私にとっての "最後のコンピュータ" とは?

すでに半年以上も前になるが maclalala2サイトに「最後のコンピュータ」という些か刺激的な、そして考えさせられる記事が載った。アップルギークの MG Siegler氏が Mac 30周年を前に書いていた記事だという。頷きながら内容を追ったが、さて自分にとって最後のコンピュータはどういったものなのかを考えるとアップルギークの MG Siegler氏とは些か違った印象が頭を持ち上げてくる。


"パーソナルコンピュータ" という語はすでに死語に近いといわれているようだし、事実一般的にデスクトップのマシンは益々買い換え需要から外されつつあるようだ。まあ先日リリースされたRetine K5のiMacは別だが(笑)。
ともあれパソコンは設置スペースも小さくて済み、持ち運びができるMacBook ProやAirといったノート型で十分だというユーザーはもとより、そもそもがiPadで何でも出来るというユーザーが増えているという。

The last computer_05

※私にとっての最後のコンピュータはやはりiMacとなりそうだ


記事の中でMG Siegler氏はRetina MacBook Airがリリースされれば間違いなくそのひとつを買うだろうとしながらもそれが自分の買う最後のコンピュータになるだろうともいう…。その一番の理由は頭打ちとなったパソコンのパフォーマンスにあるとのことだ。
要するに「…3年たった iMac とリリース直後の新製品である MacBook Air のスピードの差は分からないし、いくつかのMac Pro のレビューをみてもほとんど変わらない。」からだという。

こうした点は大体において私も同意見だ。長い間使ってきた…それもメモリをフルに装備し、高級なビデオカードを入れたMac Proより女房が買ったiMacの方が速くて使いやすいことを知り愕然としたことがあったが、すでによりよいパフォーマンスを求め、昔みたいに毎年新製品を追い続ける意味は確実に薄れたことは事実であろう。
「コンピュータはスピードとメモリの大きさが命だ」とは以前から言われ続けてきたが、そうした認識も終焉を迎えつつあるのかも知れない。

なぜなら確かに20年ほど前を振り返って見れば1年毎に登場する新製品のマシンはそれ以前のマシンを完全に凌駕していた。だからこそ、常に最新の機種を手にすることはアクティブなユーザーにとって意味があったのだ…。具体的にいえばモニター画面大の3Dレンダリングに半日かかっていたものが、新機種のMacでなら3時間で終わるならそれは大変重要なことだ…。
ただし近年は些か様子が違ってきている。無論新しい機種やコスト高のマシンは高性能でありスペックを比較すれば間違いなくパフォーマンスが高いことは事実だ。とはいえ問題はそのマシンで我々はなにをしようとしているのかが問題である。

多くのパソコン利用者にとって重要なのは3Dとか4K 映像の編集といったものではなく、インターネットに接続するためのブラウザと電子メールをやり取りするメーラー、あるいは文章入力のワープロソフト、そしてお気に入りのゲームといった程度だとすれば、現状のマシンはかなり以前の段階でオーバースペックになっていることは間違いない。後はせいぜいデジタルカメラで撮影したRAWデータを編集あるいは加工する程度か…というかその程度であれば現行のすべてのMacで大きく不自由を感じるものではない。
繰り返すが最新・最速のマシンが必要なのは高度なレンダリングを必要とする3Dあるいは高品位なデジタル映像の製作・編集といったニーズに違いないし、それなら少しでも早いマシンは多いに意味があるわけだが、皆が皆そうした目的でパソコンを扱うわけではない…。

そういえば1984年に登場したばかりのMacintosh 128Kを購入して以来、これまでに何台Macと名が付くマシンを買ったのだろうか。前記のMG Siegler氏は「1ダース以上だ。それとも2ダースだったか。」と記しているが、一時期自身の財布から会社で使うマシンも買っていた時代があったから個人ユーザー時代そして起業した時代、さらに現在に至るまでに購入したMacの正確な台数は不明ながら、50台は下らないはずだ。正確にいうならそれ以前にApple IIや IIe、NEC PC-9801、PC-100、IBM5550などなども手にしたわけで、それらの全てを数えるなら…ああ数え切れない(笑)。

ところでいま手元にあるSIGMA DP3 Merrillというデジタルカメラで撮ったRAWデータは1枚で50MBほどにもなる。この容量は1987年にリリースされたMacintoshファミリー最初のカラーモデル Macintosh II に搭載された内蔵ハードディスクの容量…40MBを凌駕するサイズだ。当該マシンにはメモリ容量も最大で8MBという時代だった(漢字Talk 7以降は最大20MB)し、当時これでもスーパーパソコンといわれた製品だった。

>The last computer_01

※Macintosh II とSuperMAC社の19インチ・カラーディスプレイ(1989年撮影)


ここしばらくの傾向を見ていると、マシンパワーが向上するとそれに見合う成果を考慮したアプリケーションが登場したり、これまでのアプリも機能強化のために重くなり、より多くのメモリとスピードを必要とする。ある意味その繰り返しでパソコン市場は進化してきたわけだが、その傾向が今後も続くとしても鈍化はやむを得ないと思う。

AppleがMacを開発し続けるとすれば、私にとって最後のMacは私の命が終わった際に使っていたマシンということになるしその時期は現実問題としてかなり見えてきた(笑)。そしてこれまた個人的なことではあるが、私はいまだにノート型ではなくデスクトップ型を主として使っている。MG Siegler氏はすでに机の前では仕事をしなくなったと言っているが、私はといえば数ヶ月前にアップデートされたMacBook Air 11” を手に入れたものの、相変わらず主として使っているのは iMacの27インチである。

以前使っていたMac Pro はビデオカードを強化しつつ足かけ5年使ったが、現行のiMacはApple Careに加入したことでもあり3年間はきっちりと使うつもりだ。したがって今後は基本的に3年のスパン毎に新機種を手にすることになると考えているが、だとするなら、たとえば…私が日本における男性の平均寿命である 80.21歳までなんとか惚けずにMacの前に座っていられるとすれば、多分後4回…あるいは5回ほどデスクトップ機を買い換えるチャンスがあると考えられる…。
後たったの5回か?と嘆く気持ちもないわけでもないが、まだ5回もあると考えれば嬉しくなる(笑)。ということで、少なくとも私はMG Siegler氏とは違い、最後までデスクトップのMacを買い続けるだろうし愛用するつもりだ。

私は1980年代初頭にApple II でパソコンの面白さを知ると共に未来への窓を開けるキーを手にしたと考えてきた。しかし当時Appleのシェアはとても低く長い間 MS-DOSマシンやWindowsマシンに水をあけられていたし、もしかしたら未来永劫そのパワーバランスは変わらないかも知れないと考えた時期もあった。そして最悪Appleが、あるいはMacが消滅する日が来るかも知れないと思った時期もあった。それがどうしたことか、現在ではMicrosoft、HP、そしてGoogle全部を合わせたよりAppleは大きな存在となった…。

The last computer_02

※Apple II のエンブレムとキーボード部分


したがってこれで相当な失策を重ねたところでAppleは私の寿命が尽きるまでの間、消滅することはないに違いない。そう思うとコンピュータと...Appleとずっと歩んできた30数年間が俄然無駄ではなかったと自負する気持ちが強くなりさらなる活力となってくる。

私にとって本当の意味で最初のパーソナルコンピュータはワンボード・マイコンやコモドールPETを別にすればApple II であったが、最後のコンピュータもAppleのパソコンでありたいと願っているものの、それはRetinaの大型モニターiMacでも使っているのだろうか…。その美しい大型モニターを眺めながら「嗚呼、楽しい一生だった」と息を引き取るというのが私にとっての大往生だと思うが、さてこればかりは…人生思い通りにはならないに違いなく、この不確実の時代に何が起こるか予測は不可能だ。意外とすぐにお迎えがやってくるかも知れないし、逆に父親と同じく90歳を超えるまで生きてしまうかも知れない(笑)。

故スティーブ・ジョブズは自身の運命を知った後、"Life is fragile." すなわち「人生は儚(はかな)い」といった。辞書によれば「儚い」とは「あっけない。あっけなくむなしい。」ということと同時に「果敢無い」すなわち「仕上げようと予定した作業の目標量...それが手に入れられない」という所期の結実のない意もあるという。
波瀾万丈ではあったが、あれだけ成功したジョブズが「人生は儚い」とは些か意外でもあるが、まだ56歳だったし成功者ほど生への欲がでるものなのかも知れない。私はといえば「人生は泡沫のごとく一瞬」とは身にしみて感じるが空しいとか儚いとは思っていない。

ジョブズとは違い、宇宙に痕跡を残すような偉業はなし得ていないものの、パソコンと出会い、人生の半ばでそれを仕事としたおかげで普通では体験できないことを体験し、味わうことができないあれこれも味わうことが出来た。勿論良い事尽くめであったわけではないが、私にとってはコンピュータ様々であり、あらためて振り返って見るとパソコンなくして自分の人生はなかったと思うほどだ。

それにしても同年配の知人たちと「最後のコンピュータ」を論じていると機種がどうのこうのという話しから死に直面したとき、これまでのコンテンツをどう処理・処分するのか...できるか...という話しになる。
自分が病気になったり死んだ後にパソコンのハードディスク内やCloud内にあるデータ類はどうするのか、どうしたらよいのかが気になってくる。さらにそれまでアクティブだったサイトやブログ、そしてドメインやらも目の黒いうちに自分なりの処置をすべきなのか?
こちらの方が最後のコンビュータを選択するより難しく面倒なことになりそうだ…。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員