新型全自動エスプレッソマシン「デロンギESAM03110S」レポート

日々愛用し世話になっていた全自動エスプレッソマシン「デロンギEAM1000BJA」が壊れた。購入が2009年3月だったから丁度10年使ってきたわけで感謝しかない。とはいえこれまた無いわけにはいかないので無理して後継機種を買うことになったが懐の傷手には違いない…。


ともあれ新たに購入した製品もデロンギ全自動コーヒーメーカー マグニフィカの同じシリーズだが、型番は「シルバーESAM03110S」でその名の通り今回の機種は筐体フロントカラーがブラックではなくシルバーを選んだ。
基本機能は同じでサイズも奥行きが4cmほど大きくなっただけだが幅や高さはほぼ同じだし、オペレーションのすべてはフロント側で可能なので、置き場所も左右にあまり気を使わないですむ。

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※デロンギ全自動コーヒーメーカー マグニフィカ「シルバーESAM03110S」


専用投入口にコーヒー豆と水をセットし前面パネルのダイアルでコーヒーの濃さと量を調節した後、抽出ボタンを押すだけでクレマも豊かに香り高いイタリアン・エスプレッソが抽出できるのも一緒である。なお、抽出は1杯は勿論2杯同時も可能である。そしてコーン式コーヒーグラインダー搭載(ミル)は低速回転でコーヒー豆を挽くため、摩擦熱が発生しにくい構造であり、為にコーヒーの命ともいえる揮発性のアロマを逃さずに豆を挽くことができる。
さらにミルクフォーマーも肌理の細かなものが容易に作れるからカプチーノも美味しい。

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※早速カフェ・シェケラートを作ってみた。カップはイタリアのボルミオリ ロコ社製のガラス製カップ


ただし、さすがに十年前とまったく同じといったわけではなく操作ボタン類のデザインと配置が変わり、全体的にシャープな印象となっていると共に機能もパワーアップしている。
基本的な構造や仕組みはEAM1000BJAと同じだが、ESAM03110Sは元電源が装備されコーヒー抽出後に自動的にボイラーがオフになる節電機能が付いたり、オートオフまでの時間を設定可能になったり、抽出温度は4段階から選択可能になったりと機能アップしている。また実際に使ってみると抽出後に電源をOFFにすると内部洗浄が始まるが、その所要時間も短くなっているようだ。

またカップを温めるため、熱湯の抽出もできるし抽出口も上下にスライドさせ、カップの高さによって調節が可能になっている。ただしこのESAM03110Sは1450Wと消費電力もパワーアップしていることもあり、コンセントはタップなどは使わず直接接続しなければならない。
ということでセットアップの後に空気抜きや内部洗浄そして水の硬度確認とセットという前準備をした後に早速テストを数度やってみた。

そういえばせっかくコーヒーマシンを新調したのだからとこれまでやったことのないことに挑戦(大げさだが)することにした。それはカフェ・シェケラートとかラテ・シェケラートというイタリアで広く好まれているというアイスコーヒーを煎れてみようと考えた。
形から入る私としてはイタリアのボルミオリ ロコ社製のガラス製カップと共にカクテルシェーカーも手に入れた。カフェ・シェケラートの具体的なレシピはググっていただければ多々情報があるので今回は略すが、抽出したてのエスプレッソを氷で一気に冷やすため、芳醇な味と香りが楽しめる。

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※こちらはミルクたっぷりのラテ・シェケラートだが実に美味しい。ちなみに"シェケラート"は「シェイクする」といった意味だという


初めての試みとしては上出来であった。
これでまた毎日が楽しみになったが、願わくば前機種同様10年ほどは無事故で楽しみたいものである。





杉田玄白「鷧斎日録」を読む

日記をつけている方は少なくないと思うが、私はといえば日々つぶやくTwitterやInstagramなどへの投稿が一種の日記になっていると思うし、愛犬の成長ぶりを軸に「ラテ飼育格闘日記」を本ブログに週一で載せており、あらためての日記はつけていない。また自分の日記はともあれ、他人の日記を覗くというのはなかなかに興味深いものだが、著名人の公開されている日記の中には公開される…公開することを意識して書かれているものも多い。


さて今回は江戸時代に「解体新書」を著したことで知られている医師、杉田玄白の日記についてのお話しである。
玄白は筆まめというか記録魔というべきか、日記をこまめにつけていた。その一部であろうと思われるが、天明8年〜文化3年(1788年~1806年)までの日記が全九冊「鷧斎(いさい)日録」という名で伝わっている。これらは玄白56歳から74歳まで約19年間の日々の貴重な記録であるが、玄白は文化14年(1817年)に85歳で没しているから文字通り晩年の記録である。

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※「鷧斎日録」全文が載っている株式会社生活社刊「杉田玄白全集第一巻」(1944年発行)


「鷧斎日録」の存在が世に知られだしたのは昭和11年(1936年)のことだったという。同年「東京朝日新聞」記事をはじめ、高浜二郎氏や原田謙太郎氏により「歴史地理」「日本医療新報」「中央公論」といった媒体に報道や論文の発表が相次いだ。
ちなみに私の手元には昭和11年9月に日本歴史地理学会発行「歴史地理」第六十八巻 第三号に「杉田玄白の手記『鷧斎日録』」と題された論文が載っている現物がある。

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※昭和11年9月に日本歴史地理学会発行「歴史地理」と掲載されている高浜二郎氏の論文


ということで最初に「鷧斎日録」を玄白の子孫の方から閲覧を許されたのは高浜二郎氏だったが多々経緯もあってほとんど世に知られることなく、その後の新聞発表では「蘭学事始以上の珍本、百廿余年目に発見!」と国宝的珍書が発見されたと奉じている。

「鷧斎日録」は虫食いが甚だしいため、保険をかけた上で修理に出し、一枚一枚裏打ちをし一冊となるのを待ち構えるようにして原田謙太郎氏、内田孝一氏、岡本隆一氏、三廼俊一氏、杉靖三郎氏、村上秀氏の六氏により分担して写筆研究を行ったという。
結果予定よりかなり遅れたが、昭和19年11月15日に杉靖三郎氏を編者として株式会社生活社より「杉田玄白全集第一巻」として刊行された。

私の手元にはその初版本があるが、奥付を確認すると初版発行部数は1,500部で定価は十二円五十銭とある。ちなみにこの頃の物価をググってみると、1000円で家が建つとか軍事産業の工務部次長で34歳の男性の月給が167円だったといった話しがある。無論この前後は食料が配給制になったりと物価の変動が著しい戦渦の時代だった。ということで誤解を承知で言ってみれば十二円五十銭という価格は現在の50,000円ほどの重みがあったに違いない。
高価な専門書といった感じだったようだ。
ともかく戦時中でもあり紙不足でもあったからか紙質が著しく良くないものの600ページほどの本がまずまずの保存状態で入手できた。

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※「杉田玄白全集第一巻」の奥付


さて、内容を見てみると天候、体調はもとより日々の出来事だけでなく随想、和歌、狂歌、俳句、漢詩、年収などが多彩に織り込まれている。
特に玄白が毎日のように小石川、浅草、吉原、品川まで江戸の町を広く往診に出かけていることにも頭が下がる。
要は…「鷧斎日録」は臨床医としての玄白の往診記録を主軸として、玄白の回りの人たちの言動、玄白自作の詩歌、おそらく藩邸勤務や往診の過程で知り得た当時の社会事情やその情報を書き留めた日記なのである。
その記述は基本とても簡素なもので、諸情報の記録についても事実のみが記され、それに関して玄白自身のコメント類はほとんど書かれていない。

例えば丙辰年(1796年)正月からの記述の一部をご紹介すると、

・元旦 雨夜雪 御屋敷御禮相済。
    歳旦
  若水の汲上られて今年哉
  天神下出ル。
・二日 雨 天神下出ル。
・三日 曇 在宿。
・四日 晴 風気在宿。
・五日 雨 同。
・六日 雨 前夜より大風雨。
・七日 曇夕晴 近所年禮。
・八日 晴 浅草・吉原病用。夜御福引。
・九日 同 牛込・小川町邊年禮。
・十日 雪 在宿鏡開。

といった具合…。 
また家族のこともよく記録されており、特に出産や死亡、藩邸への出向や子供を連れて芝居見物に行ったこと、あるいは墓参などを書き留めている。さらに子供や孫を可愛がっていたことが伺われるし、市川団十郎(五世)や火付盗賊改の長官こと長谷川平蔵宣似の名も登場している。
この「鷧斎日録」は杉田玄白という史実の人物をよりよく知るためにも重要なタイムカプセルであるが、当時の世相をリアルに知ることができる一級の資料でもある。

なお私が知る限り「鷧斎日録」の全文が読めるのは前記した株式会社生活社刊「杉田玄白全集第一巻」だけのようだがすでに書籍を入手されるのは難しい。ただし幸いなことに国立国会図書館デジタルコレクションにアップされており、無料でPDFファイルとしてダウンロードできる。

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※「杉田玄白全集第一巻」は国立国会図書館デジタルコレクションにアップされている


とはいえこれを読破するのも正直大変だと思うので興味のある方には松崎欣一著「杉田玄白晩年の世界〜『鷧斎日録』を読む」(慶應義塾大学出版会)をお勧めしたい。
本書も500ページを超える本だが、全文掲載というのではなく例えば「臨床医として」「教養人として」「記録者として」といった具合にいくつかの項目別に「鷧斎日録」を読み解き、実に詳細なる研究結果を公開している。

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※松崎欣一著「杉田玄白晩年の世界〜『鷧斎日録』を読む」(慶應義塾大学出版会)


少し例を上げれば、医者仲間の会合や俳会などの会合への出席頻度、大雨・洪水の記事の集計、火災関係の記事リストなどだが火事の記録をこれだけ整然と列べられると「火事と喧嘩は江戸の華」ではないが、いかに江戸の町は火災が多かったのかが分かる。その他、往診のために外出した地域と回数、打ち壊しや百姓一揆の詳細が分かるだけでなく、玄白の家族や親族がどのようなものであったかも理解しやすい。
「解体新書」の翻訳で知られる蘭学者・臨床医の豊かな晩年と共に同時代の世相まで眼前に浮かんでくる「鷧斎日録」はもっともっと一般にも知られて良き内容に思えるのだが。


書籍「幕末諸役人の打明け話 〜 旧事諮問録」考

いま脇机の上に開かれているのが青蛙房刊「幕末諸役人の打明け話 〜 旧事諮問録」(以下旧事諮問録)という400ページを超える書籍である。「旧事諮問録」は「きゅうじしもんろく」と読むが別途「ふるきこと たずねし きろく」ともふりがながつけられている。


「旧事諮問録」は、明治維新から二十余年、文明開花、欧化主義の嵐が静まり過去の歴史への反省が生まれる頃、それまで否定してきた德川の幕政へ新たな検討が始まった…。そして東京帝国大学の当代トップクラスの学者グループが、政治・経済・法政・外交の各般にわたり、旧幕古老たちにたずねた問答体の速記録である。

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歴史は勝者の記録とはよく言われるが、明治維新のような大きな変化があったときは尚更のこと、100年…いや50年もすればそれ以前の社会のあれこれなど忘れ去られてしまうものだ。特に明治維新はそれまでの幕政体勢を完全否定したわけだから文明開花、欧化主義への変化だけでなく、それまでの文化や体勢といったものは否定され急速に忘れられていった。
さらに当時は現在のように動画で世情や人々の暮らしを記録することなどできようもなかったから、往時を生きた人々が亡くなれば生の記憶は完全消滅する。

そうしたことを学問の立場から危惧したのであろう、帝大の中にあった史談会という学者グループの有志が集まり「旧事諮問会」が発足したのだった。
要は失われるであろう幕政のあれこれを記録し後世に残すべしと考えた「旧幕勤仕の古老に物を聞く会」である。そして明治二十三年秋冬のころより毎月一回、その職を旧幕府に奉じ、事務に練達せる耆老を招聘して未だ文書にあらわれざる事実を質問する事となった。

その内容は多義に渡り、役向きの勤めぶりや諸般の慣習、風俗を知る以外に奇話や秘聞に属するものも多い。
内容を目次に従い大別すると「将軍の日常生活」「勘定所の話」「評定所の話」「大奥の話」「目付・町奉行・外国奉行の話」「御側御用取次・外国奉行の話」「八州取締・代官手代の話」「昌平坂学問所の話」「欧州派遣使節・奥御右筆の話」「御庭番の話」そして「町与力の話」と様々だ。

しかし「旧事諮問録」は一般的な回顧録とは違う。大概の回顧談は自叙か聞書かによって生まれたが、本書は座談会形式という珍しい例であり、かつ当時流行だったという速記術によって記録されたものだったからだ。
さらに諮問会会員の氏名リストも載っているが、我が国初の博士号を授与された者も含めて五十九名であり、私などが見ても分からないが当時の錚々たる顔ぶれであるという。

さてさて問題の中身であるが往時を知りたい者にとってまさしく一級の資料であり他に類の無い内容だといえよう。
例えば「将軍の日常生活」を覗いても着るものから夜具の揃えの話があったり、将軍はだいたい一日のうち三分の二以上は中奥に在しているとか、ご飯は蒸飯だとか、食事の器物も粗末なもので椀のごときは世間に売っている普通の椀であるなどひとつひとつの問答が実に興味深い。
また有徳院(八代将軍德川吉宗)は実際に相手の身分が低い者であっても構わず話しをする人で、書生同様大坂などを歩いていたというし、厩の掃除をする者に酒を与えるくらい開けた公方であったという。こうした事実が暴れん坊将軍といった魅力あるフィクションを生む背景だったに違いない。

なぜ学者でもない者がこうした書籍を手にしたかといえば、それは時代小説を書く中でフィクションはフィクションとしても時代考証や史実の登場人物、例えば八代将軍吉宗や南町奉行大岡越前守忠相などなどの活躍ぶりをできるだけきちんと描きたかったからだ。
なお「旧事諮問録」というと、岩波文庫版が知られているようだ。しかし旧仮名遣いであることから私はあえて本書三好一光校注の青蛙房版を選んだ。本書は三好一光氏が解題末に述べているようにすべて話し言葉の記録であること、一部の研究者のためというより一般に読んで貰いたいということで現代語調に改められている。

ということで、旧幕府の役人たちの肉声が詰まっている「旧事諮問録」は歴史を学ぶ者、興味を持っているすべての人たちの宝でありタイムカプセルだといえよう。




「解体新書」底本のミステリー(後編)

「解体新書」レプリカ二種の表紙の色が違うという事から安永三年に作られた刊本に種類があったと考えざるを得ないことが分かった。そんなことを考えつつ多々資料に当たっていたら幸い古い書籍が見つかり、そこに知りたいことやこれまでもやもやしていた事へのヒントが多々載っていた…。


それは昭和55年というから1980年に発刊された書籍の復刻版で2006年8月1日に初版発行された「解体新書と小田野直武」という本で著者は鷲尾 厚氏という方だがすでに亡くなられている。
今回の「『解体新書』の謎(後編)」は当該書籍も参考にしながら安永三年に発刊された「解体新書」に…特に今日いくつかの大学や資料館あるいは個人が所蔵している「解体新書」の底本の謎についてお話しを続けたい。なお以下個人名の敬称は略させていただくのでご了承願いたい。

そもそもお上からの発禁や罰を受けないようにと杉田玄白は将軍家や宮家に「解体新書」を献上したことは知られていることであり、「大鳥蘭三郎・解体新書」小川鼎三監修/大鳥蘭三郎校註のレプリカの底本、慶応義塾大学医学部北里記念医学図書館所蔵の「解体新書」がそれに当たるオリジナルの一つであろうと監修者の大鳥蘭三郎があとがきで記している。そしてそれは一般に流布された五冊巻ではなく二巻の仕様であり、その判形も些か大きいことは前編で述べた。

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※レプリカ表紙比較。左が「大鳥蘭三郎・解体新書」版、右が「日本医学の夜明け」版の表紙【クリックで拡大


また「日本医学の夜明け」版の例えば「序文」を見ると読みやすくするためだろう句読点が多々ある。しかし「大鳥蘭三郎・解体新書」には無い。ということはこれまた版木が違うのかと考えたが、これはその底本所有者が後から書き込んだと考えれば必ずしも版木が違うとはいえない。そのままレプリカ化されたのだろう。

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※「大鳥蘭三郎・解体新書」版の「序文」頁(上)に句読点はないが、「日本医学の夜明け」版(下)には多々ある。赤丸は筆者が加筆


ちなみに、「解体新書と小田野直武」(鷲尾厚著)に紹介されている町立角館図書館所蔵「解体新書」には読みやすくするためのレ点をはじめ記号が多々加筆されている。
さらにレプリカ印刷時にどちらかが版のサイズを間違えた…という可能性はまずないと思ったが、念のため双方の縮尺をできるだけ同じにして重ねてみると摺りズレや紙の収縮といったレベルを超えた違いが出ている。これは版木が違うと結論づけてよいだろう。

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※双方の同じ頁の縮尺を同一にして重ねてみたが、明らかに版木が違うことがわかった【クリックで拡大】


ということで一般に流布されたものと献本用で間違いなく二種の版木があったことは確実だ。さらに鷲尾 厚は著書「解体新書と小田野直武」の中で「解体新書」安永三年版は少なくとも三通りのものを上梓していたことになると自説を述べている。
ちなみに今回私が参考にした「解体新書」をリストアップしておきたい。

1)「大鳥蘭三郎・解体新書」小川鼎三監修/大鳥蘭三郎校註
  底本:慶応義塾大学医学部北里記念医学図書館所蔵
2)国公立所蔵史料刊行会編「日本医学の夜明け」小川鼎三/緒方富雄監修
  底本:靜嘉堂文庫所蔵
3)西沢書店「解体新書 復刻版」
  底本:愛知県岡崎市の岩瀬医院所蔵
4)全現代語訳「杉田玄白 解体新書」(酒井シヅ著)
  底本:東京大学医学図書館所蔵(土肥文庫)だと思われる
5)「解体新書と小田野直武」(鷲尾厚著)
  底本:農村モデル町立角館図書館所蔵
6)「日本思想体系 洋学(下)」小川鼎三/酒井シズ校注 岩波書店
  底本:不明

なお実物大と称するそれぞれが底本と同サイズで印刷されているとすれば、(3)の底本もサイズが(1)と同じであることから、言及されてはいないものの(1)と同じく献上向けの版木で刷られたのかも知れない。

ただし厄介なのはそもそも情報が古い点が多い事だ。したがって表記の場所に現在も所蔵されているかは分からないし公立の組織の場合だと名前が変わったりしている可能性もあるが、まずは資料にあるとおりに記して話しを進める。
さて判型が違うものがあることが分かったので他に違いがあるのかどうかを調べた結果、面白いというより興味深い事実を知った。

まずは前記(1)の「解体新書」の一巻目「序図」の頁構成を見てみると「吉雄耕牛の序文」から始まり次に「自序」そして「凡例」と続く。この順序は(2)(3)(5)(6)とも同じだが(4)だけが「序文」「凡例」「自序」の順となっている。
この順序に違いがあるとすればそれは乱丁と考えるのが普通の感覚ではないだろうか。何種類もの順番を持つ本を作るというのは考えられないからである。ただし現在ネットで見られた限りの情報を加えるなら、東京医科歯科大学図書館蔵と称する「解体新書」も(4)と同じ順序で載っていたが、国立国会図書館、岐阜県歴史資料館、平賀源内記念館、高知県立牧野植物園/牧野文庫、甲南女子学園や大江医家史料館のものは(1)(2)(3)(5)と一緒のようである。
また興味深い事に底本は不明ながら(6)は(4)と同じ酒井シズが校注に加わっているにもかかわらず頁構成が違うのだ。

であるなら数の理屈から言っても(4)は刊本時の乱丁か、あるいは後に補修などのためにバラしたとき故意・間違いで順番を入れ違えたと考えるべきではないだろうか。
ここでさらにショッキングなことがわかった。
それは(5)の「解体新書」の奥付の後に二丁にわたり出版広告がつけられているという事実である(「解体新書と小田野直武」による)。この広告は総計59種の書物名が並んでおり、その考察から(5)の角館本は間違い無く安永三年の刊本だと鷲尾厚は力説している。

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※「解体新書と小田野直武」(鷲尾厚著)無明舎出版 280頁と281頁。ここには奥付の後に広告頁が続く


しかしその他に所蔵されている「解体新書」に広告は残っていない…というよりそのことに付言した情報はまずない。この事実をどう考えるべきか。
それは安永三年に出版された際に、将軍家や宮家への献上品を除いて一般に流布するものにはすべて同じ広告が載せられていたと考えるのが合理的だろう。それが現在ないとすれば “取り去った” というしかない。

どうも私たちはこうした二百数十年もの間保管されてきた貴重なものは当時のまま残されていると思いがちだ。しかし「解体新書」が当時いくらで販売されたかについてはまだ調べていないが、専門書でもあったし決して安い本ではなかったと思う。それを手に入れた者は活用するのに無関係な広告頁を取り去ったのかも知れず、近代になり図書館なりに収蔵されるようになった場合もこれまた広告は無関係と外されたに違いない。
また表紙もかなり痛んだ場合も多かったと思われるからいつの時点かはともかく後にきちんと残そうと意図すればするほど新しいものや図書館独自のものに取り替えられた可能性が大だ。

だとすれば頁構成の順番が違ったりあるいは表紙の色が違う「解体新書」底本が存在しても不思議ではないわけだ。きちんと和綴じされているから安永三年の刊本のままだという保証はどこにもないのである。ただし今のところは推論に過ぎないがどうやら刊本時の表紙に藍色のものはなかったと見てよいのかも知れない。
今回「解体新書」のレプリカを二種手に入れた事をきっかけに、刊本当時の姿を調べて見ようとしたわけだが、世の中に「解体新書」に関する書籍は結構あるものの、大半がその内容についての解説であり、歴史的な和本として刊本当時のことを知り得る情報はいたって少ないことに気がついた。

そして監修や著作の方たちは医療の専門家であっても和本やそうした情報の歴史的考察については専門外であり当然ながら突っ込みが甘い。またその解説や説明に底本の所蔵場所を示していない例も多く、一歩踏み込んで調べようにも手がかりがないのだ。
さらに図書館レベルの組織がネットに載せている画像があった場合でもサイズや解像度が非常に低くまたモノクロであったりと正確な情報を第三者が把握するには役に立たないケースも見受けられた。

ともあれ個人的な興味として「解体新書」を目標通り出版できた杉田玄白らの思いと平賀源内の紹介であろうが東都書林中でも老舗でありベストセラーを生み出してきた須原屋市兵衛という版元、そして彫り師や摺師たちの葛藤や人間模様についても知りたくなった…。

【主な参考資料】
・片桐一男著「知の開拓者 杉田玄白」勉誠出版
・片桐一男全訳注「杉田玄白 蘭学事始」講談社
・酒井シヅ全現代語訳「杉田玄白 解体新書」講談社
・緒方富雄校注「蘭学事始」岩波書店
・国公立所蔵史料刊行会編「日本医学の夜明け」日本世論調査研究所
・杉本つとむ編「図録 蘭学事始」早稲田大学出版部
・「大鳥蘭三郎・解体新書」付属「解体新書解説」講談社
・鷲尾厚著「解体新書と小田野直武」無明舎出版
・橋口侯之介著「江戸の本屋と本づくり」平凡社
・小川鼎三/酒井シズ校注「日本思想体系 洋学(下)」岩波書店



「解体新書」底本のミステリー(前編)

私の手元には集めたいくつかの「解体新書」がある。現代語訳の書籍や解説本、そして西村書店編集部の復刻版などだが、個人的に特別な存在としていわゆるレプリカが二種ある。レプリカとは申し上げるまでもなく本物に忠実に作られた複製品であるが、そのレプリカを比較する過程で謎が生じた…。


念のために記すが、「解体新書」とは前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らが協力して翻訳にあたり、安永三年(1774年)に刊行された西洋医学書の翻訳書だ。原典はドイツ人ヨハン・アダム・クルムスのオランダ語版であり通称「ターヘル・アナトミア」と呼ばれていた。

この翻訳および刊行は、一時代を画する偉業として医学史上高く評価され、以後我が国の名医たちが次々と本書に学び、医学の発展に偉大なる貢献をした歴史的偉業なのだ。
まあ、興味の無い方にとってはどうでもよい話題だろうが「解体新書」フリークの私にとってはなかなかに時代は勿論、関わった人たちの人間模様等々、実に興味深いテーマなのである。
ということでまず分かっている範囲ではあるが二種の「解体新書」レプリカの詳細を記してみよう。なお人名の敬称は略させていただいた。そしてそれぞれの詳細についてはリンク先をご参照願いたい。

1)「大鳥蘭三郎・解体新書」小川鼎三監修/大鳥蘭三郎校註
http://www.mactechlab.jp/article61.html
  出版: 1973年(昭和48年)講談社
表紙:雲母入鳥の子/渋茶
底本:慶応義塾大学医学部北里記念医学図書館所蔵
装丁:「解体新書」全五巻が帙に保護され専用の桐箱に収められている
  発売当時の価格:39,000円
  企画:「解体新書」発行二百年記念として3,000部発行

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※「大鳥蘭三郎・解体新書」小川鼎三監修/大鳥蘭三郎校註の「解体新書」レプリカ


2)国公立所蔵史料刊行会編「日本医学の夜明け」小川鼎三/緒方富雄監修
http://www.mactechlab.jp/article60.html
出版:1978年(昭和53年)日本世論調査研究所
表紙:藍色の和紙
底本:靜嘉堂文庫所蔵
  装丁:出前用岡持ちのような縦置桐箱に他の和書(レプリカ)と共に帙に保護されて収納
  発売当時の価格:330,000円
  企画:日蘭修交三百八十年記念

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※国公立所蔵史料刊行会編「日本医学の夜明け」小川鼎三/緒方富雄監修の「解体新書」レプリカ


共に四十年以上も前のものだが、昨今出版業界が大きく低迷している現状ではこうした高度で熱意のある出版は今後も期待できないと考えている。それだけにこの二種類のレプリカは個人的な宝でもある…。
さて「解体新書」の製本は木版印刷した和紙を、真ん中で二つ折りにして、端を揃えて糸で綴じる和綴じだが、四つ目綴じとか明朝綴じといわれ当時のポピュラーな製本方法だ。そして現代の我々は忘れがちであるが、原本は木版であり多いときには同じ版木で数百部が摺られたという。

勿論売れ行きがよければ何度も摺り増しを行った。問題は「解体新書」の場合、増刷が何度あり全部で何冊摺られたかはすでに不明だが、浮世絵がそうであるように大量に摺れば版木が痛んできてシャープな印刷ができなくなってくる。事実「解体新書」にも版木を彫り直したと思われる版もあるようだ。そうした意味においても浮世絵は初版がもっとも価値あるものとされる。
実際に前記二種を比べても版木の違いが刷った結果として差に現れている。具体的にいえば「大鳥蘭三郎・解体新書」小川鼎三監修/大鳥蘭三郎校註の方が断然シャープである。

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※木版の精緻さ比較。左が「大鳥蘭三郎・解体新書」で右が「日本医学の夜明け」版の扉画【クリックで拡大】


さて本題に入るが、では前記した二つのレプリカが見本としたオリジナル、すなわち底本の「解体新書」は同じ時期に刷られ販売されたものなのだろうか。共に安永三年に刊本されたものだがそのクオリティはともかく、気になったのは二つのレプリカの表紙の色と判型サイズが違っていたことだった。

「大鳥蘭三郎・解体新書」版の表紙は雲母入鳥の子/渋茶だが、日本医学の夜明け」版の方は藍色である。拘るようだがレプリカ、復刻版となればオリジナルのままに再現するのが基本のはずだ。大切なのは中身であるからして表紙の色などどうでも良い…とは言えない。
馬鹿な物言いに聞こえるかも知れないが、杉田玄白や中川淳庵が刷り上がり製本された「解体新書」の表紙に藍色を見たのか、渋茶を見たのかは私にとってどうでもよい事ではないのである。

「大鳥蘭三郎・解体新書」版は慶応義塾大学医学部北里記念医学図書館所蔵のものを使用したと解説書にある。ただしこの原本は流布されたものが五巻ひと組だったのとは違い、上下二巻にまとめられその判型もやや大きいという。監修者の大鳥蘭三郎があとがきで「将軍家・宮家あたりに献上するために、特別に刷られたものではないかと推察される」と書かれているが、一方レプリカ製作に対しては一般に流布している五巻本の体裁をとっている。
しかし「日本医学の夜明け」版と比較すると確かに判型自体が縦横2,3mm大きいし刷られた版木の寸法もかなり違う。

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※判型の差比較。左が「日本医学の夜明け」版の奥付で右が「大鳥蘭三郎・解体新書」版の奥付。和本の判型も些か「大鳥蘭三郎・解体新書」版が大きい


現在のようにコピー機でプリントサイズを拡大縮小できる時代ではなく、「大鳥蘭三郎・解体新書」版の解説にあるように底本すなわち版木自体が大きかったと思わなければならない。
事情に疎い私などはどこか版木はひとつであると思い込んでいた向きもあるが、浮世絵がそうであったように最初から複数の彫り師に複数の版木を彫らせることは珍しいことではなかったようだ。さらに私自身はまた見たことはないが、版元の須原屋市兵衛の所在地が奥付に記載されているが、本によって「日本橋室町二丁目」と「日本橋室町三丁目」の二種類が存在しているという。理由についてはよく分かっていないようだが、三丁目の上が欠けて二丁目になったのでなければ版が違うということになる。

さて表紙の話しだが、ネットでググってみると初版本として残存しているいくつかの「解体新書」の表紙は藍色ではなく古書のため色あせたりしているが渋茶といった色であり、今のところ藍色の表紙を持つオリジナルには行きついていない。
この藍色の表紙で復元されている「日本医学の夜明け」版だが、セットに付属する470ページにもなる豪華な解説本によれば「靜嘉堂文庫」所蔵の「解体新書」を手本にしたとある。

靜嘉堂文庫といえば東京都世田谷区岡本にある専門図書館及び美術館である。国宝や重文を含む日本および東洋の古典籍及び古美術品を収蔵しているが、事業主体は公益財団法人静嘉堂。そして同財団は三菱財閥の第二代総帥岩崎弥之助・第四代総帥岩崎小弥太父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足したとのこと。
しがってそこに収蔵されている「解体新書」だとすれば、由緒由来が不明なものではあるまい…。ただ残念な事にその「解体新書」のビジュアルが確認出来ないだけでなく同文庫は専門家のための図書館ということで一般からの問い合わせ窓口もないので現在も所蔵しているかどうかはもとより、表紙の色が藍色であるかどうかについて今のところ分からない。

Wikipediaによれば「解体新書」の原本は日本大学医学部、初版は九州大学医学図書館、津山洋学資料館、中津市大江医家史料館などに所蔵とあるものの各所蔵の表紙ビジュアルは大江医家史料館を除きネット検索では確認できなかった。
ともあれ一応ネットで調べられるだけ調べた範囲で以下に所蔵されているという「解体新書」は初版本と明記されているものを含めすべて表紙は渋茶だったと思われ、藍色のものはなかった。

・適塾所蔵
・国立国会図書館
・慶應義塾大学信濃町メディアセンター所蔵
・東京大学医学図書館所蔵
・内藤記念くすり博物館所蔵
・東京医科歯科大学図書館所蔵
・大江医家史料館所蔵
・研医会図書館所蔵
・明星大学図書館所蔵
・甲南女子学園阿部記念図書館所蔵
・さぬき市志度/平賀源内記念館所蔵

では「日本医学の夜明け」の「解体新書」レプリカ表紙はなぜに藍色なのか…。それがいまのところ分からない。
オリジナルも初版と重版で違ったのか、あるいは「日本医学の夜明け」の「解体新書」復刻版制作時に何らかの意図があって意図的にオリジナルと違う色の和紙を使ったのか。あるいは底本そのものが刊本以後に何らか手を加えられたのか…。
とはいえ現存している「解体新書」で安永四年とか安永五年の刊行日付を持ったものは見つかっておらず、何部刷ったかはともかくすべてが安永三年の刊本のようである。

繰り返すが「日本医学の夜明け」のプロジェクトで復刻された「解体新書」は靜嘉堂文庫所蔵のものだと解説書に記されている。そして本企画の監修は解剖学者、医史学者で東京大学名誉教授の小川鼎三と血清学者、医学史学者、東京大学名誉教授の緒方富雄である。すでにお二人とも鬼籍に入っているが当時医学界の重鎮中の重鎮であり、僭越ながら復刻版を製作するにあたり参考にしたオリジナルを軽視するとは思えない。だとすれば靜嘉堂文庫所蔵の「解体新書」表紙は藍色なのか?

また例えば「日本医学の夜明け」に「解体新書」同様復元された「蘭学事始」や「和蘭医学問答」を確認するとそれらは底本に忠実な表紙の色を使っている。
ということで、いまのところ靜嘉堂文庫所蔵の「解体新書」がどういうものなのか、表紙が藍色なのかどうかは調べた限り分からないでいる。

とにかくそうそうパソコンの前に座っていて都合の良い資料が見つかるわけでないだろうが、これが今のところ個人的に謎を追った限界である…。
無論原書漢文の内容を読む、確認するだけならこうしたレプリカである必要はなく、例えば西村書店編集部の復刻版で十分用は足せるわけだが、当時の “知” と “文化” そして関わった人たちの情熱をよりよく知るには限りなく本物に近いものを手にしたいとレプリカを集めてきた次第。
この私的な疑問・謎を解く旅は本そのものに関してだけでなく、その扱いやこれまで保存されてきた過程・歴史にも秘密があるようだ。
というわけで、後編につづく…。

【主な参考資料】
・片桐一男著「知の開拓者 杉田玄白」勉誠出版
・片桐一男全訳注「杉田玄白 蘭学事始」講談社
・酒井シヅ全現代語訳「杉田玄白 解体新書」講談社
・緒方富雄校注「蘭学事始」岩波書店
・国公立所蔵史料刊行会編「日本医学の夜明け」日本世論調査研究所
・杉本つとむ編「図録 蘭学事始」早稲田大学出版部
・「大鳥蘭三郎・解体新書」付属「解体新書解説」講談社



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。ゆうMUG会員