れると二尊院。またまた歩いて落柿舎に寄り常寂光寺。そして回り回って嵐山に出た。

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※落柿舎、中は撮影禁止だった


京の夏は本当に暑い。よく歩いたものだが、ここからタクシーで八坂神社へ行く。せっかくここまで来たのだからと祇園一、いや日本一の茶屋である一力の暖簾を眺めて踵を返した。

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※現在この付近はお土産やなどが立ち並んでいるはずだが、三脚を立てて自撮りした一枚


四条小橋あたりだったと思うが実に京らしい若い女性に出会った。
出会ったといっても向こうは風呂敷包みを抱え、浴衣を着て歩いていただけだが、若造の私から見ても一般女性ではないように思えた。勇気を出して声をかけ、写真を撮らせてもらったが、どうやら舞妓になりたての女性のようだった。
ようだったというのは、一応失礼にならないようにと気を付けながら二三聞いたのだが、帰ってきた京言葉がよくわからず、結果不明のままだった(笑)。

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※四条小橋あたりで舞妓さんと思われる若い女性とすれ違い、写真を撮らせていただいた


現在の京都は、旅行者が舞妓の姿になり、数時間歩き回ることができるサービスもあり、偽舞妓・偽芸子を本物と思って写真を願っている観光客も目につくが、無論当時そんなサービスはなかった。
スッピンの顔から判断してせいぜい高校生といった年齢に思えたが、どこであれすれ違い様に女性に声をかけたことは初めてだった。いや本当だってばあ(笑)。
そして旅館に戻った。

三日目の朝がきた。ニュースによれば台風が接近しているというものの空はまだ晴れていたので鴨川のほとりを散策した後に三十三間堂に向かった。建物の中に入ると修学旅行当時の思い出が湧き上がってきた。この千体の仏像の中に亡くなった知り合いの顔があるとかないとか…といったガイドの説明があったことも思い出した。
そして慌ただしく清水寺へと急ぐ。途中、七味屋で唐辛子を買い、清水人形の店を覗いたら地蔵の焼き物と目が合ったので購入した。

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※清水寺の舞台


小さな買い物袋を下げながら清水寺の舞台へ。そして三年坂を下り八坂の塔を眺めながら円山公園に出て長楽館で一息しようとコーヒーを頼む。BGMはベートーベンだった。

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※八坂の塔


この日はメチャ暑かったが、神宮通りを歩きに歩いて平安神宮へ到着。少々プラモデル的だが美しい。そして左近の桜の前で三脚を立てて自撮りする。
次ぎに目指したのは南禅寺。途中あまりの暑さに自動販売機でコーラーを立ち飲み。80円也。
山門を通って歩くと目的のレンガ造りの水道橋が見えてきた。琵琶湖疏水が流れる水道橋を堪能して昼飯をと店に入った。するとテレビで台風情報をやっていて今にも京都付近に上陸するという。

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※南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋を背景に


本当なら銀閣寺に向かうことを考えていたが、仕事上新幹線に止まられると困るので一泊切り上げ帰る決心をした。せっかくの旅行だったが、サラリーマンだからして仕事に穴をあけるわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで一日早く帰ることにした次第。

大文字家に戻り、事情を説明すると快く一泊のキャンセルを承諾してくれ、三つ指ついて送ってくれた。
「また来ます」と言いつつ背を向けた。実際にその数年後、女房と一緒に再び大文字家に泊まったが、代替わりしたのか趣がかなり変わっていて残念感が強かった…。

ともあれ京都駅に戻り、新幹線のチケットを買うが、小一時間余裕があるので近所の東寺に寄ってみた。
空を見上げると明らかに暗くなってきている。「おのれ台風16号」
こうして私の京都ひとり旅は終わった。なお京都へは冒頭に記したように数え切れないほど行ったが、ひとり旅はこのとき以来機会が無い。

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※15時44発東京行きの新幹線にて急遽戻ることに


それにしても僅かな点数とはいえ、さらに退色しているとはいえこうした記憶をフィードバックできるのも写真が残っているからだ。
余談ながら、現在デジタルカメラで撮った写真は果たして43年後に問題なく楽しむことができるのだろうか?
以上43年前の京都旅行のレポートでした(笑)。



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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。ゆうMUG会員